人間関係で我慢して仕方なく調子を合わせない

表面的にはみんな仲が良いように見えるけれども、その場にいない人の噂話になっているのはわかっています。

実際に、トイレに席を立って戻ってきたとき、彼らの一人が彼女のほうをチラリと見たりすると、彼女は、「あ、今、自分のことを話題にしていたな」と勘ぐってしまうのです。

集中砲火的に特定の人の悪口を言い合ってみんなが盛り上がっていたりすると、その中で彼女は誰も信頼できる人がいなくて、自分が独りぼっちのような気がしてくるのでした。

周りの人をついつい責めてしまう

もっとも彼女も、つい心の中で、

「どうしてみんな、ああやって、人の噂話ばっかりするんだろう。自分たちのことは棚にあげて」などと腹を立ててしまいます。

しかし、どんなに心の中で彼らを責めたり否定したからといって、彼らが変わるわけではありません。

そうやって、否定的な感情に囚われていけば、自分がいっそうつらくなるだけです。

「人の口に戸は立てられぬ」という諺もあります。

そんなときは、これを彼らの問題でなく「自分の問題」として捉えて、たとえば、「みんなが人の噂話や悪口を言っても、私は言わない」と決断することはできます。

みんなと一緒にいるときは、話を聞きながら、「ああ、そうなんですか。へえ、そういうことが、あったんですか」と相槌を打つだけにするというのはどうでしょうか。

これは、相手に同意して相槌を打っているわけではありません。

『私はそれに同意できないのですが、あなたの言いたい気持ちはわかりました。あなたの意見として聞きます』という意味での相槌です。

こんな気持ちでいれば、みんなが人の悪口を言っていても、ムキにならないで、軽く聞き流すことができるようになるでしょう。

我慢しない自分中心の発想で心地よく

それに、どんなに悩んでも、具体的な行動方法はたくさんあるわけではありません。

大きく分けると、

  • 一緒に過ごす
  • まったく入らない
  • 途中から抜けたり、途中から入る

これ以外の方法はありません。

お勧めは、「途中から抜ける」。

これが実践しやすいのではないでしょうか。

もしかしたらあなたは、「途中から抜けるというのは、ハードルが高いなあ」と感じるかもしれません。

けれども、そうであれば尚のこと、「途中から抜けられる私」を練習してほしいものです。

人間関係のコミュニケーションでは、「私が入りたいときは、入る。入りたくないときは、入らない。抜けたいときは、抜ける」という自由を知っている人ほど、楽しくラクに過ごすことができます。

これはあくまでも我慢しない人間関係の理想です。

すぐにできなければならないということではありません。

けれども少しずつ努力して、ほんの0.1%変わるだけでも、その分だけ理想に近づくことができます。

みんなの中の一人があなたに意地悪な気持ちを抱いていたとしても、あなたが我慢せず途中から抜けられるような風通しのいい方法を実行していけば、やがて、そのやり方に追随する人が出てくるでしょう。

なぜなら、一度でもそうすることができるなら、それがどんなに「自分を自由にさせるのか」ということを実感するからです。

さらにまた、例えば、我慢せずに「少し、読みたい本があるので、お先に失礼します」

といったような言い方で自由に抜けることができれば、そんな行動をとれる自分を誇らしく感じるでしょう。

これが「我慢のない人間関係」の行動です。

相手の顔色や言動を窺って行動するよりも、自分の気持ちや感情のほうに焦点を当てて、自分の心や気持ちに適した行動や表現をする。

そして、自分にフォーカスしながら、自分の心に沿った表現や行動をしたときに感じる心地よさが、「我慢しない人間関係」です。

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本当に自分の我慢のせいで不仲になったのか?

イライラの原因

「自分がイライラするのは、どういう瞬間なのか」

自分の心を観察したとき、その原因が「これか!」とつかめました。

簡単に言うとそれは、彼が、決して、「わかった」と同意したり、「そうだね」と共感してくれないからだったのです。

別の同僚のときだと、「これ、お願いできますか」

「あ、これね、わかった。今手が離せないから、そこに置いてって。

午後に取りに来てよ」

でスムーズに終わります。

ところが彼の場合、「これ、お願いできますか」

「え、どうして?」

「これがないと、先に進めないんです」

「えっ、それ俺の責任?」

「いえ、そういうつもりでは・・・」

「で、なんだったっけ?」

「ですから、これを」

「ああ、それね」

「はい」

「これ、俺じゃないと、ダメなの?」

「ええ、まあ」

「〇〇さんでもいいんじゃないの?」

「〇〇さんは、今日は、お休みなんですね」といった具合に、本題に入る前のプロローグがうんざりするほど長いのです。

果てには、「フーン。今、俺、時間ないんだよねえ」

ここでも彼女も、堪忍袋の緒が切れそうになり、「じゃあ、どうしたらいいんですか」と、つい感情的に返してしまいました。

すかさず彼もそこに反応して、「今、時間がないって言っただろう!」

こんなふうに、一つのことを聞いて回答をもらうまでに、いくつもの難関を越えなければなりません。

そのために、本題の入口に到達したときは既に、ヘトヘトに消耗しきっていて、門をくぐっても「やっとこれから、本題かあ」と、うんざりです。

これから先の長いイライラの道のりを思うと、自分の言う言葉をそのたびに覆そうとしてくる彼に、彼女は「うるさい」と怒鳴りたくなる衝動が込み上げてくるのでした。

言葉ではない情報を得ている

相手と話をしていると、なんだか、訳もわからずイライラしてくる。

一緒にいて話を聞いているだけで、身体がぐったりするほど疲労感を覚える。

話をしていると、なぜか怒りが込み上げてくる。

誰でも、こんな経験があるのではないでしょうか。

こんなとき、内省心の強い人や自分を責めてしまう人は、自分のほうに「何か問題があるのでは」と考えがちです。

もちろん、そんな気持ちは大事にしていたいものですが、相手と話をしていて、絶えず不快な気持ちになってしまうとしたら、その前に、「この人の言葉の奥にある別の意味や胸の中にある思いを、私が無意識にキャッチしているからなのかもしれない」と考えてみることも必要です。

即避難、不快に感じたら

事例に示した後者の彼のように、いつも「敵と戦っている」という状態の人は、「ああ、そうか」「そうだね」「そうなんだ」といった同意する言葉は決して言いません。

それは、人の心に共感する余裕がないからです。

無意識の視点から言うと、人に「そうだね」と同意してしまうと、その人の言っている要求に応えなければならない。

その人に従わなければならないと思っています。

彼らにとって、他者の話に耳を傾けるということは、イコール「その要求を呑む」ということを意味します。

不思議だと思うかもしれませんが、彼らは、普通の人が予想している以上に「気持ちよく断る」ことができません。

断ると争いになると強く信じているのですから、それも道理ですね。

そんな人間関係の恐れから、彼のように「人の話に耳を傾けることができない」人が少なくありません。

諸々の理由から、共感する心が育っていない場合もあります。

「敵と戦っている」という状態の人の心理や言動の仕組みはこれから少しずつ述べていきますが、いずれにしても、自分の感情を基準にすると、共感する心に乏しい相手と話をしていても、不快な感情がエスカレートしていくだけです。

そうなれば、相手との関係もこじれていくでしょう。

ですから、まず自分の気持ちに焦点を当てて、「このまま話をしていたら、私がだんだん、不快な気持ちになっていきそうだ」と気持ちになったときは、そこらあたりが潮時です。

それ以上話をして我慢していると、自分の心を傷つけてしまいます。

そうなる前に、自分の心を救うために、「私を守るために、この話は、早めに打ち切ろう」と決断することです。

こんなとき、話を聞いてあげないと相手に悪いと思ったり、可哀想だと思ってしまう人もいるでしょうが、例でもわかるように、相手は建設的な会話を望んでいるわけではありません。

他者の言葉を覆すのが目的となっています。

それ以上でもそれ以下でもありません。

そんな無意味な会話を続けて「自分を理解してもらおう」とするよりは、「できるだけ速やかに、この会話を打ち切って撤退しよう」と決めたほうが賢明です。

不快な会話になっているときは、相手の言葉を真に受けて真剣に耳を傾けたり、真面目に答えようとする必要はありません。

先の例では、彼が何を言おうと、会話の途中で、「これ、お願いできますか」と言えたら、そんな自分を誉めてあげたいぐらいです。

「自分にとって必要な件だけ」に焦点を当てて、「これ、お願いできますか。もし、無理でしたら、他の人を探してみます」

「これ、お願いできますか。もし、無理でしたら、上司に相談してみます」

といったような言葉で、その会話を「速やかに終わらせる」ことを目指しましょう。

人よりも、自分の心を救うほうがよりよい人間関係をつくる上で先なのです。

見て見ぬフリの人間関係

私の意見にみんな賛成してくれない

彼の目には、どうしても、同僚たちが努力をしていないように映ったり、時間に余裕があるとサボっているように見えてしまいます。

そんな職場に、「どんなに良くしたいと思っても、自分ひとりでは、どうせ無理だよなあ」と、投げやりな気持ちになることもしばしばです。

あるとき、彼の後輩と取引先との間で問題が起こりました。

後輩から相談を受けたとき、取引先の要求のほうが強引で、後輩の判断が適切だと思いました。

けれども上司が下した決定は、後輩が一方的に始末書を提出して責任を取るというものでした。

彼はそれが許せずに憤慨するのですが、同僚たちは、見て見ぬふりをしています。

後輩にも、自分が応援するからもっと抗議すべきだと拳に力を込めて訴えるのですが、当の本人は曖昧に言葉を濁すだけで、結局、彼ひとりが悔しがる結果に終わったのでした。

主張していることは正しいことなのに、なぜ?

彼の言っていることは正論です。

彼は、自分は正しいことをしているのに、誰も自分に味方してくれないというような人間関係の中にいる気持ちになっています。

彼だけではありません。

多くの人が、自分の「正しさ」を主張しようとします。

お互いに、その「正しさ」を相手に主張し合って、口論になったりします。

けれども、正しければいいかというと、そうではありません。

人は「正しい、正しくない」では動きません。感情で動くのです。

彼はこれに気づいていません。

この件の場合、客観的には彼の言うことが正しいでしょう。

でも、後輩は、自分が間違っていないと思っていても、それを主張することを恐れています。

彼がどんなに正義感に燃えていようと、後輩に彼と同じ思いを押しつけることはできません。

後輩自身の問題です。

彼が意見を言うことはできるでしょうが、どうするかは後輩が決めることで、「後輩の自由を認める」ことのほうが大事なのです。

もしその自由を認めずに後輩に迫っていけば、彼がどんなに正しくても、後輩は、彼に対して「僕に自分の意見を強要してくる強引な怖い人」と感じて、彼と距離を置きたくなるでしょう。

また彼は、職場の人間関係の中で上司の不甲斐なさを嘆きますが、上司には、上司の立場があります。

上司には部下がいると同時に”上司の上司”もいます。

上司が”上司の上司”に主張することを恐れていれば、どんなに後輩の対応が間違っていなかったと理解していても、逆らうことができないでしょう。

同様に、職場の同僚には同僚の立場があります。

家庭を持っている同僚もいるでしょう。

後輩をとるか家族をとるかといえば、言うまでもないでしょう。

独身の彼とは立場が異なるのです。

彼がどんなに懸命になっても、職場の人間関係で空回りしているように感じるのは、彼が、他の人たちの「選択の自由」を認めていないからではないでしょうか。

それぞれの人に、それぞれの立場があることを、自覚する必要があります。

「相手を認める」というのは、こういうことなのです。

後の章でも丁寧に述べていこうと思いますが、この「選択の自由」を互いに侵し合うときに、敵味方で争うことになったり、人間関係は「自分の周囲は敵ばかり」というような四面楚歌の状態になっていくのです。

こんな会社やめてやる!の前に

確かに、会社の対処の仕方には問題があります。

けれども、長年かけて築き上げてきた会社の体制や構造に関わる問題を、すぐに改善しようとするのは性急過ぎるのでは?と言いたくなります。

会社や組織というものは、多くの人達の意識や立場が関わり合ったり人間関係が影響し合いながら機能しています。

一人だけが正義感を燃やしたからといって、他の人の意識がすぐに変わるものではありません。

仮にもし、すぐに変革を達成できたとしても、新体制が整って正常に機能するまでには時間がかかるものです。

急激な変革が達成できたとしても、新体制に不満を抱く人が多ければ、彼らが「新新体制」を目指して、「新体制」と再び人間関係で争うことになるでしょう。

一人一人が自覚してはじめて、人間関係をはじめ物事は前進するものなのです。

それには「時間がかかる」。彼に必要なのは、この「物事を改善していくには、時間がかかるものなんだ」という自覚なのではないでしょうか。