もっと自由にありのままに生きてもいいからしがみつくのはもうやめる

理想と現実のギャップのカラクリ

ひまわりの種をまくと、ひまわりが咲きます。

今、あなたの目の前で、ひまわりの花が咲きました。

あなたがひまわりの種をまいていたからです。

でも、あなたはずっと、チューリップの花が咲いてほしいと思っていました。

この「理想と現実のギャップ」のことを、我々は「悩み」と言います。

自分はチューリップがほしかったのに、なぜか咲いたのはひまわりだった。

もしくは、チューリップが咲くはずだったのに、気がついたらひまわりが咲いていた。

これは問題です。

そう考えたとき、我々はなんとかして、咲いたひまわりを無理やりチューリップにしてみせようとします。

でも、もちろん、ひまわりはひまわりだから、チューリップにはなりません。

それなのに、「チューリップにならないのは、なぜ!?絶対、おかしいでしょ。」と言って苦労をする。

このしんどさを、僕たちはおかしなことに「悩み」と呼んでいるのです。

「そうなんだ」と、ただ受け止める

では、どうしてそのような事態が起こったのか。

ひまわりが咲いたということは、昔、ひまわりの種を意図せずとも自分が確かにまいていたのだということ。

「ひまわりの種をまいた」という原因があったから、「ひまわりが咲く」という結果が生じたわけです。

そして、このひまわりを前にして、どうすればいいのかというと、「ああ、ひまわりが咲いたね」と認めてやる。

それしかないのです。

「じゃあ、ひまわり、お前、今からチューリップになれ」と無茶を言うのではなく、ひまわりが咲いた、という事実をただ受け止める。

でも、私はチューリップがほしかった。

しかし、今ひまわりが咲いた。

そんなときは、これはこれとして置いておいて、「さあ、チューリップの種をまきにいこう」と新しい行動に移す。

そうしたら、しばらく経てば、ちゃんとチューリップの花が咲きます。

だから、自分の目の前で起こった出来事に対して、それがいいとか悪いとか、変に解釈を加えようとしないこと。

さらには「ああしよう、こうしよう」と無理にこねくりまわして、「自分の思い通りに変えてやろう」としないこと。

ひまわりの種をまいたから、ひまわりが咲いた。

それを「そうなんだ」と、ただ受け止める。

それだけでいいのです。

つまり、悩みを前にして、「何もしないでおこう」ということも、大切な心の持ち方なのです。

そして、「自分はどうしてチューリップじゃなくて、ひまわりの種をまいていたんだろう」というところに答えがあるのです。

適当に手を抜くことを覚える

先日、テレビを見ていたら、子役からキャリアをはじめて、もう四十年以上も活躍されているという今もテレビに引っ張りだこのタレント、坂上忍さんがインタビューを受けていました。

その番組で、「四十年間、芸能界で生き残るために意識していることはなんですか」と聞かれた彼は、「適当に手を抜くことだね」と答えていました。

「だって、必死だと圧迫感がすごいでしょ」とも。

そしてさらに、「芝居なんかだと、稽古は一所懸命やる。そして本番はいい感じに手を抜く」と一言おっしゃる。

「では、バラエティーに出たときはどうなんですか」

さらに手を抜く」とのことです。

しがみついていると自由になれない

「手を抜く」って、今の日本じゃ悪いことみたいに考えられています。

ですが、言い換えると-。

「心と体をゆるめて、リラックスする」

「よく見せよう、こうするべき、という考えから自由になる」ということです。

「しがらみ」「監視」「脅迫」から自由になると、緊張が解けて本来のパフォーマンスができます。

坂上さんは他にも、「仕事は、頑張ってやらない」「〇月以降は、もう仕事しない」「休むと決めたら、絶対に休む」

などと話されていて、本当に自由な意識で仕事に向かっているんだなぁと感心しました。

そこには「恐れ」がまったくありません。

「必死の人」「必死にしがみついている人」「必死に頑張っている人」とは、「前提」がまったく違うのです。

自我を抑えると他でほころびが出る

「批評・批判されること」=嫌われること、痛い目に遭うこと、仕事を失うこと、笑われること、自分の能力の低さが露呈すること。

そんな”悪い妄想”で心がいっぱいになるほど、手を抜けなくなります。

必死に役に立とう、必死に期待に応えようと、頑張ることしか知らなかった。

そんなに頑張らなくても、自分は十分、すばらしいのに・・・。

「手と心を、込めすぎる」と、「自我」「我欲」でいっぱいになって、「他力」が流れ込んでくるのを阻害してしまいます。

「なんか楽しいことが言えたらいいなー、この人が楽になれたらいいなー、でもスベってもいいし、活躍できなくてもいいし・・・。」と思う。

それが自分が一番輝く方法であり、我々のまわりの人が輝く方法でもあると信じているから。

あなたはどんな怖さに怯えている?

「お前はオバケを見たことがあるのか」と言われたら、見たことはありません。

見たことがないのに怖い、それはおかしい。

どうしてかというと、「怖いぞ」というイメージを刷り込まれたからです。

学生時代の夏休みシーズンには、テレビで必ず、いわゆる心霊番組をやっていました。

怪談、心霊写真、ホラーが満載の番組です。

オバケを見たこともないのに、そのイメージに洗脳されて、「オバケというのは、きっと怖いものなんだ。オバケは呪いや祟りなど、そういう恐ろしいことをするものなんだ!」

ということを頭に植え付けられたのです。

マイナスの想像をくい止めるには

「これをしたら、怒られるのではないか」「嫌われるのではないか」「変な奴だと思われるのではないか」「面白くないやつだと思われるのではないか」

実は、頭の中にあるオバケのイメージと、こうした「恐れ」は、同じようなもの。

これまでの人生で誰かから「怖いよ、恐ろしいよ・・・。」と植え付けられてしまったものです。

それは思い込みの怖さかもしれない

頭の中に入っている「怖い」ものは、実はあなたの頭の中だけにしか実在しない、オバケみたいなものです。

「自分は何か成果を出さないと、役に立たないやつだと思われているはずだ」

「絶対、冷たいやつだと思われているはずだ」というオバケ。

どうか安心してください。

それはオバケです。

現実にはまったく、存在していないものなのです。

「これは自分だけの想像なんだ、幻だ、オバケみたいなものなんだ」そう理解するためには、実際に行動を起こして確かめてみるしかありません。

たとえば、「ここでしゃべらないと、面白くないやつだと思われるのではないか」

そんな怖い想像を終わらせるためには、「しゃべらない」ことを実践するしかありません。

「違うんだ、自分の頭の中の怖い想像とは、まったく違う現実があるんだ」ということに気づくには、怖くてもそれを実際にやってみる。

そうすることで、「いかに自分が架空のものを怖がっているか」に気づいてほしいのです。

過保護・過干渉が相手の力をうばう

我々はつい、他人や目の前の出来事に対して、自分の期待通りになるよう、あれやこれやと働きかけようとします。

あるいは、相手を大切に思えば思うほど、「よかれ」という親切な気持ちから、「何か自分にできることはないか?」「してあげられることはないか?」と必死で探そうとしたりします。

たとえば、子育て。

お母さんという生き物はいつも、子どもに「勉強しなさい」「あれをしなさい、これをしなさい」と言って、うるさく世話を焼きたくなります。

ましてや子どもが学校で何かトラブルを起こすようなことがあると、「どうしたらいいの!?」と、深刻に頭を悩ませるでしょう。

あるいは、会社での部下の教育。

上司として「こいつを早く一人前にしてやりたい」と思うほど、細かくアドバイスをしたり、頻繁に呼びつけては仕事の様子を聞き出したりと、何かと「指導」をしたくなるものでしょう。

結果が出るのを、気長に見守る

けれど、これからは、子どもの学校の成績が悪くても、学校に行かなくても、問題を起こしても、何もしない。

部下が仕事にてこずっていても、失敗しそうでも、心配で仕方がなくても、何もしない。

「そんなことしてたら失敗するよ」「こうしないとダメだよ」とも言わない。

何もしない代わりに「見守る」のです。

ただ、相手を信じて、側にいて見守る。

結果が出るのを見守る。

そして、出た結果に対して、どうのこうの言わない。

相手が自分自身の力で出した「結果」を静かに受け止めて、それによってものごとが進んでいくのを、ただ、ひたすら見守るのです。

手を出したくなることをグッとこらえる

なかなか見守れずに手を出したくなるのは、「自分もそういう失敗をしてきた。自分もこういう嫌な思いをしてきた。だから、きっと目の前のあの子も、そういう嫌な思いをするはずなんだ」と勝手に決めているからです。

そして、「あの人も、何かにつまずいて嫌な思いをしたら、自分と同じように苦しかったり、つらかったり、長年悩んだりするのではないか」と勝手に推測して決めつけてしまっています。

もしかしたら、あなたが心配していた通り、相手は目の前で転ぶかもしれない。

膝をすりむいて、痛い思いをするかもしれない。

派手に失敗をして、落ち込んでしまうこともあるかもしれない。

それでも、その人が自分で考えて、行動した結果が出たのだと、受け止めて見守る。

そして、どのような結果が出ても、「その人は大丈夫なんだ」と信じる。

それが、とても大事なことなのです。

「何もしない」とは「見守る」こと。

「見守る」とは、「あの子は、あの人は、何があっても大丈夫だ」と信じること。

十のうちの三までしか教えなくても、人は残りの七、もしくはそれよりもっと大きいものを、自分で学び取ると信じるのです。

そして、もう一つ。

「あの子」「あの人」が失敗することで「自分」に迷惑がかかることを、人はひそかに恐れていたりもするのです。

だから、そうならないようについ、前もって口を出してしまう。

そこで「私は、あの人から迷惑をかけられても何があっても大丈夫だ」と信じることも、「何もしない」「見守る」ということなのです。

「何もしない」「見守る」「信じる」「求めない」「あの人」も「自分」も見守る。

これを「新しい行動の基準」として、みなさんの中にも取り入れてもらえるとうれしいと思います。

情けない自分を感じる大切さ

何をやっても、うまくいかない。

何をやっても苦しい。何をやっても問題が解決しない。

誰しもそんなときが、長い人生の中にはあるのかもしれません。

そんなときは、いったいどうすればいいのでしょうか。

カウンセリングを受けても、本を読んでも、いろいろ試してみても、ずっと苦しい。

楽にならない、うまくいかない、助けてほしい。

何もかもうまくいかない、何を試してみても苦しい。

そんなときには、どうすればいいか。

逃げると、追いかけてくる

もっと効果的な方法を探す、もっと別のカウンセラーのところに行く・・・そんなことを繰り返している場合じゃないのです。

そんなことよりも何よりも、その苦しみを、そのうまくいかない自分を、そのうまくいかない情けない自分を、もっともっと感じてください。

みじめな自分。情けない自分。悲しい出来事。受け入れてもらえない自分。愛されない自分。言えない自分。逃げてしまう自分。ひどいことをされる自分。むくわれない自分。

そんな自分のことを、「反省しろ」ということではないのです。

ただ、ただ、
ああ、自分はこうなんだな・・・
と、思いきり感じてみてください。

一刻も早く楽になりたい、すぐにでも苦しみを取り除きたい、なんて甘いです。

そんなふうにして、自分のことから目をそむけて、本当の気持ちをごまかして、見ないようにして逃げ続けてきたから、今、苦しくなっている。

だからもう、逃げない。

もう認める。

もう感じる。

今は、そのための時間なのです。

単位を取ることができたら、次に進むことができる

”ダメな自分”を、きちんと感じて受け止める。

その「単位」を取らないから次に進めない。卒業できない。

何もせず、ひたすら「ちゃんと感じる」。

じゃあ、いつまで感じていればいいのかというと、「終わるまで」です。

「笑えるまで」です。

必ず終わりはくるのです。

嵐と同じです。

もう「救い」を求めている場合ではないのです。

そこまでちゃんと感じきれたら、自分はちゃんと笑える人間なんだと、そのときはじめて、自分のことを信じられるようになるのです。

苦しくても、苦しくても、ちゃんと感じてみる。

そして、逆に今まで自分一人で頑張りすぎてきた人は、もういい加減、誰かを信じて、助けを求めてみよう。

「助けて」って口に出してみよう。

「助けてもらえる自分」を信じてみよう。

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感情に振り回されないようになる

渡り鳥って、寒い冬を暖かいところで過ごし、暑い夏を涼しいところで過ごすために、その季節ごとに場所を選んで、大空を渡っていきます。

快適に生き延びるための智恵ですよね。

ところが、これを”感情面”でやってしまって、苦しくなっている人がたくさんいるのです。

人生には、晴れの日もあれば、曇りの日もある。

雨の日もある、風の日もある。

暑い日もあれば、暖かい日もあり、凍てつくような寒い日もある。

でも、「私、雨が嫌い」とずっと雨を嫌って、晴れの日ばかりを求めていると、植物も育たないし、いろんなものが乾いてしまう。

順番にやってくる、晴れ・曇り・雨・風・暑さ・寒さ。

順番にやってくる、喜び・楽しさ・気持ちよさ・豊かさ。そして、怒り・悲しみ・悔しさ・痛み・苦しみ-。

これらを一つひとつ、受け止めていく。

「悲しみ・苦しみ・痛みはヤダ!避けて通りたい!」と言っていると、喜び・気持ちよさ・優しさも、逃げていきます。

だから、一つひとつ受け止めていく。

一つひとつ、やり過ごしていく。

なんとかしようとしない思考

逃げられない大災害や、病気や不幸に遭遇したときの心構えについて、こと「感情」や「問題」に関しては、「なんとかしようとしないこと」も大切だったりします。

ただ、やってくる災難。

ただ、やってくる悲しみ、苦しみ。

それを「なんとかしよう」「解決しよう」と、もがくのではなく、「ああ、悲しいなぁ」「ああ、苦しいなぁ」「ああ、大変だなぁ」と「ただ、感じる」。

「ほう、そうか」とただ、受け入れる。

「仕方がないねぇ」とただ、受け入れる。

悲しみ、痛み、不快を逃れて渡る、感情の渡り鳥にならないよう、一つひとつ、じっくりと感じていってみませんか。

まとめ

理想と現実のギャップは幼少期に期待されすぎたから起こる。

適度に手を抜くことをすると楽に生きられる。

恐怖は逃げると逃げたぶんだけ大きくなっていく。
逃げないで正面から向き合うと楽になる。

過保護・過干渉は相手の力を奪ってしまう。

情けない自分を感じることから始める。

感情に振り回されないためには、なんとかしようとしないこと。