やってみるを積み重ねる

「DO」によって本当の自信は得られません。

「BEの自信」がないときに「DO」で自信を得ようとすると、「もっと、もっと」となり、どこまでいっても空虚さがつきまとい、いつまでも本当の自信を感じることができません。

ですから、自信の主体は「BEの自信」にあります。

「BEの自信」こそが、本当の自信には不可欠です。

しかし、人生は実際には「DO」の連続です。

ですから、「DO」をどう扱うかというのも重要な視点です。

「BEの自信」の上に「DO」を乗せていけば、「BEの自信」と「DOの自信」の両方を感じることができます。

また、「DO」によって、「BEの自信」をさらに深く感じることも可能になるのです。

そんな「DO」の活用法について考えてみましょう。

なぜ「やってみる」と自信がつくのか?

目標を小さく設定することで、視点を「未来」から「今」に移しやすくなります。

小さなことであっても「体験」することには「BEの自信」につながる大きな力があります。

もちろん、その体験が成功に終われば、「成功体験の積み重ね」ということになりますので「DOの自信」という意味でもついてくるでしょう。

しかし、ここでお話ししたいのは、そのような次元の話ではなく、「成果」がどうであれ、「やってみる」ことの意義です。

自分で「やってみたい」と思うことに対して「どうせ無理だ」と思ってやってみようともしない、ということを繰り返していくと、「自分についての感じ方」は悪くなります。

もちろん、そんな姿勢では、自信を感じられなくなってしまいます。

「自信がないからできない」というときの最大の問題は、「やってみたい」と思う自分の気持ちに蓋をしてしまっていること。

つまり、「自分に正直でない」ということなのです。

自分に正直でいないと、自信は感じられません。

自分に正直でいるためには、じぶんがやりたいと思うことに正面から向き合い、そのために必要なことをできるだけ小さな目標にして、とりあえずやってみることです。

成功するにせよ、失敗するにせよ、「やってみたい」と思う自分の気持ちに正直に生きていくことはできるのです。

もちろんこれはどんな危険なことにも突っ込んでいく、という話とは違います。

自分の安全を感じられないようでは「自分を大切にしたい」という「BE」に反しますし、「そこはかとない安心感」どころではありません。

小さく設定した目標であれば、失敗してもダメージは少ないですし、いつでも軌道修正できるという利点があります。

まずやってみる。

思ったよりもよくなかったらやめる。

やり方が合っていないようなら変えてみる。

そんなふうに小さく努力していけば、「自分に正直でいたい」という「BE」を大切にしながら、「DO」を積み重ねていくこともできるでしょう。

例:好きな人に女性として見られている自信がないので、いつも友達止まりだ。

好きな人にアプローチする、という「DO」は、それだけを繰り返して拒絶され続けると、本格的に自信喪失、ということにもなりかねません。

それはもちろん「成果」にばかり目がいくからです。

このような場合も「DO」を支える「BE」を考えてみましょう。

「自分に正直でいたい」という「BE」です。

「彼が好き」という自分の気持ちに、自分で正直になることが、自信を感じるためには必要です。

しかし、彼が「女性として見ているかどうか」、つまりアプローチが成功するかどうかは、「成果」の話。

これは状況次第なので、どうなるかわかりません。

もちろん告白は義務ではありませんが、自信を感じていきたいのであれば、「自分に正直」という「BE」を大切にしてみましょう。

すると、いつもよりも一歩大胆に距離を近づけてみる、あるいは告白してみる、ということになるでしょう。

その結果道が開けるかもしれないし、断られるかもしれません。

でも一歩前進することは確かです。

悲しい気持ちもそのまま味わう

もちろん断られれば傷ついてしまいます。

それは、「成果」が出せなかったときには仕方のない感じ方です。

「好きな人が恋人になってくれる可能性」を失った、と考えれば、喪失体験ですから、「悲しみのプロセス」を踏む必要があります。

好きな人に告白して断られて、何も感じないとしたら、ちょっと心配なくらいです。

「悲しみのプロセス」で生じる気持ちは、そのまま味わいましょう。

「悲しみのプロセス」に向き合うにも、「自分に正直にいたい」という「BE」は生かされます。

「本当はあんな彼、本気ではなかったんだ」などと自分を偽るのではなく、悲しみにどっぷりと浸りましょう。

そして、そんな自分を愛おしく思うことができれば、今後に向けて臆病になることがかなりの程度防げると思います。

また自分に正直にアタックしてみる。

うまくいかなかったら泣く。

そのことに、なんの問題もありません。

それこそが人生とも言えるからです。

男女関係の相性などは、本当に当たり外れがあるもの。

それこそ、「完璧」を目指したらおかしなことになってしまいます。

当たるか外れるかはわからないけれども、自分はいつも自分に対して正直でいられる。

そんな「BEの自信」を持てば、「DO」も積極的にできるようになるでしょう。

なお、自分に正直というのは、「お付き合いしたい」という気持ちだけではないはずです。

彼にその気がない場合にはどうしてほしいか、ということもよく考えてみましょう。

断られたら一切の関わりを絶ってしまいたいのか。

それとも、今回のことは水に流して友達関係を続けてほしいのか。

そこまで考えておけば、彼から「ごめん・・・」と言われたときにも、「でもとても大切な友達だから、今回のことを気にしないで今まで通り仲良くしてくれる?」とさっぱり伝えることもできるでしょう。

「つながりを大切にしたい」「相手に誠実でいたい」という、状況に左右されない「BE」を大切に生きていれば、そんな「事後処理」も、自分についてのよい感じ方を維持したまま行うことができるのです。

ポイント:自分に正直でいることが、自信につながる

自分のための時間を作る

自信がない人は、自分のケアを怠りがちです。

楽しい時間やちょっとした贅沢を、自分に許さないのです。

自分にはそんな価値がない、という考えがその根底にあります。

そこまではっきり自覚していなくても、楽しい時間を持つことを「そんなことをしている場合ではないのではないか」「もっとがんばって仕事をしなければいけないのではないか」「自分に甘えすぎるのではないか」と感じるかもしれません。

あるいは、ちょっとした贅沢を考えたときに「あまりにももったいない」「困ったときのためにとっておかなければ」「そういうことは老後に」と感じるかもしれません。

自信のない人は、今を楽しむことが苦手です。

一生懸命努力すれば、いつか楽しい日が来るかもしれない、という幻想を抱いて生きている、つまり「未来の楽しみ」への貯金のために生きている人も多いと思います。

でも、楽しみをおあずけにするという「あり方」では、自信を感じることはできません。

いつも自分を何かに追い立て、ゆっくりリラックスすることも許さないようでは、自分についてよい感じ方をすることができないのです。

もちろん、「ストイックな自分が好き」という人もいますから、すべての人が贅沢をすべきだとも思いませんし、レジャーにも好き嫌いがあってかまいません。

ただ、なんであれ「自分のための時間」を持つことは、自信を感じるために必要です。

人によっては、それが「仕事」という形である場合もあります。

そんな人にとって、仕事は、成果や評価のためのものではなく、「今」に集中する手段であり、自分が最も自分らしくいられる時間になっています。

ワーカホリックとの違いは、「自分の意思でいつでもやめられること」でしょう。

やめることに罪悪感を覚えないのであれば、それはワーカホリックではないと言えます。

なんであれ、自分だけのための時間を持つようにしましょう。

運動でも、掃除でもいい

自分のための時間、と聞くと、資格取得のための勉強などを考える人もいますが、そのような「成果」を目的とした時間のことを言っているわけではありません。

本当に自分自身がリラックスして、「今」にいるための時間です。

運動であってもかまいませんが、それは「筋肉をつけるため」「やせるため」のものではなく、「今、気持ちよく過ごすため」の運動です。

すぐに「成果」主体になりがちな人は、「できるだけ非生産的なこと」を目安にするとよいでしょう。

少しでも生産性のあることだと、「これを何かに生かせないか」などと、「成果」にのめり込んでいってしまい、本来の趣旨から逸脱してしまうからです。

「自分だけのための時間」というのは、例えば部屋の掃除などでもかまいません。

その際、「こんなに散らかっている!」「いつまでも片付かない!」などと思ってしまうのは、「成果」主体になっている証拠。

「キレイにする」という「成果」のために片付けるのではないのです。

「成果」主体にならないようにするための一つのコツが、感謝の気持ちを込めること。

部屋の掃除であれば、部屋を慈しむような気持ちで、また、散らかっているもの一つ一つに対しても、「ああ、こんなもの持っていたんだ」と、その存在を尊重し感謝するような気持ちで接すると豊かな気持ちになれます。

一般に、相手に温かい気持ちで接することができるときは、「自分」に意識がいかなくなり、じぶんについての感じ方もよくなるときです。

これは、相手が人間であろうと、ものであろうと、同じことなのです。

ポイント:感謝の気持ちを込めて、行動する

自分の「BE」を確認する

なかなかまとまった時間がとれない、という人でも、自分のための時間を作ることはできます。

それは、自分の「BE」を確認する時間を持つことです。

自分が何に価値を置くかをふり返ってみるのです。

そのために時間をさかなくても、電車を待っているときでも、なんでもかまいません。

「自分はこういうあり方に価値を置きたいのだ」ということを思い出す時間を持つのです。

これが習慣化すれば、だんだんとぶれなくなってきますし、ぶれたときにも元に戻りやすくなります。

「自分には価値がないのではないか」と感じたら、「自分は何に価値を置きたいか」という視点に戻ることができるようになれば、自信を失っている時間をどんどん短縮していくことができます。

そして自分はいつでもその土台に戻ることができる、という安心感を持てるようになれば、多少のぶれは「人間だから仕方のない誤差範囲」となり、ぶれることそのものによって自信を失うこともなくなります。

衝撃を受けて「人生おしまいだ」と思ったときでも、「ああ、また衝撃を受けたんだな」と思い直すだけですむのです。

情けない感じ方をする自分のことを「愛おしい」と感じられるようになるかもしれません。

こうなれば、感情的には情けなくても、自分についての感じ方はよい、という状態を作り出すことができます。

ここまで来れば、「私には自信がある」と言っても大丈夫でしょう。

ポイント:いつも「BE」を確認していれば、ぶれなくなる

安全そうな人に気持ちを話してみる

自信のない人は、全般に、他人に心を開くことが苦手です。

例:本当の自分を知られたら嫌われてしまうのでは、と友達に心を開けない。

例:自分の意見が合っているかどうか、自信がなくて、言いたいことが言えない。

例:自分の気持ちを他人に伝えるほど、自分に自信がなくて、つい我慢してしまう。

このような状態に至るには、それなりの事情があるものです。

その多くが、生育過程で、「自分についてのよい感じ方」ができないように育てられてきています。

例えば、虐待された、常に批判された、誰かと比較されて「より格下」扱いされた、など、そもそも「よい感じ方」などとは無縁の育てられ方をしています。

あるいは、「いい子」として育った人もいます。

「いい子」であれば、自分についてよい感じ方ができるかと言うとそんなことはなく、「自分はいい子でいるから受け入れてもらえるのだ」という感覚を持っている場合も多いものです。

「いい子」とほめられてはいても、それは単に「成果」によい評価を下されているだけですから、「いい子」でなくなることをとても怖れるのです。

虐待された子もいい子も、ありのままを愛されて育っていない、という点では一緒です。

「自分についてのよい感じ方」というのは、自分のありのままを受け入れてもらう中で自然と身についてくるものなのです。

ありのままを愛されていない人は、自分のありのままが人から愛されるなどという可能性を考えてもいません。

ですから、本当の自分を知られたら嫌われてしまう、と思ってしまうのです。

この問題は、人生の質を決めますので、取り組む価値がとても高いものです。

そして、頭の中だけで解決するのは不可能です。

解決の方向は、実体験のみ。

安全で健康な人間関係の中、ありのままを愛される感覚をつかんでいくしかないのです。

自信がない人の周りにいた人たちは、自分の評価に過ぎないものを真実であるかのように押し付けてくる人や、自分の不安をプレッシャーとして押しつけてくる人が主流だったのではないかと思います。

自分がよく知っている人たちが、実は自信のない人たちで、その問題をこちらに押し付けていただけなのだ、という構造をよく理解してください。

まずは安全そうな人を選んで、少しだけ自分の気持ちを話してみましょう。

自分のありのままが受け入れられる体験は、本当に温かく心地よいものです。

そんな体験を、少しずつでよいので、積み重ねてみてください。

この「DO」を支える「BE」は、「人間は温かいものだと信じたい」というもの。

そんな自分を愛おしく思うことも、自信につながっていきます。

ポイント:他人をちょっとだけ信じてみる