内向型人間の楽になる人付き合い

内向型人間がパーティを楽しむ方法

会場内は人の海。

騒々しい話し声で耳が痛い。

内向型のRさんは安全な隅っこをさがして、あたりを見回す。

胃がきゅっと縮み、息遣いが速くなる。

逃げ出したい。

夫のMさんは、友達に声をかけにいった。

彼は活気づいている。

パーティーが大好きだから。

人の群れの間を縫って歩き、あちこちに会釈し、笑顔を見せている。

Rさんがまっすぐトイレへ向かったのは、そのときだ。

しばらくそこに留まって、壁紙やハンドタオルや石鹸をじっくり眺める。

設備の整ったトイレほどありがたいものはない。

気持ちが楽になっていく。

胃の緊張が解け、呼吸も正常にもどる。

しばらくすると、平和なトイレをあとにする決心がつく。

人の群れのひとつにMさんの禿げ頭を発見。

Rさんは彼の隣にするりと割り込む。

彼がペプシを渡してくれる。

Rさんはみんなとおしゃべりする。

人の話を聞くのは、いいものだ。

笑ったり話したりするのも楽しい。

ときおり、例のごとく逃げ出したくなり、Rさんはふたたびトイレへ行く。

ときには、トイレに潜伏する同類に出くわすこともある。

Rさんたちはお互いに気付き、笑みを交わす。

もちろん彼女は、礼を失することなく辞去できるまでの残り時間をカウントダウンしているのだ。

まず食事が、つづいてデザートが出てくる。

ピーチメルバをふたかじりしたところで、Rさんは夫のMさんを振り返ってささやく。

「あと五分したら、帰りたいわ」

パーティーでのRさんは、いちばんよくてもこんな具合だ。

信じてもらえないかもしれないが、このレベルに達するのにさえ何年もかかっている。

社交的な集まりは楽しい―じきに帰れるとわかってさえいれば。

まもなくパジャマに着替え、自分の寝室の平和と静けさに浸れるのであれば、社交的集まりにつきものの居心地悪さやエネルギーの流出にもなんとか耐えられる。

実際、内向性について理解すればするほど、人付き合いは楽になるようだ。

内向型の人の多くは、人間好きであっても、社交的な催しは苦手だった。

事実、トイレに隠れた話をすると、大勢が身に覚えがある様子であった。

「ああ、あなたもですか?」

セラピーを受けているEさんは、ある月曜の朝、入ってくるなり、部屋のブランコ椅子にどすんとすわりこんだ。

「ああ、お出かけの二日酔いだわ」彼女は笑った。

「この週末はふたつも会があったの。すごく楽しかったけど、もうへとへと。どうしてこんなにばてちゃうのかしら?」

内向型の人のほとんどは、人と接するのが上手で、友達や家族とすばらしい関係を築いている。

事実、彼らの多くは、人とかかわる職業に就いている。

では、社交的な集まりがしばしば彼らに、不安や疲労感をもたらすのはなぜなのだろう?

それはきっと、グループ交際には大量のエネルギーが求められるからだ。

まず、出かけるための心の準備がエネルギーを奪う。

なぜなら、内向型の人は前もっていろいろ考え、あれこれ想像をめぐらす傾向があるからだ。

きっと疲れるだろう、居心地悪さや不安を感じるだろう、と彼らは思う。

第二に、内向型の人のほとんどは、その場の空気に慣れるまでに長い時間を必要とする。

ざわめき、色、音楽、知らない顔、知っている顔、食べ物、飲み物、匂い―すべてが脳への過剰な負担となりうる。

最後に、ただ物理的に大勢の人、友達や敵に取り巻かれているだけで、内向型の人のエネルギーは枯渇するのである。
■参考記事
内向型と外向型はどこが違う?
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
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気の利いたやりとり対中身のある会話

社交的な集まりで交わされる会話は、ほとんどどれも、外向型人間向けにできていて、彼らにたくさんの刺激をもたらす。

しかし内向型の人にとって、それは性に合わない、かなりきついものだ。

軽いおしゃべりの話題は、最近のニュース、天気、スポーツなどに集中しがちだ。

それはしばしば、騒々しく、対抗意識が強くて、ペースも速い。

人々はたいてい、立ったままで話をする。

その表情は活気づいており、お互いに目はまっすぐに合わせている。

みんなごく自然に、左右の人をさえぎりながらしゃべり、立ち入った質問をたくさんする。

話についていけない人は、気詰まりになり、居心地悪そうに見える。

そういう人は、水を向けられることもなく、みなに見過ごされ、無視されてしまう。

ある日、セラピストは、Kさんという十三歳の少年の母親から電話をもらった。

「Kさんはセラピストに会いたがっているんです」彼女はそう説明した。

「インターネットの情報で自己診断しまして、自分は対人不安だと言うんですよ」

やって来たKさんは、自らの生活について語った。

数分後、明らかとなったのは、Kさんには友だちが―彼を相談相手とする仲間が―大勢いるということだった。

「なぜ自分を対人不安だと思うのか教えてくれない?」わたしは言った。

「えーとね」彼は言った。

「ごくふつうのことで、ぼくにとってはいやなことがすごくいっぱいあるんだ。

ビーチへ行くとか、コンサートに行くとか。

お昼の人混みとか、授業の前にふざけて騒ぐのとか。

いつも仲間に溶け込めないんだよ。

無視されてると感じるか、無理強いされてる気分なの」

本人は気付いていなかったが、キャメロンは自分自身をよく理解していた。

内向型の人は、興味のあることを話題とした一対一の会話によって元気を得る。

彼らは、お互いが相手の意見についてじっくり考える、複雑な議論によって(ある程度まで)充電されるのである。

セラピストはこれを生産性のある会話と見なしている。

その過程で新たなアイデアがつぎつぎと生み出されるからだ。

こうした発展性のあるおしゃべりは、内向型に向いている。

というのも、その間、すわっていられるからだ(立っていると、よけいエネルギーを消耗するうえ、内向型の人はいっそう無防備な気分になる)。

また、話すよりも聞くことに重点を置けるし、会話に飛び込む前に間をとれるし、さえぎられる頻度も低い。

相手との接触を断たれることなく目をそらすことも(もし刺激の量を抑えたければ)可能であり、笑顔はさほど重要でなく、迷惑な立ち入った質問も、さしたる問題にはならない(それには答えても答えなくてもよいのだ)。

さらに、自分が目立ちすぎているとか、影が薄いなどと感じることもない。

一対一の会話なら、話を引き出してもらえることも多く、前置き抜きで何か言えば、たいてい相手はそれに対して質問をしてくる。

また、あの恐ろしい思考停止におちいっても、なんの支障もなくこう言える。

「あれ?いま何を言おうとしていたんだっけ?」

■参考記事
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人が大勢いる場がいつも苦手なわけではない

内向型の人にとって不可解なのは、ときには自分も、出席者が三々五々群れて立つ、混雑した騒々しい会を楽しめること、そして、それによって元気が得られることである。

ところが、つぎのときには、彼らは消耗してしまう。

一体どうなっているんだろう?

内向型の人のほとんどは、交わりを楽しむべきだと思っているので、なぜいつも元気になれないのか疑問に思う(外向型の人は、多少内向きな気分になっても、「休息が必要なんだな」と思うだけだ。

彼らはもともと交わりが好きなので、たとえへたばってもそれについては深く考えない。

そのことでは、さほど動揺も混乱もしないようだ)。

実を言えば、人間はみな生まれつき、外向きにも内向きにもなれる生理的能力を備えている。

条件が整えば(その理由は必ずしもはっきりしないが)、わたしたちの体と脳はある程度の外向性を発揮する。

事実、内向型の人もときには、ちょっとした無駄話を楽しんだり、はめを外して遊んだりすることがある。

しかし、もしあなたが連続体の内向型寄りにいるのなら、会合に出掛けたあとはたいてい休養が必要になるだろう

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パーティーに行くべきか行かないべきか

内向型の人はしばしば、社交的な集まりに出席するかしないかでひどく頭を悩ます。

わたしたちは、どうすべきかにとらわれて、自分がどうしたかいを考えるのを忘れがちだ。

もちろん、選択の余地がない場合もある。

たとえば、仕事がらみの行事、親族の集まり、親友の結婚式などだ。

しかし場合によっては、わたしたちには選択肢がある。

シャイに関する大半の著書の教えには反するが、身のまわりで行われるありとあらゆる催しに出席する必要はない。

とはいえ、すべての会を避けていれば、きっとあなたは疎外感を味わうことになるだろう。

そのうえ、自分が意気地なしに思えるだろうし、楽しめたはずのひとときを逃すことにもなりかねない。

何事においてもそうだが、まんなかの道はある。

それはたいてい、いちばん健全な道だ。

会合があるときは、必ず、出欠を決めるのに役立つ一連の質問を自分にすることにしよう。

数日間、迷ってもかまわない。

それは、好ましい選択肢がふたつある証拠だ。

自分にこう言うといい。

「水曜までに決めて、返事をしよう」

行かなければ、あなたは後悔するかもしれない。

でも、それでいいのだ。

別にまちがった選択をしたことにはならない。

自分に選択肢を与える練習を重ねれば、自分にもほんとうに出席したいときのあることがわかってくるだろう。

以下に、パーティーへの出欠の決め手となりそうな、自分への質問を挙げておこう。

  • この集まりは、自分やパートナーのキャリアのためになるだろうか?
  • このイベントは、自分にとって大事なもの―たとえば、価値を認めている慈善事業の寄付集め、支持している政治家のための集会、親しい友人が主催するパーティーなど―だろうか?
  • これは一回限りの会だろうか、それとも、またの機会もあるのだろうか?
  • 規模は大きいのか、小さいのか、あるいは中くらいなのだろうか?
  • 自分の知り合いは、大勢来るのか、数人なのか、それとも、まったくいないのだろうか?
  • 出席しなかった場合、自分が好意を持っているだれかを傷つけることになるだろうか?
  • 社交的な集まりへの参加は、近頃、多すぎるだろうか、少なすぎるだろうか?

ときおり、社交のレパートリーを増やし、少しきつめのおつきあいにも挑戦しよう。

たとえば、その会があなたや配偶者にとって仕事上、重要なものだったら、少しだけ顔を出すことを考えてみよう。

会う必要のある人、たとえば上司とだけ話しをし、その後、辞去するという手もある。

ちょっと顔を出して、さっと帰るのは、少しも悪いことではない。

もし楽しめるようなら、そのまま留まればよいのだ。

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如才ない辞退テクニック

内向型の人は、社交的な集まりに出席する気になれないことに、うしろめたさやきまり悪さを覚えがちだ。

その結果、招待をことわるとき、実はひどく気にしているのに、そっけなく見えたり、無頓着な印象を与えたりする。

ときには、ことわるのがいやなあまり、出欠の返事をしないこともある。

これでは事態を悪くするばかりだ。

如才のないことわりかたをみにつければ、招待者もはねつけられたと感じずにすむ。

要は、招待に感謝し、出席できるかできないかを述べ、もしまた誘ってほしいなら、相手がつぎのときにあなたを誘いやすいようにすることだ。

嘘も方便ということをお忘れなく。

内向型の人の多くは真正直だが、それが本人のためになるとはかぎらない。

たとえば、もしもあなたがパーティーへの招待を「それだけのエネルギーがありませんので」とことわったら、招待した側はきっと腹を立てるだろう。

イギリスの作家ジェーン・オースティンがかつて言ったように、この社会に生きる以上、わたしたちはときおり人間関係という車輪に油を差さなくてはならない。

さもないと、それはおかしくなってしまうのだ。

つぎに、シンプルながら如才ないことわりかたをいくつか挙げておこう。

  • 「ご招待ありがとうございます。残念ですが、都合がつきません」(必ずしも理由を述べる必要はない)
  • 「ああ、残念、その日はだめなんです。次回はぜひ参加させてください」
  • 「お招きありがとう。そのあと行くところがあるんですが、お目にかかれるせっかくのチャンスですから、ちょっとだけ顔を出させていただきます。何か持っていくものはありますか?」

大切なのはエネルギーを貯めること

街で過ごす夜に向け、前もってエネルギーを蓄えておくのは大切なことだ。

水力を利用するために川の流れをせき止めるダムと同じで、
あなたも外に向かって過ごすためのエネルギーをためておかねばならない。

いくつか助言をしておこう。

  • 一週間にあまり多くの予定をつめこまない。
  • 会合の前には、散歩や読書や昼寝をするか、自然のなかでくつろぐこと。
  • パーティーのことで不安になったら、たくさん水を飲み、深呼吸しよう。
  • 家を出る前に、力をつけるためにタンパク質をとろう。
  • 翌日の午前中に充電のための時間を確保しておくこと。

取り越し苦労は内向型の特徴

内向型の人の多くは取り越し苦労をする。

前もって起こりうる災厄を予測したり、前回出かけたときどんなに疲れたかを思い出したりするのだ。

これによって、パーティーに対する不安はますますふくらむ。

もしもあなたがシャツにシュリンプソースをこぼす自分の姿を思い描いたり、結婚式のあと、とぼとぼ家路をたどる自分を想像したりしているのなら、その不安から気をそらすよう努めることだ。

  • 自分にこう言い聞かせよう―「きっと楽しく過ごせる。なにがあってもちゃんと対処できる」
  • かつて楽しい会に出席していたときの自分の姿を思い浮かべよう。
  • その会で会えるはずの友達のことを考えよう。
  • あなたはエネルギー量を調節することができる。そのことを自分に思い出させよう。

パーティー会場に着いたときの戦略

社交の場に入っていくときも、別に外向型の人と同じように入場する必要はないのだと思えば、いくらか気が楽になるだろう。

あなたは内向型らしく段階的に、まずしばらく様子を見てから、そこへ入っていけばよい。

ちょうど深海ダイバーが海面への上昇速度をコントロールするように、徐々に場の雰囲気に自分を慣らし、人付き合いの”減圧症”を緩和しよう。

一歩一歩ゆっくりと、お祭り騒ぎに入っていこう。

  • ドアに近づくとき、たぶん自分が緊張することを思い出そう(ドキドキしてもいいのだと自分に言い聞かせること)。二度、深く大きく息を吸ってから、ベルを鳴らそう。
  • なかに入ったらすぐに、会場全体が見渡せる、安全な止まり木を見つけよう(たとえば、暖炉のそばのソファの肘掛けにお尻を載せる、など)。
  • 招待者をさがし出して挨拶し、何か手伝うことが無いかたずねてみよう(通常、人は手を貸すことで仲間の一員だと感じることができる)。
  • あたりを観察しながら、自分の心の状態に注意を向けよう。あなたは適応しはじめているだろうか?

内向型人間が社交でうまくいくための七つの戦略

さて、パーティーへの潜入に成功したら、お次はちょっと人と交わってみる番だ。

でもどうやって?

ほとんどの人はまっすぐ友達のところへ向かう―知り合いの誰かとくっついて過ごすのだ。

でも、知っている人が一人もいなかったら?

友達がみんな他の人と話していたら?

あるいは、知らない人と知り合いになりたかったら?

つぎに、人と簡単に知り合いになるための戦術をご紹介しよう。

イソギンチャク作戦

内向型のTさんは、ワシントンDCでの会議に出席し、ごった返す人混みに足を踏み入れた。

知り合いはひとりもいない。

大勢のビジネスマンに取り巻かれ、もみくちゃにされるうちに、彼は腕の皮膚や胸の内側がぞくぞくしてきた。

幸い、こんな場合の対処法ならわかっていた。

そこで、深呼吸をひとつすると―そのまま部屋をあとにした。

彼はぶらぶらと二階へ上がっていき、バルコニーに出た。

そこには、クッションのふくれあがった椅子がいくつかあった。

彼はそのひとつに腰を落ち着け、眼下でうごめく人々を眺めだした。

しばらくすると、下の雑踏から何人か他の脱出者たちが上がって来た。

まもなくその人たちもみんなすわり、一同は内向型人間のペースでおしゃべりを始めた。

この方法をイソギンチャク戦術と名づけ、大きな集まりで使われている。

イソギンチャクは岩にくっついたまま、海流に乗って触手を揺らしている。

やがてご馳走が向こうから漂ってくる。

イソギンチャクはそれをおびき寄せるのだ。

パーティーで、隅の一カ所や見晴らしのよい場所に店をかまえるとき、いつもこのイソギンチャクのような気分になる。

内向型の人にとっては、会場内をさまよい歩くよりも、自分の岩にくっついてすわっているほうがずっと心地よい。

そして、遅かれ早かれ、きっとだれかが漂ってくる。

こちらが感じよくちょっとほほえめば、たいていの人はふたことみこと言葉を交わそうと足を止める。

しばらく留まる人もいれば、すぐ立ち去っていく人もいる。

じきにまた別の人がおしゃべりをしにぷかぷかと寄ってくる。

自信がある”ふり”をする

心理療法に「その”ふり”をせよ」というものがある。

それは、新しい技能や新しい役割がすっかり身につくまでの対処法である。

ちゃんとやりかたを心得ていて、確信があるふりをしていれば、そのうち、「わたしにはできる」と思えるようになる。

言い換えるなら、できるようになるまでまねごとをしろということだ。

内向型の人の多くは、本物であることを重んじる。

パーティや集会に入っていくとき、自信に満ちたお客の”ふり”をしてみてはどうだろう?

平静そのものの自分の姿を想像し、また、以前堂々たる態度でみなと接したときのことを思い出そう。

「できるようになるまで、まねごとをするぞ」という姿勢で臨むことだ。

見知らぬ人たちにほほえみかけ、出席者らを見渡し、彼らに興味を持とう。

内心びくびくしていても、傍目には平静に見えるのだ、と自分に言い聞かせよう。

人の目に映るあなたは、あなたの心中とはちがっている。

自分に興味深い話のネタがたくさんあることを思い出そう。

だれかと目を合わせ、そのグループに加わろう。

あなたには、他の人の話を聞くことができる。

それに対してコメントすることもできるし、自分の考えを付け加えることもできる。

しばらくしたら、別のグループへ移ってもいい。

まもなく、補助輪は浮き上がり、あなたの気分ははるかに楽になるはずだ。

つねに完璧にはいかないかもしれない。

出だしはあのいやな緊張感―胸一杯の激しい不安―を感じるだろうし、気詰まりな瞬間もあるだろう。

でも全般的には、まずまずうまくいくはずだ。

そして自信のある”ふり”をすればするほど、度胸はついていく。

なぜなら、このわざの極意は”ふり”をするあなたはすでにあなたの一部だと気づくことなのだから。

それは、怖がっていないあなたなのだ。

小道具できっかけづくり

内向型の人のひとりが、ある気の利いた方法を教えてくれた。

彼女はパーティーに行くとき、小道具を身につけるという。

たいていの場合、それはミニチュア・フィギュアがたくさんぶら下がったセラミックのネックレスだ。

一方のネックレスには、じゃれている猫の群れ。

もう一方には、元気よく飛び跳ねながらぐるぐる首を回るダンサーたち。

どちらも、風変わりな、興味をそそる連中だ。

人々はその奇抜なフィギュアについて質問をしてくる。

それはなんですか?

そのネックレス、どこで手に入れたんですか?

こうして会話が始まる。

他の出席者もまた、注目すべきものや話の種が見つかってほっとするのだ。

最初は、小道具など持っていると、人目を引きすぎて、ますます刺激過剰になるような気がするかもしれない。

しかしセラピーを受けている人たちには、その恐れはないことを知った。

小道具の効用は、あなたではなくその小道具に注意を引きつけることなのだ。

飾りピン、古い政治運動のバッジ、小さな写真の入ったロケット、おかしな帽子、めずらしい髪飾り、特別な指輪や腕時計を身につけるのは、楽しいものだ。

ある人はクマのプーさんの腕時計(プーさんが蜂たちから逃げている)を持っているが、実際いろいろな人にこう言われてきた。「クマのプーさんの腕時計をしてるんだもの、あなたが悪い人のはずはありませんよ」

他に持っているのは、おもしろソックスのひとそろい。

ズボンの裾からわずかにのぞくそのソックスに、どれほど多くの人が気づくかは驚くばかりだ。

またある人は、キラキラする飾りやラインストーンのついた靴を履くのも好きだ。

それらの靴もたいてい、二、三のコメントを引き出してくれる。

また、ある人はアニメのキャラクターのついたネクタイを一式持っている。

それを見ると、人々はすぐ自分の好きな漫画のキャラクターについておしゃべりを始める。

二つ三つコメントがほしいだけなら、何か目立たないものを選ぶといい。

うまく選べば、その小道具は、あなたにぴったりの話し相手を吸い寄せてくれるだろう。

ペットや子どもも、すばらしい小道具になる(もちろん、それ以上のものでもあるが)。

もうひとつのいい小道具は、カメラだ。

社交的な集まりで写真を撮っている人は、多くの場合、いちばん居心地悪さを感じている人なのだ。

注目の的となっている内向型の人の多くは写真を撮ることで安心感を得る。

彼らは、会話からは外れ、なおかつ、グループ内には留まれるよう、距離を置いて観察するという内向型の能力を活かしているのだ。

これは、刺激を調節する賢いやり方だ。

とにかく感じのよい顔で

他人との交流には、内向型の人にとってとりわけ厄介な要素がいくつかある。

すなわち、目を合わせる、世間話をする、いいタイミングでほほえむ、ばつの悪い瞬間(たとえば、友達の名前を忘れた場合など)をとりつくろう、といったことだ。

だが外向型の人でも、知らない人といて、気まずさを覚えることはある。

それを忘れないこと。

目を合わせれば刺激が増すので、内向型は、相手の視線を避けがちだ。

刺激のレベルを下げるために目をそらすことは、かまわない。

大事なのは、いつそらすかだ。

以下に、いくつか助言をしておこう。

●相手があなたに話しかけているときは、まっすぐその人を見ること。

●自分が話しているときは、会話から抜けたと思われずに目をそらすことができる。

人は、聞き手が自分の言ったことに反応してくれると喜ぶ。

ひとことも言わなくても、興味を持っていることは伝えられる。

あなたは、口だけでなく、目でほほえむこともできるのだ。

人間がほほえみ、表情をつくるのは、他者を引き込むためだ。

内向型の人は、多くの場合、内的世界に没頭していて、外からの反応を求めない。

結果として、表情も笑顔もない静かな顔になりがちだ。

生き生きした表情をつくれば、よけい刺激を招くことになり、集中が妨げられる。

自覚はないものの、彼らはそのことを知っているのだ。

しかし、表情の欠如は、感じのよい顔を懸命にさがしているパーティーの出席者たちを遠ざけるだろうし、怖じ気づかせる恐れさえある。

その一方、極端に走ってしょっちゅう笑顔を見せていたら、物静かな人やシャイな人はあなたを自信過剰なやつと受け止めるかもしれない。

だから、ほのかにほほえむすべを身につけよう。

最初は口を閉じたままほほえむ。

相手と親しくなってきたら、少し歯を見せてもいい。

ところで研究によれば、わたしたちの気分はほほえむことによって、実際、明るくなるという。

それは、脳内の”気分高揚”物質に作用するのだ。

世間話のテクニック

内向型の人の多くは、世間話にだれでも学べるロジックがあることに気付いていない。

世間話は、四つの句―起承転結―からできている。

まずは「起」、会話をはじめるテクニックだ。

「そなえよつねに」とはボーイスカウトのモットーだが、パーティーでの会話にも、備えは有効だ。

会議、パーティー、その他の集まりに出席する前は、雑誌や新聞を読んだり、テレビの人気番組や映画を見たりして、話の種を仕入れよう。

最近の政治問題について勉強しなおし、コメント、意見、質問を用意しよう。

研究によれば、会話中のグループに加わりたいなら、いちばんいい方法はその話題について質問をすることだという。

グループのなかに割り込んで話題を変えようなどとしないこと。

その人たちは、脅威を感じるかもしれない。

起の句は、他の人を話に招き入れる開放型の中立的な質問だ。

自分自身やパーティーについてひとこと述べるせりふを、いくつか書きとめておこう。

ちょうどオードブルのように、これらのせりふは食欲をそそり、他の人々に話すきっかけを与える。

鏡の前で、または、友達を相手に、そういったせりふを練習しよう。

以下に、いくつか例を挙げておく。

  • 「どうも、山田です。ホストのかたとはどういうお知り合いですか?」
  • 「いま演奏中の曲、とってもいいですね。曲名をご存知じゃありませんか?」
  • 「そのお料理はどうですか?」
  • 「このお庭、とてもきれいですね」

つづいて「承」、会話をつづかせるようなひとことを覚えよう。

適切な質問によって、話を発展させるとよい。

承のポイントは、人に意見やコメントを求めることだ。

たとえば、話題が最新の大ヒット映画やテレビの人気番組だとしたら、こんな質問を。

  • 「その映画、見ました?」
  • 「どういう話なんですか?」
  • 「どんなところがよかったですか?」

そして「転」、会話をうまい方向へ進めよう。

内向型の人は、無駄話の最中に、よく落ち着かない気分になる。

話がしぼみだしたり、気詰まりな方向へ向かったり、あまりにプライベートなことに及んだりすると、気分が悪くなることさえある。

そんなときは、舵の存在を思い出すとよい。

それを使って話を操縦し、岩にぶつかって壊れる前に安全な岸辺へと向かわせよう。

話を前にもどすのもひとつの手だ。

たとえば、こんなふうに。

  • 「学校の先生だとおっしゃいましたよね。何年生を教えていらっしゃるんですか?」
  • 「休暇のことを話していらしたけれど、どちらへ行かれたんでしょう?」
  • 「さっき息子さんがいるとおっしゃっていましたね。おいくつなんですか?」

会話中の気詰まりな瞬間は、そろそろ移動する頃合いであることを示しているのかもしれない。

話がしぼむどころか息絶えかけているのなら、蘇生させようなどとしないこと。

相手が立ち入った質問をしてきたりひどく詮索好きで、なおかつ、こちらの気持ちに気付かないようなら、橋を架ける努力はやめよう。

また、一方が抜け出したがっているときの、あのぎこちない空気が生まれたら、話を切りあげよう。

そして「結」-ついに会話は終わりを迎える。

社交に関する研究は、立ち話をするグループの持続時間が、平均して五分からニ十分、最長でも三十分であることを示している。

だから、話し相手がよそのグループへ移っても、傷ついてはいけない。

それは生き物の自然な姿らしい。

「お話しできてよかった。残念ですが、もう行かなくては。あそこに友人がいるので。彼に話があるんです」ほんとうに楽しかったなら、あとでまた話をすることもできる。

そうしたければ、別れ際に、その人の電話番号か名刺をもらってもよい。

「そのうちいっしょにお茶でも飲みたいですね。お電話してもいいですか?」

相手がひとりでもグループでも、立ち去るときには必ず何か一言言おう。

幽霊のように、すうっと消えてはいけない。

別れの言葉は、簡潔に。

つぎのせりふは、会話から抜け出すとき役に立つ。

使ってみよう。

また、話し相手があなたに対してそのせりふを使っても、傷ついたりしないこと。

  • 「お話しできて楽しかったです。あそこに上司がいるので、挨拶してきますね」
  • 「ちょっと失礼。子どもに電話する約束なので」
  • 「すみません、飲み物をもらってきます。あとでまたお話ししましょう」
  • 「トイレはあそこですか?どうも」

逆に、置き去りにされる側になったら、何か短く感じのいいことを言って、相手を解放しよう。

  • 「お話しできてよかったですよ」
  • 「お目にかかれてよかったです」
  • 「楽しかったです」

ピンチを切り抜ける

おしゃべりを円滑にするこうした戦術を採り入れ、万全の態勢で臨んだのに、それでも限界にいたったり、思考停止におちいったり、イライラしはじめたりしたら?

”応急処置”としてできることはなんだろう?

以下に、むずかしい状況下で絶対に効く方法をいくつか紹介しておこう。

これらは、あなたの”手一杯”感と不安とを和らげてくれるはずだ。

  • 数回、深呼吸する。これは必ず効く。
  • トイレ休憩をとる。数分間、濡れタオルを額に当てて、目を閉じる。
  • 自分に「これはわたしじゃない」と言い聞かせる。胃がきりきりしているときは、何度も繰り返しそう唱え、すぐよくなると自分に言う。
  • 友達がパートナーに、しばらくいっしょに外を歩いてほしいとたのむ。
  • いよいよ力尽きて、帰るしかなくなったら、パートナーにそう知らせる。あらかじめ、合図を考えておくとよい。

他の人がひと息入れたいときどうしているか、自分に余裕があるときに観察しよう。

友達にたずねてみれば、さまざまな応急処置的休憩法があることに驚くかもしれない。

自分で自分を追い詰めない

パーティーで何かいやなことがあると、内向型の人はその出来事―自分の言ったこと、他人のしたこと―を何度も何度も頭の中で再現する。

これはもちろん、内なる批判者が、わたしたちのありとあらゆるマナー違反を責め立てているのである―おまえは黙り込んでいた、よけいなことを言い過ぎた、愛想がよくなかった、居心地悪さにばかりきを取られていた・・・。

それは、情け容赦のない非難であり、なんとしても阻止せねばならない。

セラピーを受けているロリという名の物理学の教授がいた。

ロリのなかには、彼女のあらゆる行動を批判するきわめて厳しい判事がいた。

セラピーのなかで、ロリとセラピストはその判事のパワーを弱めるよう努めた。

やがてロリの頭の中のイメージは徐々に変わっていった。

小槌を打ちならしてはお説教ばかりする、胡麻塩頭で顔のいかついしゃちこばった黒衣の女が、日焼けした足にゴム草履を引っかけた、アロハシャツ姿の、気楽な指導員に変身したのだ。

この寛容で笑顔を絶やさない新しい”擁護者”は、花柄の小さなパラソルで飾られたトロピカル・アイスティーを飲みながら、こんなことを言う。

「まあ、そう硬くならないで。あんた、よくやったわよ。あたしがおごるから、お茶でも飲みなさい」

何かの会から抜け出したあと、頭の中で否定的なモノローグが続いているのに気付いたら、自分を批判している”判事”の姿を思い浮かべてみるとよい。

まずその人物に「黙れ」と言い、それから、チャンネルを切り替えて、何か好ましいもののこと―ビーチやキャンプファイア、雪や雨の日のことを考えよう。

そして最後に、あの批判的な声を、もっと親切で優しくて協力的な声―「あなたはよくやっている」へと変えるのだ。

上手くいかなかったら、テレビや映画に出てくる人でも誰でもいい、自分の知っている親切な人物を思い浮かべ、その人に励ましてもらおう。

自分のパーティーは我がままに

パーティーやお祝いやミーティングを自分の家で開くとしたら?

おそらくあなたは、大勢の人が自宅を歩き回ることを想像しただけで刺激過剰となり、あれこれ考えてバッテリーを大幅に消耗させてしまうだろう。

だからその会は、なるべく簡便にしよう。

とにかくシンプルに。

料理は、前もって準備できるものを選ぶか、外に注文するか、持ち寄ってもらう。

内向型人間にとって、料理と接客をいっぺんにこなすのは容易ではない。

招待状には、開始時間と終了時間を明記すること。

お客を選べるようなら、自分の好きな人だけを招こう。

人数は、あなたとあなたの家にほどよいように。

できることなら、外向型人間ひとりにつき、少なくともふたりの内向型人間を招きたい。

お客たちがお互いに話をしやすくなるように、何か企画を考えよう。

軽やかにパーティーを去る作戦

パーティーの前に、脱出のプランを立てること。

頭の中で帰る時間を決めておこう。

そうすればエネルギーがなくなるのを心配する必要もない。

このことは、前もってパートナーと話し合っておくとよい。

もしパーティーにもっといたければ、帰る時間を先に延ばすことはいつでもできる(そうなった場合は、そのひとときを味わい、記憶に留めよう。もっといたいという楽しい気分は、あなたにはめったに訪れないかもしれない)。

可能なかぎり自分の足を持つこと。

そうすれば、いつでも好きなときに帰ることができる。

身動きがとれなくなる恐れもないだろう。

パートナーと別々の車を使うという発想は奇妙に思えるかもしれないが、長い目で見れば賢明なやり方だ。

それぞれその気になったときに帰ることができれば、待たされたり、まだ早いのに引きずり出されたりして不満をためこむこともないのだ。

帰る時間になったら、忘れずに招待者にさよならを言おう。

内向型の人は帰るころにはすっかり疲れ果てていて、お礼を言うのを忘れてしまうことがある。

逃げ出す準備ができたら、以下のようなせりふで退場すればまちがいない。

  • 「すごく楽しかったです。名残惜しいのですが、もう行かないと」
  • 「ほんとうに楽しかった。みんなに会えてよかったです。招いてくれてありがとう」
  • 「残念ですが、明日の朝、早いんです。また近いうちに連絡しますね」

もうこれ以上、だれと話すのも耐えられないという気分なら、挨拶しないで立ち去るしかないが、次の日には必ず電話をかけるか、Eメールを打つか、お礼状を出すかしよう。

電話で話したり、直接顔を合わせたりしなくても、内向型の人が大切な関係を維持し、人と親しくつきあう方法はたくさんある。

そのことを忘れずに。

「電話が怖い」の対処法

内向型の人の中には電話への恐怖がある人が多くいる。

内向型の人のほとんどは、電話というものをこんなふうに見ている。

  1. エネルギーを奪い、心の集中を断ち切る迷惑なもので、集中力を取り戻す手間を生じさせる。
  2. ”即席で考える”ことを要求し、エネルギーを消耗させる。
  3. 内向型人間には”快感のヒット”を与えない。

内向型の人は、日中、何度もエネルギーの急降下を経験しているので、おいそれとエネルギーを使うことはできないのだ。

もしもあなたが電話が怖いなら、以下の助言を参考にしてほしい。

●応答は留守番電話にさせ、話をする心構えができてから折り返し電話をしよう。

セールスマンのMさんは、かかってくる電話すべてに直接出ていたら、”干上がって”しまうと言っている。

そこで彼は”電話折り返しタイム”を設け、そのあと自分にご褒美を与えている。

その時間以外は一切、電話をしないのだ。

●じっくり話したい相手でないかぎり、電話は短く切りあげよう。

落ち着いたトーンで。

また、コードレスやケータイを使っている場合は、話ながら歩き回るとよい。

会話を終わらせるときは、こんなふうに言う。

「もっと話していたいけど、つぎの人が来るまでに、あと何件か電話をしなきゃならないの。またね」

●電話を取らないこと、つまり、”ふるいにかける”ことに、うしろめたさを抱いてはいけない。それはあなたの権利なのだ。電話で鬼ごっこをする(電話をかけてメッセージを残し、相手が折り返してまたメッセージを残す)はめになっても、気にすることはない。

”鬼ごっこ”のことで嫌みを言う人ほどつかまりにくい傾向がある。

なのに彼らは、自分が電話したときは、「そこにいろ」と言うのだ。

●電話嫌いだからと言って、自分を責めてはいけない。

それは性格上の欠陥ではないのだ。

なぜ電話嫌いなのかを理解することは役に立つ。

●なるべくEメールを利用しよう。

内向型人間は自分で思っているよりずっと社交に向いている

いくつかの研究で示されていることだが、内向型の人は、社交の場で同時に複数のことをこなすのを苦手とする。

このことは、他者との交流の際、彼らがしばしば、自らの神経の高ぶりとエネルギー消費の調節に気を取られるあまり、相手が自分にどう反応しているかに気付かないことを意味する。

たとえば、内向型の人は、他の人の自分に対する好意に気付かず、そのため、その交流をあまり楽しめないことが多い。

言い換えるなら、だれかが微笑む、身を乗り出す、質問するなどといった形で好意を示していても、そうした社会的シグナルに気付かないのである(反対に、外向型の人はたいてい、ただちにそれに気付く)。

研究者らは、これを社会的シグナルの解読における障害と説明する。

この症状はしばしば、内向型の人が会をあとにするときに生じる。

彼らは来たかいがあったのだろうかと悩み、みんなに好かれたと実感することもできない。

次回、愉快な集まりをあとにするときは、大勢の人があなたとのひとときを楽しんだということだけを思い起こそう。

事実、内向型の人の大半が社交の場で歓迎されている。

結局、外向型の人たちにはよい聞き手が必要なのだ。