逃げない、背伸びしない役割期待を育む

あることをイヤだと思うと、いっそうイヤさが増します。

引き受けねばならない嫌なこと、役割期待は正面から受け止め、逃げ腰にならないことです。

いつでも、現在の仕事や人間関係など役割期待から逃げたいと思っている人がいます。

しかし、この世界にそれほど居心地の良いところがあるものではありません。

自分と同質で、自分を傷つけない、そうした人だけが住んでいる桃源郷などありません。

したがって、現在の場所で役割期待から逃げ腰では、どこへ移っても嫌な気持ちから逃れることはできません。

役割期待で仕事が嫌なら、その仕事の良い点を見つけることです。

役割期待で他の人が嫌なら、その人の良い点を見つけることです。

そして、それが見つかっても、見つからなくとも、逃れられないものは「どうぞ!どうぞ!」と役割期待を正面から受け入れることです。

なかには、自分の人生という役割期待からさえも逃げ腰な人がいます。

いまの人生はかりそめのもので、いつか本当の人生が始まる。

そのときから本当の自分が生きられるようになる。

そう思って、いまの役割期待を生きようとしない人がいます。

そうではなく、いまこの一瞬一瞬が役割期待、人生なのです。

いま、この役割期待の一瞬一瞬を充実させ、満足して過ごすことが、人生を本当に豊かに生きることなのです。

また、自分を認めてもらいたくて、なんでもかんでも引き受けて、そのあげくそれが重荷になってしまう役割期待が重荷になっている人がいます。

いろんな場面で、つい負けたくないという競争心で行動してしまう役割期待をもっている人もいます。

いずれも役割期待の顕示欲求の強い人です。

この世界は、自分が有能であることを示すための場ではありません。

ただ、そのときそのときにこなしていくべき役割期待や課題があるだけです。

会社の仕事も、採用試験も、自分の優秀さを顕示する場ではないのです。

他の人と協調して仕事を遂行していくこと、役割期待ができることを示すことが求められているのです。

顕示欲求の強い役割期待の人を、健康で積極的な心を持っている人と誤解しがちです。

そうではなく、人から賞賛されたり、優秀さを示さないと心のバランスがとれない役割期待を背負っている人なのです。

心の深層で自分に対する疑惑を捨てきれないのです。

だから、強迫的に賞賛を求めざるをえない役割期待なのです。

本当に健康な心を持つ人は、他者の評価、役割期待から解放されています。

適切な役割期待を持っている人は自分の内発的な感性と思想によって行動し、自己価値の観点からものごとをとらえます。

適切な役割期待を持っている人はそのためにゆったりとした心で自己実現を楽しんでおり、自己顕示などとは無縁です。

また、役割期待は同じことをしても、誰がしたかによって、周りの人の受け取り方がまったく異なる場合があります。

役割期待でたとえば、Aさんは仕事にルーズなところがあるのですが、なんとなく許されてしまう雰囲気があります。

役割期待で同じことをBさんがやったら大変で、ひどく重大なサボタージュと受け取られてしまいます。

これは、社会心理学でいう役割期待が異なるためです。

役割期待とは、「この人はこのように行動する人だ」という周りの人が抱く暗黙の期待のことです。

役割期待は、比較的早い段階で形成されてしまいます。

そして、この比較的早い段階でつくられた役割期待、印象や期待は強固に持続する傾向があります。

集団のなかで楽にいられる一つのコツは、背伸びせずせず自分のままでいられる役割期待をつくることです。

その役割期待をもつためには、最初から無理をしないことです。

適度な役割期待を持つためには、がんばりすぎないことです。

適度な役割期待を持つためには、好かれようとせず、目立とうとせず、自然体でいくことです。

また、人間関係を苦にする人は、役割期待を過大に受け取ってしまいがちです。

役割期待を過大に受け取ってしまいがちとして、たとえば、会社が自分に持つ期待を過大評価してしまい、自分は給料をもらうに値するかとか、自分は給料分働いていないのではないかと心配してしまいます。

役割期待を過大に受け取ってしまいがちな人はあるいは、これぐらいではみんなに受け入れてもらえないのではないか、と密かに心配します。

しかし、正当な役割期待を考えて下さい。

正当な役割期待としてあなたが給料をもらうのは、あなたと会社とで結んだ契約によるのです。

役割期待として会社はあなたを使ってもうけてやろうという利己心であなたを雇ったのです。

役割期待として会社はあなたの働きの程度を見積もって採用したのであり、たとえ会社の期待分だけ働けなかったとしても、それは会社のほうで見る目がなかったということなのです。

過重に役割期待を感じる必要などまったくないのです。