澄美子さん(仮名)の父親は、とても優秀な弁護士だった。

母親との間に緊張感があることは感じていたが、澄美子さんには優しい父親で、父親は弁護士として、弱い者の味方として戦っていると信じていた。

それだけに、小学四年のとき、父親が愛人を作って家から出ていったときには大きなショックを受けた。

そのころは理解できなかったが、母親は男勝りな性格で、女性としての優しさや思いやりにはどこか欠けたところがあったのだと思う。

思春期になり澄美子さんは、そんな母親といがみ合うことが増えるにつれ、いなくなった不在の父親が、いつしか理想化されていったのかもしれない。

大学在学中に父親が亡くなった時、愛着障害の澄美子さんは大きな喪失感を覚えた。

その喪失感を埋めてくれたのが、それから間もなく出会った弁護士志望の男性だった。

社会を良い方向に変えようという理想を語る男性に、澄美子さんはたちまち惹かれていったが、そこには失われた父親への思いがあったに違いない。

司法試験を目指す夫を支えるため、英語の得意な澄美子さんが大学の秘書として働いて、生活費を稼いだ。

幸い夫は試験に合格し、弁護士となる。

経済的にはそれほど裕福とは言えなかったが、社会派の弁護士として活躍する夫を、愛着障害の澄美子さんは誇りに思っていた。

愛着障害の澄美子さん自身も事件の資料集めを手伝ったりした。

扱った事件が良い方向に解決したときには、夫と手を取り合って喜んだこともあった。

しかし、二児が生まれ、愛着障害の澄美子さんも子育てで忙しくなり、また生活のために、夫はもっと実入りのいい仕事を引き受けるようになった。

金回りがよくなり、贅沢も少しはできるようになったが「そんなことは望んでいないのに」と思うこともあった。

夫も変わったなと思ったのはブランド物の高級スーツやカバンを平気で買うようになったことだった。

以前の夫は、そういうことを軽蔑していたのだ。

愛着障害の澄美子さんは夫との関係に問題があるとは感じていなかったし、世間的に見れば、理想的な夫婦だと思われていた。

しかし夫に対して、何か以前ほど尊敬できないものを感じていた。

そんな時、ショッキングなことが発覚する。

夫が事務所の若い秘書と関係していることを知ってしまったのだ。

夫の不実をどうしても許せなかった愛着障害の澄美子さんは、うつ状態になる。

夫と歩む人生以外のことは、考えたこともなかったので、その夫に裏切られた今、もうすべてが終わったように感じられてしまったのだ。

愛着障害の澄美子さんはいっそのこと死のうかと思ったことも何度かあった。

だが、子どものことを考えてどうにか踏み止まった。

それに、愛着障害の自分が死んでしまえば、夫は喜んで、愛人の女と再婚すると思ったのだ。

愛着障害の澄美子さんの意地だった。

しかし、愛着障害の澄美子さんと夫との関係は冷え切ったまま。

夫婦でいることの意味は、ただ夫への罰の意味だけだったかもしれない。

それに、愛着障害の自分がいちばん嫌だったこと、つまり愛着障害の自分の母親と同じようになってしまったことを、認めたくなかったのだ。

だが、憎しみに生きることは、心を腐らせるばかりで、このままでは自分はダメになると思った愛着障害の澄美子さんは、ついに離婚を決意する。

「父親の喪失による失望を、自らの手で回復する」

愛着障害の澄美子さんは別れた後も、しばらくは、心の傷跡を引きずったままで、何をする気力も湧かなかった。

うつ状態が遷延する愛着障害の澄美子さんの治療に、医師が携わるようになったのは、その段階でのことである。

世間から羨まれるような夫婦だっただけに、夫の不実やその後のゴタゴタについて、愛着障害の澄美子さんは誰にも話さずに我慢していたことも多かった。

愛着障害の彼女の心が受けた衝撃を、本当の意味で理解するためには、愛着障害の彼女のこれまでの人生を幼いころから振り返り、一つ一つの出来事を語ってもらう必要があった。

愛着障害の彼女はこれまで誰にも話せなかった思いを、ありったけ語り、そして泣いた。

その思いを受け止め続ける中で、愛着障害の澄美子さんは落ち着き、次第に元気を回復していった。

しかし、ここまでは、治療者が安全基地となることができたとしても、この先、愛着障害の彼女が真の回復を遂げていくためには、愛着障害の彼女にとっての新たな安全基地を、身近な生活の中に見つけ出し、手に入れていく必要があった。

そんなとき、愛着障害の澄美子さんは自分から、「あるボランティアの仕事をやってみたいと思うのですが、どうでしょう」と相談してきた。

きっとそれはいいきっかけになると思った医師は、そんなふうに考えられるようになったことを喜び、「気軽に試してみたら」と、少し自信がなさそうな愛着障害の澄美子さんの背中を軽く押した。

「わかりました」とうれしそうに笑って帰っていくと、愛着障害の澄美子さんは翌月から、そのボランティアの仕事を始めた。

英語力を活用できるボランティアで、愛着障害の澄美子さんは自分にも役立てる仕事があるということが、とてもうれしかったようだ。

その活動について、来るたびに喜々として報告してくれた。

それからもう何年もたったが、今も愛着障害だった澄美子さんは元気にその活動を続け、充実した日々を送っている。

ボランティア活動を通して知り合いも広がり、弁護士夫人として暮らしていた頃よりも、生き生きとしている。

ご自分でも、「あのとき離婚を決意して良かったと思っている」と語り、「自分の中に、夫に対する失望があって、夫はどこかでそれを感じ取って、自分を心から尊敬してくれる存在に走ったのかもしれない。

だけど、夫が先に裏切ってくれたので、内心嫌気がさしながら夫婦を続けるということをしなくて良くなった。

おかげで、自分らしい人生を取り戻すことができたのだと思っている」と、笑いながら話せるようになっている。

愛着障害の澄美子さんの場合、新たな安全基地となった存在は、再婚相手などの特定の人物ではなく、愛着障害の彼女が子どものころから憧れていた、「困っている人の味方になるという生き方をする」ことだった。

そこで出会った人たちを支えること、つまり愛着障害の彼女自身がその人たちの安全基地となることが、彼女に安全基地を与えてくれたのである。

そこには、愛着障害の彼女自身が尊敬する父親を、小学四年生のときに失ったという心の痛手も関係していただろう。

弱い者の味方であったはずの大好きな父親が、不倫に走り、母親を泣かせるという事態に、まだ少女だった澄美子さんは大きな衝撃を受けた。

失われた父親を取り戻そうと、愛着障害の彼女は夫に理想の存在を求めたが、それも裏切られてしまう。

結局、誰かにその役を求めるのではなく、愛着障害の彼女自身が、父親にしてほしかったことを困っている人々に行うことによって、子ども時代に味わった大きな失望を回復させようとしていたに違いない。