私達を悩ませることの80%ぐらいは、見栄をはることに原因があります。

ここでいう見栄とは、「人から見下されたくない」とか「人に自分の価値を認めさせたい」という欲求のことです。

いくつか例をあげて分析してみましょう。

【太っているとか顔のかたちがよくないなど、身体や容貌での悩み】

<分析>他の人がすべて盲目だったとしたら、容貌はまったく悩みにはなりません。「他の人から自分が低く見られてしまう」と思うから悩みになるのです。

「そう見られることがしゃくである」から悩みになるのです。

【運動神経が劣っている悩み】

<分析>「運動神経が鈍いと人から笑われる」と思うから悩みになるのです。

「運動とは自分が楽しめばよいもの」と、自分の感覚だけを大事にすれば悩みになりません。

【友達とうまく付き合えない悩み】

<分析>その友達から好かれたいとか、馬鹿にされたくない、低く見られたくない、などと思うから悩みになるのです。

あるがままの自分らしさで付き合って、それでその友達が離れていけば、もともとそれだけの友達なのです。

全ての人と仲良くなる必要はないのです。

自分流の付き合い方を受け入れてくれる友達とだけ付き合っていけばよいのです。

そう割り切れば、悩みにはなりません。

【もし就職できなかったら、という悩み】

<分析>就職できなければ、就職できるまでアルバイトをすれば済むことです。

就職できずに餓死した人はいません。

ですから、就職できなかったら、という悩みは、生きていけるかという悩みではないのです。

就職できなかったら恥ずかしいという見栄が悩みの源泉なのです。

【仕事がうまくできない悩み】

<分析>仕事とは、自分なりの熱意と創意工夫で、ただ一生懸命やるだけのものです。

それなのに、「仕事の出来が悪いと自分という存在全体の価値が否定される」かのように思い込んでいるから、悩みになるのです。

いまあなたが悩んでいることについて、右のような要領で分析してみてください。

自分がどんなに見栄にとらわれてしまうのは、真の自己が空虚だからです。

そして、その根底には自己価値感の希薄さがあります。

しっかりとした自己価値の感情があれば、弱い自分、欠点のある自分、劣った自分、醜い心を持った自分―どんな自分をさらけだしても平気です。

あるがままの自分以上のものに見せようとする必要を感じません。

自己価値感が十分確信できないから、価値ある自分を見せようとする心が生じるのです。

先に述べたように、「真の自己」は低いい自己価値感から逃れようとして、肥大化していきます。

しかし、この真の自己が虚構であるという意識をまったく拭い去ることはできません。

このために、自分の中にある欺瞞性がはがされることをいつもおそれています。

真の自己が虚構のものであることを心の片隅に意識しながら、この虚構の自己を必死に守ろうとしているのが、見栄をはる姿なのです。

自己価値感は幼い時期には受容によって形成されますが、成長する過程で自分でつくりあげることができます。

自己価値感の喪失とは、本来の自分をおさえていくということですから、自分とぴったりという自分のあり方に戻ることが自己価値感を高める道なのです。

本当の自分と実感できること、これが自分だと感じられること、それを自己価値といいます。

この自己価値の追求を行っていけばよいのです。

見栄にとらわれてしまっている人は、大人になっても自己価値を持てないのです。

自己価値があれば、見栄をはる必要など感じなくなります。