本当の自信には「BEの自信」が必要です。

「BEの自信」というのは、「成果」によって得られるものではなく、評価の対象にもなりません。

感じることができるのは自分だけです。

それをふまえて、ここで改めて自信について定義しておきたいと思います。

「BEの自信」とは、何をしていようと、自分についてよい感じ方をすること。

「BEの自信」は、自分の「あり方」についてのそこはかとない安心感であり肯定感であることです。

それは簡単に言えば、自分についてよい感じ方をする、ということです。

これは、自分に対して「よい評価」をすることではありません。

「私はこんなに優れた人間だ」と感じる、という意味ではないのです。

ですから、「自己イメージを上げる」ということとは微妙に違います。

「自己イメージを上げる」というのは、まさに自分を評価される対象ととらえて、そんな自分のイメージを上げるということです。

「できる自分」というイメージを作るのですね。

「BEの自信」というのは、そういうものではなく、居心地よく一緒にいられる自分、という感じでしょうか。

「あの人と一緒にいると、とにかく落ち着く」というタイプの人がいますよね。

その「あの人」に、自分がなる、というようなものなのです。

自分が大切にしている「あり方」が自分を安らかに落ち着かせるものである。

また、そんな「あり方」を大切にしている自分自身を、誇らしく愛おしく感じることができる。

そのときはじめて、「一緒にいて心地よい自分」になることができます。

つまり、一人でいても、誰かから評価をしてもらえなくても、安定した温かい気持ちになれるのです。

例えば、美しい公園を一人で散歩しているときに、ポイ捨てされた空き缶を発見したとします。

「自分が住んでいる環境をできるだけ大事にしたい」という「あり方」を大切にしていれば、自分の「したい」に基づいて、空き缶を拾い、ゴミ箱に捨てることができるでしょう。

それは、ポイ捨てした誰かに対する怒りも感じないくらい、気持ちのよい体験になるはずです。

誰も見ていなくても、誰もほめてくれなくても、「したい」を大切にできる自分について、よい感じ方ができます。

「自己肯定感」「自尊心」などと呼ばれるものが、この感覚に当たります。

これらは「できる自分」に対するプラスの評価のことではなく、自分という存在についての「そこはかとない安心感」のようなものです。

言葉にしてしまえば「自分はこれでよいのだ」「自分は存在する価値があるのだ」ということになりますが、そのような言葉にしただけでニュアンスが変わってしまうくらい、「そこはかとない」ものなのです。

そして、それを感じることができるのは自分だけで、なんらかの「形」にして他者に示すこともできません(ただし、近くにいる他人は、その温かく安定した雰囲気を感じ取ることはできます)。

つまり、本当に自信があるときには、「自分には自信がある」ということにすら目がいっていないのです。

そこにあるのは、「そこはかとない安心感」であり、「まあなんとかなるだろう」というおおらかな信頼感です。

「自分には価値があるのか」などというところに気が散りませんので、目の前のものに集中することができます。

ですから、何かに心から感動したり、何かを心から楽しんだりすることもできます。

もちろん、結果的に「成果」も上がります。

ポイント:そこはかとない「自分はこれでよいのだ感」が大切

自信とは「今、ここ」にて感じるもの

「自分についてよい感じ方をすること」は、リアルタイムでしかできません。

「自信をつける」「自信を持っている」などというように、自信は筋肉のように「つけておく」ことができるものと思われがちですが、そうではないのです。

自信とは、その場その場で吸い込む空気のようなもの。

「空気がおいしい」と感じるのは、まさにリアルタイムなものです。

自信も、いったんつければ大丈夫なものではなく、リアルタイムで感じていくものです。

この「リアルタイムで感じる」という意識を大切にしないと、「BEの自信」であったはずのものが単に自分を縛る「べき」に変わってしまいます。

「自分は何事にも誠実に向き合いたい」という「あり方」を大切にしている場合、「リアルタイムで感じ」ていないと、「何事にも誠実に向き合うべき」に変わってしまい、「誠実に向き合っているか」という「成果」のチェックをはじめてしまうのです。

自分を感じるには、それぞれの瞬間に、「物事には誠実に向き合いたいな」と思い、その気持ちのおいしさを深呼吸と共に味わう、という心持ちが必要です。

たとえ、自分の仕事がどう評価されるか「自信がない」と思っても、「評価は自分ではどうにもならないから、せめて一つ一つの仕事に誠実に向き合いたい」と「あり方」を立て直し、そんな自分についてよい感じを味わえれば、自信を感じられるのです。

実際に自分が誠実にできているかどうかは関係ありません。

ひとたびその「成果」に目を向けてしまうと、常に「これで大丈夫だろうか?」と疑心暗鬼になったり人目を気にしたりするようになってしまいます。

そして、周りから「誠実な人」という評価を受け取らないと不安になってしまうのです。

これでは自信など感じられるわけがありません。

ポイント:実際にできているかは、気にしなくていい

「成果」を気にすることがない方が、進歩できる

「実際にできているかどうかは関係ない」と言われると、「それでは自分を成長させることができない」と心配になる方がいるかもしれません。

あるいは、「自分ができていないのに、反省しなければ、『お山の大将』になってしまうのでは」と思う人もいるでしょう。

自分を成長させるためには、「自分はダメだ」と自虐的に自分を追い込む必要がある、と思い込んでいる人はとても多いものです。

しかし、それは全くの迷信です。

人間は「今」に集中しているときに最も力を発揮するもの。

つまり、最も大きく成長するのも、「今」に集中しているときなのです。

ところが、「自分はダメだ」と落ち込んでしまうと、そちらに気が散ってしまいますので、「今」に集中することができなくなります。

つまり、成長を妨げることになるのです。

また、「自信のない人の特徴」で見たように、「自分はダメだ」という感覚は、物事を見る目を歪め、自分の行動に枠をはめてしまいます。

これでは成長などできません。

ですから、「成果」と「自分の価値」を混同することにプラスはないのです。

人生は「DO」の連続ですが「DO」は結果につながりますので、もちろん「成果」と無縁の人生はありません。

ただ、「成果」は、「自分の価値」を示すものではなく、「どれだけできたか」の指標に過ぎません。

「成果」を見て、進歩が必要な領域、進歩が可能な領域があれば、ただそれを改善すればよいのです。

まずは「成果」を気にせず、目の前のことに誠実に取り組む。

そして、「成果」が出たら客観的に評価し、改善が必要なところがあれば試みる。

「自分はダメだ」という感覚がない方が、その評価はより客観的にできるはずです。

ですから、「成果」がどうであれ、自信を失う必要はないのです。

むしろ、現実を直視して誠実に取り組んでいける自分はさらに頼もしく感じられ、自信が増して感じられることでしょう。

ポイント:自虐的に自分を追い込んでも、意味がない

自信をつけようとしてダメになるケース

自信とは「つけるもの」ではなく「感じるもの」です。

では、「自信をつけよう」とすることはムダなのかというと、そうでもありません。

「自信をつけよう」と思って何かをした結果、本当に自信を感じられるようになった、という人もいるでしょう。
例えば、最初は無理やり自己イメージを高める訓練をしていたのだけれど、やがてそれが本当の自信になったという人もいます。

やはり自信はつけられるのではないか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。

訓練の結果「自信がつく」のではなく、「自信をつけよう」というアプローチを試しているうちに、自分についてよい感じ方ができるようになる人がいる、ということなのです。

もしも、「自信をつけるために、身体作りをしよう」とランニングする習慣を持ったとしたら、ランニングそのものは気持ちのよいことですし、身体も変わってくるでしょう。

そこで、「なんだか自分も何かやれる気がしてきた!」という気持ちになることもあります。

しかし、身体作りをすることが直接自信に結びつくわけではありません。

ランニングをしている間の気持ちよさ、そして変わってきた身体の感覚によって、「自分についての感じ方」がよくなる、ということなのです。

実際に、何か健康的な生活習慣を導入することによって「自分についての感じ方」がよくなる人は少なくありません。

自信のない人は自分のケアをすることが苦手、ということですが、それとは逆のことが起こっていると言えるでしょう。

ただし、単に「健康な生活習慣」を持てばよいか、というとそうではありません。

人によっては、「運動しなければ」という観念にとりつかれ、生活全体が運動に乗っ取られてしまうこともあります。

体調が悪くても運動を優先してしまい、結果として身体を粗末にしてしまったり、何かの都合で運動ができなかったりすると、自分を激しく責めたり落ち着かなくなったりしてしまうのです。

あるいは、高すぎる目標を掲げた結果、運動に挫折してますます自信を失う、ということもあります。

運動を「DO」、すなわち「すべきこと」で見ている限り、こういうことは起こってくるのです。

気持ちよさを感じることができれば自信につながる

しかし、運動による「気持ちよさ」に注目すれば、それは「BEの自信」につながります。

なぜなら、自分の身体を大切にしようとしている自分に対して、「よい感じ」を持つことができるからです。

運動という「DO」そのものを目的にしなければ、体調が悪い日は、むしろ運動を休むことで自分をいたわろうと決めることもできるでしょう。

そんなときにも「休んでしまったダメな自分」とは思わずに、「自分の身体を大切にしようとしている自分」について、「よい感じ方」をすることができます。

運動以外でも、同じことが言えるでしょう。

自己啓発本などで語られている「自信をつけよう」系のアプローチの中には、「すでに自信がある人のように振る舞おう」というものがあります。

例えば、自信をつけるために、はきはきと挨拶をする。

積極的にコミュニケーションをはかる・・・これらを実行したとしても、自信を感じられるようになる人とそうでない人がいます。

もしも、このような行動によって、相手とのつながりを感じられるようになれるのであれば、自信を感じられるようになります。

人とコミュニケーションすることの気持ちよさを感じられれば、それは「そうしている自分についての感じ方」をよくするからです。

しかし、「はきはきと挨拶しなければ」「積極的にコミュニケーションをはからねば」という「DO」に注目してしまうと、「できない自分」に焦点が当たってしまい、さらに自信を損ねる、ということにもなりかねません。

つまり、「本当の自信」を手に入れるには、自信をつけるために何かの「DO」をしたときに、「気持ちよさ」を感じる必要があるということです。

「DO」がそのまま自信につながるわけではありませんし、「DO]にとらわれるほど自信は失われる、と言ってよいでしょう。

特に「自信がない」と強く感じている人は、どうしても「DO」にとらわれがちなので、注意が必要です。

ポイント:「気持ちよさ」がないと自信はつかない

「完璧にしたい」を手放す

「完璧にする」という選択肢を手放しておくこと。

「BEの自信」の強さのポイントは、完璧であったり永遠に続いたりするところにあるわけではありません。

「いつでも態勢を立て直せる」ところにあるのです。

イメージは、風に揺れる椰子の木。

椰子の木は、いつもピンと立っているわけではなく、強い風が吹くとしなりますが、折れてしまうわけではなく、またしなやかに戻ってきます。

例えば、「ものごとには誠実に向き合いたい」と思っている人でも、状況や自分のコンディションによって、うまくできないときがあります。

そんなとき、「完璧さ」を求めてしまうと、そこで自信を失うことになってしまいます。

それは「成果」中心の「DOの自信」の世界の話です。

BEの自信が優れているところは、「自分さえその気になればいつでも感じられること」にあります。

ですから、うまくできていない自分に気づいたら、態勢を立て直そうと思えばよいだけなのです。

例えば、突然理不尽に怒鳴られるとショックを受けてしまって立ち直るのに少し時間がかかる、ということを知っておくのもその一つ。

ショックを受けてしまうのは、生物としての人間に備わった仕組みのようなもので、それについて「すぐに立ち直れない自分はダメだ」と意味づけしてしまうと、自信を失ってしまいます。

そうならないためにも、こうした「生物としての人間の特徴」を知っておくことは、とても役に立つのです。

ポイント:自信を取り戻すにはコツがある