満足の人生

充実した悔いのない人生にするためには、未来の自分として現在を点検してみることが役立ちます。

若い人は60歳や70歳になった自分としてみてもよいでしょう。

究極的には、自分が死の床にいるとして、現在を振り返ってみることです。

このとき二つの視点から検討することです。

一つは、現在の生き方を続けていったときに、どの点で後悔するだろうか、後悔しないためには、どのように修正すればよいだろうか、という視点です。

ある人は、仕事に比重を置きすぎ、家庭生活をないがしろにしているかもしれません。

ある人は、妻(夫)との関係の修復をあきらめて、なおざりにしているかもしれません。

ある人は、意に添わない職場にいるかもしれません。

ある人は、健康管理を怠っていることであるかも知れません。

こうした問題点をあげ、どのようにして修正するかを考え、実行することです。

もう一つの視点は、どのような要素を加えたら、いっそう満足できる人生になるだろうか、という視点です。

それは趣味であるかも知れないし、「やってみたいこと」と重なるかもしれません。

大事なのは、生き甲斐、ライフワーク、自己実現などと呼べるような、自分の人生で追求したいことを必ず加えることです。

それを達成して死んだら大満足、達成しなくても、追求して死んだら満足と思えるものです。

「ノー」と言う力をつけることよりも、「こうありたい」「こうあったらいいな」という自分の建設的な姿を思い描くことに関心を向けることです。

いくつになっても遅すぎるということはありません。

自己実現に道半ばということはないからです。

自己実現とは到達点ではなく、いつでもプロセスであるからです。

その意味では、すべての人の自己実現が道半ばということなのです。

追求する価値の確認

何を大事に生きるのか

自分を生き、自分の人生をつくろうとするとき、何に価値をおいて生きるのかを自覚しておくことです。

それによって、自分がエネルギーを注ぐべき対象が明確になり、目先のことに煩わされなくなります。

心理学者のAさんは、三十代半ばにこれを行い、自分なりの価値基準に従って自分の人生をつくってきました。

その結果、他の人とは若干異なる経歴の人生を選択することになりました。

たとえば、四十代半ばで大きな国立大学から、小さな私立の女子大学に移りました。

当時、この年代で国立から私立へ移るのはまだ稀なことで、大部分の人は、よりランクの高い大学へ移ることを希望していたようです。

ですから、不審がる人もいたものでした。

Aさんがこの選択をしたのは、国立大学で求められるマッチ箱の底をつつくような学会的な心理学研究でなく、人間の生の心理をそのままとらえる心理学を自由に行いたいがためでした。

移った私立大学で、優れた多くの女性教員とともに、家庭的な雰囲気のなかで、素直でけなげな女子学生を相手に、楽しく勤務できたようです。

さらに、大部分の人は七十歳の定年まで勤めるのですが、Aさんは定年まで八年を残して大学を辞めました。

これも、よりいっそうの自己実現のために有効な環境を求めての選択でした。

組織に所属することは、時間と仕事内容が強要され、いっそうの自己実現を妨げる要素があるからでした。

現在は、すべてが自分の時間で、自分がしたい仕事だけを思い切り行うという生活です。

自分で選択した自分の生き方をしている現在では、時間はほとんど意味を持ちません。

数時間ぶっつづけに働く日もあるし、気分が乗らなければ全然働かない日もあります。

土日に働いていることがあるし、平日に遊んでいることもあります。

金銭的な不利はありますが、時間と仕事の主人公であり、実に快適です。

本当に自分で自分を生きているという実感で、この生活をあと二、三年送ることができれば、いつ死んでも悔いはないようです。

テレビ番組の『人生の楽園』を見ていると、楽園とは、大金持ちになることではなく、社会的に大成功を収めることでもなく、人間らしいつながりのなかで、人の役に立ち、自分がやりたいことをやることだ、と実感されます。

自分の意に反する仕事を続けていることは、お金のために人生を浪費しているようなものです。

自分の価値観と反する仕事をしていることは、最悪の「偽りの自分」を生きていることです。

たとえば、詐欺商法など、仕事そのものが反社会的であることを知っていながら行っている人、会社の不正を知りながらその一端をかつがなければならない人、労務管理を任され、心ならずも社員のリストラを執行しなければならない人などです。

こうした場合、本人が誠実で、良心的であるほど、その苦痛は大きくなります。

H氏は映画監督になる夢を持ち、映画製作会社に就職しました。

しかし、映画斜陽の時代であり、自分で映画を作る夢はかなわず、当時新興のテレビ局であったT社に移りました。

そこで当時としては斬新でユニークなバラエティー番組を作り、映画で活躍した俳優の新たな才能を引き出すなど、数々の実績を上げました。

このために、彼は、番組制作の現場にとどまっていたかったのですが、管理職とされ、心ならずも企画や予算などで現場を締め付ける役割を担うことになり、さらに、組合と会社側との争いの前面にたたされるなどの仕事を任されることとなりました。

会社側の価値観よりも、現場の組合側の価値観を持つ彼には、この仕事は苦痛以外のなにものでもなく、うつ的症状や胃潰瘍を発症するなど、心身ともに不調になってしまいました。

それで、彼は思い切ってテレビ局を辞め、仲間と小さなプロダクション会社をつくりました。

やりたい仕事だけをできるわけではないけれども、また、収入も激減しましたが、それでも制作という自分で望んだ仕事をしている充実感は、何事にも換えがたいと言います。

むろん組織を離れた生活を推奨するわけではありません。

それぞれの人が、それぞれの条件において、より自分になれると思える生活を作り出せばよいのです。

そして、それを作り出すか否かは、自分自身にかかっているということを強調したいのです。

そのための出発点として、自分が人生においてなにに価値を置くのかを、しっかりと確認しておくことが絶対に必要です。

価値分析の方法

追求すべき価値を確認するために行う方法を紹介します。

これを価値分析と呼びます。

1.自分が欲するものを列挙します。

B4の白紙を横置きにして、左側に寄せて書きます。

自分が欲しい物でも、欲しいことでも、こうありたいという自分のイメージでもなんでも結構です。

思いついたままにどんどん書いていきます。

車、別荘、遊んで暮らせるお金、愛、容易に傷つかない強い心、魅力的な身体等々。

2.欲していることがどのような欲求や価値と対応しているかを明らかにします。

たとえば、車や別荘、お金だったら物質的欲求となります。

「他の人の評価を気にしない強さ」を求めているということであれば、他の人から認められたいという欲求があるということになります。

すなわち、承認欲求とか顕示欲求です。

こうした分析を自分にとり根源的と思える欲求や価値に到達するまで行います。

3.追求する価値を選択します。

それぞれを自分がどの程度欲しているのか、改めて吟味してみることです。

そして、本当に自分が価値を置きたいものだけに絞ることです。

少なくとも、人生さえも見せ物にしようとしないことです。

そうして絞っていくと、真に追求すべき価値はせいぜい三つか四つ程度になります。

私が最終的に選択した価値は、健康、生活できるだけの収入、愛する人がいてくれること、そして、自己実現の四つでした。

これ以上、何を望むというのでしょう。

これ以上の余分な望みで苦労する必要などないのです。

ただし、ぜったいに無理な我慢をしないことです。

自分の胸に聞いてみて、社会的評価が欲しければ、それを素直に追求することです。

とくに若いうちは、社会的成功を求めて努力することがエネルギーを生み、自分を鍛え、自己価値感をもたらし、豊かな人生を作ることにつながります。

逆に、若い時期に、思いっきりそうした夢に邁進する体験がなければ、人生を不完全燃焼のままに終わってしまう可能性があります。

4.価値を実現する実行計画をたてます。

上記で選んだ価値を実現するためのプランが必要であれば設定します。

たとえば、「健康」ということであれば、運動や食生活など健康を維持するための計画をたてます。

「愛する人がいてくれること」であれば、家庭生活を大事にする具体的な行動計画をたてます。

「自己実現の喜び」ということであれば、自己実現のために必要な行動計画や環境つくりの計画をたてます。

5.実行計画に基づき行動し、点検する

実行計画を着実に実行します。

点検をして、実行できなければ、柔軟に計画を修正します。

このような自分が設定した価値目標に向かって努力していると、周囲の目はさほど気にならなくなります。

社会的評価にとらわれたり、人と比べたりすることをあまりしなくなります。

そして、価値の達成が喜びなのではなくて、それに向けて努力する日々こそが喜びであり、幸福なのだと実感することになります。

夢を持って行動する

生き甲斐や自己実現としての目標を確認してもなお、落とし穴が隠されています。

それは、生き甲斐や自己実現とは希望や夢であり、未来に自分を置くことだからです。

このために、これらが現実からの逃避となる恐れがあるのです。

じっさい夢や希望を抱きながら、現実にそれを実現する行動をしない人が、限りなくいます。

これらの人は、夢や希望を現実からの逃避に使っている人たちです。

なかには「願えば、夢は叶う」などという安直な主張さえあります。

願っただけでは、夢はぜったいに叶いません。

振り返ってみて下さい。

願ったことで失望に終わったことがどれほどたくさんあったことでしょうか。

実現するための行動をとらなければ、夢は実現しません。

行動によって初めて夢や希望が、今、現在の自分と未来の自分とを結びつけるのです。

四十名の中年男性の生活歴を詳細に分析したレビンソンは、自分の生活を青年期の夢と何らかの形で結びつけてきた人が、満足できる生活を作り上げていることを見出しています。

逆に、夢を早々にあきらめ、手放してしまった人は、中年期を不満感をもって迎えているということです。

全身全霊を注ぎ込めるもの。

全身全霊を注いで、悔いはないもの。

それに力を注ぐことです。

それが人生に活力を与え、自分の人生として満足できる人生をつくることになるのです。

「すべき」から出発するのではなく、「やりたい」から出発することです。

「達成しなければならない」ではなく、「達成できたら素晴らしい」と考えることです。

まぎれもなく自分が設定したと実感できる目標なら、達成できなくても素晴らしいことです。

それに邁進したという自分、それ自体が喜びであり、誇りに感じられます。

変わるもの

自分自身の価値基準によって行動するようになると、変わるのは自分と自分の人生だけではありません。

いままで、必要として読んでいた本がいらなくなります。

それは、自分さがしの本であるとか、被害者意識に訴える本などです。

こうした本を何冊も何冊も読んでいる人がいます。

なるほど読んでいる時は気休めになるのですが、それも読み終われば泡沫のように消えてしまいます。

こうした本の依存症になっているのです。

必要なのは一時の気休めではなく、持続的な現実の行動です。

服装も変わることがあります。

これまで着ていた服を捨てて、自分らしくないと思って遠ざけていたような服装に興味が向かうこともあります。

遠慮無く、身につけてみることです。

新たな自分という気持ちになります。

あなたを利用していた周囲の人が、あなたが変わっても同じように利用しようとするのなら、そうした人を捨てることも必要です。

それは、良い人という自分のイメージを捨てること、評判を気にする自分の心を捨てること、優秀さを誇示したいあなたの心を捨てることです。

今まで目標としていたものを捨てることになるかも知れません。

あるいは、重要視していたことを格下げするということになるかもしれません。

また、今までは、自分は異質だという感覚があり、それ故に自分は他の人と違うと思うことで、それに甘んじ、それに逃げ込んでいたことはないでしょうか。

「自分には無理だ」とか、「自分にはできっこない」などと。

そうではなく、人は誰でも自分についていささかの異質性の感覚を持っています。

自分が価値を置くものを決定したら、そんなものに逃げるのは止めましょう。