なぜクールが過大評価されるのか

似つかわしくない組み合わせ

1939年の復活祭の日、リンカーン記念館。

当時すばらしい人気を誇っていた名歌手マリアン・アンダーソンは、記念館前の広場で第16代大統領の像を背景にして歌った。

堂々と壇上に立つカラメル色の肌をした彼女の歌声を聴こうと、広場には七万五千人もの大観衆が詰めかけていた。

つば広帽子をかぶった男性たち、日曜日用の一張羅に身を包んだ女性たち、白い肌の人も黒い肌の人もいる。

歌いだしたアンダーソンの声は朗々と響き、一つひとつの言葉は純粋で明瞭だった。

聴衆は心を動かされ、涙ぐんだ。

それは試練のすえにようやく開かれたコンサートだったのだ。

エレノア・ルーズベルトの尽力なくしては、コンサートの開催は不可能だった。

この年、当初アンダーソンはワシントンDCのコンスティテューション・ホールでの公演を計画したが、肌の色を理由に、ホールを所有する米国愛国婦人会に拒絶された。

独立戦争で戦った由緒ある家柄の出身であるエレノア・ルーズベルトは、それを知って愛国婦人会から脱会し、リンカーン記念館での公演の実現に尽力した。

肌の色による差別に抗議の声をあげたのはエレノアだけではなかったが、彼女は自分の地位や評判を危険にさらしてまで、政治的な影響力を行使した。

エレノアは困っている人を見捨てておけない性格で、そうした社会的良心を発揮するのは当然のことと感じていた。

世間は彼女の行為を賞賛した。

「これはなかなかできないことだ。夫のフランクリンは政治家だった。自分の行動の一つひとつについて政治的な結果を考えた。

彼はよい政治家でもあった。

だが、エレノアは良心にもとづいて発言し、良心的な人間としてふるまった。

それが二人の違いだ」と、アフリカ系アメリカ人の公民権運動家ジェイムズ・ファーマーは、エレノアの勇気ある行動を表現した。

エレノアは生涯を通じて、フランクリンの助言者として、彼の良心としての役割を演じた。

それゆえに彼は彼女を妻に選んだのだと言っても過言ではないかもしれない。

つまり、それほど似つかわしくない組み合わせだったのだ。

フランクリンが二十歳のとき、二人は出会った。

彼はエレノアの遠縁で、上流家庭で大切に育てられたハーバードの学生だった。

当時19歳だったエレノアはやはり名門一族の出身だが、一族の反対にもかかわらず、虐げられた貧乏な人々のための活動に没頭していた。

マンハッタンの貧しい移民の子どものための学校で働いていた彼女は、窓のない劣悪な環境の工場で造花をつくって働いている子どもたちを目にした。

ある日、彼女は貧民街へフランクリンを連れてきた。

彼は人間がそんな劣悪な環境で生活しているのが信じられなかった。

そして、自分と同じ階級の若い女性がアメリカのそんな現実を教えてくれたことも信じられなかった。

そして、たちまちエレノアに恋をした。

だが、エレノアはフランクリンが結婚相手として心に描いていたような、ウィットに富んだ明るいタイプの女性ではなかった。

それどころか、まるで逆だった。

彼女はなかなか笑わず、雑談が苦手で、まじめで、内気だった。

美人でいかにも貴族的な母親は、彼女の物腰から「グラニー」とニックネームをつけた。

第二十六代大統領シオドア・ルーズベルトの弟だった父親は魅力的な男性で、エレノアを溺愛したが、アルコール依存症で彼女が9歳のときにこの世を去った。

フランクリンと出会ったエレノアは、彼のような男性が自分に興味を持つとはとても信じられなかった。

彼は自分とはなにもかも違っていた。

大胆で楽天的、魅力的な笑顔、誰とでも容易にうちとけた。

彼は若くて楽しくてハンサムだった。内気で不器用な私は、彼にダンスを申し込まれて胸をときめかせた」とのちにエレノアは回想している。

たくさんの人が、あなたはフランクリンにはもったいないとエレノアに言った。

彼は軽薄であまり優秀ではなく、浮ついた遊び人だと見ている人たちもいた。

そして、エレノア自身は自分を過小評価していたにもかかわらず、多くの人々が彼女の敬虔さを高く評価していた。

フランクリンが彼女を射止めたとき、落胆した求婚者が何人か彼に手紙を送った。

「エレノアはこれまで出会った女性のなかで、もっとも尊敬と賞賛に値する女性だ」と書いた者もいれば、「きみは最高に幸運だ。あれほどの女性を妻にできる人はまずいない」と書いた者もいた。

だが、人々の意見は要点をはずしていた。

エレノアとフランクリンは、たがいに相手にはないものを持っていたのだ-彼女の共感力と彼の虚勢だ。

「彼女は天使だ」とフランクリンは日記に記した。

1903年に彼女がプロポーズを受け入れたとき、彼は自分を世界一幸福な男と呼んだ。

彼女は恋文の洪水でそれに応えた。

二人は1905年に結婚し、6人の子どもをもうけた。

熱烈な恋に落ちて結婚した二人だったが、たがいの性格の違いは最初から問題をもたらした。

エレノアは深く理解し合ってまじめな話をしたいと願ったが、フランクリンはパーティ好きでゴシップに興味を持った。

恐れるものなどなにもないと公言していた彼は、内気な妻の心の葛藤を理解しなかった。

1913年に海軍次官に就任すると、社交生活はいっそう忙しくなり、派手になって、エリートが集う社交クラブやハーバード時代の友人の豪華マンションへたびたび足を運ぶようになった。

それと同時に、エレノアも忙しい毎日を送るようになった。

夫の政治活動を助けて、有力者の夫人を訪問したり自宅に客を招いて接待したり、さまざまな用事で忙殺されるようになったのだ。

彼女はそうした役割を楽しめなかったので、対外的な活動を助ける秘書としてルーシー・マーサーを雇った。

それは名案に思えたのだが、1917年、エレノアがフランクリンとマーサーをワシントンに残し、子どもたちをつれてメイン州で過ごした夏以降、この二人は生涯続く不倫関係を結んでしまった。

マーサーは明るい美女で、まさに当初フランクリンが結婚相手として望んでいたタイプの女性だった。

エレノアは夫がスーツケースに隠していたラブレターの束を見つけて、彼の裏切りを知った。

彼女はひどく打ちのめされたが、離婚はしなかった。

二人は愛の炎を再燃させることはなかったが、かわりにすばらしいものを築いた。

それは、フランクリンの自信とエレノアの良心との結合だった。

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とても敏感な人とは

ここで時間を現代へと早送りして、エレノアと同じく良心にもとづいて行動している女性の話をしよう。

心理学者のエレイン・アーロン博士は、1997年に最初の科学書を刊行して以来ずっと、神経学者のジェローム・ケーガンらが「高反応」と呼んだ(あるいは、「消極性」「抑制」などと呼ばれたこともある)性質について独自の研究を続けてきた。

アーロンはこの性質を「敏感さ」と呼び、その新しい呼び名に沿って、形を変化させるとともに理解を深めた。

カリフォルニア州マリン郡のウォーカー・クリーク牧場で毎年開催される「とても敏感な人々」のための週末集会でアーロンが基調講演をすると聞いて、さっそく私は航空券を買った。

このイベントの運営者である心理療法医のジャクリン・ストリックランドは、敏感な心を持つ人々が一緒に週末を過ごすことで恩恵を受けられるように、この集まりを企画したのだという。

彼女が送ってくれた予定表によれば、参加者には「昼寝をしたり、日記を書いたり、ぼんやりしたり、瞑想したり、考えごとをしたり」するための寝室があてがわれると書いてあった。

「ご自分たちの部屋で静かに交流してください。あるいは、共有のエリアで歩いたり食事をしたりもできます」と予定表には書いてあった。

有意義な討論をしたい人々のためにはカンファレンスが開かれる。

まじめな話し合いのための時間が多く設定されていた。

だが、それに参加するかどうかは個人の自由だ。

参加者の大半が長年の集団活動に疲れていて違うモデルを求めていることを、ストリックランドは知っているのだ。

ウォーカー・クリーク牧場は、カリフォルニア州北部の大自然のなかに1741エーカーもの敷地を持つ。

ハイキングを楽しめる遊歩道があり、野生生物も数多く生息し、青空が広がるなか、居心地のいい小さな納屋のようなカンファレンスセンター、バックアイ・ロッジが建っている。

六月半ばの木曜日の午後、三十人ほどの参加者がそこを訪れた。

ロッジ内は丈夫そうな灰色のカーペット敷きで、大型のホワイトボードが置かれ、大きな窓からは明るい日差しを浴びたアカスギの森がよく見える。

登録書類や名札と並んでフリップチャートが用意されていて、<マイヤーズ・ブリッグズ・タイプ指標>で自分がどんな型にあてはまるかを記入するようになっていた。

リストに目を通すと、ストリックランド以外は全員が内向型らしい。

ストリックランドは温かい雰囲気で感情豊かな人物だった(アーロンの研究によれば、感受性が鋭い人の大半は内向型だという)。

室内には、机と椅子が、おたがいの顔が見えるように大きな正方形に並べられていた。

ストリックランドがこの集まりに参加した理由をみんなに尋ねた。

トムという名前のソフトウェア・エンジニアが最初に発言した。

「『敏感さという性質の心理学的基盤』を知ることができて大変うれしい。

すばらしい研究だ!自分にぴったりあてはまる!これでもう、無理に周囲に合わせようと努力しなくていい。

劣等感や罪悪感を持たなくてもいいんだ」―面長の顔、茶色い髪とひげ、トムの容貌はエイブラハム・リンカーンを思い出させた。

彼が妻を紹介し、彼女はアーロンの研究を知った経緯を語った。

土曜日の午前中、アーロンがバックアイ・ロッジに現れた。

ストリックランドが紹介するあいだ、彼女はフリップボードを立てかけたイーゼルの後ろに、茶目っ気たっぷりに隠れていた。

そして、さっと登場した彼女は、ブレザーにタートルネック、コーデュロイのスカートという、センスのいい姿だった。

小柄で茶色の髪、何事も見逃さないような青い目をしている。

高名な学者でいながら、どこかにおずおずした学生時代の姿を感じさせるところがある。

そして、参加者たちに敬意を払っているのが感じられた。

さっそく話し始めたアーロンは、討論の題材として用意したサブトピックを5つ紹介し、参加者全員に第一希望から第三希望まで挙手させた。

そして、複雑な計算をまたたくまにやってのけ、希望者が多い順に三つ選んだ。

参加者たちはすなおに従った。

どのトピックが選ばれようが、問題ではなかった。

今ここにアーロンがいて、敏感さについて語ってくれること、そして、彼女が参加者たちの意向を汲んでくれたこと、それだけで十分だった。

一部の心理学者は、とっぴな実験をして名をあげる。

だが、アーロンのやり方は、他人の研究をまったく違う方向から考え直すことだった。

アーロンは少女時代に、「あまりにも敏感すぎる」と何度も言われた。

上の二人のきょうだいとはまったく違う性格で、空想を楽しみ、室内で遊び、傷つきやすい心を持った子どもだった。

成長して社会へ出るようになるにつれ、自分自身が世の中の典型的な行動様式からはずれているのに気付くようになった。

彼女はたったひとりで何時間も、ラジオもつけずにドライブできた。

非常に鮮明でまるで現実のような夢を、ときには悪夢を見た。

「奇妙なほど集中」することがあり、肯定的にせよ否定的にせよ感情が大きく揺れ動くことに悩んだ。

日常生活のなかに尊敬できるものを見出せず、そうしたものは空想の世界にだけあるように感じていた。

成長したアーロンは心理学者になり、たくましい男性と結婚した。

夫アートは、クリエイティブで直観力があり深く考える彼女の性質を愛した。

彼女自身もそうした性質を評価してはいたが、自分は「心の奥底に隠している致命的な欠陥を、表面上なんとか取り繕っている状態」なのだと考えていた。

欠陥がある自分をアートが愛してくれたのは奇跡だと思っていた。

ところが、あるとき仲間の心理学者から、あなたは「とても敏感な」人だと言われて、アーロンははっと気づいた。

その言葉は自分の謎めいた欠陥をずばりと言いあてていたのだが、言った当人は欠陥として評価していなかったのだ。

それは中立的な発言だった。

それ以降、アーロンは新しい視点から「敏感さ」と呼ばれる性質について研究をはじめた。

「敏感さ」に関する文献はほとんどなかったので、関連を感じた「内向性」についての資料を大量に読んだ。

高反応の子どもに関するケーガンの研究や、内向型の人が社会的・感覚的刺激に敏感な傾向があることに関しての一連の実験についても詳しく調べた。

それらの研究は彼女が求めているものを部分的には教えてくれたが、内向型のあらたな姿を浮き彫りにするには欠けている部分があると、アーロンは考えた。

「科学者にとって問題なのは、私たちは行動を観察しようとつとめるけれど、観察できない行動もあるという点です」とアーロンは説明する。

外向型の人は笑ったり、しゃべったり、身振り手振りで表現したりすることが多いので、彼らの行動を報告するのは簡単だ。

だが、「もし部屋の隅にじっと立っている人がいたとして、その人がそこでそうしている動機はいくらでも考えられるものの、心の中を知ることはできません」ということだ。

だが、一覧表にするのは難しいものの、内的行動もまた行動であるとアーロンは考えた。

それなら、パーティに連れていかれると必ず非常に居心地が悪そうにしているタイプの人々の、内的行動はいったいどんなものなのだろう?

アーロンはそれを解明しようと決心した。

まずアーロンは、内向型を自認する人と、さまざまな刺激に大きく動揺するという人の計39人と面接した。

好きな映画、最初の記憶、両親との関係、友人関係、恋愛体験、クリエイティブな活動、哲学観や宗教観などについて尋ねた。

その結果を基礎にして膨大な質問集をつくり、いくつかの大きな集団に対して実施した。

そして、被験者たちの回答を分析して、27の特質をまとめた。

彼女はこれらの特質を持つ人々を「とても敏感な人」と名づけた。

この27の特質の一部は、ケーガンらの研究でよく知られている。

たとえば、とても敏感な人は、行動する前に熱心に観察する傾向がある。

彼らは計画から大きくはずれない人生を送ろうとする。

見聞きすることや、におい、痛み、コーヒーなどによる刺激に敏感であることが多い。

たとえば職場やピアノの発表会などで他人に観察されたり、デートや就職面接で評価されたりするのが苦手だ。

だが、まったく新しい考えもある。

とても敏感な人は、物質的・享楽主義的であるよりも哲学的・精神主義的な傾向がある。

彼らは無駄話が好きではない。

自分をクリエイティブあるいは直観的と表現する(ちょうどアーロンの夫が彼女をそう表現したように)。

非常に詳細な夢を見て、翌朝になって夢の内容を思い出せる。

音楽や自然や天然の美を愛する。

激しい喜びや悲しみ、憂鬱、恐れなど、きわめて強い感情を抱く。

とても敏感な人は、自分の周囲の情報―物理的なものも感情的なものも―を詳細に処理する。

普通なら見逃してしまう微妙なことに気付く。

例えば、他人の感情の変化や、電球が少しまぶしすぎるといったことだ。

最近になって、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の科学者たちが、そうした発見を確かめる実験をした。

この実験は、18人の被験者に二組の似たような写真(フェンスと干し草の俵が写っている)を見せて、彼らの脳の働き具合をfMRIで観察するというものだ。

一組の写真ははっきりと違いがわかるが、もう一組は違いがかなり微妙な写真だ。

すると、敏感な人々のほうが微妙な違いの写真をじっくり時間をかけて見ることがわかった。

fMRIからも、画像と貯蔵された情報とを結びつける働きを司る部分がより活性化しているのがわかった。

つまり、敏感な人々はそうでない人々よりも入念に写真からの情報を処理していたのだ。

この研究はまだ新しく、結論を出すには条件を変えるなどしてさらに何度か実施する必要がある。

だが、高反応の小学一年生が絵合わせゲームや単語ゲームで低反応の子どもよりも時間をかけたという、ジェローム・ケーガンの実験結果とよく似ている。

そして、ストーニーブルック校の研究チームの責任者であるジャッジア・ジャギーローウィッツによれば、敏感なタイプの人はひどく複雑な方法で考えていた。

そのことは、彼らが雑談で退屈してしまう理由を説明するのに役立つかもしれない。

「もし、あなたが他人よりも複雑に物事を考えていたら、天気の話や休暇の旅の話は、道徳の価値について話すよりもおもしろくないでしょう」と彼女は言った。

もうひとつアーロンが気づいたのは、とても敏感な人は時として強く感情移入することだ。

それはあたかも、他人の感情や、世界で起きている悲劇や残虐な出来事と、自分とを隔てる境界が普通よりも薄いかのようだ。

彼らは非常に強固な良心を持つ傾向がある。

過激な映画やテレビ番組を避ける。

ちょっと間違った行動を取れば、どんな結果が生じるかを、鋭く意識する。

他の人たちが「重すぎる」と考える、個人的な問題のような話題に関心をそそぐことが多い。

自分が重大な核心に迫っているのをアーロンは悟った。

共感性や美に対する反応など、アーロンが敏感な人の性質としたものの多くは、心理学者が「調和性」や「開放性」といった性格特性の特徴としているものだった。

だがアーロンは、それらが敏感さの根本的な部分でもあると考えた。

彼女の発見は、性格心理学で認められた見解に挑むようなものだった。

アーロンは自分の発見を専門誌に発表したり、本に書いたり、講演で話したりしはじめた。

最初のうち、彼女はさまざまな困難に直面した。

講演を聴いた人々は、彼女の発想は魅力的だが、話しぶりに確固たる自信が感じられないと批判した。

それでも、アーロンはぜひとも自分の考えを知らしめたいと願った。

そして、批判に耐え、その道の権威らしい話し方を習得した。

アーロンが言う「とても敏感な人」は、まさにエレノア・ルーズベルトにぴったりあてはまる。

アーロンが自説を発表して以降、科学者たちの実験によって、敏感さや内向性に関連すると思われる遺伝子プロファイルを持つ人をfMRI装置に入れて、恐ろしい顔や事故現場や奇形や汚染現場などの写真を見せると、感情を司るうえで重要な役割を担う扁桃体が強く活性化することが実証された。

アーロンらの研究チームはまた、強烈な感情を示している人間の顔写真を見せられると、敏感な人はそうでない人よりも、感情移入に関連する脳の領域がより活発に働き、強い感情を抑制しようとすることをも発見した。

エレノア・ルーズベルトと同じように、「とても敏感な人」は他人が感じていることをわが事のように感じずにはいられないのだ。

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内気な若い女性がファーストレディに

1921年、フランクリン・ルーズベルトはポリオにかかった。

そして、後遺症のため車椅子生活を余儀なくされたことで大打撃を受け、田舎に引きこもって暮らそうかと考えた。

だが、エレノアは夫を励まして政治活動を続けるように勧め、自らは民主党の募金パーティで挨拶するなどして献身的に彼を支えた。

もともとエレノアは人前で話をするのを恐れ、得意でもなかった―声がかん高く、場違いなところで緊張のあまり笑ってしまうことさえあった。

だが、練習を積んで、なんとかスピーチをこなすようになった。

その後、ごく自然な成りゆきで、彼女は自分が目にしたさまざまな社会問題を解決するために働くようになった。

女性の人権問題の第一人者になり、物事を真剣に考える仲間を増やしていった。

フランクリンがニューヨーク州知事になった1928年には、エレノアは民主党の婦人局長をつとめ、アメリカ政界でもっとも影響力のある女性のひとりになっていた。

フランクリンの臨機応変の才とエレノアの良心とは、たがいに欠かせないものとしてみごとに機能した。

「社会の情勢について、おそらく私は夫よりもよく知っていました。

ですが、夫は政府についてよく知っていましたし、物事をよくするために政府をどう使えばいいのかもよくわかっていました。

そして、私たちはチームワークのなんたるかを理解するようになったのです」と、エレノアはいかにも彼女らしい謙虚な表現で回想した。

1933年、フランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領に就任した。

ちょうど大恐慌のさなかで、エレノアはアメリカ国内各地を訪問して、生活苦を嘆く市井の人々の声に耳を傾けた。

たった三カ月で四万マイルを走破したのだ。

他の要人には心を開かない人々も、エレノアには本心を吐露した。

彼女は持たざる人々の声をフランクリンに伝えた。

各地訪問から戻るたびに見聞を彼に伝えて、行動を求めた。

アパラチア地方の鉱山労働者の窮状を助ける政府プログラムの作成に尽力し、再雇用プログラムに女性やアフリカ系アメリカ人を含めるよう夫に強く働きかけた。

そして、マリアン・アンダーソンがリンカーン記念館広場で公演できるように助力した。

「フランクリンが忙しさのなかでともすれば見過ごしてしまおうとする問題について、エレノアは訴えつづけました。

彼女は彼の水準の高さを維持したのです。

彼の目をまっすぐ見つめて『いいですか、フランクリン、あなたがするべきことは・・・』と話しかけている彼女の姿を見た者はみな、けっして忘れませんでした」と、歴史家のジェフ・ウォードは言った。

人前で話すのが大嫌いだった内気な若い女性、公的な生活を愛するまでに成長した。

エレノア・ルーズベルトはファーストレディとしてはじめて、記者会見を開き、政党の全国大会で演説し、新聞に寄稿し、ラジオ番組に登場した。

その後も、国連代表団の一員として類まれな政治手腕を発揮し、国連で世界人権宣言の採択に大きく尽力した。

だが、彼女は傷つきやすさがもたらす苦しみから逃れることはなかった。

生涯ずっと、暗い「グリゼリダの気分」(中世ヨーロッパの物語に登場する忍従貞淑の妻にちなんで、彼女自身が名づけた)に悩まされ、「全身の皮膚をサイのごとく頑丈に」しようと苦闘した。

「内気な人間というものは一生内気なままなのでしょうが、それを乗り越える方法を学ぶのです」と彼女は語った。

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敏感さと良心

敏感さと良心とのつながりは、かなり以前から観察されてきた。

発達心理学者のグラツィナ・コハーニスカは、こんな実験をした―よちよち歩きの幼児に女性が玩具を手渡し、これは私の大好きな玩具なので大事にしてねとやさしく語りかける。

幼児はまじめな顔でうなずき、その玩具で遊びはじめる。

すると、じつはあらかじめ細工してあった玩具が、たちまち壊れてしまう。

女性は「あら、大変だわ!」と驚いた表情を見せる。

そして、幼児の反応を見るのだ。

大切な玩具を壊してしまったことで、一部の幼児はとくに強く罪の意識を感じていた。

彼らは顔をそむけ、自分の体をぎゅっと抱きしめ、自分が壊したと口ごもりながら告白し、顔を隠す。

罪悪感をもっとも強く抱くのは、非常に敏感で、高反応であり、内向的に育つだろうと思われる子どもだ。

彼らは特別に敏感で、物事に大きく動じやすいために、玩具を壊されてしまった女性の悲しみと、自分がなにかされるのではないかという不安の両方を感じるようだ(念のために付け加えるが、女性はすぐに「直した」玩具を持ってきて、大丈夫だと子どもを安心させる)。

私たちの文化では、罪悪感とは悪い意味を持つ言葉だが、良心を築く積み木のひとつだとも言える。

とても敏感な子どもが他人の玩具を壊してしまったと思い込んで不安を感じると、同じことをくりかえさないように動機づけされる。

コハーニスカによれば、四歳の時点で、そういう子どもは、見つからないと分かっている場合でもズルをしたりルールを破ったりすることが比較的少ないそうだ。

そして、6,7歳になると、両親の目から見て、共感などの道徳的特質が高レベルである例が多い。

また、おしなべて問題行動が少ない。

有益なある程度の罪悪感は将来的に利他主義や責任感、学校での適応行動、両親や教師や友人と協調的で有益な関係を築く能力を育てるのかもしれない」とコハーニスカは書いている。

2010年にミシガン大学で実施された研究によれば、大学生の共感性は30年前よりも40%も低下し、とくに2000年以降では低下が著しいというのだから、これはとても重要な発見だ(この研究の実施者たちは、共感性の低下はソーシャルメディアやリアリティテレビ番組や「極度の競争社会」と関係があると推論している)。

もちろん、そうした特質を持っているからといって、敏感な子どもたちは天使ではない。

ほかのみんなと同じく利己的な傾向も持っている。

よそよそしく、うちとけにくい性質を持っている場合もある。

また、アーロンによれば、恥ずかしいとか不安だとか否定的な感情に圧倒されると、他人のことを二の次にする場合もある。

だが、感受性の鋭さは、彼らの人生を苦しいものにすると同時に、良心を形づくる。

アーロンは、公園で出会ったホームレスに食事を与えるよう母親を説得した十代の子どもや、友人がからかわれたときに気分を害して泣いた八歳の子どもの話を紹介した。

敏感なタイプの人間が物語のなかにしばしば登場するが、おそらくそれは、作家自身が敏感な心を持った内向型であることが多いせいだろう。

作家のエリック・マルパスは著書『長い長いダンス』で、主人公である物静かで知的な作家のことを、「たいていの男よりも薄い皮膚で生きている。

さまざまなトラブルや人生のすばらしい美しさに、彼の心は他人よりも大きく揺すぶられた。

駆りたてられるようにしてペンを握り、心のうちを文章に綴った。

丘を歩いたり、シューベルトの即興曲を聴いたり、9時のニュースの画面に流れる残酷なシーンを目にしたりするたびに、激しく心を動かされた」と表現した。

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赤面する人とクールな人

皮膚が薄いというのは敏感な心を持つことの比喩だが、じつはそれは文字通りの意味を持っている。

一部の研究者たちは、皮膚の電気伝導度を測定して、騒音や強い感情などの刺激に対する発汗量を調べた。

その結果、高反応の内向型は発汗量が多く、低反応の外向型は少なかった。

低反応の外向型は、文字通り「皮膚が暑く」、刺激に鈍感で、反応はクールだった。

じつのところ、私が話を聞いた科学者たちによれば、社会的な「クール」という概念はここから来ている。

低反応の人ほど皮膚温度が低く、よりクールなのだ(ちなみに、社会病質者(ソシオパス)はこのクールさの指標では一番端に位置しており、覚醒レベルも皮膚の電気伝導度も不安も極端に低い。
ソシオパスは扁桃体に損傷があることを示す証拠がいくつかある)。

嘘発見器(ポリグラフ)は皮膚の電気伝導度の検査とも言える。

嘘をつくと不安を感じ、無意識に発汗するという理論を基盤としている。

クールなポーズというと、サングラスをかけ、飲み物のグラスを手にして平然としている、そういうイメージが思い浮かぶ。

そうした社会的なアクセサリーは、じつは偶然に選ばれたものではないのかもしれない。

濃い色のサングラスも、まさに記号表現として使われているのかもしれない。

なぜなら、いずれも過熱状態の神経系の信号をカムフラージュするからだ。

サングラスは驚きや恐怖で見開かれた目を隠す。

神経学者、ケーガンの研究からもわかるように、リラックスした体は低反応を示す。

そして、アルコールは抑制を解いて覚醒レベルを下げる。

心理学者のブライアン・リトルによれば、あなたがフットボールの試合観戦に行って、一杯どうだと誰かにビールを勧められるとき、「じつは相手は、『ハーイ、外向性を一杯どうだい』と言っている」のだという。

十代の若者たちは、本能的に「クール」の生理学を理解している。

カーティス・シテンフェルドの小説『プレップ』は、学校の寄宿舎に入った思春期の少女リーがさまざまな体験をする物語だ。

まじめで几帳面なリーは、学校一クールなアスペスの部屋へ思いがけず招かれる。

リーが最初に気付いたのは、アスペスの周囲が刺激に満ちていることだ。

「ドアの外まで大音量の音楽が響いていた」とリーは観察する。

「白く輝くクリスマスの飾りが灯され、四方の壁には天井からテープが垂れ下がり、北側の壁にはオレンジとグリーンの大きなタペストリーがかかっている・・・なんだか目がちかちかして気分がいらいらしてきた。

私がルームメイトと使っている部屋は静かでシンプルだし、私たちの人生も静かでシンプルに感じられた。

アスペスは生まれつきクールなのだろうか、それとも姉さんや従妹か誰かに教わったのだろうか」

アスリートの男性をエリートとみなす文化もまた、生理的な低反応とクールとの結びつき反映している。

初期のアメリカの宇宙飛行士たちにとって、心拍数の少なさ(低反応と関係している)はステータスシンボルだった。

アメリカ人ではじめて地球周回軌道にのった宇宙飛行士であり、のちに大統領予備選挙に出馬したジョン・グレンは、ロケット打ち上げ時に超クールな心拍数を保つことで宇宙飛行士仲間たちから賞賛されていた。

一分間110だったという。

だが、肉体的にクールでないことは、思いのほか社会的に貴重なのかもしれない。

人前で顔が紅潮することなどは、じつは一種の社会的な接着剤の役割を果たすのだ。

最近になって、心理学者のコリン・ダイク率いる研究チームがこんな実験をした。

まず、60人あまりの被験者に、たとえば交通事故の現場を見たのにそのまま立ち去ったというような道徳的に間違ったことや、他人にコーヒーをかけてしまったというような気恥しいことをした人々の体験談を読ませた。

そして、被験者にその体験談を書いた当人の写真を見せる。

写真の顔は、つぎの四種類のうちのいずれかの表情をしている―

  1. 恥ずかしい/決まりが悪い表情。
  2. 恥ずかしい/決まりが悪い表情で赤面している。
  3. ごく普通の表情。
  4. ごく普通の表情で赤面している。

つぎに、その写真の人物はどれくらい思いやりがあり信用できる人ですかと被験者に尋ねる。

その結果、赤面している人はしていない人よりもずっと好意的に判断されるとわかった。

これは、赤面が他人への関心を示す信号だからだ。

ポジティブな感情について研究しているカリフォルニア大学バークレー校の心理学者デーヘル・ケルトナーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙で、「ぱっと赤くなった顔は、『私は心配しています』『私は社会との契約に違反しました』と伝えている」と表現した。

赤面するかどうか自分ではコントロールできないので、高反応の人の多くがそれを非常にいやがるが、じつのところ社会的に役に立っているのだ。

ダイクは「意図的にコントロールするのは不可能だからこそ」、赤面は決まり悪さを感じていることの本物の信号なのだと推論する。

そして、ケルトナーによれば、決まり悪さは道徳に関わる感情だ。

謙遜や遠慮や、争いを避けて平和を求める心を示すものだ。

赤面することは恥じている人を孤立させるもの(すぐに赤面してしまう人はそう思いがちだが)ではなく、人々を結びつける働きをするのだ。

ケルトナーは人間が抱く決まり悪さの根源を求めるなかで、多くの霊長類が諍いの後に関係を修復しようとするときに、それを抱くのを発見した。

ほかにも彼らは人間と同じようなしぐさをした―視線をそらす、頭を垂れる、唇を引き結ぶ、など。

人間のこうしたしぐさは「献身の行為」と呼ばれるとケルトナーは書いている。

人間の表情を読む訓練をしたケルトナーは、ガンジーやダライ・ラマといった道徳的英雄の写真を研究して、彼らが抑制された笑みを浮かべて視線をそらしていることを発見した。

ケルトナーは著書『善人に生まれる』で、もしお見合いパーティでひとつだけ質問して相手を決めるのなら、「最近、決まり悪いと思った出来事はどんなことでした?」と尋ねればいいという。

そして、相手が唇を引き結び、顔を紅潮させ、視線をそらすかどうか観察するのだ。

決まり悪いという感情は、その人が他人の判断を尊重している証拠だ。

決まり悪さは、個人が人間どうしを結びつけているルールをどれくらい尊重しているかをあきらかにする」と彼は書いている。

要するに、配偶者になるかもしれない相手が他人の考えを尊重しているかどうかを確かめなさいということだ。

全然気にしないよりは気にし過ぎるほうがいいのだ。

進化のトレードオフ理論

赤面することがもたらす利益はさておき、敏感すぎるという性質はあきらかな疑問をもたらす。

敏感すぎる人は、いったいどのようにして進化の厳しい選別プロセスを生き残ってきたのだろうか?

もし、おしなべて大胆で積極的な人が栄えるとしたら(まさにそうだと感じられるときがある)、なぜ敏感すぎる人はオレンジ色のアマガエルのように何千年も前に淘汰されなかったのだろうか?

あなたは『長い長いダンス』の主人公のように、シューベルトの即興曲に人一倍深く心を動かされるかもしれないし、テレビ番組の残酷なシーンにショックを受けるかもしれない。

そして、他人の玩具を壊してしまったときに決まり悪さを感じる子どもだったかもしれない。

だが、そうした特質は進化によって選択されはしないだろう。

それとも、選択されてきたのだろうか?

エレイン・アーロンはこの点について、ある考えを持っている。

敏感さはそれ自体が選択されたのではなく、それに伴うことが多い慎重な思慮深さが選択されたのだと信じているのだ。

『敏感な』あるいは『高反応な』タイプは行動する前にじっくり観察して戦略を練る。

そのため、危険や失敗やエネルギーの無駄遣いを避ける。

これは『本命に賭ける』あるいは『転ばぬ先の杖』という戦略だ。

対照的に、逆のタイプの積極的な戦略は、完全な情報がなくても迅速に行動することで、リスクを伴う。

つまり、『早起きは三文の得』であり『チャンスは二度ない』から、『伸るか反るかの賭けに出る』のだ」と彼女は考える。

じつのところ、アーロンが敏感すぎると判断する人々の多くは、彼女が選定した27の特質のうちのいくつかを持っているが、全部は持っていない。

光や雑音には敏感かもしれないが、コーヒーや痛みには敏感ではないかもしれない。

各種の感覚の点では敏感ではないが、物事を深く考える内的生活が豊かなのかもしれない。

極端な場合、内向型でないかもしれない。

アーロンによれば、敏感すぎる人のうち内向型は70%だけで、残りの30%は外向型だそうだ(とはいえ、このタイプの人は、典型的な外向型よりも休息時間や孤独を多く求める傾向がある)。

このことは、敏感さが生存戦略の副産物として発生したためであり、その戦略をうまく進めるためには必ずしもすべての特質を必要とはしないのだと、アーロンは推論する。

アーロンの考えを支持する証拠はたくさんある。

昔の進化生物学者は、あらゆる種の動物はそれぞれの生態的地位(エコロジカル・ニッチ)に適応するように進化したのであり、それぞれのニッチごとに一連の理想的な行動があって、その理想からはずれる行動をとる個体は死滅すると考えていた。

だが、実際のところ、人間ばかりかほかの動物たちもみな、「慎重に様子を見るタイプ」と「行動あるのみタイプ」とに分かれるのだとわかった。動物界の100種類以上が、大雑把に言ってそんなふうに分かれている。

ミバエもイエネコもシロイワヤギも、マンボウもガラゴもシジュウカラも、とにかく数多くの種の仲間のうち、約20%が「エンジンのかかりが遅い」タイプであり、約80%が周囲の状況にあまり注意を払わずに危険を冒して行動する「速い」タイプだ(先に述べたケーガンの研究で「高反応」の子どもの割合が20%だったことを考えると、非常に興味深い)。

進化生物学者のデヴィッド・スローン・ウィルソンによれば、もし「速い」タイプと「遅い」タイプが一緒にパーティをすれば、「速いタイプの一部が自分ばかりしゃべってみんなを退屈させ、他の人々は目の前のビールのグラスを見つめて、自分は尊敬されていないと嘆くだろう。

遅いタイプは内気で敏感なタイプと表現される。

彼らは自己主張しないが、観察力が鋭く、威勢のいい人たちには見えないことに気付く。

彼らは、パーティで威勢のいい人たちには聞こえない場所で興味深い話をする作家やアーティストたちだ。

彼らは内向型であり、新しいアイデアを生み出し、威勢のいい人たちは彼らの行動を真似することで新しいものを盗むのだ」と書いている。

新聞やテレビ番組で動物の性格を取りあげて、臆病な行動は魅力がなく、大胆な行動こそ魅力的で望ましいとみなすことがある(それこそ人間みたいなミバエだ!)。

だが、ウィルソンはアーロンと同じく、両者は両極端な戦略を持っているのであり、それぞれに違うタイミング、違う形で成果をあげていると確信している。

これはいわゆる進化のトレードオフ理論であり、すなわち、よいことばかりの特質も悪いことばかりの特質もなく、生息環境しだいで生き残るための重要事項はさまざまに変化するということだ。

餌を調達に出かける頻度が少なく範囲も狭い「臆病な」動物は、エネルギーを温存し、傍観者的立場に身を置き、捕食者から逃れる。

率先して餌をさがしに出ていく大胆な動物は、食物連鎖の上位にいる動物に食べられてしまいやすいが、餌が少なくて危険を冒す必要がある状況で生き延びやすい。

ウィルソンは北米東部原産の淡水魚パンプキンシードが大量にいる池に金属製の罠を沈めてみた。

魚たちにとっては、それは目の前にUFOが着陸したような出来事だったのだろう。

大胆な魚はその正体を確かめずにはいられなかったようで、われ先に罠の中へ入り込んだ。

臆病な魚は賢明にも池の縁のほうでじっとして、なかなか捕まらなかった。

ところが、ウィルソンがようやく両タイプのパンプキンシードを捕まえて実験室へ持ち帰ったところ、大胆な魚はたちまち環境に順応して、臆病な魚よりも5日も早く餌を口にした。

「唯一最高の性格というものはない。むしろ、性格の多様性が自然選択によって守られたのだ」とウィルソンは書いている。

トレードオフ理論のもう一つの例としてグッピーがあげられる。

グッピーは自分が棲む場所の条件に合わせて、驚くほど急速に性格を変化させる。

彼らの天敵はカワカマスだ。

だが、たとえば滝の上流側にはカワカマスがいないとする。

そういう場所で生まれ育ったグッピーは、安楽な生活に順応した大胆でのんきな性質になる。

対照的に、滝の下流側の、カワカマスが泳ぎまわっている場所で生まれ育ったグッピーは、はるかに用心深い性質で、恐ろしい天敵から逃れようとするだろう。

興味深いのは、それぞれの性質は学習されるものではなく遺伝性であり、大胆なグッピーは危険な場所に移しても両親の性質を受け継いでいる。

用心深いグッピーとくらべて決定的に不利だというのに。

ただし、遺伝子が変異するのにさほど時間はかからず、子孫は用心深い性質となって生き残る。

逆もまた真なりで、用心深いグッピーをカワカマスがいない環境に移すと、同じような結果になる。

用心深いグッピーの子孫が心配事などなにもないかのように自由に泳ぎ回るのには、20年ほどもかかる。

大胆と臆病、速いと遅い

トレードオフ理論は人間にもあてはまるようだ。

外向性(つまりは新しいことを求める)に結びつく特定の遺伝子を受け継いだ遊牧民は、そうでない遊牧民よりも栄養状態がいい。

だが、定住民ではその逆である。

遊牧民を狩猟に駆りたて家畜を守らせるのに役立つ遺伝子が、畑を耕したり商売をしたり学習に集中したりするうえでは妨げになるのかもしれない。

あるいは、こんなトレードオフも考えられる。

外向型の人間は内向型よりも数多くの相手とセックスするが―自己の複製を望む種にとっては恩恵だ-不倫や離婚もより多く、それは子どもにとってはよくない。

外向型は内向型よりも運動量が多いが、内向型は事故に遭って重傷を負う確率がより低い。

外向型は他人からの支援のネットワークが広いが、犯罪率がより高い。

1世紀近く前にユングが推論したように、「一方外向型は繁殖力が強いが、防御力が弱く、各個体の寿命が短い。他方内向型は繁殖力が弱いが、自己保存のためのさまざまな手段を備えている」のだ。

トレードオフ理論はすべての種にあてはまるのかもしれない。

孤独な個体は自分のDNAを必死に複製しようとすると考えがちな進化生物学者のあいだでは、生き物は集団の生存を促進する特質を持つ固体を含んでいるという考えが熱心に議論されてきた。

この考えはしだいに認められつつある。

敏感さのような特質が進化してきたのは、同種の仲間とくに家族が、苦しんでいるときに思いやりを感じるためのものであるとする科学者もいる。

だが、そこまで考えるまでもないだろう。

アーロンが説明しているように、動物の集団は敏感な仲間のおかげで生存しているという見方は筋が通っている。

「アンテロープの群れを考えてみよう・・・群れのなかの数頭は、草を食べながらも定期的に顔を上げて、捕食動物が狙っていないかと周囲を見まわす。

そうした敏感で注意深い個体がいる群れは生き残る確率がより高く、それゆえに、その群れのなかでは敏感な個体が生まれ続ける」とアーロンは書いている。

人間でも同じことなのではないだろうか。

アンテロープの群れが敏感な個体を必要とするように、私たちはエレノア・ルーズベルトのような人間を必要としているのだ。

「大胆」と「臆病」、「速い」と「遅い」という表現に加えて、生物学者は「タカ」と「ハト」という言葉で動物の特質を表現する。

たとえば、シジュウカラのなかには特別に攻撃的な個体がいて、まるで国際関係論の事例研究のような行動を取ることがある。

シジュウカラはブナの実を食べるが、実が少ない年には、競争相手を蹴散らす「タカ派」の雌が有利になる。

だが、実がたっぷりついた年には、子育てに熱心な「ハト派」の雌が有利になる。

なぜなら、タカ派はたいした理由もなく争いばかりしていて、時間と健康を無駄にしてしまうからだ。

それに対して、雄のシジュウカラは逆のパターンになる。

これは、雄の主要な役割が餌を見つけることではなく、縄張りを守ることだからだ。

ブナの実が少ない年には、飢えて全体数が減るので、全員が十分な縄張りを得られる。

そこで、「タカ派」の雄は、餌が多い年の雌と同じ罠にはまる―たがいに争って命を無駄にする。

実がたっぷりついた年には巣作りのための縄張り争いが激化し、攻撃的な「タカ派」の雄が有利になるのだ。

内向型の上手な戦略

戦時下や恐怖の時代―人間にとってはブナの実が少ない年の雌のシジュウカラに相当する―には私たちは攻撃的な英雄を求めるようだ。

だが、もし人間が戦士ばかりで、戦争以外のウイルス病とか気候変動といった、静かに忍び寄る危険に誰も気づかなかったなら、いったいどうなるだろう?

元副大統領のアル・ゴアが数十年間続けている、地球温暖化に関する啓発活動について考えてみよう。

ゴアは多くの点からして内向型だ。

「100人規模のレセプションやイベントに内向型の人間を送り込むと、戻ってきたときにはエネルギーがすっかり減少している。

ゴアはイベントのあとには休息が必要だ」と、当時の補佐官が言っている。

ゴアは「政界の人々の多くは背中を叩かれたり握手したりすることでエネルギーを吸収するが、私はアイデアを話し合うことでエネルギーを吸収する」と言った。

だが、そうした思考への情熱と緻密さへの関心―どちらも内向型の人がしばしば備えている性質だ-が一緒になるととても強い力を発揮する。

1968年、ハーバード大学の学生だったゴアは、化石燃料の使用と温室効果との関係性について訴えた著名な海洋学者の授業を受けた。

そして、この問題に深い関心を寄せた。

ゴアは自分が知ったことを世の中に広く伝えようとした。

だが、人々は耳を傾けようとはしなかった。

それはあたかも、彼の耳には警報ベルが大きく鳴り響いているのに、他の人々にはまったく聞こえないかのようだった。

「1970年代半ばに、私は議会で地球温暖化に関する最初の公聴会を開こうと尽力した」と、ゴアはアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『不都合な真実』の中で回想している。

人々が地球温暖化に関心を持たないことが、ゴアには不思議でたまらなかったようだ。

「私は議会がこの重大な問題に反応するに違いないと信じていた。だが、そうではなかった」と彼は書いた。

だが、もし当時のゴアが、ケーガンやアーロンの研究について知っていたなら、議会の反応の薄さにそれほど驚かなかっただろう。

それどころか、性格心理学による洞察力を駆使して、議員たちを説得しようとしたかもしれない。

議会は国じゅうでもっとも敏感でない人々から成り立っていると、彼は気づいたことだろう。

議員というものは、もし彼らがケーガンの研究対象にされた子どもだとしたら、目の前に奇妙なピエロやガスマスクをつけた女性が突然現れても、後ろに控えている母親に助けを求める視線を送ることなく、つかつかと近寄っていくに違いない。

ケーガンの研究に登場した、内向的なトムと外向的なラルフという人がいた。

議会はラルフの集まりだ。

そもそもラルフのようなタイプの人間向きにつくられているのだ。

トムのような人間の大半は、選挙キャンペーンの計画やロビイストとのおしゃべりに時間を使いたいとは思わない。

もちろん、ラルフのような議員たちは人間的にはすばらしい―精力的で、恐れを知らず、説得力に溢れている―のだろうが、はるか遠くの氷河にある小さな亀裂の写真を見せても、これは大変だと思ったりはしない。

彼らに耳を傾けさせるには、もっと差し迫った刺激が必要だ。

警告を特殊効果満載の劇的なドキュメンタリー映画にする能力を持つハリウッドと手を組んで、ゴアはようやくメッセージを広く伝えることができた。

ゴアは『不都合な真実』の宣伝活動に全力をそそいだ。

全米各地の映画館へ足を運んで観客に語りかけ、テレビやラジオで無数のインタビューに応じた。

地球温暖化の問題についてのゴアの主張は非常に明快で、それが逆に政治家としての存在感を薄れさせた。

ゴアにとって、複雑な科学的パズルに取り組むのは自然なことだった。

ひとつのことに情熱をかけるのは、つぎつぎに違う話題へと飛び移るよりも自然だったのだ。

気候変動の話題となると、人々への語りかけもごく自然だった。

ゴアは政治家というよりも地球温暖化問題のカリスマとなった。

それは、この問題に人々の関心を集めるという使命が、彼にとっては政治ではなく、良心の声に導かれたものだったからだ。

「これは地球の生存に関わる問題です。地球が人間の住めない場所になってしまえば、選挙で勝とうが負けようが誰も気にしないでしょう」と彼は言う。

もし、あなたが敏感なタイプならば、政治家のようなふりをして、実際よりも用心深くない単純な人間を装って暮らしているのかもしれない。

だが、ぜひとも考え直してほしい。

あなたのような人間がいなければ、私たちは文字通り溺れてしまうのだ。

内向性と外向性のバランス

さて、ウォーカー・クリーク牧場へと話を戻せば、この敏感な人々の集まりでは、外向型の理想型やクールであることを尊ぶ風潮は、まったく通用していなかった。

「クール」とは人間を大胆で動じない態度に傾かせる低反応なのだとしたら、エレイン・アーロンの元へ集まった人々は、クールにはほど遠かった。

会場の雰囲気はとにかく独特で、驚くべきものだった。

まるでヨガ教室や仏教寺院のような空気が漂っていたが、人々を結びつけているのは宗教でも世界観でもなく、同じ気質を共有していることだった。

アーロンが講演をしているときに、それははっきり感じられた。

とても敏感な人々の前で講演するときはいつも、ふだんの講演会とは全く違って、会場が静かで人々が耳を傾けているのがよくわかるとアーロンは言っていたが、まさにそのとおりだった。

しかも、その状態は週末のあいだずっと続いた。

「お先にどうぞ」とか「ありがとう」という言葉を、あれほど多く耳にしたのははじめてだった。

サマーキャンプのように戸外の長い共用テーブルに並んで食べる夕食の時間、人々はたがいに会話の糸口をさがしはじめた。

子ども時代の体験や成人してからの恋愛のような個人的な話題から、医療制度や気候変動といった社会的な話題まで、みんな一対一で話している。

場を盛り上げるためにひとり語りをしている人はほとんどいない。

誰もが相手の話を注意深く聴き、よく考えて答えていた。

敏感な人々が穏やかな口調で話すのは、自分もそういう口調で話しかけてほしいからだと、アーロンは気付いていた。

ウェブデザイナーをしているミシェルは、まるで強い風を避けるかのように両腕を体に巻いて、前のめりになり、「外の世界では、なにか言っても、相手がその話にちっとも関心を持ってくれないこともある。

ここでは、なにか言えば、誰かが『それはどういうこと?』って訊いてくるわ。

それに、誰かに何か質問すれば、ちゃんと答えてくれる」と話した。

この集まりのリーダーをつとめるストリックランドは、無駄話がまったく存在しないわけではないと見ている。

ただし、それは会話の最初ではなく、終わりにあるのだ。

一般には、初対面の人と話をするとき、おたがいにリラックスするためにちょっとした無駄話をしてから、本題へと入っていくものだ。

敏感な人々は、その逆を実践しているようだ。

「彼らはおたがいのことをある程度わかってから、無駄話を楽しむ。
自分らしさを生かせる環境にいれば、普通の人たちと同じように笑ったり無駄話をしたりする」とストリックランドは説明する。

最初の晩、食後に参加者たちは学生寮のような自室へとゆっくり移動した。

ある人は心のうちで自分を元気づけた。

本を読んでからゆっくり眠りたいところだけれど、きっと枕投げ(サマーキャンプのお約束)や騒々しい飲み会ゲーム(大学では必ずあった)が待っているんだわ、と思っていた。

だが、ウォーカー・クリーク牧場では、そうではなかった。

ルームメイトになった雌ジカのような大きなやさしい目をした27歳の秘書の女性は、作家志望だそうで、夜は静かに日記を書いて過ごすと言った。

もちろん、この週末のあいだ、緊張が走る瞬間が一度もなかったわけではない。

あまりにも無口で、まるで怒っているように見える人もいた。

自分のことは自分でという方針のせいで、みんながてんでんばらばらの行動をとるために、孤独を感じることもあった。

じつのところ、「クール」と呼ぶような行動があまりにも欠けていて、誰かがジョークを言ったり、笑いを起こしたり、ラム・コークを手渡してくれたりするべきじゃないかと、きっと誰でもそう思うだろう。

本当のところ、参加者の一人はそれまで、敏感なタイプに必要十分な空間を求めながらも、愛想のいい愉快な仲間とのやりとりを楽しんでいたのだ。

世の中に「クール」な人がいてくれることをありがたいと感じ、彼らを懐かしく思いながらその週末を過ごした。

もしかしたら、他の参加者たちも心の奥でそう感じていたのではないだろうか。

エイブラハム・リンカーン似のソフトエンジニアであるトムは、友人にも初対面の人には誰にでも自宅を開放していた昔のガールフレンドの話をしてくれた。

その女性はあらゆる点で冒険的だったそうだ。

新しい食べ物に挑戦したり、知らない人と友達になったりするのが好きだった。

結局二人はうまくいかなくなったけれど、その彼女と過ごせたことに感謝していると言った。

トムは外の世界との関係よりも自分たち二人の関係をもっと大事にしてほしいと願うようになり、現在ではそういうタイプの女性と幸福に暮らしている。

トムと話しているうちに内向型のエリはニューヨークの家にいる夫のケンが恋しくなった。

彼は敏感さには縁遠いタイプだ。

時々、それがストレスになることもある。

エリがなにかに共感や不安を強く感じて涙ぐんでいると、その様子を見て彼は心を動かされるのだが、エリがあまりに長時間そんな状態でいるとイライラする。

けれど、彼が少々のことには動じないでいてくれるのはとても助かるし、一緒にいられるのはこのうえない喜びだ。

彼はすばらしい魅力の持ち主だ。

際限なく楽しい話をしてくれる。

なにをするにも誠心誠意、真剣に取り組む彼を、誰もが愛している。

だが、なによりも、エリは彼が示す思いやりを愛している。

ケンは攻撃的になることもあって、1週間でエリの一生分の攻撃性を発揮することもあるけれど、それは他人を思いやってのことなのだ。

出会う前、彼は国連に勤めていて、世界中の紛争地帯で戦争捕虜や抑留者の解放交渉にあたっていた。

悪臭を放つ監獄へ踏み込んで、基地司令官の胸にマシンガンを突きつけ、レイプの被害者であるなんの罪もない少女を釈放するように要求したこともあった。

その仕事を何年も続けた後、帰郷した彼はそれまで目にしたことを、怒りを込めて本や原稿に書いた。

敏感な人間のスタイルでは書かなかったので、多くの人の怒りを買った。

だが、彼は魂を込めて書いたのだ。

ウォーカー・クリーク牧場での週末は、誰もが穏やかに話してけっして実力行使には出ない、敏感な人々の世界を忘れられないものにするだろうと思っていた。

だが、実際には、エリの心の奥底にあるバランスを求める気持ちをいっそう強めた。

エレイン・アーロンならばきっと、このバランスは私たちの自然な状態なのだと言うだろう。

少なくとも私たちのようなインド・ヨーロッパ語族の文化においてはそれが言えるのだろう。

私たちの文化では、人々は「戦士の王たち」と「僧職の助言者たち」とに分かれ、行政の支部と司法の支部とに分かれている。

言い換えれば、大胆で親しみやすいフランクリン・ルースベルトと従順なエレノア・ルーズベルトとに分かれているのだ。