内向型をとことん活かす方法

内向型の子どもを受け入れられる親、受け入れられない親

あるときマーク・トウェインが、歴史上もっとも偉大な将軍をさがす旅に出た男の話をした。

その将軍はもう死んで天国にいると聞き、男はひと目会いたいと天国の門へ向かった。

そこには、天国の番人である聖ペテロがいて、将軍ならあそこにいると、ありふれた風体の男を指差した。

「あれが偉大な将軍のはずがない。生きていた頃を知っているが、しがない靴屋だった」男は納得できずに反論した。

「たしかに彼は靴屋だった。だが、もし将軍になっていたなら、もっとも偉大な働きをしていたはずなのだ」聖ペテロは答えた。

私たちはみな、偉大な将軍になるかもしれない靴屋をさがすべきだ。

つまり、家庭や教室や運動場で可能性の芽を摘まれることの多い、内向型の子どもたちにもっと目を向けるべきなのだ。

ミシガン大学の<子どもと家族のためのセンター>所長の児童心理学者ジェリー・ミラー医師が、考えさせられる話をしてくれた。

ミラーの患者にイーサンという名前の少年がいた。

両親が彼をつれて四回ほど相談に訪れたそうだ。

そのたびに、うちの子はどこかおかしいのではと不安を訴える両親に、病気でもなんでもありませんとミラーは否定した。

両親がそんな不安を持ったきっかけは、ごく単純なことだった。

イーサンが七歳のとき、四歳の弟に何度かぶたれたが、彼はまったくやり返さなかった。

両親―二人とも社交性豊かなリーダータイプで、企業の重責を担い、ゴルフやテニスなど競い合うスポーツを好む―は四歳の弟の乱暴な行動ではなく、イーサンの消極性を「一生そんな目に遭いつづけるのではないか」と心配したわけだ。

イーサンが成長するにつれ、両親はなんとか彼に「ファイティングスピリット」を植え付けようと、虚しい努力を続けた。

いくら野球やサッカーをやらせようとしても、イーサンは家で本を読んでいるほうを好んだ。

学業の点でも競争心がなかった。

頭はいいのに、成績はBばかりだった。

その気になりさえすれば、もっといい成績がとれるだろうに、趣味にばかり熱心で、とくにモデルカーづくりに没頭していた。

親しい友人が数人いるものの、教室でみんなの中心にいることは絶対になかった。

両親はそんな行動が理解できず、息子はうつ状態なのかもしれないと心配した。

だが、ミラーによれば、イーサンはうつ状態などではなく、親子が求めているものがそれぞれまったく違うところが問題なのだという。

イーサンはひょろりと背が高く、見るからに内向的なタイプに見える。

両親は社交的で積極的なタイプで、「笑みを絶やさず、周囲の人とよくしゃべり、いつもイーサンを引っ張り回していた」という。

両親の心配に対して、ミラーはこう考える。

「イーサンはまるでハリー・ポッターみたいなタイプの少年でした。

頭の中で創造力を働かせて楽しむのです。

手作業でなにかを作り出すことがなによりすきでした。

話したいことをたくさん持っていましたよ。

両親がもっと彼を受け入れてさえくれれば。

イーサンのほうは、両親が病的だなどとは思わず、ただ自分とは違うのだと認識していました。

ほかの家であれば、イーサンは模範的な子どもとして扱われていたでしょう」

だが、イーサンの両親は息子をそんなふうには見なかった。

結局、両親は別の精神科医の「治療」を受けさせると決めたそうで、ミラーはその後どうなっただろうかと心配している。

「あきらかに『医原性』の問題です。治療が病気をつくりだすのです。

たとえば、同性愛の子どもを矯正しようとして治療するのが典型的な例でしょう。

子どもにとっては気の毒としか言いようがありません。

両親は思いやりがある善意の人々です。

『治療』しなければ息子を社会に出せないと思うのです。

やる気を持たせなければいけない、と。

やる気が必要だというのは真実かもしれませんが、私にはよくわかりません。

とにかく、やる気の有無にかかわらず、子どもを変えることは可能だと、私は固く信じています。

心配なのは、完璧に健全な子どもに対して無益な治療を施して、セルフイメージを台無しにしてしまうことです」

もちろん、外向型の親と内向型の子どもが、必ずしもうまくいかないわけではない。

少しの受容と理解があれば、どんな親とどんな子どもの組み合わせでもうまくいくと、ミラーは言う。

ただし、親は自分の好みから一歩退いて、静かなわが子の視点から世の中がどう見えるかを考えてみる必要がある。

■参考記事
内向型と外向型はどこが違う?
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
内向型の子育て

何を求めているか知る

では、ジョイスと七歳の娘イザベルの例についてお話しよう。

小学校二年生のイザベルはまるで小さな妖精のようで、キラキラ光るサンダルや色鮮やかブレスレットが大好きだ。

秘密を打ち明け合う親友が数人いて、クラスのほとんどの子どもと仲良くできる。

クラスメイトが落ち込んでいれば肩を抱いて慰め、せっかくもらった誕生日プレゼントを寄付するような子どもだ。

だからこそ、イザベルが学校で問題を抱えていると知ったとき、温厚で魅力的で辛辣なユーモアのセンスを持ち、自信に満ちた物腰の母親ジョイスはひどく困惑した。

一年生の頃、クラスでは繊細でおとなしい子どもたちを標的にした言葉のいじめがあり、イザベルはそれを心配するあまり、毎日家へ帰ると疲れきっていた。

イザベルはいじめの対象にはなっていなかったが、学校で耳にするひどい言葉について何時間もずっと考えたりしていた。

二年生になると、イザベルは、放課後に誰の家で遊ぶかを自分に訊かないで勝手に決めないでほしいと母親に頼んだ。

そして、いつも家にいるのを好んだ。

学校へ迎えに行くと、イザベルは女の子たちの集団から離れて、ひとりでバスケットのシュートをしていることが多かった。

「あの子は仲間に入りたがらないんです。ひとりぼっちでいるのをみるのがつらくて、しばらく迎えに行くのをやめました」ジョイスはかわいい愛娘がどうしていつも孤独にしているのか理解できなかった。

イザベルになにか問題があるのではと心配になった。

思いやりのある性格の娘だとはわかっているものの、もしかしたら人付き合いの能力が欠けているのではないだろうか、と。

セラピストはジョイスに、娘さんは内向型かもしれないと話し、それはどういう意味かをくわしく説明した。

すると、ようやくジョイスは、娘が学校で経験したことを違う角度から考えはじめた。

イザベルの視点から考えてみれば、心配するようなことはなにもなかった。

あとになってから、イザベルはセラピストにこう話した。

学校が終わると、休みが必要だったの。学校は人がたくさんいるから、とても疲れるの。

ママが友達の家へ遊びに行く約束をするけれど、わたしは行きたくない。

だって、友達をいやな気分にさせたくないから。

それよりも家にいるほうがいいの。

友達の家へ行くと、その子がやりたい遊びをしなくちゃならない。

放課後はママと二人でいるほうがいいの。

だって、ママにいろいろ教えてもらえるから。

ママはわたしよりもずっと長く生きているでしょ。

だから、楽しくてためになる話ができる。

楽しくてためになる話は、みんなを幸せにするから大好きよ」(小学二年生がこんなふうに話せるわけがない」と驚いくかもしれないが、イザベルは本当にこのとおり話した)

イザベルは小学二年生なりのやり方で、内向型は他人と心を通わすことができると話したのだ。

内向型には彼らなりのやり方があるのだ。

イザベルが何を求めているのかを知り、自分と楽しく話をしたいのだと知ったジョイスは、イザベルが学校生活を快適に過ごすのを助けようと戦略を練った。

「以前は、いつも友達の家へ遊びに行かせたりして、放課後の時間を予定でいっぱいにしていました。

でも、あの子にとって学校にいることがかなりのストレスだとわかったので、そういう友だち付き合いにどれくらい時間をとるか、どんなときに出かけるか、娘と相談することにしました」

今では、イザベルが自分の部屋でひとりで過ごしていても、友達の誕生パーティからひとりだけ早めに引き揚げてもジョイスは気にしない。

イザベルがそれを問題だと思っていないのだから、心配する必要はないと納得したのだ。

ジョイスはまた、運動場での友達との遊び方についても助言できるようになった。

イザベルには運動場でよく遊ぶ友達が三人いたのだが、その三人はたがいに仲がよくないため、それが悩みの種になっていた。

「以前の私なら、『気にする必要なんかないわよ!みんなで一緒に遊びなさい!』とハッパをかけていたでしょう。

でも今では、イザベルがそういうタイプではないとわかっています。

あの子には一度に三人を相手にするのは難しいのです。

そこで、娘と話し合って、友達にどう話せばそんな状況を解決できるか練習してみました」

イザベルがもう少し大きくなったとき、今度はランチタイムに友人たちが二つのテーブルに分かれて座っていて、どちらに座ればいいのかわからなくて困ったことがあった。

ひとつのテーブルは物静かなタイプの友人たち、もうひとつのテーブルには同じクラスの外向的な子どもたちが座っていた。

イザベルは後者のグループを「うるさくて、みんながてんでんばらばらに好きなことをしゃべっている」と表現した。

親友のアマンダが「落ち着いた静かなテーブル」の少女たちとも友達なのに、その「クレージーなテーブル」に座るのを好んだので、イザベルはどうすればいいか悩んでいた。

いったいどちらのテーブルでランチをとるべきか。

話を聞いたジョイスは、最初は「クレージーなテーブル」のほうがおもしろそうだと思った。

けれど、どちらに座りたいかと尋ねた。

イザベルは少し考えてから答えた。

「ときどきはアマンダと一緒に座りたいけれど、ランチタイムは静かにして休んでいたいの」

どうして静かに休んでいたいの?

心にそんな疑問が浮かんだが、ジョイスはそれを口に出さず、「それならそれでいいと思うわよ」とイザベルに言った。

「違うテーブルでランチを食べても、アマンダはあなたを嫌いになったりしないわ。

彼女はあっちのテーブルにいるのが好きなだけで、あなたを嫌いなわけじゃないから。

それに、あなた自身は、ランチタイムは静かに過ごしたいのですものね」

内向性についての理解は自分の子育てを大きく変化させたし、考えてみればそれには驚くほど時間がかかったとジョイスは言う。

「イザベルがしっかり自分の考えを持っているとわかったので、たとえあちらのテーブルに座るべきだと思っても、娘の意思を尊重するべきなんだと思いました。

それどころか、娘の視点からあちらのテーブルを眺めてみることで、自分自身が他人からどう思われているかを想像することができて、娘のようなタイプのすばらしい友人を失わないためにも、自分が持っている外向型の『欠点』に気付いて、それなりに配慮するうえで役立ちました」

ジョイスはまた、イザベルの繊細な態度を評価するようになった。

「あの子は年齢以上に賢いのです。

話していると、子どもだということを忘れてしまいそうになります。

ですから、ふつうに子どもに話しかけるときのような話し方をする気にはなれないし、言葉遣いを子供向けに改めることもしません。

大人と話すときと同じように話します。

娘はとても繊細で、思いやりがあります。

他人にとても気を遣います。

動揺しやすいところがありますけれど、それもひっくるめて、私は娘のすべてを愛しています」と彼女は話す。

■参考記事
内向型人間の楽になる人付き合い
内向型の人の仕事が楽になる方法
内向型の自分で楽に生きる方法
生まれ持った内向性を大事に育む
内向型の人が楽に生きる方法

内向型の子どもの心を理解に努める

ジョイスは温かく包み込むような母親であるうえに、娘とはまったく違う気質だったために、かえって容易に娘の心を理解することができたようだ。

では、もしジョイス自身も内向型だったら、はじめからもっと自然な母娘関係を楽しめただろうか。

そうともかぎらない。

内向型の親は彼らなりの問題にぶつかる。

子ども時代の苦しい経験の記憶が邪魔をする場合があるのだ。

ミシガン州アナーバーの臨床ソーシャルワーカーであるエミリー・ミラーは、エイヴァという少女の話をしてくれた。

エイヴァは極端に内気で、友達をつくることも教室で授業に集中することもできないほどだった。

教室の前に出てグループで歌いなさいと言われて泣きだしてしまったために、心配した母親のサラはミラーに相談することにした。

経営ジャーナリストとして成功しているサラは、エイヴァの治療に同席してパートナーをつとめるように言われて、思わず涙を流した。

彼女自身も子どもの頃に内気だったので、それが娘に遺伝してしまったと考えたのだ。

「うまく隠せるようにはなりましたが、本当は今でも娘と同じなんです。

誰とでも話すことはできますが、それはジャーナリストのメモ帳の背後に隠れているときだけです」とサラは説明した。

サラの反応は内気な子どもを持つ偽外向型の親にはめすらしくないと、ミラーは言う。

サラは自分の子ども時代を思い出すだけでなく、当時の最悪の記憶をエイヴァの姿に重ねているのだ。

だが、たとえ自分と似た気質を受け継いでいるように思えても、自分と娘は別の人間なのだと、理解しなければならない。

当然ながら、エイヴァは父親からも影響を受けているし、さまざまな環境要因もあるからだ。

サラ自身と同じ悩みをエイヴァが抱えるようになるとはかぎらないし、そんなことを心配していては百害あって一利なしだ。

正しい指導を受けることによって、エイヴァは内気な性質はほんのささいな問題だと思えるようになるかもしれないのだ。

ミラーによれば、たとえ自分の自尊心に多少の問題点を抱えている親でも、子どもにとっては大きな助けになる。

親が子どもの身になって助言してやることは、本質的に有効なのだ。

もし、あなたの息子が登校初日に神経質になっていたら、自分も同じように感じた経験があるし、今でも仕事場で似たような感じを味わうことがあるけれど、時間が経てば大丈夫になると話してやるのが効果的だ。

たとえ、息子がそれを信じなくても、あなたが自分を受け入れていると信号を出しているのはわかる。

子どもが怖がって躊躇しているとき、頑張ってやってみなさいと勧めるかどうか、子どもの身になって判断しよう。

たとえば、教室の前に出てみんなの前で歌うのはエイヴァにはあまりにも大きな一歩だと、サラは思うかもしれない。

だが、たとえエイヴァが最初はいやがったとしても、同じような気質の数人の友達の前や、親友ひとりだけの前で歌うのならば、第一歩にするのにふさわしいかもしれない。

言い換えれば、どんなタイミングで、どのくらいの力で娘の背中を押すべきかを考えるのだ。

恐怖や緊張は自分でコントロールできるようになる

心理学者エレイン・アーロンの敏感さに関する研究についてはなぜクールが過大評価されるのかで記した。

アーロンは彼女が知るかぎり最高の父親のひとりとして、ジムの話を書いている。

ジムは楽天的な外向型で、幼い娘が二人いる。

長女のベッツィはジムによく似ているが、次女のリリーは繊細な性格で、観察力がするどく、心配性だ。

ジムはアーロンの友人なので、敏感さや内向性がどんなものかよく理解している。

リリーをあるがままに認めてはいるものの、内気な人間に成長してほしくはないと思っていた。

そこで、ジムは「浜辺に打ち寄せる波や、木登り、はじめて口にする食べ物、親戚の集まり、サッカーそしておしゃれをすることなど、ありとあらゆる楽しみをもたらしてくれそうなことを体験させようと心に決めた。

リリーはいつも新しい体験に最初は尻込みしたが、ジムは彼女の気持ちを尊重した。

無理強いはしなかったが、うまく説得するようにつとめた。

彼はたんに、自分の視点を娘に分け与えたのだ-安全だし楽しいし、彼女が好きでやっていることと似ているのだと教えた。

そして、彼女の瞳が輝いて、やってみたいと言いだすのを待った」とアーロンは書いている。

「ジムはいつも状況をしっかり見極めて、これならばリリーが怖がらずに楽しんで経験することができると確かめていた。

彼女がちゃんと準備できるまで、ひたすら待っていることもあった。

なによりも重要なのは、彼が決して押し付けず黙っていたことだった・・・そして、リリーが自分は内気だとか怖がりだとか言うと、ジムはすかさず『それはおまえのスタイルなんだよ。人にはそれぞれのスタイルがある。

おまえはじっくり時間をかけて確実にやるのが好きなんだ』と答えた。

ジムはまた、リリーがほかの子どもたちがからかうような子と仲良くでき、注意深く作業し、家族のなかで起きていることになんでもよく気がつき、サッカーの作戦を考えるのが得意だと認めていた」

内向型の子どものためにあなたができる最良のことのひとつは、新しい体験に対応するのを助けてやることだ。

内向型は初対面の人に会ったり、知らない場所へ行ったり、はじめてのことをしたりする際に大きく動揺する。

だから、慣れない状況のなかで他人とうまくつきあえないのではないかという警戒心を子どもが抱いているのを見逃さないようにしよう。

彼(彼女)は、人間との接触を恐れているのではなく、目新しさや過度の刺激によって不安を感じているのだ。

内向性・外向性のレベルは調和性や親密さを楽しむ気持ちとは相関関係にない。

程度の違いこそあれ、内向型もまた仲間を求めているのだ。

大切なのは、新しい人や環境に子どもをゆっくり慣らしていくことだ。

子どもにとっての限界が納得できなくても、それを尊重すること。

そうすれば、過保護になることなく背中を押しすぎることなく、もっと子どもに自信を持たせることができる。

自分の感情は正常で自然なのだと子どもに知らせるだけでなく、なにも恐れる必要はないのだとわからせよう。

「はじめて会った子と遊ぶのはちょっと気後れするのはわかるけれど、あの男の子はきっと喜んでトラックの玩具で一緒に遊んでくれるよ」と言ってみるのだ。

そして、急かさず、子どものペースに任せよう。

子どもが幼い場合、必要ならば、最初は、一緒に遊んでくれるかなと相手に声をかけてやるのもいい。

その後は、邪魔にならないように見守っていよう。

子どもがとても幼ければ、背後からやさしく背中に手をあててやっていてもいい。

子どもが思い切って一歩踏み出したら、すごいねと褒めてやろう。

「知らない子どもたちに、自分から近づいていったね。えらかったわね」といった具合に。

新しい状況に慣れさせるのも、基本的には同じだ。

たとえば、人並みはずれてひどく海を怖がる子どもがいるとしよう。

思慮深い親は、恐怖を感じるのは自然であり、賢さのしるしであるとさえ考える。

実際に、海は危険だからだ。

だが、怖がっている娘を海に投げ入れたり、無理に泳がせようとはしないものの、夏のあいだずっと浜辺で砂遊びをさせたりはしない。

怖がる気持ちは理解できると伝えたうえで、少しずつ前進させるのだ。

数日間は、波が届かない安全な場所で砂遊び。

そして、波打ち際へ。

肩車をしてやって、歩くのもいいだろう。

それから、凪のときを選んで、まずは足先を海水に浸し、しだいに進んで、膝まで浸かる。

急ぐ必要はない。

子どもにとっては一歩一歩が大きな前進なのだ。

最終的に魚みたいに泳げるようになったとき、彼女は水との関係だけでなく恐怖との関係でも決定的な転換点に達したと言える。

苦しくても壁を乗り越えれば、その向こうには楽しみが待っているのだと、子どもはしだいに理解する。

そして独力で壁を乗り越えるすべを知る。

メリーランド州立大学<児童・人間関係・文化センター>所長のケネス・ルービン医師は、「幼い子どもが感情や行動を学ぶ際に、穏やかに励ますようなやり方で一貫して手助けすれば、そのうちに、まるで魔法のようなことが起こりはじめる。

たとえば、『あの子たちは楽しそうだから、あっちへ行ってみよう』と、自分の心のなかで決めているのがわかるのだ。

子どもたちは恐怖や不安を自分で制御できるようになる」と書いている。

そういうスキルをわが子に身につけさせたければ、本人を「内気」と評価してはいけない。

自分で自分に内気だというレッテルを貼りつけて、それが制御可能な感情ではなく固定した性質だと信じ込んでしまう。

それに、世の中では「内気」が否定的な言葉だと、子どもはよく知っている。

なによりも、自分の内気さを恥ずかしいと思わせてはならない。

できれば、外向性を重要視する社会のなかで劣等感を味わうことが少ない、ごく幼いうちに、自分を制御するスキルを教えておくのが一番いい。

親がロールモデルになって、初対面の人と穏やかに親し気に挨拶する姿や、友人たちとうちとけてくつろいでいる姿を見せよう。

また、子どものクラスメイトを自宅へ招こう。

他人になにかを伝えたければ、聞こえないような小さな声で言ったり、もじもじしてズボンをひっぱったりするのではなく、ちゃんと口に出す必要があるのだと教えよう。

自己主張が強すぎない友達や、わが子がうちとけられるよう遊び仲間を見極めよう。

年下の子どもと遊んで自信を持たせたり、年上の子どもと遊んで刺激を受けたりするのもいい。

うまが合わない相手と無理につきあわせるのはやめよう。

人付き合いの最初の体験を前向きなものにするのだ。

新しい環境には、できるだけ徐々に慣れさせるようにしたい。

たとえば、友達の誕生パーティへ行くのなら、それがどんなパーティで仲間たちとどんなふうに挨拶するかを前もって話しておこう(最初に「誕生日おめでとう、ジョーイ」と言ってから、「こんにちは、サブリナ」と言うんだね、とか)。

そして、必ず少し早めに行こう。

早く来ている子どもたちとうちとけておくほうが、すでにできあがっているグループに、あとから入り込むのよりも簡単なのだ。

同じように、もし新入学を前にして子どもが緊張していたら、事前に教室へ連れていって、担任教師と一対一で話をさせたり、校長や事務室の人たちや用務員さんやカフェテリアで働く人たちとあわせたりしておくといい。

ただし、それとなく事を運ぼうかしら?」と誘うのもいいだろう。

トイレの場所や、トイレに行きたいときはどうすればいいかを確認したり、教室からカフェテリアまで行ってみたり、スクールバスの乗り場を確かめたりしよう。

新学期がはじまる前に、同じクラスになる子どもたちとのお遊び会をするのもいいだろう。

また、気まずい状況を切り抜ける簡単な方法を教えておけば役に立つだろう。

たとえば、不安でも自信たっぷりな様子にしていること。

「笑顔」「まっすぐ立つこと」「アイコンタクト」の三つは、単純だが有効な方法だ。

大勢の人のなかで親し気な顔をさがすことも教えておこう。

三歳のボビーは幼稚園が嫌いだった。

休み時間になると、みんなが教室から屋上へ出て、年長クラスの子どもたちと一緒に遊ぶからだ。

それがいやなあまり、屋上へ出られれない雨の日以外は幼稚園へ行きたがらなくなった。

両親はなんとか事情を聞き出して、そういうことなら屋上へ行かずにおとなしい子どもたちと教室に残っていればいいのだし、年長の騒がしい子どもたちに無理に合わせる必要はないのだと、ボビーに納得させた。

もし、わが子にはもっと練習が必要だと感じるのならば、小児科医に相談すれば、地域でやっている対人関係スキルのワークショップを教えてくれるかもしれない。

ワークショップでは、グループへの入り方や、新しい仲間に自己紹介する方法、ボディランゲージや表情の読み方などを、子どもにわかりやすく教えている。

そうしたスキルは、学校生活という、内向型の子どもにとってもっとも難しい社会生活を楽しむための道を見つける手助けをしてくれる。

■参考記事
内向型と外向型、対照的な二つの性質
外向型はどのようにして文化的理想になったか
内向型、外向型のリーダーシップ
共同作業が創造性をなくす
内向型は生まれつきなのか

学校は不自然な場所

10月のある火曜日の午前中。ニューヨークシティの公立学校の5年生の教室では三権分立について教えていた。

明るく照らされた部屋の片隅で、子どもたちが敷物の上に座り、膝の上に教科書を開いて椅子に座った教師が、数分間で基本的な考え方を説明した。

そして、グループ学習のはじまりだ。

「ランチのあとは教室が汚くなっています。

噛んだガムや、食べ物の包み紙や、スナック菓子のかけらが、あちこちに落ちています。

みなさん、教室が汚いのはいやでしょう?」

生徒全員がうなずいた。

「今日は、この問題について、みんなで話し合いましょう」教師が提案した。

教師は生徒たちを七人ずつ三グループに分けた。

立法グループは、ランチタイムの行動を規制する法律をつくる。

行政グループはその法律の執行方法を決める。

司法グループは違反者を裁くためのシステムを定める。

生徒たちはがやがや騒ぎながら、三つのグループに分かれて座った。

机や椅子を動かす必要はなかった。

授業カリキュラムがグループ学習をたくさん組んでいるので、机も椅子もすでに7人ずつにまとめて置かれていた。

教室内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

教師が説明していた10分間ずっとぼうっとしていた子どもたちも、たがいに大声で話している。

だが、全員がそうではなかった。

教室全体をひとつとして眺めれば、まるでうれしげに跳ねまわる子犬の群れのように見えた。

だが、一人ひとりを観察してみれば、景色はまったく違って見える。

たとえば、赤い髪をポニーテールに結ってメタルフレームの眼鏡をかけ、夢見るような表情を浮かべた、マヤという名前の女の子だ。

マヤがいる「行政グループ」では、みんながいっせいにしゃべりだした。

マヤだけが尻込みした。

紫色のTシャツを着た、背が高くて体格がいいサマンサがまとめ役になった。

サマンサはナップザックからランチバッグを取り出して、「これを持ったら、しゃべっていいことにするわよ!」と宣言した。

生徒たちはランチバッグを渡された順に発言した。

その様子は、ウィリアム・ゴールディングの小説『蠅の王』で、少年たちがほら貝を持っている者だけに発言権を与える場面を思い出させた。

マヤは渡されたランチバッグを、怖いものでも見るような目で見た。

「賛成よ」マヤはそれだけ言って、まるで火傷でもしそうなほどの勢いでバッグを隣へ回した。

ランチバッグがテーブルを何度か回った。

そのたびに、マヤはなにも発言せずにさっと隣へ渡した。

そして、話し合いが終わった。

マヤは困ったような顔をしていた。

ちゃんとした発言ができなかったので恥ずかしく思っているのだろう。

グループでのブレインストーミングの結果を書きとめたノートを、サマンサが読みはじめた。

「ルールその一。もし決まりを破ったら・・・」

「ちょっと待って!考えがあるの」マヤが口を挟んだ。

「どうぞ」サマンサがわずかに苛立った口調で言った。

だが、マヤは内向型ならではの敏感さで、サマンサの口調のするどさを感じ取った。

マヤはしゃべろうとして口を開いたものの、視線は伏せられていて、口から出た言葉は不明瞭だった。

誰も聞きとれなかった。

聞き取ろうともしなかった。

グループ内のクールな少女が―成長して、体の線に柔らかなブラウスを身にまとっている姿が目に見えるようだ―わざとらしく大きなため息をついた。

ばつの悪い思いをしたマヤの発言が途切れると、クールな少女が「オーケー、サマンサ、続けて読んでいいわよ」と言った。

教師が行政グループに向かって、誰か討論の要約を発表してくださいと言った。

みんな競って手をあげた。

マヤだけが黙っていた。

またしてもサマンサが主導権をとった。

彼女の声は誰よりもよく通り、みんなが静かになった。

彼女のレポートはできがよかったわけではないが、あまりにも自信に満ち、感じよく発表したので、内容は気にならなかった。

マヤはグループの隅のほうに座って、開いたノートに自分の名前をブロック体で何度も書きつけていた。

まるで、そうすることによって少しでも自分のアイデンティティを取り戻そうとするかのように。

授業の前に教師から聞いたところによると、マヤはすぐれた知性の持ち主で、すばらしい作文を書くそうだ。

ソフトボール選手としての才能もある。

そのうえ、親切な性格で、勉強が遅れている生徒がいると教えてやっている。

だが、このときの授業では、そうした前向きな特質はまったく発揮されていなかった。

もしわが子がマヤと同じような体験をしたらと想像すれば、どんな親もぞっとするだろう。

マヤは内向型だ。

騒がしくて刺激が多い教室で、大きなグループ単位での協同学習は得意ではない。

教師によれば、マヤは「同じように勤勉で、細かい部分にまで気を配る」タイプの子どもたちと一緒に、落ち着いた雰囲気で学習でき、単独作業が多ければ、もっと能力を発揮するそうだ。

もちろん、マヤはグループ内で自己主張することを学ぶ必要があるが、私がこの目で見たようなやり方の授業でそれが可能だろうか。

現実には、多くの学校は外向型の子どもたち向けにつくられている。

内向型には外向型とは異なる種類の指導が必要だと、ウィリアム・アンド・メアリー大学で教育学を教えているジル・ブルスとリサ・カンジグは言う。

また、「内向型の生徒に対しては、もっと外向的になりなさい、社交的になりなさいと助言する以外に選択肢がほとんどないのが現状だ」とも語った。

私たちは大人数のクラスで教えるのが当然だと思い込んでしまっているが、じつはそんなことはない。

大人数のクラスに生徒をまとめるのは、それが効率的だからであり、大人たちにはそれぞれ仕事があるため、それ以外の方法が考えにくかったからだ。

もし、あなたのお子さんがひとりで勉強したがったり、友達と一対一で話すのが好きだったりしても、なにも間違っていない。

それはたんに、世の中の一般的なやり方にそぐわないだけの話だ。

学校の目的は、子どもたちに社会へ出て生活するための準備を整えさせることであるはずなのに、現実には、学校生活で生き残るためにどうすればいいかが重大問題になってしまいがちだ。

興味を持ったことだけに深く集中するのが好きで、一度に大人数の友人と交流するのを苦手とする内向型の子どもからすれば、学校という環境はひどく不自然なのだ。

毎朝、スクールバスのドアが開くと、にぎやかに押し合いへし合いしている集団がいる。

授業はグループ学習が多く取り入れられていて、教師から大きな声で発言しなさいと求められる。

不快な騒音だらけのカフェテリアでランチを食べ、居心地のいい席をとるのも競争だ。

最悪なのは、考えたり創造力を発揮したりするための時間がほとんどないことだ。

そんな日々は、彼らにとって刺激になるどころかエネルギーを消耗させるに違いない。

大人は自分たちをそういう状況に押し込むことは絶対にしないだろうに、なぜ子どもたちに杓子定規な環境を与えているのだろう?

「変わっている」と思われていた子どもが、大人になって「花開いた」のに驚かされるというのは、よくある話だ。

それは「変身」したと表現される。

だが、本当に変化するのは、子どもではなく環境なのかもしれない。

大人になれば、職業や配偶者や、つきあう相手を自分で選ぶようになる。

自分の意思と関係なく放り込まれた世界で暮らす必要はなくなるのだ。

「個人・環境適合性」という観点からして、人間は「自分の性格と一致した職業や役割や状況にあるときに」活躍すると心理学者のブライアン・リトルは言っている。

この逆もまた真実である。

感情的に脅かされるとき、子どもは学ぶのをやめてしまう。

このことについて、ルアン・ジョンソンほどよく知っている人はいない。

ジョンソンは海兵隊出身の女性教師で、カリフォルニア州の公立学校で問題の多い10代の生徒たちを教えたことで広く知られている(映画『デンジャラス・マインド―卒業の日まで』では、女優のミシェル・ファイファーが彼女をモデルにした女性教師を演じた)。

あらゆる階層の子どもたちを教えた経験についてもっと話を聞こうと、ニューメキシコ州トゥルース・オア・コンシクエンシーズの自宅にジョンソンを訪ねた。

ジョンソンは内気すぎる子どもを指導するスキルも持っていた―これは偶然ではない。

彼女が使った手法のひとつは、臆病だった自分の体験を語ることだった。

幼稚園に通い始めた頃、いつも隅のほうで本を読んでばかりいたので、先生からみんなと「お話しなさい」と言われて、丸椅子の上に立たされたのが、彼女の幼稚園での最初の記憶だったという。

「内気な子どもたちは、先生も小さい頃に内気だったと知ると、とても興味を持ちます。

高校でひどく内気な女子生徒に、あなたは大器晩成型だから将来きっと成功すると話をしたことがあるんですが、あとになって、その言葉が娘の人生に対する考えを大きく変えたと母親から感謝されたことがありました。

考えてもみてください、何気ない一言は繊細な子どもに大きな影響を与えます」とジョンソンは語った。

内気な生徒に話をさせるには、その子がわれを忘れて夢中になって話すような興味深いトピックを選ぶことが大切なのだと、ジョンソンは言った。

たとえば、「男子のほうが女子よりも生きるのが簡単だ」というような、強い関心を呼ぶ問題について討論するよう、うながすのだ。

スピーチ恐怖症であるにもかかわらず教育に関する講演をする機会が多い彼女は、その効果を身をもって実感している。

「私自身は内気さを克服できていません。

それはまだ、心の中心部分に残っているのです。

でも、学校を変えたいという気持ちがとても強いので、いったん話しはじめれば、その情熱が内気さを押しやります。

情熱を搔き立てられること、歓迎すべき変化をもたらすことを見つければ、自分のことはしばらく忘れていられるのです。

要するに、感情に休暇をやるみたいなものでしょう」と彼女は説明した。

だが、本人がうまくやる自信を持っていないのに、クラス全員の前でスピーチを無理強いしてはいけない。

一対一のパートナーを組ませたり、少人数のグループ内でスピーチをさせてみたりして、もしそれでも怖がるようなら、無理にやらせてはいけない。

子どもの頃にスピーチのことでいやな経験をすると、恐れが一生消えなくなってしまう危険がある。

■参考記事
内向型の人間がスピーチをするには
なぜクールが過大評価されるのか
内向型と外向型の考え方の違い
なぜ外向型優位社会なのか
性格特性はあるのか
内向型と外向型の上手な付き合い方

内向型の子どものよりよい教育環境

では、マヤのような子どもたちにとって、どんな教育環境が理想的だろう?

第一に、教師のための助言がいくつかある。

内向性を治療が必要なものだと考えないこと。

もし、内向型の子どもが社会技能の点で助けを必要としていたら、補習が必要な子どもに対するのと同じように扱い、教えてやるなり校外の教室を推奨するなりしよう。

ただし、その子のありのままを褒めよう。

英才児を受け入れているミシガン州アナーバーのエマーソン・スクールの前校長パット・アダムズはこう語った。

「一般に、内向型の子どもに対する教師からの典型的なコメントは、『モリーが教室でもっと発言してくれるのを期待します』というようなものです。

ですが、この学校では、多くの子どもが内向型なのだと理解しています。

彼らに自己主張させようとつとめていますが、かといって大袈裟に騒ぎ立てることはしません。

内向型の子どもは学習スタイルが違うのだと考えているからです」

研究によれば、私たちの三分の一から二分の一が内向型である。

つまり一クラスにいる内向型の子どもの数は、一般に考えられているよりも多い。

内向型のなかには小さな頃から外向型のようにふるまうのが上手な子どもがいて、そのせいで判別しにくくなっているのだ。

クラス内の全員の求めにかなうように、教え方のバランスを考えよう。

外向型は動きや刺激や共同作業を好む。

内向型は講義を聴いたり、休息時間を設けたり、独立して作業したりすることを好む。

両者の好みを平等に採用しよう。

※内向型の子どもはひとつか二つだけの物事に深い興味を抱くことが多く、それを仲間と分かち合うとはかぎらない。

ときには、型破りな情熱で興味の対象に取り組むが、研究によれば、そうした集中は才能を発展させるために必要とされるものだ。

彼らが興味を抱くことを褒め、熱心に取り組むよううながし、心を同じくする仲間を見つけるのを助けてやろう。

クラス内にいなければ、クラス外に見つかるかもしれない。

※グループ作業は内向型にとっても問題なく、それどころか有益となる場合もある。

ただし、参加者全員にその子の役割を知らせるよう配慮しよう。

ミネソタ州立大学協同学習センターのロジャー・ジョンソンは、内気あるいは内向型の子どもは、よく管理された少人数グループ作業からとくに恩恵を得るとしている。

なぜなら、「彼らは相手がひとりか二人ならば、なんの問題もなく質問に答えたり作業をしたりするが、自分から手を上げてクラス全員の前で発表したいとは思わない。

そうした子どもたちに自分の考えを言葉にして表現する機会を与えることは、非常に重要である」からだ。

考えてみれば、マヤが受けた三権分立の授業が少人数グループで行われ、誰かが「サマンサ、あなたは司会役をしてください。マヤ、あなたは討論を記録してください」ときちんと指示していたなら、状況はかなり違っていただろう。

※どんな分野でも、自分ひとりで作業するすべを身につけなければ、一流になるのは難しい。

あなたが教えている外向型の生徒に、内向型の同級生を見習わせよう。

すべての生徒にひとりで努力することを教えよう。

※コミュニケーション学教授のジェイムズ・マクロスキーは、静かな性格の子どもを教室で「会話が多い」エリアに座らせないように、と言う。

そういうエリアに座らせても、内向型の子どもはしゃべるようにならない。

それどころか、よけいに恐れを感じて、問題点ばかりに意識が集中してしまう。

内向型の子どもが発言しやすいように配慮するのは大切だが、無理強いしてはいけない。

「強い不安を感じている子どもに発言を強制してはいけない。

それは不安をいっそう増幅し、自尊心を損なう」とマクロスキーは記している。

※入学者を厳しく選抜する学校で、集団遊びのなかでの子どもの様子を選考要素とするときには、よくよく慎重に考えてほしい。

知らない顔ばかりの集団では、内向型の子どもは口をつぐんでしまうので、リラックスしたときの彼らがどんな状態なのか、選考担当者は目にすることができない。

そして、両親のためにはこんな助言がある。

もし、幸運にも、わが子の学校を選択できるのなら、たとえば気に入った公立学校がある区域へ引っ越せるとか、私立学校や宗教系の学校へわが子をいれられるのであれば、つぎのような学校をさがそう。

※生徒一人ひとりの興味を尊重し、自主性を強調している。

※集団活動一辺倒ではなく、グループ作業は少人数で実施し、きちんと指導している。

※やさしさ、おもいやり、共感力、社会性を重要視している。

※教室や廊下の整理整頓を重要視している。

※各クラスは少人数で、整然としている。

※「内気」「まじめ」「内向的」「繊細」といった気質を理解している教師を選んでいる。

※「学業」「運動」「課外授業」などにおいて、わが子がとくに興味を持っている分野に力を入れている。

※いじめ防止プログラムに力をそそいでいる。

※寛容で地に足のついた教育を校風としている。

※知的な子どもが多いとか、スポーツの得意な子どもが多いとか、わが子の個性に合った生徒が集まっている。

学校を自分の都合で選ぶのは、多くの家庭にとってあまり現実的ではないかもしれない。

だが、どの学校へ入学しようと、内向型の子どもの成功を助けるために、親ができることはたくさんある。

わが子が最も熱心に取り組む科目を見極めて、それを伸ばしてやろう。

校外で指導を受けたり、サイエンスフェアや作文教室に参加したりするのもいい。

集団活動については、グループのなかで自分が好きな役割をさがすことを教えてやろう。

集団活動の利点のひとつは、多種多様な立場を提供するところにある。

自分から発言して、記録係でも絵を描く役目でも、なんでもいいから興味を持てる役割に立候補するのがいい。

自分がグループに貢献していると自覚できれば、より快適に集団活動に参加できる。

子どもが発言の練習をするのを助けてやることもできる。

たとえ、みんなが今にも取っ組み合いをはじめそうに見えても、まずは時間をかけて自分の考えを頭の中でまとめてから口を開けばいいのだと、子どもに教えてやろう。

逆に、自分の順番を待っているあいだに緊張が高まってしまうというのならば、みんなよりも先にさっさと発言をしてしまうのが簡単だという助言もできる。

何を言えばいいか分からないとか、積極的になれないというのならば、力を十分に発揮できるよう助けてやろう。

思慮深い発言をする子どもならば、その性質を褒めて、よい質問をするのは答えを提案するよりも役立つのだと教えよう。

ユニークな視点から物事を見る子どもならば、それがどれほど貴重な資質かを教え、その考えを仲間たちにどうやって伝えるか一緒に考えてやろう。

現実に即したシナリオを考えよう。

たとえば、マヤの両親なら、行政グループの話し合いをどんなふうに進めればよかったのかについて、娘と一緒に考えるのだ。

できるだけ現実的な状況を設定して、それぞれに役割を決めてやってみるのだ。

そうすれば、マヤは「私は記録係になるわ!」と言うかもしれないし、「床にゴミを捨てた人は、ランチタイムの最後の10分間で掃除をする、というルールを決めるのはどうかしら?」と名案を思い付くかもしれない。

ここで問題なのは、マヤが口を開いて、学校でなにがあったかを親に打ち明けるかどうかにすべてがかかっているということだ。

たとえ、普段はなんでも話す子どもでも、恥ずかしい思いをした体験には口をつぐんでしまうことが多い。

低年齢のほうが素直に話すことが多いので、集団生活がはじまったらできるだけ早い時期から、そういう会話を習慣づけておくといい。

子どもに質問するときには、やさしい中立的な態度で、具体的にはっきりと訊こう。

「今日はどうだった?」よりも「今日の算数はどうだった?」と尋ねるのだ。

「担任の先生のことは好き?」よりも「担任の先生のどんなところが好きなの?」とか「どうしてそんなに嫌いなの?」といった具合に。

そして、じっくり時間をかけて答えを待とう。

親たちがよくやるように、やけに明るい声で「学校は楽しかった?」と訊くのは避けよう。

子どもはイエスと答えなければいけないと感じとってしまう。

もし、それでもわが子がしゃべりたがらなかったら、時間をかけよう。

リラックスしてその日の体験をしゃべれるようになるのには数時間かかる場合もある。

お風呂に入っているときや眠る前など、本当にくつろいだときにだけ話をする気になる場合もある。

もしそうならば、一日のうちにそういう時間をしっかりとるようにしよう。

そして、信頼しているベビーシッターや、祖母さんや、年上のきょうだいなど、あなた以外の誰かになら話をするというのならば、親としてのプライドはぐっと吞み込んで、助けてもらおう。

最後にひとつ。

内向型のわが子が、どう考えても学校の人気者ではないと思っても、心配しないように。

子どもの発達の専門家によれば、ひとりか二人とのしっかりした友情は子どもの感情的・社会的発育にとって非常に重要だけれど、人気者である必要はないのだ。

内向型の子どもの多くは、成長すればすばらしい社会技能を身につける。

ただし、彼らなりのやり方で集団と関わるので、うちとけるのに時間がかかったり、短期間しかつきあわなかったりする。

それはそれでいいのだ。

社会技能を身につけたり友達をつくったりする必要はあるけど、なにも学校で一番社交的な子どもになる必要はない。

だからといって、人気者はつまらないという意味ではない。

たぶんあなたは、わが子に容姿や頭の回転の速さやスポーツの才能を期待するのと同じく、人気者であってほしいと願うだろう。

けれど、自分の期待を押しつけず、満足できる人生を送るためにはいろいろな道筋があることを忘れないようにしようではないか。

長所や興味を育む

情熱を傾ける対象を見つける道は、学校の外にもたくさんある。

つぎつぎにさまざまな趣味や活動に興味を持つ外向型と違って、内向型はひとつのことに打ち込むことが多い。

これは彼らにとって重要な長所である。

なぜなら、自尊心は能力に由来し、その逆ではないからだ。

ひとつのことに強い愛着を持って没頭することは、幸福と恩恵とへ通じる確実な道だと立証されているのだ。

才能や興味を育むことは、子どもにとって大きな自信の源になりうる。

たとえば、前出のグループ学習が苦手なマヤは、毎日下校後に自宅で本を読むのが大好きだ。

だが、彼女は、チームスポーツであり結果を求められるプレッシャーもあるというのに、ソフトボールも大好きだ。

ソフトボールチームの入部テストを受けて合格したときのことは、今も忘れられないと彼女は言う。

怖いほど緊張していたが、みごとにヒットを打ったのだ。

「努力が報われたと思ったわ。うれしくて笑ってしまったの。すごくわくわくして、得意な気持ち-あのときの気持ちは絶対に忘れられない」とマヤは語った。

だが、親にとっては、そういう満足感を子どもの心に起こさせるお膳立てをするのがとても難しい場合もある。

たとえば、内向的な子どもになにかスポーツをやらせたからといって、その子が自尊心を持てたり、友達付き合いが円滑になったりするとはかぎらない。

わが子がそのスポーツが好きで、マヤのように得意ならばいいだろう。

チームスポーツは誰にとっても、そしてグループ活動が苦手な子どもにとってはとくに、大きな恩恵をもたらすことがある。

ただし、どのスポーツを選ぶか、そもそもスポーツをするかどうかは本人に決めさせよう。

スポーツはやりたくないというのなら、それはそれでいい。

同年齢の子どもたちとふれあえて、同時に自分のスペースも確保できるような活動を見つけるのを手伝ってやろう。

得意な分野を育てるのだ。

子どもの興味の対象があまりにも孤独だと感じられても、たとえば絵画やエンジニアリングや作文などでも、同じ興味を持つ子どもたちと触れ合うことができるのだ。

「チェスや、複雑なロールプレイングゲーム、なかには数学や歴史に対する強い関心を通じて、仲間を見つけた子どもをたくさん知っている」と、前出のミラー医師は語った。

ニューヨークシティで学童や10代の子どものための文章創作のワークショップ<ライトピア・ラボ>を開いているレベッカ・ウォレス=シーガルは、やってくる生徒たちについてこう語る。

「大半は、ファッションやセレブの噂話を何時間もしゃべるような子どもではありません。

そういう子どもがあまり入ってこないのは、物事を分析したり掘り下げたりするのが好きではないからでしょう。

物事を多方面から検討したり、分解して再構築したりするのが好きなのは、世の中で『内気』と呼ばれている子どもたちのほうで、その表現とは矛盾しますけれど、そういう面に関して彼らはまったく内気ではありません。

同年代の子どもたちが飽きてしまうようなことについて、より深い部分でたがいを理解し合います」そういう子どもたちは、自分なりの準備が整うと「殻を破る」のだ。

ライトピア・ラボの子どもたちは地元の書店で自分の作品を発表し、全米の創作コンクールなどでも数多くの受賞者が輩出している。

もし、あなたのお子さんが刺激に過度に反応しがちならば、美術や長距離走といった、プレッシャーで結果が左右されにくい活動を選ぶのもいいだろう。

だが、お子さんが結果を求められる活動を選んだとしても、あなたはそれを助けることができる。

子どもの頃、リリーはフィギュアスケートに夢中だった。

八の字を描いて滑ったり、くるくる回ったり、ジャンプしたりして、何時間でもリンクにいられた。

それなのに、競技会となると不安でたまらなかった。

前日は全然眠れなかったし、いざ本番となれば、練習では簡単にできることも失敗ばかりだった。

緊張するのはみんな同じだと慰められて、最初のうちはそれを信じていた。

けれど、オリンピックの金メダリスト、カタリナ・ヴィットがインタビューを受けているのをテレビで見て、それが真実ではないと知った。

試合前の緊張感が、金メダルを勝ち取るのに必要なアドレナリンをもたらしてくれた、とヴィットは話していた。

そのとき、リリー自身がヴィットとはまったく違う人間なのだとわかったのだが、その理由を理解するには数十年かかった。

彼女の神経系は緊張をエネルギーに変換したけれど、リリーの神経系は緊張を増幅して平静さを失われたのだ。

当時、リリーの母はリリーのスケート仲間の母親に、競技会前の緊張をほぐすためにはどうすればいいかと相談して、リリーを元気づけるために、「クリスティンも緊張するんですって」とか「レネーのママも同じようなことを言ってたわ」などと言った。

でも、クリスティンもレネーも自分ほどひどく怖がってはいないと、リリーは確信していた。

もし当時、自分のことをもっとよく知っていたら、きっと役に立っただろうと思う。

もしあなたのお子さんがフィギュアスケート選手を夢見ていて、私のような内向型なら、それを本人に認識させたうえで、たとえどれほど緊張するタイプだとしても、それが成功を阻む致命傷にはならないと教えてやろう。

本人が一番恐れているのは、大勢の人の前で失敗することだ。

だから、競い合ったり失敗したりすることに慣れて、自分を鈍感にすればいいのだ。

知っている人が少ない遠い会場で開催される競技会なら、それほど失敗を恐れずに済む。

納得のいくまで練習をさせよう。

会場が慣れないリンクならば、本番前に何度かそこで滑ってみればいい。

「大丈夫よ。たとえ失敗して最下位だったとしても、それがどうしたっていうの。

人生が終わるわけじゃないでしょ」と話してやろう。

そして、うまく滑れればどんな気持ちを感じられるか、想像するのを手助けしてやろう。

あなたが失敗したところにあなたのチャンスがある

情熱を解き放つことは、子どもが小学生のときだけでなく、中学生、高校生になっても、さらにその先までもずっと、人生を変える力を持ち続ける。

ドラマーで音楽ジャーナリストでもあるデヴィッド・ワイスの体験談をご紹介しよう。

ワイスはまさにチャーリー・ブラウンのような内気な子どもだったが、成長してクリエイティブな世界で成功を収めた。

彼は妻と赤ん坊の息子を愛している。

自分の仕事を愛している。

幅広く興味深い人脈を持ち、音楽を愛するものにとっては世界で一番わくわくする場所だと認めるニューヨークシティに住んでいる。

愛情と仕事に関する昔ながらの物差しで測れば、ずばらしい成功者だ。

だが、少なくともワイス本人は、最初から順風満帆の人生を予測してはいなかった。

子どもの頃、彼は内気で不器用だった。

音楽と書くことに興味を持っていたが、当時の彼が大切だと思っていた人々、つまり学校の友人たちからすれば、いずれもなんの価値もないものだった。

「みんなは『今が人生で一番いい時だ』と僕に言った。

僕は心の中で思ったよ、『冗談じゃない!』ってね。

学校が大嫌いだった。

『ここから出ていかなくちゃ』と思ったのを覚えている。

ちょうど学園コメディ映画『ナーズの復讐』が公開された六年生のとき、僕は殻を破ったようだ。

自分が頭がいいのは知っていたが、僕が育ったデトロイト郊外では、アメリカの99%の地域と同じく、見た目が良くて運動ができればなんの問題もない。

だが、頭がすごくいいからって、誰も尊敬してくれない。

それどころか、出る杭は打たれる。

頭のよさは僕の一番の強みで、おかげでずいぶん楽しめたけれど、同時に、いつも注意していなければならなかった」とワイスは回想する。

では、ワイスはどんな道のりを経て現在に至ったのだろう?

ワイスにとって転機はドラムだった。

「ある時点で、僕は子ども時代のすべてのものに打ち勝った。

ドラムをはじめたのがきっかけだった。

ドラムは発想の根源だった。

『スターウォーズ』のグランドマスター、ヨーダみたいな存在でもある。

中学生の頃、高校生のジャズバンドが来て演奏したんだけれど、遠くから見て最高にクールなのはドラマーだった。

僕にとって、ドラマーはアスリートみたいなもの。

運動系じゃなく、音楽系アスリートだね。

そうして僕は音楽に夢中になった」

まず、ワイスはドラムのおかげで社会的に認められた。

体の大きさが自分の倍もある運動部員たちにパーティから追い出されることがなくなった。

だが、まもなく、ドラムは彼にとってもっと深い意味を持つものになった。

「自分がクリエイティブな表現をしているのだと突然気付いて、すごく驚いたよ。

僕は15歳だった。

そのとき、この先もドラムをやっていこうと心に決めた。

僕の人生はドラムのおかげで一変して、その変化は今もずっと続いている」

ワイスは九歳の自分がどんな子どもだったか、今でもはっきり覚えている。

「あの頃の僕に話しかけてやりたいよ。

今の僕がクールなことをやっているとき、たとえばニューヨークシティで、会場いっぱいの人たちの前でアリシア・キーズにインタビューしているとき、過去の自分にメッセージを送るんだ。

なにもかも変わるから大丈夫だよって。

九歳のとき、ぼくはその未来からのメッセージを受け取った気がする。

それが、あきらめない力を与えてくれた。

僕は今の自分と過去の自分とを結びつけたんだよ」

両親もまた、彼に大きな力を与えた。

彼らはワイスのやる気をなによりも大切にした。

彼が楽しんで一生懸命になっているかぎりは、その対象がなんだろうと干渉しなかった。

父親はフットボールの熱狂的なファンだったが、「『なんでフットボールをやらないんだ?』なんて絶対に訊かなかった」とワイスは回想する。

彼は一時期ピアノやチェロに夢中になったこともあった。

それをやめてドラムをやりたいと言ったとき、両親は驚いたものの一言も反対しなかった。

両親は彼があらたな情熱の対象を見つけたことを受け入れた。

そうして息子を包み込んだのだ。

もし、あなたがデヴィッド・ワイスの変身の物語に共感するのなら、それにはもっともな理由がある。

彼の話は、心理学者のダン・マクアダムズが「ライフストーリー」と呼ぶものの完璧な例であり、精神的健康と物質的幸福を示している。

マクアダムズはノースウェスタン大学のフォーリー生涯研究センターで、人々に自分自身について語らせる研究をしている。

マクアダムズによれば、人はみなまるで小説家のように、「起承転結」の形式で自分の人生を語る。

そして、過去の挫折体験をどのように語るかは、現状にどれほど満足しているかに大きく影響される。

現在が幸福でない人は過去の挫折を否定的に語る傾向が強く(たとえば「妻が去ってから、僕はすっかり変わってしまった」)、前向きに生きている人は過去の挫折を「一見すると不幸に見えて、じつはありがたいもの」として肯定的に語る傾向がある(たとえば、「離婚はなによりつらい体験だったけれど、再婚した妻との暮らしはもっと大きな幸福をもたらしてくれた」)。

そして、自分の人生に完璧な充足感を得て、それを家族や社会、ひいては自分自身に還元しようという人は、過去において自分の身に降りかかった苦難に意義を見出す傾向がある。

つまりマクアダムズの研究は、「あなたがつまずいたところに、あなたの宝物がある」という西欧の伝統的な考え方を再確認したといえる。

ワイスのような内向型の人にとって、思春期とは大きくつまずく時期であり、傷ついた自尊心と社会的な不安が絡み合った暗い藪のように感じられることが多い。

中学校でも高校でも、重要視されるのは積極性と社交性だ。

深みや繊細さはあまり価値を認められない。

けれど、多くの内向型は、ワイスのように自分の人生を前向きに綴れる。

チャーリー・ブラウンのような日々をすごさなくてはならないとしても、その先には幸福にドラムを高鳴らせる日々が待っているのだ。