内向型と外向型、対照的な二つの性質

静かなる不屈の精神

アラバマ州モンゴメリー。

1995年12月1日夕方、バス停で市営バスが停まり、きちんとした身なりの四十代の女性が乗り込んだ。

彼女の名前はローザ・パークス。

地元のデパートの換気が悪い地下にある仕立屋で、一日中アイロンがけをして疲れているにもかかわらず、背筋をぴんと伸ばしている。

足はむくみ、肩はこわばって痛んでいた。

有色人種用の席の一番前に座って、彼女は乗客たちが乗ってくるのを静かに眺めていた。

ところが、運転手が白人に席を譲れと彼女に命令した。

そのときパークスが発した一言は、全米に広がる公民権運動の契機となり、より良いアメリカを導く第一歩となったのだ。

その言葉は「ノー」だ。

運転手は警察を呼んで逮捕させるぞと彼女を脅した。

「どうぞ、そうなさい」パークスは答えた。

警官がやってきて、なぜ席を譲らないのかと訊いた。

「どうして私が罪に問われなければいけないの?」彼女は簡潔に訊き返した。

「知るもんか。とにかく、法律は法律だ。おまえを逮捕する」警官が言った。

パークスが市条例違反で罰金刑を宣告された日の午後、モンゴメリー向上協会が町一番の貧困地域にあるホルトストリート・バプテスト教会で集会を開いた。

パークスの勇気ある孤独な行動を支持する5000人が集まった。

教会内から人が溢れ、外の人々はラウドスピーカーから流れる声に耳を傾けた。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「鉄のごとき弾圧に踏みつけにされるのを終わりにするときが来た。

七月の太陽の照る人生から押し出されて、冷気が肌を刺す11月の高山に取り残されるのを、終わりにするときが来たのだ」と群集に語りかけた。

キング牧師はパークスの勇気を称え、彼女を抱きしめた。

彼女はただ黙って立っていたが、それだけで群集を活気づかせた。

この集会はその後381日間も続く市営バスのボイコット運動へとつながった。

人々は何マイルも歩いて通勤したり、知らない人と車を相乗りしたりした。

そして、アメリカの歴史を変えたのだ。

ローザ・パークスは、たとえバスいっぱいの乗客から睨まれてもびくともしないような、大胆な性格の堂々とした女性だろうと、私は思い込んでいた。

だが、2005年にパークスが92歳で亡くなったとき、たくさん出た追悼記事はどれも、静かな語り口のやさしい女性で小柄だったと書いていた。

記事は彼女を「臆病で内気」だが「ライオンのごとく勇敢」としていた。

「徹底した謙虚さ」と「静かなる不屈の精神」という言葉があちこちで見かけられた。

物静かで、そのうえ不屈の精神を持つとは、どういうことだろう?

いったいどうすれば、内気でかつ勇敢でいられるのか?

パークス自身もこの矛盾に気付いていたらしく、自伝の題名を『静かなる力強さ』としている。

私たちの思い込みに挑戦するような題名だ。

静かで力強い人というのは例外的なのか。

物静かな人は、じつは思いがけない面を秘めているのだろうか。

■参考記事
内向型と外向型はどこが違う?
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
内向型の子育て

内向型の人の活躍

私たちの人生は性別や人種だけでなく、性格によっても形づくられている。

そして、性格のもっとも重要な要素は、ある科学者が「気質の北極と南極」という言葉で表現した、内向・外向のスペクトルのどこに位置しているかである。

この連続したスペクトルのどこに位置しているかが、友人や伴侶の選択や、会話の仕方や、意見の相違の解消方法や、愛情表現に、影響をもたらす。

どんな職業を選んで、その道で成功するか否かを、左右する。

運動を好むか、不倫をするか、少ない睡眠で働くか、失敗から学べるか、株相場に大きく賭けるか、短期的な満足を求めないか、優秀なリーダーになるか、起きるかもしれないことをあれこれ想像するか、といったさまざまな性質を決定づける。

さらに脳の神経回路や神経伝達物質や神経系の隅々にまでしっかり反映されている。

現在では、内向性と外向性はパーソナリティの分野で徹底的に研究されているテーマのひとつであり、数多くの科学者の興味をそそっている。

そうした研究者たちは最新機器の助けを得て、つぎつぎに画期的な新発見をしているが、その背後には長時間かけて形成された膨大な蓄積がある。

人類の歴史が記されるようになってこのかた、詩人や哲学者は内向型と外向型について考えてきた。

いずれの性格タイプも、聖書やギリシア・ローマの医者の記述に登場し、この二つの性格タイプの歴史は有史以前にまで遡れるとする進化生物学者もいる。

動物たちの世界にも「内向型」と「外向型」があるというのだ。

男らしさと女らしさ、東と西、リベラルと保守といった補助的な組み合わせと同じように、この二つの性格タイプがなければ、人類は特別な存在にはならずに衰退しただろうと考えられているのだ。

ローザ・パークスとキング牧師との協力関係を考えてみよう。

バスのなかで白人に席を譲るのを拒んだのが、パークスのように、よほどの緊急事態でないかぎり沈黙を好む控えめな女性ではなく、堂々たる雄弁家の男性だったら、人々にそれほどの影響力をもたなかったかもしれない。

そして、もしパークスが公民権運動に立ちあがって「私には夢がある」と語ったとしても、キング牧師のように一般大衆を鼓舞することはできなかったろう。

だが、キング牧師がいたから、彼女は演説をする必要がなかったのだ。

だが今日、社会が求める性格タイプはごく狭い範囲に設定されている。

成功するには大胆でなければならない、幸福になるには社交的でなければならないと、私たちは教えられる。

私たちはアメリカを外向型人間の国家として見ている―それは必ずしも真実ではない。

どの研究を見ても、アメリカ人の三分の一から二分の一は内向型である。

言い換えれば、あなたの周囲の人々のうち二、三人にひとりは内向型なのだ(アメリカが有数の外向型の国のひとつだとすれば、世界にはもっと内向型の比率が高い国々がある)。

あなた自身が内向型でないとしても、家族や学校や職場には必ず何人か思い当たるだろう。

もし、三分の一から二分の一という統計に驚きを感じるのなら、それはたくさんの人が外向型のふりをしているからだ。

隠れ内向型は、学校の運動場や高校のロッカールームや大企業の廊下に気付かれずに生息している。

なかには、自分自身までもすっかり騙していて、なんらかのきっかけで、たとえば、失業、子どもの親離れ、遺産が転がり込んで時間を好きに使えるようになったなどで、ふと自分の本来の性格に気付く人さえいる。

多くの内向型がそれを自分自身にまで隠しているのには、それなりの理由がある。

私たちは、外向型の人間を理想とする価値観のなかで暮らしている。

つまり、社交的でつねに先頭に立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられる、そんな自己を持つことが理想だと、多くの人が信じているのだ。

典型的な外向型は、熟慮よりも行動を、慎重を期すよりもリスクを冒すことを、疑うよりも確信することを好む。

たとえ悪い結果を招くかもしれないと思っても、すばやい意思決定を優先する。

チーム行動を得意とし、グループ内で社交的にふるまう。

私たちは個性を尊重すると言いながら、ひとつの特定のタイプを賞賛しがちだ。

その対象は「自分の存在を誇示する」のを心地よく感じるタイプなのだ。

もちろん、テクノロジー分野の才能があって自宅のガレージで起業するような人なら、一匹狼だろうとどんな性格だろうと許されるが、それはあくまでも例外で、そういう特例として認められるのは大金持ちか、そうなると約束されている人たちだけだろう。

内向性は、その同類である感受性の鋭さや、生真面目さ、内気といった性格とともに、現在では二流の性格特性とみなされ、残念な性格と病的な性格の中間にあると思われている。

外向型を理想とする社会で暮らす内向型の人々は、男性優位世界の女性のようなもので、自分がどんな人間かを決める核となる性質ゆえに過小評価されてしまう。

外向性はたしかに魅力的であるがゆえに、押しつけられた基準になってしまっていて、そうあるべきだ、と大半の人々が感じている。

外向型の人間を理想とすることについては、この問題にだけ集中した研究はないものの、数多くの研究で言及されてきた。

たとえば、おしゃべりな人はそうでない人よりも賢く、容姿がすぐれ、人間的に魅力があり、友人として望ましいと評価される。

同じ力学は集団内でも適用され、会話の多い人は少ない人よりも賢いと判断される―口達者だから名案を考えつくという関連性はまったくないのにもかかわらず。

内向的という言葉そのものさえ、汚名を着せられている。

心理学者のローリー・ヘルゴーの非公式な実験によれば、内向型の人は自分の外見について問われると、「緑青職の瞳」「異国的な」「高い頬骨」といったように、生き生きとした言葉で描写したのに、内向的な人間について一般的な特徴を表現してくださいと指示されると、「扱いにくい」「中間色」「肌荒れやにきび」といったありきたりで否定的な表現で答えた。

だが、外向型の人間を理想とする考えを、そのまま鵜呑みにするのは大きな間違いだ。

進化論からゴッホのひまわりの絵、そしてパソコンにいたるまで、偉大なアイデアや美術や発明の一部は、自分の内的世界に耳を傾け、そこに秘められた宝を見つけるすべを知る、物静かで思索的な人々によるものだ。

たとえば、内向型の人々がいなければ、つぎのようなものはどれも存在しえなかった。

  • 重力理論(サー・アイザック・ニュートン)
  • 相対性理論(アルベルト・アインシュタイン)
  • 詩「再臨」(W・B・イェイツ)
  • ショパンのノクターン(フレデリック・ショパン)
  • 『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト)
  • ピーター・パン(J・M・バリー)
  • 『1984年』と『動物農場』(ジョージ・オーウェル)
  • 『キャット・イン・ザ・ハット』(ドクター・スースことシオドア・ガイゼル)
  • チャーリー・ブラウン(チャールズ・シュルツ)
  • 『シンドラーのリスト』『E・T』『未知との遭遇』(スティーブン・スピルバーグ)
  • グーグル(ラリー・ペイジ)
  • ハリー・ポッター(J・K・ローリング)

科学ジャーナリストのウィニフレッド・ギャラガーが書いているように、「刺激を受けたときに急いで反応するのではなく立ち止まって考えようとする性質がすばらしいのは、それが古来ずっと知的・芸術的偉業と結びついてきたからである。

アインシュタインの相対性理論もミルトンの『失楽園』も、パーティ好きな人間による産物ではない」のだ。

金融、政治、各種の活動など、内向型の影が比較的薄い領域でも、大躍進の一部は内向型の偉業だ。

ところが、現代社会では、もっとも重要な施設の多くは、集団での活動と高レベルの刺激を好む人々向けに設計されている。

たとえば学校の机はグループ学習がしやすいように小集団に分けて並べられることが多くなっており、これは調査によれば、教師の大半が外向的な生徒こそ理想的だと考えているからだ。

テレビドラマの主人公は「ゆかいなブレディ家」のシンディ・ブレディや「ビーヴァ―ちゃん」のヴァー・クリーヴァーのような「ありふれた隣の家の子」ではなく、「シークレットアイドル・ハンナ・モンタナ」のハンナや「アイ・カーリー」のカーリー・シェイのように、ロックスターやインターネット番組の主役であり、公共放送サービスPBSの幼児向け科学番組「シド・ザ・サイエンス・キッド」でさえも、幼稚園の子どもたちがみんなでダンスするところから一日がはじまる。

大人になればなったで、私たちの多くはチームで動くことを推奨する組織に入り、壁のないオープンなオフィスで、「対人スキル」をなによりも重要視する上司のもとで働く。

キャリアを高めるためには、臆面もなく自分を売り込まなければならない。

研究のために資金提供を受ける科学者たちは、自信たっぷりというか、おそらくは自信過剰な個性の持ち主であることが多い。

現代アートの美術館に作品を飾られるアーティストたちは、画廊のオープニングに奇抜な姿で現れる。

作家はかつて人間嫌いな種族として認められていたが、現在ではトークショーに出演するのが当然とみなされている。

あなたが内向型なら、物静かな性質に対する偏見は心を大きく傷つけることがあるのをご存知だろう。

子どもの頃、あなたが内気なのを親が残念がっているのを耳にしたことがあるかもしれない。

あるいは、学校で「殻に閉じこもっていないで、もっと元気に」とハッパをかけられたかもしれない。

このいやな表現は、自然界には殻をかぶったままどこへでも移動する動物もいるのだから、人間だって同じなのだという事実を認識できていない。

「おまえは怠け者だとか、頭が悪いとか、グズだとか、子どもの頃に言われたことが今でもまだ耳の奥に残っています。

自分はたんに内向的なだけなのだと理解する年齢になる以前に、自分は本質的にどこかが間違っているのだという考えがすっかり染み付いていました。

今でもそんな疑いがほんの少しでも残っていたら、きれいさっぱり取り除きたいです」と、<内向型人間の避難所>というメーリングリストのメンバーは書いている。

大人になっても、夕食の誘いを断って好きな本を読みたいと思うときに、あなたはかすかな罪の意識を感じるかもしれない。

あるいは、レストランでひとりで食事するのを好み、周囲の人々からかわいそうにという目つきで見られても意に介さないかもしれない。

あるいはまた、物静かで知的な人に対してよく使われる、「あれこれ考えすぎる」という言葉を浴びせられることがあるかもしれない。

言うまでもなく、そういうタイプの人間を表現するには、「思索家」という言葉がふさわしい。

■参考記事
内向型人間の楽になる人付き合い
内向型の人の仕事が楽になる方法
内向型の自分で楽に生きる方法
生まれ持った内向性を大事に育む
内向型の人が楽に生きる方法

内向型の人が活躍する例

内向型が自分の能力を正当に評価するのがどれほど難しく、それを成し遂げたときにどれほどすばらしい力を発揮するか、あるセラピストは見てきた。

10年以上にわたって、法人顧問弁護士から大学生、ヘッジファンド・マネジャー、夫婦など、さまざまなタイプの人に交渉スキルを教えてきた。

もちろん、その内容は交渉前の準備からはじまって、最初のオファーを提示するタイミング、相手が「イエスかノーか決めてくれ」と迫ったときにどう対応するべきかといった基本的なものだ。

けれども同時にセラピストは、クライアントが自分の生まれ持った性格を知り、それを最大限に活用する方法を身につけるのを手助けしてきた。

最初の頃のクライアントに、Rさんという女性がいた。

Rさんはウォール街の弁護士だが、物静かで夢見がちな性格だった。

注目されるのが苦手なうえに攻撃されるのも嫌いだった。

彼女は円形劇場を思わせる広い階段教室で授業をするハーバード大学ロースクール(法科大学院)での厳しい試練をなんとか乗り越えたわけだが、授業中に緊張のあまり吐いたことがある。

社会に出て職に就いたものの、顧客企業の代理として期待に応えて激しく主張できるかどうか、強い不安を感じていた。

最初の三年間、下っ端のうちは、自分の能力を確かめる機会がなかった。

だが、あるとき上司の弁護士が休暇をとったので、重要な交渉案件を任されることになった。

顧客である南米の製造会社は銀行ローンの債務不履行に陥ろうとしていて、貸し付け条件の再考について交渉を望んでいた。

相手方はローンを融資している銀行団だった。

交渉の場に臨んだRさんはテーブルの下に隠れてしまいたい衝動にかられたが、そんな衝動と闘うのには慣れていた。

神経質さを感じさせながらも、勇気を奮って中央の椅子に座り、その両側に製造会社の法務担当役員と財務担当責任者が着席した。

この二人は偶然にも彼女の好きなタイプの人物だった。

丁寧で柔らかな口調は、彼女の事務所の取引先によくいる「宇宙の支配者タイプ」とはまったく違っていた。

以前から、この法務担当役員をプロ野球の試合へ招待したり、財務担当責任者と買い物に出かけて彼女の妹のハンドバッグを一緒に選んだりしたこともあった。

だが、そうしたくつろいだ外出、Rさんも楽しめる種類の社交は、はるか遠くの出来事のように感じられた。

テーブルの向こう側には仕立てのいいスーツを着て高価な靴を履いた硬い表情の投資銀行家が9人、そして、いかにもやり手らしい角ばった顎の溌剌とした女性弁護士。

あきらかに自分を疑うことなど知らないタイプの女性弁護士は、銀行団の申し出がRさんの顧客にとってどれほどすばらしい条件かを滔々と語った。

これはとても寛大な提案ですと彼女は断言した。

その場の全員がRさんの発言を待ったが、彼女はなにをいうべきかまるで考えつかなかった。

そこで、じっと座っていた。

まばたきをしながら。

視線が彼女に集まった。

両側にいる顧客が椅子の上でもぞもぞ体を動かすのが感じられた。

彼女の思考はいつものようにぐるぐる回っていた。

私はこんな仕事をするには静かすぎるし、消極的すぎるし、思索的すぎる。

彼女はこういう仕事にぴったりな人物を思い浮かべた。

大胆で口達者でテーブルをどんと叩ける人。

中学生の頃、そういう人はRさんと違って、「社交性に富んでいる」と褒められ、クラスメイトのなかでは女の子でいえば「美人」よりも、男の子でいえば「スポーツ万能」よりも、格上にみなされていた。

そんな思いを振り切り、Rさんは覚悟を決めて、いまこの場を切り抜けさえすれば、明日になったら別の仕事を探せばいいのだからと自分に言い聞かせた。

そして、彼女はセラピストがくりかえし言った言葉を思い出した。

あなたは内向型だから、内向型なりの独自の交渉力を備えている―それはあまり目立たないかもしれないが、力強さの点で他人にひけをとらない。

おそらく、あなたは誰よりも準備を重ねているはず。

語り口は静かだが、しっかりしている。

考えなしにしゃべることはまずない。

柔らかい物腰を保ちながらも力強く、時には攻撃的とさえ思える立場に立って、理路整然と話す。

そして、たくさん質問をし、答えに熱心に耳を傾ける。

これはどんな性格かに関わらず、交渉に強くなる秘訣なのだ。

そこで、Rさんはついにこの天賦の才を使いはじめた。

彼女は訊いた。

「ワンステップ戻ってみましょう。そちらの数字の根拠は?」
「ローンをこのとおりに構築したら、上手くいくと思いますか?」
「本当にそうでしょうか?」
「ほかの案はありますか?」

最初のうちは、ためらいがちに質問していた。

だが、進むにつれて流れに乗り、口調に迷いがなくなり、下調べは十分してきたので事実を追及するぞという姿勢をはっきりさせた。

それでも、自分のスタイルは変えず、声を大きくすることもなく礼儀正しさも失わなかった。

銀行側が議論の余地はないと言わんばかりの主張を繰り返しても、Rさんはひるまなかった。

「それが唯一の方法だとおっしゃるのですか?別のアプローチをしてみたらどうでしょう?」

そうするうちに、交渉スキルの教科書に書いてあるとおり、Rさんの簡潔な質問の数々がその場の雰囲気を変えてきた。

とても手に負えないと彼女が感じていた銀行側の人々は高飛車に演説をぶつのをやめて、ちゃんとした会話が成り立つようになった。

話し合いが続いた。

だが、合意には達しなかった。

銀行団のひとりがまたもや声を張りあげ、書類を叩きつけて勢いよく部屋から出ていった。

Rさんはそれを無視した。

どうすればいいかわからなかったのが、その大きな理由だった。

それこそ「柔道なら技が決まった瞬間」だと、あとからある人に言われたのだが、Rさんにしてみれば大声でやかましくしゃべる人たちの世界で生きる静かな人間として、ごく自然な行動をとっただけだった。

最終的に、両者の合意が成立した。

銀行団は去り、Rさんの大切な顧客は空港へ向かい、Rさんは自宅へ帰って、その日の緊張を解こうと、本を抱えてソファに丸まった。

翌朝、相手側の弁護士が―いかにもやり手らしい角ばった顎の女性弁護士が―Rさんに仕事を依頼する電話をかけてきた。

「あなたみたいに感じがよくて、しかもタフな人に出会ったのははじめてよ」と女性弁護士は言った。

その翌日、銀行団の幹事役が、自分の銀行を彼女の事務所に担当してもらえないかと電話で打診してきた。

「自己主張に邪魔されないで交渉事にあたってくれる人材が必要なんだ」と彼は言った。

Rさんは自分なりの静かなやり方で、こうして新しい仕事を引き寄せたのだ。

声を張りあげたりテーブルを叩いたりする必要はなかった。

現在では、Rさんは内向性が自分とは切り離せないものなのだと理解し、思索的な性質を喜んで受け入れている。

静かすぎるし控えめすぎると自分を責める声が、頭のなかを駆け巡ることもあまりなくなった。

その気になれば誰にも屈しないでいられることを、Rさんは知っているのだ。

セラピストがローラは内向型だと言うとき、それは正確にはどんな意味だろう?

最初に知りたかったのは、研究者たちが内向型と外向型をどう定義しているかということだった。

1921年、著名な心理学者カール・ユングが『心理学的類型』と題した衝撃的な本を刊行して、「内向型」「外向型」という言葉を軸にした性格理論を世の中に知らしめた。

ユングによれば、内向型は自己の内部の思考や感情に心惹かれ、外向型は外部の人々や活動に心惹かれる。

内向型は周囲で起きる出来事の意味を考え、外向型はその出来事に自分から飛び込んでいく。

内向型はひとりになることでエネルギーを充電し、外向型は十分に社会で活動しないと充電が必要になる。

ユングのタイプ論を基礎にした性格診断テストである<マイヤーズ・ブリッグズ・タイプ指標>は、全米の大学や<フォーチュン1000>企業の大半で採用されている。

では、現代の研究者たちはどんなことを言っているだろうか。

調べるとすぐに、外向型・内向型に関する万能の定義はないとわかった。

誰もが納得する普遍的な説明は存在しないのだ。

たとえば、性格心理学の特性五因子論(人間の性格は煎じ詰めれば五つの主要な特性の組み合わせであるとする)を信奉する者たちは、内向型を内面生活の豊かさとはとらえず、積極性や社交性が欠けているとみなす。

内向型と外向型の定義は、まるで性格心理学者の数ほど存在するかのようで、そのうちのどれが正しいかについては侃々諤々の議論がある。

ユングの考えは時代遅れだとする者もいれば、彼だけが唯一正しいとする者もいる。

とはいえ、最近ではいくつかの重要な点で合意に達しているようだ。

そのひとつは、内向型と外向型とでは、うまく機能するために必要な外部からの刺激のレベルが異なるという点だ。

たとえば、内向型は親しい友人とワインをほどほどに飲むとか、クロスワードパズルを解く、読書するといった低刺激が「ちょうどいい」と感じる。

外向型は初対面の人に会うとか、急斜面でスキーをする、ボリュームを上げて音楽を聴くといった高刺激を楽しむ。

性格心理学者のデヴィッド・ヴィンターは、典型的な内向型の女性が休暇をクルーズ船でのパーティではなく海辺で読書をして過ごすという例をあげて、その理由について説明してくれた。

「クルーズ船のパーティでは人々は興奮しています。

脅威、恐れ、愛といったさまざまな感情を増幅させている。

100冊の本や100粒の砂にくらべると、100人の人間はとても刺激レベルが高いのです」

内向型と外向型は行動の点でも違うと、多くの心理学者が考えている。

外向型はすばやく行動する。

すばやく、時には性急に決定をくだし、一度に複数のことをこなしたり、リスクをとったりすることも平気だ。

金銭や地位などの報酬を「求めるスリル」が楽しいのだ。

一方、内向型はゆっくりと慎重に行動することが多い。

一度にひとつの作業に集中するのを好み、すばらしい集中力を発揮できる。

富や名声などの誘惑に惹かれることは比較的少ない。

私たちの性格はまた、人付き合いのスタイルをも左右する。

外向型はディナーパーティーに活気をもたらし、あなたのさほど面白くもないジョークに大声で笑ってくれる。

積極的で、主導的で、仲間を強く求める。

考えをそのまま口に出し、即座に実行する。

聴くよりもしゃべるほうを好み、言葉に詰まることはめったになく、思ってもいないことを衝動的に口にしてしまうことがある。

他人と衝突するのはいとわないが、孤独は大嫌いだ。

対照的に、内向型は社交スキルが豊かでパーティや仕事のつきあいを楽しむ人もいるにはいるが、しばらくすると、家でパジャマ姿になりたいと感じる。

限られた親しい友人や、同僚や、家族との関係に全エネルギーをそそぎたいと思っている。

しゃべるよりも聴くほうを好み、ゆっくり考えてからしゃべり、会話よりも書くほうが自分をうまく表現できると感じることが多い。

衝突を嫌う傾向がある。

無駄話にはぞっとするが、深い対話を楽しむ。

内向型は隠遁者や人間嫌いと同義語ではない。

なかにはそういう内向型もいるかもしれないが、大部分はとても友好的だ。

もっとも人間味のある英語のひとつは、あきらかに内向型の作家E・M・フォースターが、どうすれば「人間の至高の愛」を達成できるかを探究した『ハワーズ・エンド』の扉に書いた、「ただ結びつけるだけ!」という有名な序辞だ。

内向型だからといって内気ともかぎらない。

内気とは刺激が強すぎない環境を好む性質である。

内気は本質的に苦痛を伴うが、内向性はそうではない。

二つの概念が混同される理由のひとつは、重なり合う部分が存在するからだ(重なりの程度についてはさまざまな議論がある)。

「内向型・外向型」「情緒安定・情緒不安定」という二つの観点から性格をとらえて、内向型・外向型のスペクトルを横軸に、不安・安定のスペクトルを縦軸にして図式にする心理学者もいる。

このモデルによれば、性格型は「安定した外向型」「不安な(衝動的)外向型」「安定した内向型」「不安な内向型」の四種類に分けられることになる。

つまり、人並みはずれたパーソナリティの持ち主でありながらひどいステージ恐怖症だったバーブラ・ストライサンドのように内気な外向型もいれば、人と交わらず他人の意見に惑わされることもないビル・ゲイツのように、内気ではない内向型もいるのだ。

もちろん、内気で内向型という人もいる。

内気な人の多くは不安をもたらす可能性のある社交的なときあいからの避難所を求めて、自己の内面に向かう。

そして、内向型の多くは内気であるが、それは内省を好むのはなにかがおかしいという世間一般の考え方に影響されたせいでもある。

また、生理学的に見て高刺激の環境から離れざるをえない体質を持っているせいでもある。

だが、違いがいろいろあるものの、内気と内向性には深い共通点がある。

会議の席で黙って座っている不安な外向型の心理状態は、安定した内向型とは大きく違うのだろう。

内気な人はしゃべるのを恐れ、内向型はたんに過度の刺激が苦手なのだが、外見上は区別がつかない。

内向型・外向型についてよくよく考えると、私たちは社会の先頭に立つことを重要視するあまりに、善良さや知性や思慮深さに目を向けなくなっていることが分かる。

内気な人や内向型の人は、それぞれに違う理由から、発明や調査研究や重病人の手を握るといった表舞台からは見えにくい仕事を選んだり、あるいは、静かなる有能さを発揮するリーダーになったりしている。

いずれも社会の先頭に立つ役割ではないが、それでもやはり彼らが手本となる存在であることに変わりはないのだ。

■参考記事
内向型の人間がスピーチをするには
なぜクールが過大評価されるのか
内向型と外向型の考え方の違い
なぜ外向型優位社会なのか
性格特性はあるのか
内向型と外向型の上手な付き合い方
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内向型の人の特徴

もし自分が内向型・外向型のどちらに属しているのかよくわからないのなら、つぎの質問に答えてみよう。

質問にあてはまると思えば〇、あてはまらないと思えば×と答え、迷ったら比較的近いと感じるほうを選ぼう。

  1. グループよりも一対一の会話を好む。
  2. 文章のほうが自分を表現しやすいことが多い。
  3. ひとりでいる時間を楽しめる。
  4. 周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないようだ。
  5. 内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話し合うのは好きだ。
  6. 聞き上手だと言われる。
  7. 大きなリスクは冒さない。
  8. 邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ。
  9. 誕生日はごく親しい友人ひとりか二人で、あるいは家庭だけで祝いたい。
  10. 「物静かだ」「落ち着いている」と言われる。
  11. 仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めたりしない。
  12. 他人と衝突するのは嫌いだ。
  13. 独力での作業で最大限に実力を発揮する。
  14. 考えてから話す傾向がある。
  15. 外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じる。
  16. かかってきた電話をボイスメールに回すことがある。
  17. もしどちらか選べというなら、忙しすぎる週末よりなにもすることがない週末を選ぶ。
  18. 一度に複数のことをするのは楽しめない。
  19. 集中するのは簡単だ。
  20. 授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式が好きだ。

●これは科学的に立証された性格テストではありません。質問はすべて、現代の研究者が内向型の特性と認めた要素をもとにつくられています。

〇の数が多いほど、あなたが内向型である確率は高い。

もし〇と×の数がほぼ同数ならば、あなたは両向型かもしれない―両向型というのも本当に存在するのだ。

だが、たとえ内向型に一方的に偏った結果が出たとしても、例外なくあなたの行動が予測できるというわけではない。

女性はみんな意見調整がうまく、男性はみんな体をぶつけ合うスポーツが好きだと一概には言えないように、内向型はなんな本の虫で、外向型はみんなランプジュエードをかぶってパーティーに登場するとはかぎらない。

ユングがいみじくも言ったように、「完璧な外向型も完璧な内向型も存在しない。そういう人間がいるとしたら精神病院だろう」。

このことは、ひとつには人間が一人ひとり素晴らしく複雑なせいであるが、内向型にも外向型にも多様な種類があるせいでもある。

内向性や外向性は私たちが持つほかの性格特性や個人の経験と作用し合って、多種多様な人間をつくりあげる。

つまり、同じ内向型とは言っても、男の子全員をフットボール選手にしたいと願う父親に育てられた芸術好きのアメリカ人男性と、灯台守の両親に育てられたフィンランド人のキャリアウーマンとは、まったく異なるだろう。

ちなみに、フィンランドは内向型が多いことで有名だ。

こんなフィンランド流ジョークがある。

「フィンランド人に好かれているかどうか、どうしたらわかるの?」「彼が自分の靴じゃなく、あなたの靴をじっと見つめたら、間違いないわ」

多くの内向型は同時に「過度に敏感」でもある。

この言葉は詩的に聞こえるかもしれないが、心理学で実際に使われている表現だ。

敏感な人は普通の人よりも、ベートーベンのソナタに深く聴き惚れたり、スマートな言い回しや特別な親切に強く感動したりしがちだ。

暴力や醜悪なものを目にしたり耳にしたりするとすぐに気分が悪くなりがちだし、道徳心が強いことが多い。

子どもの頃は「内気」だと言われ、大人になってからも他人から評価されるのが苦手で、たとえば人前で話すとか、はじめてのデートとかではいたたまれない気分になるだろう。

内向型のうちどれくらいが過度に敏感かは正確にわかっていないものの、敏感な人の70%は内向型で、残りの30%は長時間の「休息」が必要だろいう。

このように内向型の定義は複雑で一筋縄ではいかないので、もしあなたが自分は正真正銘の内向型だと判断しても、ここに記したすべてがあてはまるとはかぎらない。

たとえば、内気と敏感さについてお話しするのだが、あなたはそのどちらにもあてはまらないかもしれない。

それはそれでいい。

まずは自分にあてはまる部分を頭に入れて、残りは他人との関係を向上させるために活用しよう。

内向型の特質

厳格な定義は専門家にとっては欠かせないものだ。

なぜなら、彼らは内向性と他の特質とをはっきりと区別するところから研究をはじめるからだ。

現代の心理学者たちは、脳を画像で調べる神経科学者たちの協力を得て、私たちが世界を、そして私たち自身を見る目を変えるような驚くべき発見をしてきた。

彼らはつぎのような質問に答えている。

よくしゃべる人と慎重に言葉を選ぶ人がいるのはなぜか?

仕事に没頭する人と同僚の誕生パーティを企画することに没頭する人がいるのはなぜか?

権威をふるうのが好きな人と、命令するのもされるのも嫌いな人がいるのはなぜか?

私たちの文化が外向的な人を好むのは自然のなせるわざか、それとも社会的に決められたことなのか?

進化論的見地からすれば、内向性は人類のためになるから選択されて生き残ってきたはずだ。

だとしたら、その理由は?

もしあなたが内向型ならば、自分にとって自然に感じられる行動だけにエネルギーをそそぐべきか、それともRさんが交渉のテーブルでしたように背伸びするべきなのか?

新しい自分を見つけることは、人生を変える効果を生み出す。