生きる場所はいくらでもある

アルバイト先の不条理な上司のために精神がおかしくなるほど悩みながら、なおそのアルバイトでがんばろうとしている生きる場所が見つからない学生がいました。

そうではなく、馬鹿馬鹿しい人間関係のためにあまりにも苦痛な生きる場所からは、身を移すことも一つの選択肢です。

生きる場所はいくらでもあるのです。

日本では、一度就職したらその生きる場所でがんばらなければならない、と考えてしまいがちです。

生きる場所を変わる、職場を変わるのは落ちこぼれであるとか、敗残者であるかのように、マイナスのイメージでとらえられています。

これに対し、欧米ではむしろ生きる場所、職場をかわっていくのが一般的です。

一定の仕事の技量を獲得したら、自分をより生かせる生きる場所、会社に移っていくのです。

定年まで同じ生きる場所、会社にいたら、逆に能力がなかったためと思われかねません。

今後、日本も国際化のなかで急速にこうした生きる場所を移る傾向が強まっていくことでしょう。

生きる場所はいくらでもあるのです。

『国民生活白書(平成10年版)』(経済企画庁編 大蔵省印刷局 1998)は、転職・転業意識を1987年と1995年を比較した興味深いデータを紹介しています。

これによると、「能力や適性が発揮できるならば、転職してもよい」と回答する比率が、劇的に増大しています。

肯定的な回答は、二十代、三十代で多いことは当然ですが、1987年には「多少の不満があっても、一つの会社や職場で、できるだけ長く働くのがよい」とする回答の方がはるかに多かった五十代、六十代においても、1995年には完全に逆転してしまいました。

生きる場所を気軽に変化させる傾向が高まっています。

企業の側でも、年功序列制度によって定年まで社員の面倒を見るという日本的な雇用形態を捨てようとしています。

その社員の労働力よりも給料のほうが高くなる年代には辞めてもらおう、生きる場所を他に移ってもらおうという考えです。

したがって、これまでと同様に生きる場所という企業に忠誠を尽くす社員は、企業に裏切られる可能性があります。

今の生きる場所、つまり会社にすがるのではなく、自分が必要な時期にのみ生きる場所、会社を利用するという発想が必要になります。

ちなみに、労働省では今後の雇用制度を次のように予測しています。

<「終身雇用制」は、基幹労働者を中心に、基本的に維持されていくが、「年功制」については、労働コスト圧力が高まるなかで、成果によって評価・処遇される時期が早期化されたり、成果に結びついた処遇の比重が大きくなったり、さらには評価期間の短期化といったいわゆる「実力主義」的側面が強くなる。>(労働大臣官房政策調査部編『日本的雇用制度の現状と展望』大蔵省印刷局 1995)

つまり、会社として必要な中心的社員以外は、生きる場所を流動化していくだろうというのです。

こうした動向を考えると、どうしても人間関係が強制される職場が嫌であれば、人間関係を必要としない職業に変わる、生きる場所を探すことも一つの方法です。

生きる場所はいくらでもあるのです。

関連記事

Sさんは人付き合いが苦手でした。

結婚してしばらくして、すきだった彫金で食べていく決意をして、会社を辞めて生きる場所を決めました。

いまでは、そこそこに作品が売れ、また、公民館などで彫金教室を開いて、裕福ではありませんが、生きる場所を見つけ、心理的には満足できる日々を送っています。

彼の場合、奥さんが生活費を稼いでくれたのが、生きる場所を保持する上で、大きな支えになりました。

生きる場所は発想の転換次第で変化するのです。

Wさんは、三十歳を過ぎたころから人間相手の仕事が肌に合わないと感じ出し、もともと好きだったイラストの勉強を本格的に始め生きる場所を変えました。

ある小さなコンテストで何回か入賞し、三年後には思い切って広告会社に移り、生きる場所を変えました。

さらにそこで仕事を回してくれるというので、またWさんを指名してくる仕事も少しずつ増えてきたので、二年間勤めて独立し、生きる場所をまた変えました。

一人でコツコツやるのが性に合っているので、貧しくとも夫婦二人の生活には足りるだけの収入がありますので、落ち着いて生きる場所を発見でき、満足しています。

人間関係が苦手で、大学を中退後、定職を持たずに暮らしてきた、生きる場所を見つけた人もいます。

Y君は、親の土地があったのでそこに小さなアパートを建て、ローンを払った残金で生活してきました。

本人は「霞を食べて生きている」と言うほどで、贅沢はできませんが、生きる場所を見つけた彼のその生活は優雅そのものです。

生きる場所を見つけた彼は同じ大学で知り合った奥さんと、毎日、図書館に通って好きな本をたっぷり読みます。

生きる場所を見つけた彼らは天気が良ければ自転車を並べて海辺まで走り、おにぎりを食べます。

その博識ぶりには驚嘆するばかりです。

要するに、生きる場所はどこに住もうと、どんな生き方をしようと、生活費を稼げればよいのです。

この点で、生きる場所を探す上で、SOHOという業務形態の急速な拡大は大いに参考になります。

SOとはスモールオフィス(小さなオフィス)のことで、HOとはホームオフィス、すなわち自宅をオフィスとして仕事をする生きる場所です。

生きる場所はインターネットによりSOHOが可能になったことで、住む場所を限定されず、働く時間を束縛されず、しかも人間関係に束縛されない仕事の可能性が大きく広がってきたのです。

これにより快く生きる場所も拡大されました。

アメリカでは、パソコン等による在宅勤務者、生きる場所が労働人口の30%を超える町もあるそうです。

また、従来のような大きな本社を持たずに、それぞれの社員がホームオフィスやスモールオフィスの形態で業務をこなすという国際的な企業、生きる場所の形態まで現れています。

日本の企業も、研究員など創造的な業種や専門的な能力を必要とする営業社員に、SOHO的労働形態、生きる場所の形態を取り入れる傾向が強まっています。

また、国際化の競争を生き抜くために多くの企業はスリム化、個人の生きる場所のスリム化を追求しています。

このために、外注できることは外注にまかせる、いわゆるアウトソーシング、生きる場所の細分化がすすめられています。

これに対応し、パソコンで仕事をするSOHOがどんどんつくられ、在宅ワーカーのグループ数、在宅の生きる場所も急速に増えています。

この傾向は今後ますます強まり、『平成10年度首都圏整備に関する年次報告』(第145回国会提出)では、首都圏におけるこのタイプの就業者数が1995年の十三万人から、2015年には三百四十万人へと急増すると予測しています。

生きる場所の可能性の拡大です。

パソコンの技能だけでなく、他の面でのスペシャリストとしての技能を獲得し、若干の才覚を発揮しさえすれば、SOHOの可能性、SOHOとしての生きる場所は無限にあるといえます。

たとえば、生きる場所としてお店を持つことを考えてみて下さい。

通常の店を開くなら、店舗を借りる資金、目的の店に改造する資金、仕入れの資金等々、多額の資金が必要です。

対象となる客は店の前を通る人達です。

ところが、生きる場所としてインターネットのホームページで店を開店すれば、ほんのわずかの資金で済みます。

在庫を多くストックしておく必要もありません。

しかも、客となる対象は全世界の人達です。

ただし、生きる場所としてアルバイト程度ならまだしも、生活費を稼ぐということであれば、SOHOといえども人間関係から逃れられるものではありません。

というのは、生きる場所として、仕事の受注に関しては人間関係に依存する部分が大きいからです。

生きる場所として分野によっては、豊富な人間関係こそSOHO成功の条件となります。

最後に、職場、生きる場所を変わることについては、次のことをしっかりと心に留めておくことが必要です。

第一に、生きる場所どこに行ってもあなたにストレスを与える人がいるということです。

極端に言えば、この世界、生きる場所は「胃潰瘍になる人」と「胃潰瘍にする人」とで構成されています。

ですから、他の職場、生きる場所に移れば人間関係のストレスから免れると夢想していたら、それは間違いです。

いまいる職場、生きる場所の仕事と人間関係の良い点を楽しめない人は、どこに移っても仕事と人間関係を楽しむことはできません。

第二に、準備万端整えてから職場、生きる場所を変わることです。

他の人が評価してくれるだけのスペシャリストとしての技能を獲得していることが、最低の必要条件です。

さらに、生きる場所を自立するのであれば、その技能で稼ぐために必要な設備等をそろえられることも条件です。

スカイダイビングがいくら楽しそうだからといっても、パラシュートを操作する技能を学ばずに空中に飛び出せば、墜落死が待っているだけです。

能力があっても、パラシュートがなければ同じことです。

十分な準備がなければ、いざ思い切って生きる場所へと飛び出したのに、耐え難いと感じていた人間関係に耐えていたほうがずっと楽だった、と後悔することになりかねません。

しっかり準備をして生きる場所を見つけましょう。