安全基地となる存在

愛着の原点は、親との関係で育まれる。

愛着障害は、そのプロセスで躓いている。

それを修復するには、親との関係を改善していくことが、もっとも望ましい。

親のなかには、子どもに問題が表面化したのを機に、自分から子どもへの関わり方を変えようと努力する人がいる。

そうして、子どもの方も親の方も大きく成長し、関係が良い方向に変化することで、他の問題も落ち着いていくというケースも少なくない。

しかし、その一方で、親の方も不安定な愛着の問題を抱えていることも多く、自分の問題としては受け入れようとせず、頑なに子どもの非にこだわり続け、子どもに対する否定的な態度を改めようとしない親もいる。

そうした場合には、子どもは良い方向に変わろうとするたびに、再び傷つけられ、回復を邪魔されるということになりがちだ。

親が良い方向に変わってくれる場合でも、最初の段階では、子どもの問題とみなし、親の方が子どもに傷つけられたと思っていることが多い。

ましてや、変わろうとしない親の場合は、なおさらである。

こうした状況により、親の協力が得られないということもしばしばであるし、得られたとしても、そのためには、何が起きているのかを説明し、ボタンの掛け違いを気づかせる第三者が必要になる。

結局のところ、愛着障害を克服していく場合、こうした第三者の関わりが不可欠と言ってもいいだろう。

その第三者が、親がはたしてくれなかった役割を、一時的に、場合によると数年単位という長いスパンで、肩代わりすることが必要なのである。

そうすることで、子どもは愛着を築き直す体験をし、不安定型愛着を安定型愛着に変えていくのである。

その場合にもっとも重要なことは、その第三者が安全基地として機能しているということである。

つまり、親の代わりをするとは、すべての面倒を見るということではなく、安全基地となるということなのである。

安全基地とは、いざというとき頼ることができ、守ってもらえる居場所であり、そこを安心の拠り所、心の支えとすることのできる存在である。

そして、外の世界を探索するためのベースキャンプでもある。

トラブルや危険が生じたときには、逃げ帰ってきて、助けを求めることができるが、いつもそこに縛られる必要はない。

良い安全基地であるためには、本人自身の主体性が尊重され、彼らの必要や求めに応えるというスタンスが基本なのである。

気持ちがまだ不安定で、心細さを感じるうちは、安全基地に頻繁に頼り、その助けを必要とするが、気持ちが安定し、安心と自信を回復するにつれて、その回数も減り、次第に自力で行動することが増えていく。

さらにもっと時間が経てば、心の中で安全基地のことを思い描くだけで十分になり、実際にそこに頼ることもなくなっていくかもしれない。

それこそが究極の安全基地なのだ。

「安全基地がもてない障害」ともいえる愛着障害を克服するためには、良い安全基地となってくれる存在が、是非とも必要なのである。