自己執着とは

自己執着の強い人は人間関係の距離がわからない

通常、自己執着がない人の相談というものは具体的なことである。

しかし悩んでいる人の相談というのは、具体的ではない。

初めて会った人と話しているのに、最後は「お友達」になっている。

本来友達と話すことを、会ったことのない人に話している。

カウンセラーはお金を取る。

これで「カウンセラーとクライアント」という立場を意識する。

しかし自己執着の強い人はお金を取らない人には、人間関係の距離がなくなってくる。

悩んでいる自己執着の強い人はコミュニケーションがわかっていない、友達がいない。

これも、人間関係の距離感がわかっていないことと、同じように悩んでいる自己執着の強い人の共通性である。

悩んでいる人が手紙を書く。

これを書いたら相手がどう想像するかがわかっていない。

これを書いたら人は逃げるということを書いてくる。

そのことがわからない。

これが自己執着である。

自己執着の強い人は人のことが全くわかっていない。

自己執着の強い人は手紙で自分のつらさを訴えている。

自己執着の強い人は「頑張ったね」という言葉が欲しい。

自己執着の強い人はこの「頑張ったね」が欲しいという欲求で、ほかのことが見えない。

他者はいない。

自己執着の強い人は聞いてくれることが嬉しい。

自己執着の強い人は親を憎み、友を憎み、異性を憎む。

自己執着の強い人は悲惨さを極限まで話していく。

自己執着の強い人は「これほど私は苦しんだ」ということを言いたい。

これが自己執着である。

哀れさを売り込めば、自己イメージが悪くなり人は逃げる。

「人が逃げるようなこと」を、いいことと思って書くことが自己執着の人である。

自己執着とは他人が見えていない。

自己執着の強い人は相手がわかっていない。

自己執着の強い人は自分以外の人が世の中にいない。

自己執着の強い人はその点はナルシシストと同じである。

自己執着の強い人は他者の現実がない。

悩んでいる自己執着の強い人は、私を母親に「変えてしまう」。

母親なら小さな子どもが病気になれば、仕事を休むかもしれない。

しかし大人同士の関係でそれはない。

次の話は、自己執着で悩んでいる人の共通性についてである。

自己執着の強い人は相手が病気でも関係ない。

自己執着の強い人は親が危篤でいま病院に行くと言っても平気。

ところが、「僕、いま風邪を引いているんだけれども、風邪がうつるかもしれないけど、それでいい?」と言うと、一変して逃げていく。

過去を受容する

自己執着の強い人は、つまり社会的感情のない人は人を助けることもないし、同時に自分が人から助けられているという感覚がない。

「あー、あの人に助けられたなあ」という、しみじみとした感情がない。

悩んでいる自己執着の強い人には「助ける」と「助けられる」との相互性の中でのふれあいがなかった。

自己執着の強い人はそういう人間関係の中で成長した。

自己執着の強い人は気持ちをくみ取ってもらう体験がなくて成長した。

「誰も私の苦しみなんかわからない」という台詞は世界で最もよく繰り返されている台詞の一つであるとジョージ・ウェインバーグは言う。

これは人が心理的に安定するために、自分の気持ちをくみ取ってもらうことがいかに大切であるかを物語っている。

自己執着の強い人は自分の気持ちを理解されないのが、いかにつらいかということである。

「私は悪くない」「私ばかりつらい目にあう」と言っている自己執着の強い人は、小さい頃から自分の気持ちをくみ取ってもらえなかった。

その成長の過程をしっかりと見つめることである。

新しい出発はいつでもできる。

譲り過ぎる人

譲り過ぎる人は、実は心の底では誰よりもわがままで自己中心的である。

そして、自己執着が強い。

しかも自己執着の強い本人はそれに気がついていない。

自己執着の強い本人は「私がこんなに、我慢しているのに」というように意識している。

したがって自己執着の強い人は譲りながらもものすごく不満である。

「私は悪くない」と不満になっている自己執着の強い人は、自分の自己中心性に気がついていないだけのことがある。

「非利己主義という正面像の陰には、巧妙にではあるが、強い自己中心性が隠されている」と言うが、まさにそのとおりである。

なぜ周囲の人はその自己執着の強い人にやさしくなれないのか。

それはその自己執着の強い人が無意識に周囲の人に敵意を持っているからである。

社会的経済的に恵まれた女性と恵まれない男性との結婚。

女性は全てを犠牲にしたと思った。

しかし離婚になった。

「女性は全てを犠牲にしたと思った」ということが独りよがりなのである。

ポーランドの哲学者タタルケヴィッチが言うように「あなたが犠牲を払うから幸せになれないのです」。

自己執着の強い人は犠牲を払うから全部を失う。

正確に言えば、不安から自分を守るために犠牲を払っても、幸せにはなれないということであろう。

この世の中には何と多くの人が、犠牲を払って不幸になっているだろうか。

犠牲を払わなければもっと幸せになれたのに。

迷惑をかけたくない

これは日本人の気持ちの中に強くあるものである。

しかし問題は動機である。

相手への愛情から「迷惑をかけたくない」のなら、人間関係は上手くいくが、自己執着の強い人が嫌われるのが怖いから迷惑をかけたくない、好かれたいから迷惑をかけたくないとなると、「迷惑をかけたくない」という気持ちが人間関係の隠れた障害になる。

自己執着の強い人の中には迷惑をかけるということが役割喪失になるので、迷惑をかけまいとする。

そして自己執着の強い人は犠牲を払って好かれない。

なぜ自己執着の強い人は挫折するのか?

それは「実際の自分」に気がついていないからである。

「理想的自我像」と「実際の自分」があまりにも違う。

実際の自己執着の強い自分は普通の人以上に利己主義である。

自己執着の強い人は普通の人以上に幼児性を持っている。

自己執着の強い人はくだらないことで傷つく。

自己執着の強い人は表面的にニコニコといい顔をして、あとで不満になる。

自己執着の強い人は実際の自分を受け入れていないということより、実際の自分に気がついていない。

実際の自己執着の強い自分は、無意識に孤立への恐怖心を持っている。

自己執着の強い人は心の底の自分に気がついていないから、自分はこのようなはずだという考え方になる。

例えば自己執着の強い人は心の底に恐怖心がある。

だから自己執着の強い人はよく眠れないのに、そのことがわからない。

そこで自己執着の強い人は「眠れるはずなのに眠れない」と悩む。

実際の自己執着の強い自分に気がつけば、こんな気持ちでいるなら眠れないはずだと理解できる。

つまり「実際の自分」は、不安な緊張に悩まされている。

なぜいつも不安な緊張感に悩まされているのか?

仕事熱心などの自己防衛は、いよいよその人にdefenselessの感情を抱かせる。

防衛行動は、抑圧行動である。

したがって、自己執着の強い人は自信喪失を深刻なものにするだけである。

そういう自己執着の強い人は、実際の自分ではない幻想にしがみついている。

そのための緊張感である。

自己執着の強い彼は常に理想的な自分であることを他人と自分に証明しようとしている。

自己執着の強い人は証明しなければいけないと思っている。

自己執着の強い人は他人に気に入られることで不安から自分を防衛しようとしている。

成長した人だからこそ自分のことを後回しにして人のことを先にして、それが自然に感じられる。

挫折する自己執着の強い人は、実際は普通の人以上に利己的、わがまま、自己中心。

自己執着の強い人はそれを隠して非利己的な大人を演じている。

自己執着の強い人はその無理が日常生活に現われる。

自己執着の強い人は不機嫌、イライラ、怒りっぽい等となって現れる。

関連記事

自己執着の解消

自己への批判と解釈しない

妻が何でもない愚痴をこぼす。

ところが、その単なる愚痴に自己執着の強い夫は不機嫌になる。

妻の単なる愚痴に怒るのは、その愚痴が自分を非難していると感じるからである。

愚痴を自分への批判と受け取ったからである。

相手の愚痴を自己執着の強い自分の弱点と結び付けて解釈する。

しかもその自己執着の強い自分の弱点に本人は気づいていない。

無意識の領域での弱点である。

ことに「俺は稼いでいる」という役割アイデンティティが強い夫はそうである。

妻の単なる愚痴を、「稼ぎが悪い」と言われていると拡大解釈してしまう。

愚痴を愚痴と解釈する。

拡大解釈しないで、限定的解釈をする。

それができるのは、心に深刻な問題を抱えていない夫である。

愚痴を愚痴と解釈する、限定的解釈をできない人は、意識では「俺は稼いでいる」と思っているが、心の底では、自分より稼いでいる人を妬んでいる。

心に、自己執着の強い本人が気がついていない深刻な問題を抱えている。

自己執着の強い自分がいつも他人と自分を比較しているから、妻が何かを言うと、自分が他人と比較されたと夫は感じてしまう。

とにかく無意識では自己執着の強い人は他人に優越したい。

しかしその願望は実現していない。

そのことを心の底では知っている。

だから妻の愚痴を、その劣等感と結び付けて解釈する。

妻の愚痴は「あの人の方がいい」という誤解を生んでしまう。

傷つく方が勝手に傷ついている。

とにかく傷つきやすい人がいる。

自己蔑視している自己執着の強い人である。

そして、「俺がこんなに一生懸命働いているのに、そのように文句を言うとは何事だ」と激怒する。

カレン・ホルナイは自己蔑視している人は無防備であると言うが、相手の何気ない愚痴が無防備な心を直撃する。

ふっと相手が言った言葉がものすごい力になって、その自己執着の強い人の心を攻撃してしまう。

正常な対人的距離がなければ何でもない一言が、自己執着の強い人にとってはものすごい破壊力を持つ。

正常な対人的距離のない自己執着の強い人は、相手の言動に無防備である。

そういう自己執着の強い人は社会生活の中で周囲の人に翻弄されてしまう。

そういう自己執着の強い人はいつも「すごいわねえ」と褒めてもらいたい。

自己執着の強い人は「ありがたいわー」と常に感謝されたい。

自己執着の強い人は大人になっても残っているナルシシズムを満足させたい。

自己執着の強い人はいつも自分が中心でないと気が済まない。

自己執着の強い人は小さな子どもが食事中に自分天下でないと気が済まないのと同じである。

そうなると自己執着の強い人は他人との関係は、常に疑似母子関係であることを求める。

自己執着の強い人は正常な大人同士の対人的距離ではない。

自我の確立がない自己執着の強い大人は、社会生活の中で周囲の人の言動に翻弄されてしまう。

他者に「不当な重要性」を与えてしまう。

別の表現をすれば、その自己執着の強い人は被影響性が極めて高いということである。

自己執着の強い人は極端になれば被害妄想である。

自己執着の強い人は日常生活の些細なトラブルで「俺だけが何でこんなひどい目にあうのだ」という怒りが湧く。

決して実際にその人がひどい目にあっているのではない。

その自己執着の強い人の解釈が拡大解釈であるというだけの話である。

他者の言動を、自己執着の強い人は勝手に被害者意識で受け取っただけである。

「勝手に」というのは、無意識の領域にある怒りが「そう」解釈したのである。

その隠された怒りが、相手の言葉の解釈に影響する。

相手には相手の感覚がある

自己執着の強い人は相手が自分を軽く扱うことに激怒してしまう。

自己執着の強い人は現実には相手はこちらを軽く扱っていないのに、軽く扱われたと感じてしまう。

自己執着の強い人は相手がこちらをそれほど侮辱しようとして言った言葉ではないのに、ものすごく侮辱されたように感じてしまう。

「なぜ、私ばかりつらい目にあうのか?」と思っている自己執着の強い人はいるが、現実は別に「私ばかりつらい目にあっている」わけではない。

皆も、つらい目にあっていることがある。

いつも「私ばかりつらい目にあっている」となげいている自己執着の強い人には他者がいない。

自己執着の強い人は他者と関わりながら日常生活をしていない。

自己執着の強い人は他人との自然なコミュニケーションがないままに大人になってしまった。

自己執着の強い人は「他人と関わりながら生きていく」ということがないままに大人になってしまった。

自己執着の強い人は心が幼児のままで社会的に大人になってしまった。

だから自己執着の強い人は「皆、つらい目にあっている」という「皆」がいない。

だから自己執着の強い人は「私だけが」つらい目にあっているとしか思えない。

そして問題は、いったん怒りの感情に囚われると、自己執着の強い人はなかなかそれから抜けられない。

影響されやすい自己執着の強い人は、その影響から抜けられない。

よく「気持ちを切り替える」と言う。

しかし被影響性の高い自己執着の強い人は気持ちの切り替えができない。

つまり自己執着の強い人は常に人から影響されっぱなしである。

自己執着の強い人は会社から家に帰って気持ちを切り替えると言っても、それがなかなかできない。

自己執着の強い人は会社で嫌なことがあると、家に帰ってきて家族に当たる父親のようなものである。

自己執着の強い人は会社での不愉快な気持ちを、家に帰ってきて家族に当たり散らすことで解決しようとする父親のようなものでもある。