内向型の人間がスピーチをするには

生まれ持った気質は消えない

神経画像・精神病理学研究ラボの責任者であるカール・シュワルツ博士は著名な心理・生理学者、ケーガンの同僚であり弟子でもあり、彼の研究は性格に関するケーガンの長期的研究が残した分野を拾い上げている。

ケーガンが高反応・低反応と分類した乳児たちはすっかり成長していて、シュワルツは彼らの脳の内部をfMRIで調べている。

ケーガンは乳児期から思春期まで研究を継続したが、シュワルツはその後なにが起こるかを知りたかったのだ。

成長して大人になった彼らの脳に、幼い頃の気質が残したなんらかの足跡を見つけられるのだろうか。

それとも、環境と意図的な努力とによって、跡形もなく消え去ってしまっているのだろうか。

おもしろいことに、ケーガンはシュワルツがこの研究に取り組むことに賛成しなかったそうだ。

科学研究という競争が熾烈な領域では、重要な発見をもたらしそうにない研究のために時間を無駄にすることは許されない。

そして、ケーガンはそうした発見がないことを心配した。

気質と運命とのつながりは、乳児が成長するあいだに断たれてしまうだろうと考えたのだ。

シュワルツはケーガンが生後四ヵ月から継続して観察した高反応の子どもたち(現在はすっかり成長している)に、このスライドショーを見せてデータを取った。

その結果、乳児期に高反応だった子どもたちは、低反応だった子どもたちよりも、見知らぬ人の顔写真に敏感に反応したという。

つまり、成長しても高反応・低反応の痕跡は消えなかった。

10代後半になって、高反応グループの一部は社交的な若者に成長していたものの、遺伝子の遺産は消え去ってはいなかったのだ。

シュワルツの研究は重要な事実を示唆している。

性格を変化させることはできるが、それには限度があるのだ。

年月を経ても、生まれ持った気質は私たちに影響をもたらす。

性格のかなりの部分は、遺伝子や脳や神経系によって運命づけられている。

とはいえ、高反応の子どもたちの一部に柔軟性が見られたことは、その逆もまた真だと示している。

私たちには自由意志があり、それを使って性格を形づくれるのだ。

この二つはたがいに矛盾するように思われるが、じつはそうではない。

シュワルツ博士の研究が示すように、自由意志は私たちを大きく変えるが、それは遺伝子が定めた限界を超えて無限にという意味ではない。

どんなに社交術を磨いてもビル・ゲイツはビル・クリントンにはなれないし、どんなに長くコンピュータの前に座っていても、ビル・クリントンはビル・ゲイツにはなれないのだ。

このことは、性格の「輪ゴム理論」と呼べるかもしれない。

私たちは輪ゴムのようなもので、自分自身を伸ばすことができるが、それには限度があるのだ。

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そのとき脳内で起こっていること

高反応の人の反応を理解するには、カクテルパーティに出席して初対面の人々に挨拶しているときに、私たちの頭のなかでどんなことが起きているかを考えるとわかりやすいだろう。

ここで鍵となる扁桃体と大脳辺縁系は、脳のなかでも古い部分であり、原始的な哺乳類も備えている器官だ。

だが、哺乳類がより複雑になるにつれて、辺縁系の周囲に大脳新皮質と呼ばれる部分が進化した。

この新皮質、とくに前頭全皮質と呼ばれる部分は、歯磨きのブランドを選んだり、会議を計画したり、真実について考えたり、驚くほどさまざまな機能に関わっている。

そのひとつが根拠のない不安をやわらげることだ。

もし、あなたが高反応の赤ん坊だったなら、人生のあいだずっと、カクテルパーティで初対面の人に挨拶するたびに、あなたの扁桃体は低反応の人のそれよりも少しばかり活発に働くことだろう。

けれど、そんな場面で、もしリラックスしていられるようになったなら、それは、あなたの前頭全皮質が落ち着いて笑顔で握手しなさいと命じているおかげなのだ。

じつのところ、最近のfMRIを使った研究によって、私たちが自分を落ち着かせようとしているとき、前頭全皮質の働きが活発化するとともに扁桃体の活動が低下することがわかっている。

だが、前頭全皮質は全能ではない。

扁桃体の働きをすっかり止めることはできない。

ある研究で、科学者たちはまず、ネズミに決まった音を聞かせるたびに電気ショックを与えた。

その後、ネズミが恐怖を忘れるまで、電気ショックを与えずに何度も音を聞かせた。

だが、この「逆学習」は科学者たちの予想に反して成功しなかった。

ネズミの新皮質と扁桃体との神経のつながりを絶つと、ネズミはふたたび音を怖がるようになった。

すなわち、恐怖は新皮質の働きによって抑えられていたが、扁桃体には存在していたということだ。

高所恐怖など、人間が正当な根拠のない恐怖を抱く場合にも、同じことが言える。

エンパイヤステートビルに何度も昇ることで恐怖は消えるように思えるが、ストレスを与えられると恐怖はぶり返す―新皮質がストレス対応で手一杯になるために、扁桃体の沈静は二の次になるのだ。

このことは、多くの高反応の子どもたちが、成長して人生経験を積んだり自由意志で性格を変えようと努力したりしても、物事を恐れる気質のなにがしかの部分を失わずにいる理由を説明している。

あるジャーナリストのSさんが、その典型的な例だ。

Sさんは思慮深く有能な編集者で、自分は内気な内向型だと言うが、周囲の人たちが知る限り非常に魅力的ではっきりものを言う人間だ。

彼女をパーティに招いて、あとで出席者たちに誰が一番会って楽しい人だったかと尋ねると、Sさんの名前があがる確率がかなり高い。

とても生き生きした人だと、誰もが褒める。

ウィットに富んで、魅力的な人だと。

Sさんは自分が他人によい印象を与えることを認識していた。

たしかに、自分で気づかずにあれほどよい印象を他人に与えるのは無理だ。

だが、彼女の扁桃体がそうと知っていたわけではない。

パーティに行くたびに、Sさんはどこかへ隠れたい気持ちにかられる。

だが、そのうちに、前頭全皮質が働いて、自分がどれほど人当たりのいい人間かを思い出す。

とはいえ、長年鍛えた社交性にもかかわらず、ときには扁桃体が勝ってしまうこともある。

Sさんは車で一時間もかけて出かけたのに、到着して5分後にパーティ会場から去ることもあると認めていた。

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人間は最適なレベルの刺激を求める

自分を伸ばす能力は―限界はあるけれど―外向型の人にも適用できる。

経営コンサルタントのAさんは母親であり主婦でもあり、外向的な性格で親しみやすく、言いたいことはずばりと口にし、いつも動きまわっているので、「自然の驚異」と呼ばれているほどだ。

幸福な結婚をして、愛する娘二人を授かって、コンサルティング会社をゼロから築きあげた。

人生でなし遂げてきたことを誇りに思っている。

だが、彼女は以前からずっと満足を感じてきたわけではない。

高校を卒業した時点で自分自身をじっくり見つめ直した彼女は、当時の自分が好きになれなかった。

アリソンは頭脳明晰だったが、高校の成績はあまりふるわなかった。

だから、アイビーリーグの大学へ進学したかったのだが、そのチャンスは手に入らなかった。

その理由は明白だった。

高校生活を社交に費やして、ありとあらゆる課外活動に参加し、学業に身を入れる時間がなかったのだ。

彼女は両親が娘の社交能力を誇りに思っていても、もっと学業に励むよう注意してくれなかったことを恨んだりもした。

だが、一番悪いのは自分だとわかってもいた。

大人になったAさんは、二度と同じ間違いをくりかえすまいと思った。

自分がPTAやビジネス上のつきあいに深入りしやすいことはわかっていた。

そこで、家族に助けを求めた。

彼女は内向型の両親の一人娘で、夫は内向型、下の娘は強力な内向型だった。

Aさんは身近にいる物静かなタイプの人々と波長を合わせる方法を見つけた。

実家を訪ねたときには、母親の真似をして瞑想したり日記を書いたりするようにした。

自分の家では、家庭的な夫と一緒に静かな夕べを味わった。

下の娘とは、ゆったりした気分でじっくりと午後の会話を楽しんだ。

さらにAさんは、物静かで内省的な友人たちとつきあった。

最高の親友であるEさんは彼女と同じくエネルギッシュな外向型だが、友人の大半は内向型だ。

「聞き上手な友人はとても大切です。

よく一緒にお茶をするんですよ。

すごく的確なアドバイスをしてくれることがあります。

自分では全然気づかずに的外れなことをしていたりすると、もっとこうしたらいいのにとか、こうしたらうまくいくのにとか、助言してくれます。

Eさんならまったく気づかないようなことでも、内向型の友人は客観的に見て、わかりやすく教えてくれます」とAさんは語った。

Aさんは外向的な自己を維持しながらも、物静かな人間でいるのはどんなものか、そこからどんな恩恵を得られるかを発見したのだ。

自分の気質を限界まで伸ばすことは不可能ではないが、自分にとって居心地がいい状態にとどまっているほうがいい場合が多い。

企業の税務を担当する法律事務所に勤務している弁護士のEさんの例をあげよう。

小柄でブルネットのEさんは瞳を輝かせてきびきび歩き、けっして内気ではない。

だが、あきらかに内向型だ。

毎朝、街路樹が並ぶ道を10分ほどかけてバス停まで歩くのを、なによりの楽しみにしている。

つぎに好きなのは、オフィスの個室を閉め切って仕事に没頭する時間だ。

エスターは自分の職業を上手に選んだ。

数学者の娘として生まれた彼女は、恐ろしいほど複雑な税金問題を考えるのが大好きで、そうした問題について易々と語ることができる。

大規模な法律事務所は複数のグループからなり、グループ内では密接に連携して仕事をしており、彼女はもっとも若いメンバーである。

グループには彼女以外に弁護士が五人いて、おたがいの得意分野を生かして助け合っている。

Eさんの仕事は興味を持った疑問について深く考えることで、信頼のおける同僚たちと緊密に連携していた。

問題が生じたのは、定例になっている事務所全体の会議での税務担当弁護士グループの発表に関連することだった。

Eさんは人前で話すことに恐怖は感じないのだが、即興で話すのが苦手なので、これが悩みの種になっていた。

ところが、彼女の同僚たちは―偶然にも全員が外向型だった―ほとんどなんの準備もなしに発表をこなし、その内容は的確でわかりやすかった。

Eさんは準備時間を与えられれば問題はないのだが、同僚がうっかりしていて当日の朝になってから発表の予定を彼女に伝えることがあった。

同僚たちが即興で発表できるのは税法についての知識や理解が深いからで、自分ももっと経験を積めばできるようになるのだろうと彼女は思っていた。

けれど、経験を重ねて知識が増えても、即興での発表が得意になることはなかった。

Eさんが抱えた問題を解決するために、内向型と外向型のもうひとつの違いに焦点をあててみよう。

それは、刺激に関する好みだ。

1960年代終わりから数十年にわたって、著名な心理学者のハンス・アイゼンクは、人間は強すぎもせず弱すぎもしない「最適な」レベルの刺激を求めているという仮説を主張した。

刺激とは、私たちが外界から受ける力のことで、さまざまな形をとり、たとえば騒音も社交もまぶしい光も刺激となる。

アイゼンクは、外向型の人は内向型の人よりも強い刺激を好み、このことが両者の違いの多くを説明すると信じた。

内向型の人がオフィスのドアを閉めて仕事に没頭するのを好むのは、そうした静かで知的な活動こそが彼らにとって最適の刺激だからであり、それに対して、外向型の人はチームビルディングのためのワークショップのまとめ役とか会議の司会など、より積極的で明るい活動に従事しているときがもっとも快適に感じる。

アイゼンクはまた、こうした違いは上行性模様対賦活系(ARAS)という脳の組織にもとづいているのだろうと考えていた。

ARASは大脳皮質と他の部分とを結ぶ脳幹の一部分である。

脳は私たちを目覚めさせたり警戒させたり活動的にさせたりするメカニズムを備えている。

心理学者が言うところの「覚醒」だ。

逆に、沈静させるメカニズムも備えている。

アイゼンクは、ARASが脳へ流れる感覚刺激の量をコントロールすることによって覚醒のバランスを取っているのだろうと推論した。

通路が広く開いていれば多くの刺激が入り、狭くなっていれば脳への刺激は少なくなる。

内向型の人と外向型の人とではARASの機能が異なるのだと、アイゼンクは考えた。

内向型は情報が伝わる通路が広いので、大量の刺激が流れ込んで覚醒水準が高くなりすぎ、それに対して、外向型は通路が狭いので、覚醒水準が低くなりすぎることがある。

覚醒水準が高すぎると、不安をもたらし、しっかりものが考えられなくなるような気がして、もう十分だから帰りたいという気持ちになる。

逆に低すぎると、閉所性発熱(悪天候などで狭い室内に長時間閉じ込められることによって精神的に参ってしまった状態)のようになる。

いらいらして落ち着きを失い、家から出たくてたまらないときのような気持ちになる。

現在では、現実はもっと複雑だと私たちは知っている。

そもそも、ARASは消防車のホースのようにスイッチひとつで刺激を流したり止めたりしないし、脳全体をたちまち溢れさせたりもしない。

脳のあちこちの部分をバラバラに覚醒させる。

さらに、脳の覚醒レベルが高くなっても、あなた自身は必ずしもそれを感じるとはかぎらない。

また、覚醒にはいろいろな種類がある。

大音量の音楽による覚醒は、追撃砲砲火による覚醒とは違うし、会議のまとめ役をつとめることによる覚醒とも違う。

刺激の種類によって必要とする感受性の強弱は違ってくるだろう。

私たちがつねに適度なレベルの覚醒を求めているというのは単純すぎるのではないか。

サッカーの試合の観客は激しい興奮を求めているし、リラクゼーションのためにスパを訪れる人々は穏やかな雰囲気を求めている。

もっとも、世界中の科学者たちが1000件以上もの研究によって、皮質の覚醒レベルが外向性と内向性の重要な鍵となっているというアイゼンクの理論を検証し、心理学者のデヴィッド・フンダ―はさまざまな重要な点で「なかば正しい」と言っている。

根底にある原因はさておき、コーヒーや大きな音などさまざまな刺激に対して、内向型の人が外向型の人よりも敏感だと示す証拠は多数ある。

そして、内向型と外向型とでは、活動するために最適な刺激のレベルは大きく異なる。

1967年にアイゼンクが考案し、現在でも心理学の教室内でよく行なわれる実験は、内向型と外向型の人の舌にレモン汁をたらして、分泌される唾液の量を比較するというものだ。

当然ながら、内向型のほうが感覚刺激に大きく反応して、より多くの唾液を分泌する。

よく知られた実験がもうひとつある。

外向型の人と内向型の人に単語ゲームをするように指示する。

ゲームは難しく、試行錯誤を重ねて、鍵となる原理を見つけなければならない。

その最中に、ランダムに雑音が聞こえてくるヘッドホンをつける。

ヘッドホンの音量は自分にとって「最適な」レベルに合わせるように言われる。

その結果は、平均して、外向型の人は72デシベル、内向型の人は55デシベルだった。

自分が選択した雑音レベルのときに―外向型は高く、内向型は低く―両タイプは同じ程度に覚醒した。

これは心拍数などで測定されている。

単語ゲームの結果も同程度だった。

内向型が外向型の好む雑音レベルで、あるいはその逆で、ゲームをすると、まったく違う結果が出た。

内向型は高レベルの雑音で覚醒されすぎて、単語ゲームの結果が悪くなり、5.8回で正答できたものが9.1回かかった。

外向型の人は静かな環境では覚醒が低すぎて、5.4回で正答できたものが7.3回に増加してしまった。

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自分のスイートスポットを探す

高反応に関するケーガンの発見にこれらの研究を組み合わせてみると、性格に対する理解がいっそう明快になる。

内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むのだと理解すれば、自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。

つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も感じない状況に。

心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―これを「スイートスポット」と呼ぶ―を知っていれば、今よりもっとエネルギッシュで生き生きとした人生が送れる。

あなたのスイートスポットは、あなたが最適の刺激を得られるところだ。

あなたはもうすでに、気付かないままにそれをさがそうとしているかもしれない。

すばらしい本を手にして、満ち足りた気分でハンモックに横たわっているところを想像してみよう。

それがスイートスポットだ。

だが30分後、ふと気付くと同じ場所を何度も読んでいるのに気付く。

それは覚醒が低い証拠だ。

そこで、あなたは友人に電話して朝昼兼用の食事に出かけ―言い換えれば、刺激レベルを一段階上げて―ブルーベリーパンケーキを食べながら噂話をしたり笑ったりしていると、ありがたいことに、あなたはまたスイートスポットへ戻れる。

けれど、より高い刺激レベルを求める外向型の友人に説き伏せられて、パーティへ出かけると、あなたにとっての心地よい時間は終わりを告げる。

パーティへ行けば、うるさい音楽や初対面の人々に囲まれてしまうからだ。

友人の知り合いたちは愛想よく話しかけてくれるが、あなたはやかましい音楽に負けないよう声を張りあげて軽い雑談をすることにプレッシャーを感じて、刺激が強すぎる状態になる。

自分と同じような人間を見つけて隅の方でもっと深い話をはじめるか、さっさとパーティ会場から逃げ帰って本を読むかしないかぎり、その状態は続く。

こうしたスイートスポットの仕組みを理解しておけば、自分のためになる。

仕事も趣味も社交も、できるだけスイートスポットに合うように設定すればいいのだ。

自分のスイートスポットを知っている人は、自分を消耗させる仕事を辞めて、満足できるあらたな仕事に就くパワーを持つ。

自分の家族の気質に合わせて家を見つけることもできる―内向型には窓辺の椅子など居心地のいい場所がそこここにある家を、外向型にはリビングやダイニングのスペースが広いオープンな雰囲気の家を。

自分のスイートスポットを理解すれば、人生がさまざまな点でより良いものになるだけではない。

それが生死に関わってくることを示す証拠もある。

ウォルター・リード陸軍病院で軍人を対象に実施された研究によれば、眠りを奪われて覚醒が低い状態(睡眠がとれないと警戒心や行動力やエネルギーが低下する)では、内向型のほうが外向型よりもすぐれた機能を発揮するそうだ。

外向型が眠いときに運転するなら特別に注意するほうがいい。

少なくとも、コーヒーを飲んだりラジオの音量を上げたりして、覚醒レベルを高くするべきだ。

逆に、内向型は騒音が激しい道で運転するときには、思考力をそがれないように意識して運転に集中するべきだ。

こうして最適な刺激レベルについて考えると、即興での発表が難しいというEさんの問題も合点がいく。

過度の覚醒は集中力や短期記憶を阻害する。

これらは即興で話すための能力の鍵となる要素だ。

そして、人前で話をすることは本質的に刺激的な行為なので―スピーチ恐怖症ではないエスターのような人にとっても―内向型は肝心な場面で注意力がそがれてしまうのだ。

だからこそ、Eさんは誰にもひけをとらない知識と経験を備えているにもかかわらず、準備なしで発表をするのには不都合を感じすにはいられないのかもしれない。

そんな機会があるたびに、長期記憶の膨大なデータのなかから必要なものを引き出そうとして悪戦苦闘せずにはいられないのかもしれない。

ただし、いったんそうと認識すれば、発表の予定をきちんと教えてくれるように同僚に強く頼むことができる。

そうすれば、発表の練習ができるので、いざ話をするときにスイートスポットにいられる。

顧客との会議も、ネットワークイベントも、同僚との打ち合わせも、どれも同じことだ。

集中力を高めた状況ならば、彼女の短期記憶と即興で考える能力は、ふだんよりも少しは柔軟に働いてくれるだろう。

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自分を飛躍させる方法

Eさんは自分のスイートスポットを知ることで問題をなんとか解決した。

だが、自分を飛躍させることだけが唯一の選択肢である場合もある。

昔、Aさんはスピーチ恐怖症を克服しようと決心した。

それでもまだ、ぐずぐず先延ばしにしたすえに、<パブリックスピーキング・ソーシャル・アングザイエティ・センター>のワークショップに入会した。

Aさんは半信半疑だった。

自分はただの内気な人間だと思っているのに、社会不安という言葉を聞くとまるで病気にように感じられていやだった。

だがはじめてみると、ワークショップの内容は脱感作の考えにもとづいていて、そのアプローチは納得できた。

脱感作療法はさまざまな恐れに打ち勝つ手段としてしばしば使われ、恐怖の原因となるものにくりかえし少しずつ自分を(つまり、自分の扁桃体を)さらすのだ。

泳げない人に向かって、深いプールに飛び込めば泳げるようになると言うような、悪気はないが役に立たない方法とはまったくの別ものだ。

泳げない人がそんなことをすれば、パニックに陥って、恐怖と混乱と羞恥心のサイクルを脳に刻みつけるのがオチだろう。

ワークショップは盛況だった。

クラスの参加者は15人ほどで、指導者はCさんという痩せた小柄な男性。

優しい目をして、洗練されたユーモアの持ち主だった。

Cさん自身も同じセラピーを長期間受けたそうだ。

現在ではもうスピーチ恐怖症のせいで夜中に目覚めることはなくなったけれど、恐怖は手ごわい相手なのでなかなか気は抜けないと話していた。

ワークショップは数週間前からはじまっていたのだが、今からでも参加は歓迎だとCさんは請け合ってくれた。

参加者の顔ぶれは予想以上に多士済々だった。

カールした長い髪、派手な口紅、スネークスキンのピンヒールのブーツを履いたファッションデザイナー。

分厚い眼鏡をかけ無味乾燥な口調でしゃべる女性は秘書をしているとかで、メンサ(全人口の上位2%の知能指数の持ち主だけが交流する国際団体)の会員だそうだ。

投資銀行員が二人、背が高く運動が得意そうなタイプ。

役者業をしているプーマのスニーカーを履いてとても元気そうだったが、ワークショップに参加するだけでも怖くてたまらないと言っていた。

やさしい笑みを浮かべて神経質そうに笑う、中国人のソフトウェアデザイナー。

じつのところ、デジカメやイタリア料理のクラスと言ってもおかしくない。

だが、実際にはそうではない。

参加者は一人ずつ順番に全員の前で、不安を抑えられる範囲内で話をする。

その晩、最初に立ったのは、カンフーインストラクターのRさんだった。

与えられた課題は、ロバート・フロストの詩の朗読。

髪をドレッドロックスにして大きな笑みを浮かべたRさんは、怖いものなどなにもないように見えた。

だが、演壇に立って詩集を開いた彼女に、Cさんが尋ねた。

怖いと思う気持ちを一から十までの数字で表現すれば、今はいくつがらいかな、と。

「少なくとも七だわ」Rさんが答えた。

「じゃあ、ゆっくりはじめなさい。恐怖を完全に克服できる人間なんてほとんどいないし、もしいたとしても、きっと全員チベットにいるさ」Cさんが言った。

Rさんは静かだがはっきりした口調で詩を朗読し、その声はまったく震えなかった。

読み終えると、チャールズが誇らしげな笑顔になった。

「立ってください、Lさん」Cさんが指に婚約指輪を輝かせている黒髪の魅力的な女性に声をかけた。

「あなたがフィードバックをする番だ。Rさんはそわそわしているように見えたかな?」

「いいえ」Lさんが答えた。

「でも、怖くてたまらなかったのよ」Rさんが言った。

参加者たちが強くうなずいた。

全然そんなふうにはみえなかったと、全員が声をそろえた。

Rさんは安堵した表情で席に座った。

つぎはAさんの番だった。

譜面台でつくった間に合わせの演台の前に立って、みんなに向き合った。

天井で回っている扇風機と、窓の外の車の音しか聞こえなかった。

自己紹介をするようにとCさんが言った。

Aさんは大きく息を吸った。

「はじめまして!」Aさんは社交的に見えるようにと祈りつつ、大声を出した。

Cさんがちょっと顔をこわばらせて、「自分らしくやってください」と告げた。

Aさんはいつもの物静かな口調で答えた。

みんなは注意深く聴いてくれた。

「Aさんにもっと質問がある人はいるかな?」Cさんが訊くと、全員が首を横に振った。

「では、Dさん」Cさんが大柄でがっしりした赤毛の男性に声をかけた。

「きみは銀行員で、なかなか見る目が厳しいよね。スーザンはそわそわしているように見えたかな?」

「いいえ、全然」ダンが答えた。

みんながうなずいて同意した。

全然そんなふうには見えなかったと、全員が言った。

Rさんのときとまったく同じだ。

Aさんはかなりいい気分で席に座った。

だが、すぐに、フィードバックで褒めてもらえるのはRさんとAさんだけではないのだとわかった。

何人かが同じように褒められていた。

「とても冷静に見えた!内心ではすごくドキドキしているなんて、きっと誰にもわからないわ!」と言われた彼らは、見るからに安堵していた。

最初のうち、いったいなぜ自分がみんなに褒めてもらってそんなにうれしいのかよくわからなかった。

そのうちに、Aさんは気質の限界を超えて自分を伸ばしたいからこのワークショップに参加しているのだと気づいた。

できるかぎり最高で勇気に満ちた話し手になりたいのだ。

みんなの褒め言葉は、その目標に近づいていることを示す証拠なのだ。

フィードバックにはかなりお世辞が入っているのだろうと思ったけれど、気にならなかった。

重要なのは、自分が人前で話をして、相手に受け入れられ、その体験に自分が満足できたことなのだ。

Aさんは人前で話すことの恐怖を脱感作しはじめた。

それ以降、Aさんは何度も人前で話した。

演壇に立つ恐怖と折り合えるようになった。

それにはいくつかのステップがあったが、ひとつには、スピーチを創造的なプロジェクトだと思うようにしたことだ。

すると、本番の日を前にしていろいろ準備したりするのが楽しいと感じられるようになった。

また、自分にとって重要だと思えることを題材に選ぶようにした。

題材に思い入れがあれば、集中しやすいのだとわかった。

もちろん、できることばかりとはかぎらない。

仕事の場となれば、興味のない題材について話さなければならないこともある。

表面的なやる気を見せることが苦手な内向型の人にとっては、さらに難しいことに違いない。

だが、この融通のきかない部分には隠れた利点がある。

まるで興味をそそらない題材に関してあまりにも頻繁に話さなければならない場合、大変だがやりがいのある仕事に転職する気をおこさせてくれるのだ。

信念という勇気を持って語る人ほど勇気のある人はいない。