世の中には、感情との付き合い方として、さまざまな考え方やスキルがある。

多くの人は「我慢」と「忘れてしまう対処」を上手に活用して、感情と付き合っているが、それだけではうまくいかないことにぶつかると、他人に相談したり、メディアを参考にしてヒントを見つけようとする。

うまくいけばラッキーだが、なかなかヒントを見いだせないことも多い。

というのも、感情が苦しいのは、根底に三つの苦しさ、「エネルギー苦」「防衛(恨み)記憶」「自信の低下」があるからだ。

この三つの苦しさへのケアなくしては、根本的な対処にはならない。

従来の支援スキルでは、案外それが見落とされているのだ。

従来の支援スキルと、その限界について簡単に考えてみよう。

論理的に考えるの限界

論理的に考えると、感情的な結論から抜け出せることがある。

だから多くの人が、感情に飲み込まれている人に対して「落ち着いてよく考えろ」と指導する。

確かに視点を変えたり、目的や本質から考え直したりすることで、自分の思考の偏りに気が付くことも多い。

納得できない心は結局また頭脳を支配し、パワーアップした演算能力で偏った分析作業、例えば怒りなら相手をいかに攻撃するかとか、相手の悪意を細かく検索するなどの作業を続けてしまう。

特にいわゆる頭のいい人ほど、この「論理的に考える」のトラップに引っ掛かりやすい。

その人の自信を支えているのが、「論理的思考力」。

ところが今は、確かに論理的に考えられていない、ということにもうすうす気が付いている。

そんな自分に腹が立つが、どうしても違う方向性での考えが止まらない。

それを、他人に指摘され「冷静に考えたら」などと言われると、自分の矛盾を突かれたうえに、唯一の自分の自信を否定された感じになり、強く拒否する。

つまり、怒りがわく。

つまり、より感情に支配されてしまうということだ。

感情的になった人に対し感じる「なんてバカなことを考えているんだ、それに気づかせてあげたい。

彼なら気が付けば冷静になれるはず」という発想は、感情の仕組みについてよく知らないだけでなく、「自信ケア」の発想がない。

正しくても、助けにならない支援の典型だ。

自己修練型、乗り越えさせるの限界

我慢が足りない、努力が足りない、というアドバイス、これはトラブルに陥っている人にとっても、慣れている思考なので、結構受け入れられてしまう。

「やっぱり、そうですよね」という感じだ。

問題の解決方向が見えたようで落ち着くが、それはその時だけだ。

実際のトラブルに直面すると、あっという間に崩れてしまう。

というのも結局、さらなるエネルギー消耗をするだけになってしまうからだ。

かなり苦しくなっているということは、エネルギー的にもかなりの消耗に至っているということ。

我慢と忘れる対処の限界なのだ。

このスタイルは、我慢好きな人、自分が我慢して危機を乗り越えた経験をとても大切にしている人などが、熱心に勧めてくる。

「これを超えたら楽になる。だから逃げずに頑張れ」的な発想だ。

蓄積疲労などのケースでは、じり貧で、感情の状態は悪化するだけだ。

結局、この方法は、乗り越えさせるという「自信」にはこだわるものの、もう一つ大事な「エネルギー」という視点が欠けている。

その結果、根本対処が遅れるために、かなり深い疲労状態に陥り、結果的にあれほどきにかけていた自信も大きく失うことになる。

人に相談する、話(愚痴)を聞いてもらうの限界

人に話して、スッキリするというのは、割と女性が好む方法だ。

比較的深刻でないテーマなら、かなり有効な方法である。

ただし、なんでも思い出して話をすればいいというものではない。

例えば、一生懸命話したのに、相手が理解してくれない時、それは「わかってくれる人がいない」という自信低下につながる。

徒労感から激しくエネルギーを消耗する。

また、例えば過去のつらい記憶を、「思い返して話をする」という行為は、自分の中で、その人に対するネガティブなイメージと記憶を育ててしまうことがある。

例えばある女性。

つらい嫁姑関係についていつもは忘れているのに、友達に話しているうちに、感情が盛り上がってくる。

盛り上がると、姑の嫌なイメージが膨らむ。

あまりにもつらいので、そこで話を止める。

落ち着くと、もうそれ以上、そのことを考えるのをやめる。

友だちに相談する時にありがちなパターンだが、これは一見よく分析しているようで、結局いつも同じところを繰り返しているだけだ。

しかもこの触れ方では、現実とは関係なく、嫌な対象が、話すたびに嫌なものとして学習されていく可能性がある。

本人的には、話して消化したいという思いがあるだろうが、話して感情を出して、少しすっきりする効果はあるものの、結局盛り上がったところで反芻して記憶を強化し、少し落ち着いたところでは、思考を停止してしまっているので、記憶の「整理」や「慣れ」は進まない。

このように「何度も話はしているのだけれど、ずっとそのことから離れられない」というのは、記憶に対して正しいアプローチをとっていないということだ。

思い過ごし、考えすぎを指摘するの限界

この対処法は、「論理的に考えろ」の親戚である。

感情的になると、いつもと同じことでも、2倍、3倍に危険に感じる。

そのことを知らない人が、「普通のことでしょ、いつものことでしょ」と、客観的な事実を指摘する。

それがわかれば、感情が落ち着くだろうという発想だ。

感情自体の低下が早い場合は、そのサポートでいい場合もある。

ところが、感情が強い場合は、本人の感じ方を否定することになる。

本人にとってのリスク感は、現実に2倍、3倍の脅威なのだ。

普通の人にはちょっと酸っぱいキャンディーでも、本人にとっては、とても酸っぱい梅干しのよう。

それを否定された時、「この人は自分を理解してくれない、守ってくれない」と感じ、自信を失う。

もし、周囲の人が説得に成功したとしよう。

今度は、「それぐらいのことなのに、どうして自分は、こうも過敏なんだ。どうしてそんな自分をコントロールできないのだ」と別のところで自信が低下する。

自信が低下すればより感情的になるサイクルはこれまでと同様だ。

自己啓発・コミュニケーションスキルのトレーニングの限界

世の中には、さまざまな自己啓発や「アサーション」「アンガー・マネジメント」など、対人コミュニケーションのスキルトレーニングが存在する。

それぞれに活用しうる有益なポイントがある。

ところが、案外それらのトレーニングで逆に落ち込む、あるいはさらに感情的な状態になる人がいるのだ。

トレーニングの段階で他人と「比較」して、あるいは自分の「期待」が大きすぎて、落ち込むケースは先にも説明した。

それだけではない。

これらのスキルには、合う、合わないがあるのだ。

自分の能力、性格とスキルとの相性があり、その影響が極めて大きいと考えてほしい。

また、これらのスキルの実生活においての効果は、相手次第という面がある。

うまくいく相手もいれば、まったく通じない相手もいる。

同じ人でも、テーマが違ったら違う反応だし、昨日は良くても今日は違う反応を示した、などということが当然起こりうる。

しかし、「子どもの心」が強い人は、うまくいかないのは、そのスキルを自分が完全に習得していないから、努力が足りないから、と考えやすい。

すべての生き方スキルは、TPOに応じてアレンジしなければならない、結構ゆるいものなのに、それを人生の原則のように考えてしまい、ある手法だけに偏ってコミュニケーションしてしまうのだ。

当然、実生活ではうまくいかないほうが多くなる。

必死にやる分エネルギーを消耗するし、うまくいかないことで自信も失う。

そしてかなり傷ついては、また次の手法に取り組むというパターンを繰り返している人が多い。

いろんなダイエット法にはまりながら、リバウンドを繰り返し、結局どんどん太ってしまうのと似たパターンだ。