30代より増える毒親メカニズム

「周りに結婚、出産する友達も増えて、正直、今、焦っているんです。

私もそろそろ考えたいのですが、仕事も忙しいし、良いなと思う人がいても、自分の気持ちを素直に言葉にできない。

きっと自分よりふさわしい人がいるんだろうな、なんて考えてしまうのです。

このままで、一人で一生過ごすのかと思うと、夜、涙が出てきてしまうんです」と話すのは、36歳女性クライアントのGさん。

「私、恋愛下手なんです。

人に甘えるのが苦手で・・・。

もともと、両親とも共働きで、平日学校から帰っても、親が家にいない家庭に育ったんです。

子どもの頃から甘える、ということをさせてもらえなかった。

父にも母にも”お姉ちゃんなんだから”とよく言われて、我慢させられていました。

特に母は3歳下の弟ばかり可愛がって、私のことはあまり見てくれなかった。

母は、私には厳しかったんです。

一度、中学生の時、私が友人の相談を受けていて遅くなって帰宅したら、ほおを叩かれました。

あのを時のショックは、一生忘れません。

あの日を境に、甘えたい気持ちを封印したと思います。

甘え下手は、その時からなんです・・・」

数年前に「毒親」という言葉が登場した。

確かに、現代の親は、周囲からの援助を受けにくい環境で、しかも働きながら子育てをしなければならず、疲労によって自分をコントロールできず、子どもに暴力的に接してしまうことも多いように思われる。

ところが、実際にカウンセリングで親のことを訴えるのは、Gさんのように、30歳から40歳以降のクライアントであることが多いのだ。

「幼稚園の時にこんなことがあった」「中学生の時にこんなひどい扱いを受けた」など、子どものころに傷ついた思い出を、際限なく思い出してしまう。

そして、「親がこうだったから、今の自分の生きづらさがある」と訴える。

ところが、Gさんの場合もそうだが、話を聞いているとその親は、それほどひどいことをしているわけではないように思えるケースが多いのだ。

なぜそんな現象が、30代以降に目立ってくるのか。

背景には、本人が持つエネルギーの問題がある。

感情に影響する要因の一つ、「疲労・体調不良による苦しさ」のエネルギー苦だ。

現在の30代は、多忙だ。

社会人として働いて一定期間が過ぎ、20代とは違う仕事や責任を持つ時期。

特に女性は、結婚、出産が重なることもある。

仕事や家庭で肉体的にも精神的にも大変な生活をこなしながら、今後の自分の生き方についても考えなければならない。

悩みは多い。

一方、体力は落ち始めている。

しかし、かといって休日にしっかり休養するという発想を持ち合わせておらず、短期間に海外旅行に行ったり、コンサートで気分を晴らそうとしてしまう。

20代なら、徹夜して遊んでも大丈夫だったが、今は逆に疲れがたまる。

結果として、これまでにないエネルギー不足に陥ることがあるのだ。

この現象は、30代後半から40代前半で目立って来るので、35歳クライシスと呼んでいる。

35歳クライシスに差し掛かり、「なんだかうまくいかない・・・」と感じ始めた時に、人は原因を探し始める。

世の中で何か悪いことがあれば、それを原因とする。

けれども世の中は、そうは変わっているわけではない。

すると、今度は、原因を自分に求め始める。

けれども「自分の頑張りが足りないからだ」という自責の発想は、わかっているけれど重すぎるし、「結局、自分には能力がない」という発想は、人生を歩んだ道のりが長くなるほど、受け入れにくくなる。

そこで、焦点を少しずらして、イライラを親に向けるのだ。

「私が悪いのではなくて、私をこんなふうにしてしまった育て方が悪い。親のせいだ」と考え始めてしまう。

本来向くべき自虐のベクトルを親に向けることで、つらさを逃れるのだ。

一種の信頼でもあり、甘えでもあるが、「親は、自分という人間に対しては本気で反撃してこない」と知っているから、矛先を向けてしまうのである。

過去検索で、ネガティブな記憶を育ててしまう

実は、この思考は、その場の苦しさを少なくすることはできても、結局苦しみを大きくしてしまう対処なのだ。

二つの理由がある。

一つ目は、今の苦しさに対して主体的に取り組むことができなくなること。

つまり、例えばお母さんが原因なら、お母さんが変わらない限り、自分の苦しみはなくならないということになる。

大事なキーを他人に預けてしまっているのだ。

そうなると、どうしても被害者意識が強くなり、「自分は状況をコントロールできない・・・」と怯える原始人の心は、母親だけでなく、世の中全般に対して、警戒し、ネガティブにとらえるようになってしまう。

感情が発動しやすくなるので、さらに疲れやすくなってしまう。

二つ目は、防衛(恨み)記憶を育ててしまうことだ。

記憶は自分の中で育ってしまう。

トラブルを親のせいだと思うと、今回のトラブルに関連しそうな親との思い出を「ひどいことをされた」という文脈で過去検索する。

そうすると、これまで中立だった思い出が、本当は親にいじめられていたんだと、認識されてしまう。

例えば、今自分は「言いたいことが言えない性格」で、損ばかりしていると感じているとしよう。

どうもこの性格は、子どもの頃からだ・・・。

思い返してみれば、そうだ、幼稚園の入園式でリボンをもらう時、先生に何色が好きと言われて、赤と答えた。

でも、赤がなかった。

お母さんに「〇〇子は、黄色も好きだよね」と言われて、いやいや黄色のリボンを付けたけど、「うれしい」と答えた。

いつだって私は、お母さんの顔色を見て、お母さんが喜ぶように行動してきた、という出来事を思い出す。

確かに母親の態度で傷ついた部分もあったかもしれない。

ところが本当は、幼稚園への不安や、お母さんと離れることのさみしさ、幼稚園の遊具に対するワクワク感などと一緒だった思い出なのに、今回の検索で、母からいじめられた思い出の代表のようになってしまうのだ。

しかも、日常のトラブルがあるたびに、その記憶にアクセスする。

そして、ちょっとした不安や、嫌なことがあると、「ああ、やはり、あの時のお母さんがこう言ったせいだ」と、思ってしまう。

そんな思い返しを、自分の中で繰り返すうち、心はさらに過去のネガティブ記憶を掘り出しては、強化するという作業を繰り返してしまう。

いつのまにか、「お母さんのせいで、私の人生はメチャメチャよ!」という感覚が育ってしまうのだ。

親に謝ってもらっても、苦しさは変わらない

このように、本来はそれほどの虐待ではないのに、大人になってからの反芻によって、イメージの中で「毒親」が育ってしまう現象を、毒親メカニズムと呼んでいる。

親御さんだって、普通の人間。

大人になった子から見ると、弱い部分や不完全な部分が目に付く。

「毒親メカニズム」のベースで見ると、やはり自分の今のつらさは「このダメな親に育てられたから」と思いやすい。

しかも、その親が、援助を求めてくる年代だ。

自分も余裕がない。

実際には、親は何もしていないのだが、この頭を毒親が占領するようになってしまう。

親のことを思い出しては苦しむサイクルが続くと、親に謝ってもらおうと思うことも少なくない。

「私に謝ってよ」などと実際に親に詰め寄る人も出てくるが、お母さんは、何のことやらさっぱりわからないことが多い。

それでまた、傷つく。

親に余裕がある時は、謝ってくれることもあるだろう。

しかし、謝ってもらったとしても、日々の苦しさは結局変わらない。

調子が悪い本当の原因は、本人のエネルギーの低下であって、親ではないからだ。

固定化した人間関係を広げてみる

もし、あなたがこの「毒親メカニズム」に心当たりがあるならば、対処方法は次の二つだ。

根本的な原因は「疲れ」なので、まずは自分の疲労回復につとめること。

休養を取ったり、静かなストレス解消法をしたり、自分を少し甘やかしたりと、心身の疲れを癒すことだ。

二つ目は「自信のケア」を行うこと。

「自信」には、第一の自信、第二の自信、第三の自信がある。

このうち「第一の自信」は個別のテーマに対する「できる」「できない」に関する自信だ。

「第二の自信」は「体・生き方」に関すること。

自分の素質に対する信頼。

「第三の自信」とは、「愛される・受け入れられている」自信。

つまり、人間関係に関することだ。

30代以降の人は、今までどおりに仕事が「できない」「体力が落ちている」ことで第一、第二の自信が低下してしまっている。

そこで、「第三の自信」にすがりたい。

実は、大人になるにつれ、一度親から自立しているのが普通だ。

ところが、35歳クライシスで落ち込んだ時、どうしても人は、退行し、幼児帰りしてしまう。

親の愛、つまり第三の自信の支えで、乗り越えられると勘違いし、親に苛立ちをぶつけるのだ。

しかし、実際は、親はもうそんなに身近で支えてくれない。

大人になった今、あなたが望むような関係を親との間で再構築するのは難しいことが多い。

それに親依存だと、親が亡くなった時に生きていけなくなることも、自分ではわかっている。

ここでのポイントは、親以外に「自分を受け入れてくれる仲間」を増やすことだ。

自分は一人ではない、他の人に受け入れられているという第三の自信を強化するために、今までにない人間関係を増やすことを試みてほしい。

新しい趣味やボランティアを始めるのもいい。

SNSなどを活用し、昔の友達との交流を復活させてもいい。

これまでの固定していた人脈を、刺激し拡大するのだ。

すると人間関係の全体バランスが変わる。

「親」に集中していた感情も、少し潮目が変化する。

人間関係が固定化している人は、悩みを相談する時も、同じ人に同じ話をしていることで堂々めぐりになっていることがある。

違う年代、違う環境、違う価値観の人との出会いは、同じ話題でも、思ってもみなかった視点に気づかせてもらうことがある。

その意味でも、ぜひ新しい人脈づくりに挑戦してほしい。

介護に備えるためにも、逆に親と距離をとる

また、最近は親子が離れて暮らすパターンも多い。

離れて暮らしている母親のことで、悩んでいる人がいる。

「週に1度は電話をするようにしているのですが、そのたびに母の言い方などにイライラして、昔、母に傷つけられたことを思い出します。

結局いつも、最後は喧嘩のようになって電話を切り、その後も嫌な気持ちを引きずります。

どうしたらいいでしょうか」というものだ。

遠く離れているからこそ、その付き合い方で悩んでいる人は、意外に多い。

このような場合には「あなたが穏やかでいられないのならば、無理して接触する必要はないのでは」とアドバイスする。

こちらが最低限の付き合いと割り切れば、遠距離の場合、心理的被害はそれほど大きくない。

「でも、コミュニケーションを絶ってしまったら、将来、親の介護が必要になった時にうまくいかないのでは?」と質問する人もいるが、正にその時に備えて、今は距離を取るべきなのだ。

というのも、感情を我慢していると、相手をどんどん嫌いになってくる。

「介護が必要になった」という状況では、親のことがすきであろうと嫌いであろうと、支援せねばならない。

ところが長い間イヤイヤ付き合っていると、ネガティブな記憶が育ってしまい、いざその時になった時に、やさしくできない自分にさらに幻滅してしまう。

最後に支援をしないという選択肢もある。

しかし、それは亡くなった後に、罪悪感が大きくなるリスクがあるので、できれば避けたい。

「最後にしっかりやさしくしてあげたい。だからこそ、今は自分の心を平和に保つことを優先する」。

そのくらい緩めた考え方をしてもいい。

これこそ、「親子の縁を切る」「親を引き取る」といった極端な選択ではなく、「7~3バランス」の思考法でもある。

「7~3バランス」で、自分で親との付き合い方を主体的に選んだ、と思えるようにしておきたい。

親に自分の苦しみが左右されてはいけない。

そうでないと、親が死んでからも、自分の苦しさを親のせいにしてしまう。

でも、もう絶対に親は変わらない。