三十代前半の女性・和葉さん(仮名)が、希死念慮と、「人に会うのが怖い」と訴えて、クリニックを受診してきた。

愛着障害の和葉さんは、三人きょうだいの真ん中に生まれ、小さい頃は、大人しく手のかからない子だったという。

小さな工場を自営していたので、両親とも忙しく、おまけに一番末の妹が病弱で、そちらに母親の関心は取られてしまい、愛着障害の和葉さんは放っておかれることが多かった。

彼女の面倒を見たのは主に祖母であった。

大きな借金を背負っていた上に、景気が悪く資金繰りが苦しいことも度々で、両親の間にはいつも緊張感があり、怒鳴り合いのケンカは日常茶飯事であった。

愛着障害の和葉さんは、ひどいことを言われても何も言い返せないところがあり、いじめられることもあった。

特に小学5年生のときのいじめは陰湿で、その後愛着障害の彼女は、人に対する恐れを引きずるようになる。

それでも、勉強はよくできた。

それが愛着障害の彼女にとっての唯一の自信となっていた。

中学・高校と進学校で過ごし、特段の問題もないままに、一流で知られる国立大学に進む。

将来は研究者になりたいと思っていた。

だが、大学に入ったころから、愛着障害の彼女は次第に情緒不安定になっていく。

それまでは、目標とする大学に入ることに希望をもち、良い成績をとることで心のバランスをとっていたのだが、一流大学には優れた学生が大勢いて、成績も「優」どころか「良」や「可」を取るのがやっとという事も増えた。

愛着障害の彼女のプライドを支えていた優等生であるということも、維持できなくなってきたのである。

愛着障害の彼女はそのころから「死にたい」という気持ちが心に巣食うようになり、ひそかに自傷行為を繰り返すようになった。

愛着障害の彼女は苦しくて仕方がなく、近くの心療内科に駆け込んで、薬の処方も受けるようになった。

愛着障害の彼女はその薬を大量に飲み、最初の自殺企図をしたのが、大学一年の秋のことだった。

親は、最初は慌てて、一時的にやさしくしてくれたが、三回、四回と重なるに連れて、「いい加減にしろ」「こっちの迷惑も考えてくれ」と逆ギレするようになった。

親との関係は以前にも増して、冷え切ってしまった。

愛着障害の彼女はそれでもどうにか、大学院に進学した。

最初のうちは教授とも良好な関係で、成果を認められていた。

しかし、愛着障害の彼女はその期待に応えて完璧に課題をこなそうとするほど、自分の限界にぶつかり、また自殺企図をしてしまった。

結局、愛着障害の彼女は、大学院を辞めて、就職。

そこでも最初は頑張っていたが、責任が増えるにつれて、潰れて自殺企図をするというパターンを繰り返した。

愛着障害の彼女は不本意ながら退職に追い込まれ、「何もかも失ってしまった」という絶望感だけが残った。

愛着障害の和葉さんはそんな傷だらけの状態で、クリニックにやってきたのだ。

愛着障害の克服の再生への一歩

医師は愛着障害の和葉さんの、あまりにも状態が悪かったので、入院できる医療機関を紹介するか、正直迷った。

しかし、途方に暮れた姿を見て、何とか支えてあげたいという気持ちに結局逆らえず、治療を引き受けることになった。

ただ、愛着障害の彼女には絶対に自殺しないことを約束してもらい、これ以上状態が悪化するときは、入院になることも告げた。

通院とカウンセリングが始まったが、愛着障害の彼女の表情はまだ暗く、何の希望も見つからないという様子だった。

医師やカウンセラーにできることは、愛着障害の彼女にとって少しでも安全基地となれるように、細心の注意を払いながら、愛着障害の彼女の話に耳を傾けることだった。

その甲斐あってか、愛着障害の彼女には少しずつ明るさが戻ってきたが、それでもまだ、無気力な生活が続いていた。

愛着障害の和葉さんが「親から見捨てられた」との思いを強く感じているのを見て取った担当医は、ご両親に一度会いたいのだが、来てもらえるだろうかと聞いてみた。

愛着障害の和葉さんは、来てくれるかわからないと答えたが、担当医からの希望を両親に伝えることには同意してくれた。

それからまもなくして、愛着障害の和葉さんのご両親がやってきた。

担当医は、両親が来てくれたことに感謝を述べてから、愛着障害の和葉さんの病状を説明した。

いろいろ事情が重なって、ご両親も大変だったでしょうが、愛着障害の和葉さんも寂しい気持ちを我慢してやってきたこと。

ご両親に認めてもらおうとして、学業で頑張っていたが、それが思うようにいかなくなったとき、自分を支えきれなくなって一気に自己否定が強まってしまったこと。

自分は何をやってもダメな人間で、生きている値打ちもないと思っていること。

そこを何とかしないと、いずれ愛着障害の和葉さんは死んでしまう危険も大きいこと。

そしてそれを避けるために、何とかご両親の力を貸してほしいとお話ししたのである。

ご両親は涙ぐみながら、愛着障害の和葉さんに寂しい思いをさせてきたことを振り返り、「自分たちにできることがあれば、してやりたい」と話された。

そこで、安全基地となるために気をつけること、そして、何よりも親らしい優しさが大切であることをお伝えした。

愛着障害の克服の一歩、優等生ではない自分を受け入れる

愛着障害の和葉さんの顔に明るさが戻り始めたのは、それからだった。

愛着障害の彼女は希死念慮を口にすることがなくなり、何か自分にできることを始めたいと、就労移行支援事業所を探してきて、通い始めたのだ。

学業でも仕事でもうまくいかないことが続いて、「自分には何もうまくできることはない」と思い始めていた愛着障害の彼女にとって、就労移行支援事業所での体験は、自信を取り戻すきっかけになった。

愛着障害の彼女は、いきなり就労にチャレンジするのではなく、訓練的な取り組みにハードルを下げて始めたことが、良かったのである。

それまでの愛着障害の和葉さんは、何事も優等生の自分しか認められなかった。

それゆえ頑張りすぎて、無理が限界を超えてしまうことを繰り返していた。

誰だって、そんなに頑張れば疲れ切ってしまうのだが、もう頑張れない自分をダメだと全否定し、自殺企図に走ってしまっていた。

その意味で、愛着障害の彼女は背伸びをやめ、小さな目標でも価値があると思えるようになったことは、大きな進歩だったのだ。

愛着障害の彼女はその後、仕事に就いたが、仕事の関係で知り合った彼氏と結婚。

今は、専業主婦となって子育てに励んでいる。

愛着障害だった彼女は激動の時代がウソのように、平穏な暮らしを手に入れている。

愛着障害だった和葉さんにとって何より嬉しかったのは、両親もとても和葉さんの子どもを可愛がってくれることである。

どん底にまで落ち、絶望の淵に沈んだ愛着障害の和葉さんだったが、そこから再生のプロセスが始まったといえる。

半ば愛着障害の彼女のことをあきらめ、手を引いてしまっていた親も、危機感を新たにし、本気でもう一度かかわってくれたことも大きかった。

それまでは、両親に認めてほしいと、無理な目標を自分に強いていた愛着障害の彼女だったが、親も「無理しなくていい、生きていてくれるだけでありがたい」と、接し方を変えたことで、ゆったりとしたペースで回復することができた。

そして、親から彼氏へと、支え手のバトンパスもうまくいったようだ。