
回避型愛着スタイルの人の行動における特徴の一つに、無気力・無関心・投げやりさがある。
自分のことなのに、どこか他人事のように、空々しい態度をとったり、どうでもいいという投げやりな姿勢をみせる。
生きようとする根本的な意欲をもてないので、目先の快不快や興味に、その場しのぎの救いを求めようとする。
そうした特徴は、回避型愛着スタイルの権化とも言えるエリック・ホッファーの前半生にも色濃くにじんでいる。
父親が亡くなったとき、エリック・ホッファーは18歳だったが、長く失明状態にあったため、学校での教育をまったく受けていなかった。
父親の葬儀が終わり、エリックの手元には、家具職人の組合が渡してくれた三百ドルだけが残った。
彼はそれをもって、生まれ育ったニューヨークのブロンクスから、暖かいカリフォルニアへ向かったのだ。
三百ドルを使い果たすまでに彼がしたことは、部屋を借りて、毎日好きな本を読んで暮らすことだった。
ついに有り金が尽き、売るものもなくなると飢えが襲ってきた。
そうなっても、彼には仕事を探すという考えが浮かばなかった。
ある晩、とうとう空腹に耐えかねて、レストランに入り、皿洗いを申し出た。
代わりに食事をさせてもらうのである。
それが、エリックが対価を得て働いた最初だった。
いよいよ切羽つまるまで、自分の腹を満たすことにさえ無頓着というのは、回避型愛着スタイルの人に、ときどきみられる傾向である。
感じないでいることで、自分を守ってきたのである。
「仕事を探すには、職業紹介所に行けばいい」とエリックに教えてくれたのは、そのレストランの男だった。
エリックはその言葉に従い、貧民街にある無料職業紹介所で、芝刈りなど日雇いの仕事を紹介してもらうようになる。
エリックは、再び好きな読書や勉強をして、日々を過ごすようになる。
彼には自分の将来に対して、何の計画も目的もなかった。
ただ、その日を安楽に過ごせればよかったのである。
だが、時代の波は、そんなエリックのささやかな幸せさえも脅かす。
大恐慌が起き、急に仕事がなくなったのである。
追いつめられたエリックは、それまで気が進まなかったオレンジ売りの仕事を始めた。
客にお世辞を並べ、作り話をして、オレンジを売りさばいたのである。
ところが、潔癖な性格が、そこで邪魔をする。
「遅い昼食をとろうと腰をかけ、稼いだ金を数えているうちに、しだいに深い疑念に囚われ始めた。
それは今まで感じたことのなかったもの―恥辱だった。
平気で嘘をつき、お世辞を言い、たぶん何でもしたにちがいない自分に愕然とした。」(『エリック・ホッファー自伝』)
結局エリックは、オレンジ売りの仕事を辞めてしまう。
だが、妥協しなかったことが、彼に新たな出会いをもたらす。
あるとき、シャンピーロというユダヤ人の倉庫業者と知り合い、エリックはそこで働くことになった。
初めて定職に就くことができたのだ。
教養ある読書家でもあったシャンピーロは、エリックとの会話から知的刺激を受けるのを喜び、エリックの方もまたユダヤ人に対する関心をふくらませていった。
だが、安定した二年間は、突然幕を閉じる。
シャンピーロが肺炎でなくなったのだ。
この事実は幸福になりかけると、それが奪われるという運命を、改めてエリックに思い知らせるかのようだった。
二年間定職に就いたおかげで、エリックには、少しばかり貯えができていた。
彼は、再び職を求めることはせず、貯えが尽きるまでの間、好きな本を読んで暮らすことを選ぶ。
だが、金はしだいに減っていく。
そのときエリックをとらえた感情は、無意味さと徒労感だった。
「歩き、食べ、読み、勉強し、ノートをとるという毎日が、何週間も続いた。
残りの人生をずっとこうして過ごすこともできただろう。
しかし、金が尽きたらまた仕事に戻らなければならないし、それが死ぬまで毎日続くかと思うと、私を幻滅させた。
今年の終わりに死のうが、十年後に死のうが、いったい何が違うというのか」(同前)
そんな彼を、しだいにとらえたのは、自殺という考えだった。
この日に死のうと決めた当日、エリックは、誰にも見つからない町はずれまで歩いた。
不思議と、心は穏やかだった。
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エリックは、青い海まで続く道を思い浮かべた。
そして、「この通りに終わりがなければ・・・疲れもせず、悩みも不満もなく、このままずっと歩いていければいいのに」という気持ちを覚えた。
それは、エリックの中にあった、生きたいという気持ちの兆しでもあった。
だが、エリックは予定通り、あらかじめ手に入れてあったシュウ酸を飲む。
しかし、口中に百万本の針が刺さってくるような痛みを感じ、思わず吐き出してしまった。
自殺は失敗に終わったのである。
それから、必死に町まで戻ると、空腹を感じたエリックは、食事をした。
彼は、生きることを選んだのだ。