女の友情が男の友情ほど深まりにくいといわれる理由

マザコンは男性よりむしろ女性に多い

男性に比べて、女性の友情は底が浅いとか長続きしないとかいわれます。
もちろん、女性同士が深く交わり、強い絆で結ばれている例はいくらでもあります。

でも、一般にこのようにいわれる背景には、母親離れしていない女性が多いということがあるのではないでしょうか。

自立すべき年頃になっても母親との関係が濃密なまま維持されているため、切実にヨコの関係を求めるということにならないのです。

男性は、子どもの頃から自立する方向へと駆り立てられています。
男性は、親にいつまでも依存するというのは恥ずかしいことだと教えられ、自分の力で独立して生きていくように躾られます。
それに対して、女性の依存性はそれほど否定的な評価を受けません。
かわいらしさに通じる面もあるわけで、知らずしらずのうちに女性は依存性を身につけていくのです。

近頃、マザコン男性の増加が話題になったりして、自立できない情けない男性が多くて困るといわれたりします。

でも、それは男性はしっかりと親離れして自立しなければ一人前ではないという社会通念があるため、親離れしていない男性がとくに目立つというだけのことです。

実際には、親離れしていない男性より親離れしていない女性のほうが、よっぽど多いはずです。
母親離れしていない女性は、当たり前なくらいに多いために目立たないのです。

高額な保証金と家賃を親に出してもらってぜいたくな女子学生会館やマンションに住む女子学生が、成人しても親がかりの生活をしていてだらしないと批判されることがあります。

しかし、経済的にそれほど親に依存していない者にも、心理的に親への依存から脱却していない者が非常に多いようです。

専門機関での十代の後半から二十代はじめくらいまでの人たちを対象に、自己開示傾向を調べた結果があります。

自己開示とは、ありのままの自分を伝えることですが、勉強や仕事のこと、将来の進路や生き方、友人関係や
恋愛に関すること、性的な問題など、あらゆる話題を提示して、それぞれどの程度話しているかを相手別に尋ねました。

その結果、明らかな男女差がみられました。
つまり、二十歳前後になると、男性では自己開示の主な相手は同性の親しい友達になり、母親の地位が後退するのに対して、女性では相変わらず母親が中心的な地位を占めているのです。
もちろん、同性の親しい友達も自己開示の主な相手となるのですが、母親も依然としてがんばっているのです。

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親の”ペット”になってはならない

少し前の映画に「ニューヨーク・ストーリー」というのがありました。
三人の監督による競作で、ニューヨークを舞台とした三つの短編からなるものですが、そのなかにウディ・アレンの「エディプスコンプレックス」というのがありました。

その主人公シェルドンは、職業的には成功している弁護士なのですが、マザコンに悩まされ、カウンセリングに通っています。
過保護な母親の支配下からなんとかして逃げだしたいとがんばってはいるのですが、どうもうまくいきません。

そんなある日、一緒に奇術を観にいったところ、なんと母親が奇術にかかって消えてしまうのです。
はじめはとまどうシェルドンですが、母親からようやく解放されたことで、しだいに元気を増し、自分を取り戻していきます。

しかし、そう簡単に引き下がる母親なら、はじめからマザコンにはなりません。

解放感を味わったのも束の間、あろうことか母親がニューヨークの空に雲のように現れ、街じゅうの人たちにわが子のことを話しはじめたのです。

シェルドンが地上でどんなに走り回っても、空から見下ろしている母親の目から逃れることはできません。

映画のストーリーはもう少し先まであるのですが、ここまでにしておきます。
雲のように空に君臨する母親と、それを仰ぎみながらおろおろする息子。
母親の手のひらからいつまでたっても抜け出せない息子の心理が象徴的に描かれています。

エディプスコンプレックスというのは、異性の親に対する愛着と同性の親との対決をめぐる葛藤のことです。
それを乗り越えて、はじめて一人前の大人になれるのです。

そういう意味では、女性と母親との密着というのは、ちょっと性質が違ってきますが、成人しても自分の心の中の空に母親を君臨させている女性は、けっして少なくないはずです。

この映画の主人公は男性だからおもしろおかしく笑えますが、これが女性だったらどうでしょう。
いちいち母親に相談したり、というより親の意向を素直に受け入れて行動する女性は、ごく普通にみられます。
ニ十歳を過ぎても何か困ったことがあると母親に話を聞いてもらう女性、結婚してもことあるごとに実家の母親に相談あるいは報告し、心理的に近い距離をとっている女性も、それほどめずらしくないのではないでしょうか。

動物なら、わが子が独り立ちする年頃がくると、本能的に突き放します。
しかし、本能が充分に機能しない人間の場合、親子それぞれの意志が問われるのです。

自分に対する厳しさを忘れさせる甘い雰囲気が支配的な時代ですから、子どもを徐々に突き放すということをせずに、いつまでも身近においてかわいがる親が出てきます。

そうされた子は、大事にされているようで、じつは親の利己的な欲望の犠牲者なのです。
飼い主が死んだら路頭に迷う、ペットのような存在であってよいわけがありません。