折れない自信の4つの正体

改めて本当の自信とは?

「DO」つまり何かを「する」と、その結果は「形」になります。

例えば、一生懸命仕事をして「〇〇万の売り上げ」を達成した、ダイエットに成功して「〇キロ減量」したという場合、その結果が「〇〇万の売り上げ」「〇キロの減量」という「形」として表れているのですが、「形」になるものは、なんであれ評価の対象となります。

もちろん、よい評価を受けると「自信」が感じられます。

ところが、前述したように、評価に基づく自信は、不安定です。

こうした自信はいつ失われるかわからないものですから、「DOの自信」を維持するためには、走り続けなければならず、どこまで行っても、「もっとがんばらないと」「もっと成果を上げないと」という気持ちがとまらなくなります。

この記事をよんでおられる方が求めているのは、「本当の自信」だと思います。

「本当の自信は状況に左右されないものですから、「DOの自信」をどれほど積み上げても本当の自信にはなりません。

では「本当の自信」とはなんでしょうか。

その基本となるのは、実は「BEの自信」です。

「BEの自信」は、自分が大切にする「あり方」についての、そこはかとない肯定感や安心感です。

これは自分にしか感じることができないものです。

例えば「今に集中して生きていきたい」「現実をありのまま受け入れていきたい」など、自分が大切にしたい内的な「あり方」は、そのままでは「形」として見えるものではないので、評価の対象になり得ません。

また、「どれほど今に集中できたか」「どれほど現実をありのまま受け入れられたか」というように「成果」を問うものでもありませんから、比較の対象にもならないのです。

「今に集中して生きる」「現実をありのまま受け入れていく」という「あり方」を大切にできる自分についての、そこはかとない安心感は、それ自体が満ち足りた気持ちにさせてくれますから、「もっと、もっと」と焦る気持ちも起こりません。

また、基本的に状況に左右されません。

「部長の気分が変わったから」「できる新入社員が入社してきたから」という理由で、変わるものではないからです。

例えば、「できる新人が入ってきて、自分の評価が下がった」などという場合、「DOの自信」は吹き飛んでしまうでしょう。

そんな状況では「現実をありのまま受け入れたい」というあり方を大切にしている人であっても、一瞬、その「あり方」が揺らぐように感じるかもしれません。

しかし、「BEの自信」がある人は、また次の瞬間には自分が大切にしている「あり方」を思い出して、「この現実を受け入れて、自分のできることをがんばろう」などと思い直すことができます。

すると、それを基盤にして、「DOの自信」もまた育てていけるのです。

ですから、簡単に揺らがない「本当の自信」を持つためには、「BEの自信」が必要不可欠になってくるのです。

ポイント:「本当の自信」を持つには「BEの自信」が必要

「するべき」ではなく「したい」と考える

「『あり方』になら自信があります。いつも他人にはやさしくすべき、感情的にならないようにすべきだと思って、そうしていますから」という人もいるでしょう。

「BEの自信」と勘違いされやすいのが、こうした「『べき』による自信」です。

実際、「常に冷静でいるべき」「まずは他人を優先すべき」などと、自分の内面の「あり方」を、「べき」で規定している人は少なくありません。

しかし、「べき」というのは、常に自分を「きちんとできているか」という厳しい目で見るもの。

つまり、自分がどんな「あり方」を大切にしたいかではなく、自分の「あり方」を「成果」ととらえて、評価を下す姿勢だと言えます。

ですから、「べき」から得られるのは、やはり「DOの自信」なのです

実際に「自分のあり方」に「自信がある」と言っている人の多くが、このタイプの「DOの自信」を持っていることでしょう。

例えば、「自分はいつも真っ先に危険に立ち向かうことができる」などというマッチョな自信は、「男たるもの、危険を怖れずに立ち向かうべき」から来るものです。

しかし、怪我や病気によって、やるべき「DO」ができない状況が起こると、「DOの自信」は失われてしまいますし、そんな状況に陥ってしまうと、かつては自分に「自信」を与えてくれた「べき」が、「男のくせに」と自分を責めるようになります。

「BEの自信につながるのは、「べき」ではなく、「したい」という感覚です。

「常に冷静でいるべき」ではなく「できるだけ冷静でいたい」。

「まずは他人を優先すべき」ではなく「できるだけ他人のことを考えてあげたい」。

こんなふうに、完璧主義的な「べき」ではなく、「できるだけ〇〇したい」と思うのが、「BEの自信」の特徴です。

「〇〇したい」という気持ちは、自分が大切にしたい方向を示してくれます。

できるかできないかは別として、「こんなふうに生きていけばいいんだ」と思わせてくれる人生の羅針盤です。

迷うときにも常に方向を示してくれる。

「そうそう、そっちに向かっていけばいいんだよ」と教えてくれる。

だからこそ、そこはかとない肯定感や安心感を得ることができるのです。

ポイント:「できるだけ」という気持ちが、自分への肯定感をくれる

「こうありたい」という気持ちが自分を強くする

「自信さえあれば、些細な失敗に落ち込まずにすむはずなのに」
「自信さえあれば、人目が気にならないはずなのに」
「自信がない人」は、こんなふうに、自信さえがつけば、状況に左右されない本当に強い人間になれるはず、と思っているものです。

もちろん「自信がある人は強い」というのは真実です。

しかし、「自信を持つべき」と思えば思うほど、実は「本当の自信」から遠ざかってしまいます。

「本当の自信」は「BEの自信」がないところには生まれません。

「自信を持つべき」と思っている限り、この「BEの自信」は感じられません。

「BEの自信」は、単に自分が気持ちよく生きていくための土台みたいなものです。

もちろん、状況に左右されない安定性がありますから、結果として「強さ」を持つことはできます。

しかしその「強さ」は、マッチョな強さではなく、風に揺れる椰子の木のような、しなやかな強さなのです。

決して折れることのない、しかも強さをことさらアピールすることのない、本物の強さです。

「BEの自信」を持っていないのに「DOの自信」を追求していくと、折れやすいですし、かえって自分を苦しめることになりかねません。

一方、「BEの自信」がある人は、その状況に合った「DOの自信」を持つこともできます。

例えば、「自分は与えられたことに、できるだけ誠実に取り組みたい」という「BE」を持っている人がいるとしましょう。

そのような人は、現役世代の間は「自分は与えられた仕事に、誠実に取り組むことができる」という「DOの自信」を持てるでしょうし、引退すれば、「地域の活動に、誠実に取り組むことができる」「自分の身体のケアに、誠実に取り組むことができる」「孫の世話に、誠実に取り組むことができる」という「DOの自信」を持てるでしょう。

つまり、「BEの自信」があれば、状況が変わっても、現役時代の「DO]に執着して自信を失うことなく、また新たな「DOの自信」を手に入れることができるのです。

「BEの自信」に支えられた「DOの自信」は、人生を豊かにしてくれます。これこそが、本当の自信です。

実際に、人生は「DO」の連続ですし、「BEの自信」を基盤にした「DOの自信」を持つことができると、達成感によってさらに自信が増し、人生が楽しくなるでしょう。

ポイント:まず「BEの自信」を手に入れる

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もしも、自信が折れそうになったら

「BEの自信」というのは、自分の「あり方」についての、そこはかとない肯定感や安心感のことです。

「何ができるか」という「成果」を問うものではありません。

「こんな『あり方』を大切にしていきたい」と思える自分についての、「よい感じ」なのです。

ですから、基本的には折れたりしません。

もちろん、状況によっては、自分が大切にしている「あり方」通りにできないときもあるかもしれません。

しかし、自分がどんな「あり方」を大切にしているかを自覚していれば、そしてそんな自分を誇らしく愛おしく思っているのであれば、また次の瞬間に「あり方」を選び直すことができるのです。

例えば、「人に対してやさしくありたい」という「あり方」を大切にしているとします。

しかし、突然理不尽に怒鳴られたりすると、相手をやさしい目で見てあげることはできなくなってしまうでしょう。

そんなときには、まず、自分に対するやさしさを取り戻すところから、態勢を立て直すことができます。

「まあ、怒鳴られたときはショックを受けるものだから、やさしい心を持てないのも仕方ない。それにしても怖かったね」と自分をいたわるのです。

その上で、「あんなに理不尽に怒鳴るなんて、よほどパニックになっていたに違いない」と、相手をやさしく見ることを選び直せるかもしれません。

あるいは、今回はショックが大きすぎて無理だとしても、「いずれ、こんな人のことも、『パニックになっていたのだから、仕方がない』と思えるようになりたいな」と思えれば、「BEの自信」は健在なのです。

見失ったならば、また取り戻せばいい

好きな食べ物が、たまたま売り切れていて、その日は食べられなかったとしても、「残念」と思いつつ、次の機会に食べようとします。

心の「あり方」というものもまさに同じで、自分にとって「好きな」姿勢なのです。

ですから、たまたまうまくいかなかったとしても、「残念」と思いつつ、また好きな姿勢で生きていけばよいだけ。

売り切れの食べ物とは違って、自分さえその気になればいつでも手に入るのですから、どんな状況でも対応できる、というのもよい点です。

自分を突然怒鳴りつけてきた相手が謝罪してくれなくても、「よほどパニックになっていたんだな」と自分が思うだけで、やさしい気持ちを取り戻せるのです。

「心の姿勢」は、常に「今、選ぶ」ものです。

ですから、うまくできなかったときも、次の瞬間には前の失敗を手放し、「自分はこういう心のあり方で生きていきたい」を選べばよいのです。

ポイント:「BEの自信」はいつでも手に入る