思い通りの人生に変わる方法

思い通りの人生に変えるには

思い通りの人生にしたいのにやることなすことケチをつける親にウンザリ

思い通りの人生にしたい子に将来が不安な親はすがる

思い通りの人生にしたいとは今日の社会状況を反映しているでしょう。

自分の未来について漠然とした不安や焦りを抱いている若者が少なくありません。

親は親で、フラフラしている”ように映る”子どもに対して、自分たちの老いも重なって不安になります。

「老後は子どもに面倒を見てもらう」ことを当たり前に考えている親であればあるほど、「他人中心」になって相手の言動に憤懣が募ります。

「なんだ、お前は。いつまでフラフラしているんだ。少しは真剣に将来のことを考えたらどうなんだ。いったい、いくつになるまで、そんなことしてるんだ!」

などと未来への恐れも加算されて、言わずにはいられません。

しかし、子どもとしてはどうしようもありません。

今は時代が違います。

親の世代と違って、”真剣に将来のことを考え”ても、100%安泰な人生が約束されているわけではないからです。

「今のままではダメだ」と頭ごなしに否定されても、不安や焦りが増すばかりで、「自分はこのままでいいのだろうか」と、どんどん怖くなっていきます。

このとき子どもが思い通りの人生に変える「自分を守るため」のスキルを知らなければ、「どうしようと俺の勝手だろう。あんたに説教される筋合いはないよ」などと、”仕掛けられた争い”に乗っていくでしょう。

どんな生き方でも難癖はつく

もしあなたが、こんなとき「自分を守るスキル」を知っていれば、「うちのオヤジは、難癖をつけることでしか、人と会話ができないんだ」と気づくでしょう。

仮にあなたが父親の望むような生き方をしていたとしても、やっぱり、「休日だからといって、ゴロゴロするんじゃないよ」

などと、あなたに難癖をつけてくるでしょう。

どうしてだと思いますか。

それは、父親にとって重要なのは、あなたが「フラフラしていること」でも「ゴロゴロすること」でもないからです。

あなたが、自分と付き合ってくれることが目標になっているからです。

つまり父親は、「相手に難癖をつける」という方法で、あなたとコミュニケーションをとろうとしている。

それが最大の目標だからです。

だからもしあなたが思い通りの人生の聖人君子であっても、父親は難癖をつけてくるでしょう。

しかもそんな”難癖をつけるコミュニケーション”は、だいたい、家族に限られていて、外に出ると「いい人」で通っている人が少なくありません。

家では暴君になれても、外では暴君になれないからです。

そんな父親の「内と外」とのギャップに愕然とするかもしれません。

依存心が強い人ほど、争ってでも誰かにすがっていないと、怖くてたまりません。

見捨てられるのが怖いのです。

あなたがそんな父親の無意識の策略に乗って争えば、父親は「ああ、まだ見捨てられてないぞ」と無意識のところで安心するだけでしょう。

そして、ますます依存するために、あなたを挑発してくるでしょう。

許可をもらう必要なんてない

「争う」という方法で相手と依存し合うこと以外にできることが、あなたにはあります。

思い通りの人生に変えるにはそんな傷つけ合うコミュニケーションから”降りよう”と決断することです。

例えば父親が、あなたに「ゴロゴロするな」と言って挑発してきました。

でもあなたがそうやって「ゴロゴロする」のは、あなたの自由です。

親であっても、あなたの自由を侵害することはできません。

あなた自身が、そうすることを心から認めることです。

それを”自覚する”だけでも、争いが減るでしょう。

結果として、不安や焦りも静まっていきます。

あなたがすべきことは、自分の正当性を主張して父親と争うことではありません。

あなたが「ゴロゴロする」ことを心から認めていれば、どうして父親の許可が必要でしょう。

「ゴロゴロしてはいけない」と思い込んでいる父親の生き方を否定することでもありません。

そんな生き方は、父親の自由です。

否定のシャワーから身を守る

思い通りの人生に変えるためにあなたにとって重要なのは、自分を守るために、非建設的なコミュニケーションから”降りる”ことです。

「ああ、そうなんだ。じゃあ、あっちでゆっくりするよ」

そう言い置いて、その場を去るだけでいいのです。

「わかった・・・。争いたくないので、あっちに行くよ」

この「わかった」は、人間として弱い父親に対する慈愛に満ちた気持ちの「わかった」です。

”争いたくない”という自分の気持ちを伝えることができれば、なおのこと、父親の心に届くでしょう。

「傷つけ合いたくない」という言葉もいいでしょう。

「こんなことを言ったら、父親は、さらに逆上して追いかけてくる」

と想像してしまうとしたら、それはあなたの勘違いです。

かなり深刻な親子関係でない限り、父親の挑発に乗っていくよりは、はるかに争いになる確率は低いでしょう。

むしろあなたが、”自ら降りる”ことができれば、あなたは、あまりにも呆気ない結末に拍子抜けし、と同時に思い通りの人生を手にし、「自分を守ることができた」という誇らしさが波のように押し寄せてきて、大きな満足感を覚えるに違いありません。

思い通りの人生の夢を本気で叶える

成功している人の共通点は?

自分の好きな仕事で稼いでいきたい。

仕事で成功したい。

起業して独立してやっていきたい。

お金持ちになりたい。

そう思いながらもなかなか行動に踏み出せなかったり、実際に行動していても「どうやっても、うまくいかない」という状態で伸び悩んでいる人が少なくありません。

一つ、はっきり言えるのは、実際に自分の望みを叶えている人、自分の願望達成、目標達成に向かって順調に伸びていっている人ほど、”戦っていない”という点です。

もしあなたが今、「物事が思った通りに進まない。なかなか望み通りにいかない」といった悩みを抱えているとしたら、それはあなたが、「成功させるには、競争相手を打ち負かして、勝たなければならない」と思い込んでいるからにほかなりません。

物事を着実に順調に成功させていく人とそうでない人との違いは、二つに大別すると、焦点が「人に当たっているか、目標に当たっているか」によると言えるでしょう。

自分の望みを”順調に”達成しつつ思い通りの人生に変える人、”楽に”成功していく人達は、自分の「目標」に焦点が合っています。

この”順調に””楽に”がポイントです。

決して”苦労して”ではありません。

好きなことにとことん集中

ミュージシャンになりたい。でも狭き門だし

例えばあなたは、作詞・作曲が好きで好きでたまりません。

寝るのも惜しい、トイレに行くのも時間がもったいない、というぐらい作詞・作曲に熱中しています。

そんな毎日を何年も続けていったら、やればやるほど能力が伸び、技術が磨かれていくわけですから、思い通りの人生を手にし、自然とその道のプロになっていくと思いませんか?

こう言うと、「私だって、そうやって頑張っています」

「どんなに頑張ったって、好きなことをして成功できるのは、ごく一握りの人間じゃないですか」

そう言いたくなる人もいるに違いありません。

もしあなたがそんな忸怩たる思いを抱くとしたら、普段のあなたは、どんな生活をしていますか。

好きなことや仕事に集中しているでしょうか。

それとも、他人優先になって、それをしながら、頭の中は人のことでいっぱいになっていませんか。

人と心で戦いながら、相手を責めたり自分を責めたりしていませんか。

それでいて、実際に行動することを恐れていたりしていないでしょうか。

あるいは、「もし、失敗したら、能力がなかったら・・・、人にどう思われるだろうか」

などと、”人”に焦点が当たっていませんか。

”人に焦点を当てて”そんな否定的な思いや感情に囚われていれば、人の目が気になったり、人の評価が怖くなっていくでしょう。

そのために、ミスや失敗が増えて、自信そのものをなくしていくかもしれません。

「もし失敗したら」が失敗のモト

他方、”順調に楽に”望みを叶えていく自己肯定感が高い人は、「目標」のほうに焦点が当たっています。

「目標に焦点を当てましょう」と言うのは簡単です。

ところが、こんなシンプルなことができるのは少数です。

どうしてでしょうか。

それは、大半の人が、「人の目が気になる。人の評価が気になる。傷つくのが怖い。攻撃されるのが怖い。ミスをするのが怖い。失敗するのが怖い」といったふうに、目標以外のところに囚われてしまうからです。

しかも、それは同時に「感情に囚われている状態」でもあるために、スッキリと「目標」だけに焦点を当てることができません。

”順調に楽に”望みを叶えていく人達は、そんな感情が解消されている人達なのです。

だから自然と「目標」のほうに焦点が当たります。

人への囚われから解放されているので、スッキリと「目標」だけに専念できます。

しかもそうやって熱中する自分に満足感を覚えています。

その満足感が、継続力を生みます。

また、そうやって「目標」に焦点を当てているので、必然的に争いの中に入っていきません。

争いから生じる”恐怖”からも解放されるので、いっそう気持ちよく自分のことに専念でき、さらに能力も技術も向上していく、というふうに、本当は、人と戦わないほうが勝手に「成功していく」のです。

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思い通りの人生という真の強さを手に入れる

何でも勝ち負けで判断しない

私だけ仲間外れ。でも、「逃げたら負け」!?

人と戦う人は、自分とも戦っています。

そのために、「逃げちゃいけない」と思っていたり、「逃げたら負け」と信じています。

例えばあなたは、職場やグループの中で、自分が打ち解けられなくて、「私は仲間外れにされてるんじゃなかろうか」

「私だけ、浮いているんじゃなかろうか」などと考えて、居たたまれない気持ちになったことはありませんか?

自分と戦っているあなたは、こんなとき、「逃げたら負け」だと信じているために、その場を去ることができません。

その場を去るのは、”逃げる”ということです。

そしてそれは、あなたにとっては思い通りの人生を得られない「負けた」ことになります。

だから怖くても、あなたはそこから動くことができません。

その場に踏みとどまっていながらも、あなたは、「この人は、他の人とは目を合わせるけれども、私のほうは見てくれない」などと気にします。

ところが反対に、相手が、「ねえ、あなたは、こんなときどうする?」などと気を配ってくれたとしても、「ああ、この人は、私に同情して声を掛けてくれているんだ。自分から入っていけない私って、なんてダメな人間なんだろう」

などと自分にダメ出しのハンコを捺します。

もしこのとき、居るのがつらくなってその場を離れたとしたら、あなたは、「こんなことぐらいで逃げるなんて、なんて私は弱い人間なんだ」などと自分を攻撃し、ますます惨めな気持ちになっていくでしょう。

自分を守れることが最優先

このように、人と戦い、自分と戦うあなたは、どう転んでも否定的な解釈しかできず、ますます人と一緒にいるのが怖くなっていくでしょう。

それだけではありません。

「勝ち負け」をベースにして「逃げてはいけない」という思いに縛られていると、事故や災害といった突発的な出来事に見舞われたとき、「危険を避ける」という行動ができなくなっていきます。

危険な状況に瀕した時に、本能は、それを察知して逃げるようにと警報を鳴らします。

ところが一方では「逃げてはいけない」という指令を発して、その警報にブレーキをかけます。

あなたは相反する情報に立ち往生し、身に迫る危険に対しても、自分を守ることができなくなっていくのです。

勝ち負けを争う意識を捨てていくと、「逃げたら負け」という意識から解放されます。

そして、「怖い時は、逃げてもいいんだ」「危ないときは、自分の身を守るために、それを避けよう」「争って勝つよりも、戦わないほうがいいんだ」という意識に変換されるでしょう。

そんなあなたが、もし、人と一緒にいるのがつらくなって、その場を立ち去ったとしたら、「私は、争わずに自分の心を守れてよかったなあ」などと、自分のとった行動を認める言葉になるでしょう。

しかもそうやって”逃げたら負け”から解放されていくと、「行動するのが怖い」が、「自分のために行動すると楽しい」に変化していきます。

つまりあなたは、これを目指すだけで、楽しみながら思い通りの人生を歩める成功する快適旅行への切符を手に入れたも同然となるのです。