嫉妬をプラスに変える方法

嫉妬のメカニズム

女性パワーはこのところ一段と力強さを増しつつありますが、まだまだ人生に対して受け身の姿勢をとる人が多いようです。

玉の輿願望のような露骨なものは別としても、幸せはなんとなく向こうからやってくるものといった感じで、何ら生活を立て直す努力をしていない女性が多いのではないでしょうか。

そんな受け身の姿勢だからこそ、何かにつけて嫉妬を抱きやすくなります。
たとえば、仕事で成功した友達が出たとして、「自分もがんばろう」と励まされるより、「彼女がうらやましい。それに比べて自分はなんてダメなんだろう」と嘆き、やがて「彼女はがんばり屋だけど、どうせ私は何のとりえもないダメ人間なんだから」と居直ったり、「彼女より能力が劣るわけないのに、私は運が悪い。彼女はなんてラッキーなんだろう」とうらやんだりします。

そのうちに、
「彼女は美人だからたいして有能なわけではないのに成功したんだわ」

「どんな手を使って上司に取り入ったのだろう」

などと屈折した考えが頭を占領するようであれば、かなり嫉妬の感情におかされているとみてよいでしょう。

それほど直接的でなくても、
「彼女はこれで幸せな結婚が難しくなったわね。ああ忙しくては、旦那さんや子どものめんどうをみるなんて無理だから」
などと、まだまだ先のことに関して非現実な心配をする心理にも、抑圧された嫉妬の感情が含まれるのは明らかです。

自分が嫉妬していることに気付かずにいると、思わぬことでつまずくことがあります。
たとえば、相手をうらやみ攻撃的な気持ちを向けているのは自分のほうなのに、相手の何気ない言動のはしばしにありもしない敵意を感じてしまい、「彼女は私をばかにしているに違いない」と邪推したり、「偶然の成功を鼻にかけて、ほんとうに嫌な性格ね」と相手にとって何のいわれもない批判を向けたりします。
こうなると、せっかくの友情もぶち壊しです。

さて、ここでいう嫉妬とは、自分のもっていない望ましいものを他人がもつとき、その人をうらやむ心理です(このほかに、恋愛をめぐる三角関係のように、自分がもっている大切なものを他人に奪われるかもしれないと感じたときに生じる心理としての嫉妬もあります)。

その根本にあるのは、自他の比較です。

あなたは昨日の交通事故の被害者は七人だと確信しているのに、Aさんは9人だと主張するとします。
そんなときは、BさんやCさんに聞いて回らなくても、新聞で確認すれば、自分の知識が正しいかどうか確認できます。
ところが、自分は幸せかどうかというような問題になると、明確な答えが用意されているわけではありません。
客観的基準がないとき、人は他人と比較することで、自分の考え・感じ方の当否や自分の能力を判断するのです。

私たちは、周囲の人たちができないことができると自己評価を高め、みんなができることができないと自己評価を低下させます。

私たちは、すでに七歳くらいから、他人と比較することで自分を評価する姿勢を身につけているようです。
たとえば、幼稚園児なら「私は自転車に乗れます」「私は駅まで走れます」と言うところを、学童期になると「私は妹よりうまく自転車に乗れます」「私はAさんやBさんよりも速く走れます」などと言うようになります。

こうして、人は他人との比較をもとに、優越感をもったり、劣等感にさいなまれたりするようになるのです。

他人と競争するのではなく、自分自身と競争すること

他人と比較して自己を評価する姿勢は、他人に対する競争心を生みます。

それがうまく機能すれば、自分を磨き、高めることにつながります。
しかし、競争は絶えず勝者と敗者を生み出すわけですから、そこに必ず嫉妬が入り込んできます。
勝ったほうは嫉妬を恐れ、負けたほうは嫉妬にさいなまれるというのでは、よい関係を保つのは難しくなります。

他人と比較する場合、こだわる点を絞ることが大切です。
何もかも他人より優れることなど不可能ですし、他人のもつ全てのものを手に入れることなどできるわけがありません。
英語なんてできなくていいから数学だけは誰にも負けたくない、頭の切れる人だと思われなくてもよいから優しい人だと思われたい、テニスは下手でもいいからスキーに行ったらみんなよりうまく滑りたい、というようにポイントを定めることです。

それができないと、ことあるごとに嫉妬に襲われることになります。

たとえば、職業的にうらやましがられる立場にある女性も、夫や子どもに囲まれて家庭の幸せを満喫している専業主婦をうらやましく思うことがあるかもしれません。
あるいは、子育てやカルチャー・センター通いを楽しんでいる専業主婦も、社会に出て職業的キャリアを追求している女性のカッコよさや経済力を羨ましく思うことがあるかもしれません。

自分がもたないものを持つ人をうらやましく思うのは、誰もが経験するごく自然な心の動きです。
でも、そのとき、人それぞれに人生目標が違うのだということ、そして自分自身の選択の積み重ねの上に今の自分があるのだということの自覚がないと、嫉妬が生じてしまいます。

たとえば、職業をもつ女性が
「専業主婦は経済的に自立していないことを恥ずべきよ。
そんな甘えた態度の女性がいるから、いつまでたっても女性の地位は向上しないんだわ」
と専業主婦を攻撃したり、専業主婦が「なんであんなに成功だ出世だって競争心をむき出しにするのかしら。
きっと身近な人たちとうまくやっていけない利己的な人に違いないわ。
男性にもてない恨みを仕事にぶつけているんじゃないかしら」
とキャリア・ウーマンを攻撃したりすることになります。

できることなら、自己を評価するのに他人と比較するのはやめて、自分の理想と比較するようにしたいものです。
なりたい自分の理想像というものを鮮明にイメージするように努め、それと現実の自分を比較するのです。

理想はあくまでも現実を超えたところに設定するので、現実の自分のほうが劣るのは当たり前です。

比べるといっても、現実の自己像が理想の自己像にどれだけ近づいたかで評価するのです。

親しい友達には、自分の理想像を話し、理解してもらい、ときどきチェックしてもらうとよいでしょう。
友達は友達で自分の理想像を目指してがんばります。
それぞれ固有の目標に近づく競争ですから、お互いのがんばりは励みにこそなれ、嫉妬に結びついたりはしないでしょう。