相手を傷つけないための嘘

ある日、上司から新しい同僚を紹介された。

午前中はお互い別の仕事をするが、午後はずっと隣り合わせで財務報告書の調査をしなくてはならない。

相手は胃でも悪いのか、強い口臭にすっかりまいってしまった。

だが、よく働く気のいいやつなので、気持ちを傷つけるようなことはできない。

数日たって、彼は一緒に仕事ができてとてもありがたいと言ってきた。

いい人の嘘

いい人が嘘をつくのは、他人から何か搾取するためとか、自分の得になるようにするためではない。

せっぱつまったときには、誰でも差し障りのない状況をつくろうとか、愛している人を救おうとして嘘をつくだろう。

また、関係ないことに出しゃばってくる相手には適当なことを言うだろうし、大切に思う人との葛藤を避けたくて、ほんとうのところをぼかすこともよくあるものだ。

また、自分以外のいい人たちの気持ちを代弁して、嘘を言うケースもきっとあるはずだ。

もっとはっきり言えば、「真実は明かせないが、いい人でいたい」と思うときにつく嘘がある。

こうした窮地をジレンマといい、二つの選択肢のどちらも同じように分が悪い、といった状況をさす。

この種のジレンマでは、両方の選択肢―「いい人だが正直ではない」か「正直だがいい人ではない」のどちらも受け入れにくい。

だが、この状況にはまって出口がわからなければ、いい人はとりあえず嘘をつく。

この、いい人なのか正直者なのか、というジレンマは二つの場合に生じる。

一つ目は誰かが約束したことを果たせなかったり、単純な期待にもそえないときに起きる。

たとえば、あるボランティア委員のひとりはとてもいい人だが、自分の役割を果たさないために、ほかの連中が頭にきている。

あるいは休暇中に友人が留守番しに来てくれたが、帰ってみると植物は枯れ、猫は飢えていた。

どちらの例でも、いい人は何も言わないか、すべて順調なフリをするという、嘘をつきがちだ。

二つ目は、誰かが相手のほんとうの気持ちや意見とは違う返事を期待しているときに起きる。

たとえば、誕生日に嫌いな色かつ必要のないハンカチをもらっても、「なんてすてきなプレゼント!」という反応を期待される時。

家の隣人が家屋を胸糞悪くなるような色に塗って、ひとりでごきげんになり、どう思うかと聞いてくる。

姪がリサイタルで、ひどい歌を歌い、花束をもらうのを息を殺して待っている。

同僚が彼の六カ月になる赤ん坊の写真を誇らしげに見せるが、これまで見たこともないほど不器量な赤ん坊だというとき。

いずれもふだんよく直面する場面だが、こうした際、いい人は真顔で、相手が望むことを言うという、嘘をつく。

言いにくい真実の取り扱い方

いい人は言いにくい真実を扱うとき、次の三つの方法のどれかを選ぶのが普通だ。

生ぬるく、味気のないマッシュポテトの例でみてみよう。

真実から話をそらす

いい人は、話題を変えたり、断定するような言葉を使わずにジレンマを回避しようとする。

奥さん「ところで、マッシュポテトはいかがでしたか」

私「食事は結構でしたよ、ごちそうさまでした。アスパラガスがおいしかった!」

奥さん「まあ、よかったわ!でも(しつこく)あの、マッシュポテトはどうでしたの」

私「ああ、そうですね、ええ、その・・・、その珍しかったですね。普通の味とは違っていてユニークな味!そう、そうなんです。以前は試したことがありませんでした」

奥さん「(なおも執拗に)追い詰めるつもりではないけど、お口に合ったかしらと思って」

当然、彼女の執拗さは私を追い込んだ。

真実を避けようとした私に、彼女はストップをかけた。

ある意味で彼女は正しい。

私のやり方は一時-または永久に-窮地を脱する助けをしてくれるかもしれないが、いつも失敗するのだ。

お互いの関係から真実が抜ければ、わかり合えないし、ジレンマも残ったままだ。

とりつくろわずありのままを伝える

今度は、ほんとうのところをそのまま伝えてみよう。

奥さん「ところで、マッシュポテトはいかがでしたか」

私「そうですね、正直言うとポテトは生ぬるくて、味気なかったです。せっかくのチェダーチーズもどうにもならなかったですね。これまで食べたマッシュポテトのなかでも最悪ですよ」

いい人は、真実は相手を傷つけると教えられているので、この表現を懸命に避けようとする。意地が悪い人は別だが、たいていの場合、厳しい真実をまったくそのまま伝えるのは受け入れられない。

「私たちの性分ではできないし、誰からもそんなことをするようには思われていない」のだ。

私たちは、時と場合によって、真実をありのままに言うのがいちばんの心づくしになることは当然知っている。

正直に言うように強制されて、ついた嘘が驚くような結果を生むことがあるからだ。

だが、ポテトのケースでは、両者の関係は浅く、事態は差し迫った事態ではないので、このやり方もまた適切でない。

厳しい現実はどけておく

こういった状況では、私もいい人がやるように、小さな嘘をつく―実際についたのだが。たとえそれが厚かましい大ボラだとしてもだ。

奥さん「ところで、マッシュポテトはいかがでしたか」

私「ええ、たいへん結構でしたよ。たいへんなごちそうでした。私の大好物なんですよ」

このやり方では、できるかぎりしらっと嘘を言う。

料理してくれた相手に感謝し、気まずくさせたり、気持ちを傷つけたりしたくはない。

それに、自分を含めた出席者すべてに、いい人だと思われたいから、嘘をつく。

そう、いい人の嘘は自分のためでもある。

ちょっとした嘘をつくより、もっとよくないことは山とあるというふうに割り切って考えるのだ。

第一、ほかにどうすればいいかわからないのだ。

嘘もいけない・ストレートすぎてもいけない

嘘をつこうと、ストレートに真実を言おうと、結果は失敗に終わる。

いい人は、正直が最高の方法だという決まり文句を口にしても、いざ真実を聞きたがらない人の前では、それを引っ込めて小さな嘘をついてしまう。

あまり頻繁に嘘を言い続けるので、その結果が自分と相手との関係にどんな影響を及ぼすかよくわからなくなる。

心の奥では、お互いに真実を言っても大丈夫なように努力し続けることが、くもりのない関係を築くために大切なのはわかっている。

嘘をつくと、自分を充分に相手に示せないし、相手もほんとうの自分を理解できないことも承知している。

真実は信頼を得るには欠かせないものであり、双方の親密さを育て、関係をうまくいかせるには正直さが必要だということも知っているのだ。

しじゅう嘘をついている状況を思うたびに自分がいやになるので、ふだんは考えないようにしている。

嘘がばれたときには、とっさに取り繕うものの、身がすくむ思いがする。

それでも嘘をつくのは、心理的な葛藤をつくったり、人の気持ちを傷つけるよりも心の痛みが少ないし、ほかに打つべき手がわからないからだ。

悲しいことに、私たちいい人は、ほかのもっといい対処法があるなどとは、めったに思いつかない。

1960年代には、30歳以上の大人を信用するな、というのが若者たちの姿勢だった。

理由の一つは、そのころの大人は、若者に失望させられたり不満があっても口に出さない、いわゆるいい人だったためだ。

大人は作り笑いとともに、うわべだけで実りのない関係を結ぼうとしたので、多くの若者は、「思いのまま言えばいいんだ」というぶっきらぼうな正直さを標榜して、ひっきりなしに正面きって真実をぶつけた。

若者はすべてをさらけ出して、得意顔だった。

今になって当時を振り返ってみると、彼らが思いのままに言うことは人間関係においてほとんど一方的で醜く、逆効果になっていた。

現在でも、真実こそ正しいと主張する人は当然いる。

幸福のために、真実をいうのはモラル上動かせない義務だとさえいう。

そういった人は「自分が目にするものは自分のものだ」と主張しつづけ、自分の率直さを誇る。

その考え方だけでは無意識のうちに偏り、間違いを起こすかもしれないということ、あるいは自分流の真実を無理やり相手ののどに押し込むよりも、思いやるほうがもっと大切なときもあるとは思いもよらないのだ。

それでも、いい人は、「ぶっきらぼうな正直者」ならいろいろなジレンマをうまくさばけるのにな・・・と思い、その気軽さをうらやましがる。

同時に善意が不足したら自分たちは放免されるか許されて、もっとやさしく扱われてしかるべきだと思うのだ。

自分たちのことを考えず勝手にふるまった人からも高く評価してもらえるかもしれない、と。

これもまたいい人の偏ったものの見方で、正直一点ばりの相手のやり方がかたくなであることや、彼らがほんとうに健全な関係を築く能力があるかどうかはあまり考えない。

ほんとうのことを上手に伝える

真実を言う困難さに対処する前述の伝統的な三つの方法が、正直でいることと人のよさとの間のジレンマを解決しない以上、別の案が必要だ。

それは、控えめさとこまやかな心遣いで真実を伝えることだ。

しかしその前に、当然だが、嘘は言わないと心に誓うことが大切だ。

もしその決断をしないのなら先に進む意味はないのだから、その選択に徹すると心に決めよう。

「正直でいることといい人でいることのジレンマを解決できる道はあるのだから、もう考えもせずに小さな嘘をつくのはやめる」と誓う。

「私はいい人でいようと思うが、これからは正直者でもいるよ」と親友に話すのもいい。

そう誓ったら決心を紙に買いて、目につくところに貼っておこう。

ジレンマを解決するには、戦略的であるほうが効果的だから、それなりの制限がついてまわるのは当然だと理解しよう。

原因も解決のカギも自分にある

ジレンマの解決法を見つけるには、問題は自分にあって、解決のカギも自分が握っていると認めることだ。

これまでは、問題はまぎれもなく相手にあると見なしてきたはずだ。

たとえば、調子はずれの姪のリサイタルの場合だ。

問題は彼女の歌の下手さと本人がそう認識していないことなのか。

それとも、彼女におめでとうを言えない自分なのだろうか。

ジレンマに悩むいい人は、相手の失敗や、彼らの不合理さ、おかしな状況に落とし込んだその鈍感さに気持ちを集中しがちだ。

しかも、相手は不愉快な真実を聞きたがらないこともわかっている。

だから自分たちの不正直さを彼らのせいにして、当然の対応だと正当化する。

つまり、「ジレンマをつくり出したのは相手だから、お返しに嘘をついてやる」のだ。

たしかに、彼らを非難して小さな嘘をつくのは一番いい方法かもしれない。

だが、嘘も非難も、どちらもジレンマの解決に役立たないばかりか、お互いの関係もまとめてはくれない。

誰かのせいで苦境に立たされたら、まず真実を伝えられない自分自身に重大な問題があると認めよう。

相手を非難したところで何の解決にもならない。

正直さを大事にしようという決心を実行するには、問題をまず自分のものとして見つめることだ。

嘘をつく人の根っこには恐れがある

相手に対して正直でいたいものの、相手の気持ちを傷つけはしないかと心配になる。

単なる心配以上に、怒りを表すことへの恐れと同じく、真実を話すことで相手も自分も傷つけることを恐れている。

嘘を言わないことで起きる葛藤が怖いのだ-私たちの多くはこの恐れをいつも感じている。

まわりの人に厚かましいとか、感謝を知らない人だと思われるのが怖い-いい人のなかで、そう思われてもかまわないという人は一人もいない。

あるいは、相手がほかの人たちに、自分が言ったことを話して、みんなにつれないやつだと思われるのが怖い。

いい人は心の奥で、真実を話すとみんなから拒絶されるかもしれないと怯えているのだ。

そんなとき、自分がこの宇宙に受け入れられている証を思い起こせば、そうした不安は軽くなって、まわりから拒絶されるかもしれないという恐怖にさえ、耐えやすくなるはずだ。

だが、すぐに小さな嘘をついてしまう長年の癖をやめるには、真実を話すときにわきあがるどんな恐れでも、見過ごしにしてはいけない。

「真実を言ったことで起きるかもしれない、どんなことを怖がっているのだろう」と自問するといい。

その状況がすぐに突きとめられて、原因が大したものでなければ、真実を伝えよう。

もし、深刻で複雑な影響があっても、最後まで追求を続けよう。

誰でも怯えた自分の顔をまともに見たいとは思わない。

が、進んで真実を明らかにするなら、恐れは消えるし、少なくとも悩まされなくなって、驚くほどだろう。

相手に真実味がなかったり、あなたに不公平な期待を押しつけてきたときも心の葛藤が起きるが、その前に、自分の恐れの原因を突き止めて相手にそれを告げることをおすすめする。

  • はっきり言うのは気が引ける。あなたの気持ちを傷つけ、気を悪くさせるのではないかと心配だ。
  • じつは、あなたが友人に言いふらすのではないかと心配なんだ。そんなこと気にしなくてもいいのかもしれないけど、気になるんだ。
  • 私が何で気をもんでいるかというと、私をクビにするんじゃないかということなんだ。

自分の恐れをすぐに話せば、相手との関係はぐっとガラス張り状態になるし、言うことを聞き、答えてくれる人たちの態度も変わる。

恐れを話してしまえば、あなたを横柄だとか、決めつけをするとか、脅かすやつだと思う人はいない。

逆に、もし高飛車な態度で人に接したり、失敗を並べ立てたり、非難をあびせたり、好意を拒んだりすれば、相手はあなたを恨み、絶交するかもしれない。

しかし弱みを見せて近づけば、相手も自己防衛の壁をはりめぐらさず、こちらに関心を示して耳を貸してくれるチャンスが生まれる。

恐れを話すのは操作的でも操作的でもないが、相手の同情をひこうとして問題があるふりをしてはいけない。

たしかに真実を言えば、お互いに、とくに自分自身が傷つくかもしれない。

だからこれまでは、無意識に問題などないと否定して、人を非難するか、何も言わないか、嘘をついて適当にことをすませてきた。

しかし、今は相手に恐れを話す方法を学んだのだから、そんな態度を過去のものにできるはずだ。

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嘘をつかずに言いにくいことを言う方法

人との付き合い上、誰しも個性、感情、それに人生模様といったものをのぞかせるだろう。

だから、厳しい真実を話す前に、次のように自問してほしい。

正直に言う前に状況を把握する

  1. 相手とはこれまでどんな関係だったか
  2. 真実を言いにくい状況を相手がつくり出したのはこれがはじめてか、それともよくあることか。以前にも同じ状況があり、あなたが正直だったなら、相手の反応はどうだったか。

  3. ほかに誰が同席しているか
  4. 二人きりでいて誰にもあなたの話を聞かれずにすむのか。人に聞かれてまずい真実を大勢の前で話していい状況などほとんどない。

  5. 相手が起こしたことが他の人にどう影響するか。
  6. ある人が起こしたことで影響を受けたのがあなただけだとしたら、それについて時間があるときに話し合えばいい。

    だが、もしあなたが相手を指導するような立場だったら、一刻も早い対応が必要だ。

  7. 相手は今、どんな心理状態なのか。
  8. 健全な自我は保たれているか、相手のその日一日はどんなだったかを知る。

    人を赤ん坊扱いしたくはないが、相手ができることに対して評価を与え、尊敬の念を示してやれば、あなたの影響力を高めることができる。

    もしタイミングが悪ければ別の機会を待つのがいい。

  9. お互いの力関係は釣り合っているかどうか。
  10. 相手との関係に権威がからむなら、対応の仕方に影響が出る。

    真実を話すにはお互いをバランスよく尊重し合うことが望ましい。

    あなたに力があるなら、相手のニーズに忍耐強く、心こまやかに接していこう。

    ゆとりによって相手の気持ちは楽になり、人の言うことに耳を貸すようになる。

    相手のほうが上位にあるなら-そしてあなたが弱みを見せて近づくなら-相手の気持ちはそれほど心配しないで、より早く、遠慮せずに真実を伝えよう。

  11. 真実に耐えられる関係かどうか

赤裸々な真実をどれくらい出せるかは、相手との関係の深さによる。

ここは重要な点だが、相手によって正直につきあえる度合いが違う。

あのひどいマッシュポテトを出した奥さんと自分は古いつきあいがあったわけではないから、彼女に対する正直さを控え目にしたのだ。

もしあの料理を作ったのが長年連れ添ったパートナーだったら、たぶんひと口目で言うだろう-「うう、このポテトはだめだ」と。

彼女になら、まったくあけすけでいられる。

しかし、相手がどんな関係でいたいか、あなたに求める真実はどれほどのものかはっきりしない場合は、ジレンマをどれくらい早く解決できるかもわからないだろう。

そんなときは、自分がため込んでいるストレスを知って、相手に話してみるといい。

「お互いの立場についてぎごちなく感じているんだ」とか「われわれの関係って強いものかどうかわからないんだが」というぐあいに話し、相手の反応を待つ。

あるいは、「ぼくらの仲ってどうなんだろう」と相手に問いかけてもいいだろう。

相手を尊重していることを示す

ビジネスライクな関係であろうと、気楽で親密なつきあいであろうと、「魂」と呼ばれる人間の繊細ですばらしい神秘とかかわっている点は同じだ。

もし価値ある関係を求めるなら、たとえ相手は無視していようと、自分自身はこの神秘に敬意をもって接するべきだ。

改めて言うが、無条件の愛に守られていることを認め、大切に思うなら、自ら進んで相手を敬い、愛で包むほうがやりやすいだろう。

相手のやり方がまずかったり、自分には与えられない、あるいは与えてはいけないと思うものを相手から期待されて失望しているときほど、相手を尊重し、お互いの関係を大切に思う気持ちを伝えることが大きな意味をもつ。

人はふつう、ボディランゲージ、表情、声の調子、速さ、高低などで相手を尊重する気持ちを表している。

もし、不愉快な真実を話しながらも健全な関係でいたいなら、言葉を選ぶべきだ。

たとえば、いい関係をつくりたい新入社員がいて、本人ができるといったことができなかったり、経験もないとわかったとする。

正しいやり方をじっくり教えても、どうも理解していないようだ。

やる気があるのはいいがミスが多くて、あなたの時間、心配、それに費用をくいすぎるなら、こんなふうに相手に言ってみよう。

・「私たちの関係や友情はとても大切よ。あなたの気持ちを傷つけたくないから、仕事のことでとやかく言いたくはないわ。
でも話し合ったほうがお互いのためだと思うの」

・「あなたのことは尊重しているのよ。だから、難しい状況でも、お互いにいつでも心を割って話せる仕事仲間でいたいわ。
一生懸命やってくれるのは感謝してる。でも、頼んだことをやれていなくて問題が起きてることは話し合ったほうがいいのよ」

もし相手がすぐに理解を示したり、「はっきり言ってください」と言ったら、こんなふうにあなたの気がかりな点を言えばいい。

・「言いにくいけれど、あなたのスキルと経験は充分じゃなくて、仕事は誰かほかの人にやらせなければならないと思うのよ」

最初の言葉で相手が身を硬くしたり動転したら、しばらく黙ったほうがよい。

これはプロセスだということを忘れないように。

折りにふれ、薄氷の上を歩くように注意深く進めるのがいちばん賢いやり方だ。

またあるときは、問題の核心に素早く迫ることも必要になる。

ともかく、本題にふれるのが早かろうと遅かろうと、満足いく関係を望むなら、はじめから相手への尊敬の念を示すことが大切だ。

嘘と正直の間のジレンマを避ける

ジレンマの大半は予測なしに起きるので、私たちは簡単にわなにはまり、おなじみの「嘘をつく」という方法でやりすごすことになる。

だが、これからは、ジレンマにコントロールされる代わりに、真実に臨機応変に対処できるし、正直でいられる機会はもっと多くなる。

さらに、そうしたジレンマが二度と起きないようにするために、あるいは起きても拡大しないように打つべき手もある。

これまで、正直さに通じるいい関係づくりをするとき、私たちはただ無邪気に正直さを期待したりしないし、あえてそのために力を注いだりしなかった。

結局、定期的にジレンマを経験するように自分で仕向けていたのだ。

意図して率直でいようと決めたいい人は、多くのジレンマを再び起こさずにすむ。

これからは、人とかかわりはじめるとき、友人でも、同僚でも、お互いの関係にどの程度の真実が望ましいか、話の口火を切ることができるだろう。

昼食時や会話する時間があればいつでも、こんな話題をきっかけにすればいい。

「いい人かつ、正直でいることがどうして葛藤を生むのか。私たちはいい人か正直な人かのどちらかでいようとするが、なぜ両方を一度に求めないのか。
いい人でいなくてはという恐れが、どうお互いを不正直にしているか」

少しばかりの状況説明がいるかもしれないが、たいていの人はその意味をすぐに理解して、進んで原因を追究してくれるだろうし、似たようなケースを、自分の立場からいろいろと説明するにちがいない。

そうしたら、こう答えればいい。

  • 相手を傷つけないように充分注意しながら、正直でいたいという点を知ってほしい。
  • お互いに真実を言える関係でいたい。そのためには、双方にやさしさと、相手への信頼、こまやかな心遣いが求められる。
  • お互いの関係にしっかりとかかわってほしい。そうであれば、正直であろうとなかろうと、あなたを傷つける心配はしなくてすむ。
  • もし私があなたを失望させたり、あなたへの期待が大きすぎるなら、どうかそう言ってほしい。

こうした積極的な言い方は健全な関係を築くために効果的だ。

そうした関係はお互いのほんとうの気持ちを交換する自由と責任感の上に築かれるので、ジレンマがしじゅう首をもたげる心配は減る。

たまたま、初対面の席でジレンマを生みそうな状況になったら、その場を乱さず相手と関係を保つために、すぐ基本ルールに戻ろう。

もう大丈夫、嘘をつかずにすむ

ここでいろいろ学んだとはいえ、ジレンマを避けきれなかったり、いつも真実だけを求めようというわけにはいかないだろう。

さまざまな要素をすべてコントロールするのは不可能だったり、時、場合、関係の質によって、いい人として嘘を言うのが最適だという結果になるかもしれない。

あなたが現実主義者なら、こうした状況はわかっていて、手のうちようのない不完全さを受け入れたことで、矛盾した状態を片づけられる。

少なくとも、自分の払った努力に対して不幸な皮肉屋にならずにすむはずだ。

当然だが、嘘を言うのが最善だと決めた場合でも、そこを突かれたらすぐに謝ってしまうのが無難だ。

「ほんとうのことを言わなかったのは、あなたの気持ちを傷つけたくないし、自分も傷つきたくなかったからだ。
だが、結果はどちらのためにもならなかった。このとおり謝るから、許してほしい」

また、どんなときでも忘れてはならないのは、自分は創造的で、意味のある人間だと確認することだ。

できるかぎり真実を話そうとがんばる姿勢は、どんな代償を払おうと、仮にどんな失敗をしたとしても、満足のいかない小さな嘘をつき続けるよりもずっと価値がある。

もう、傷つけまいとして嘘をつくのはやめよう。

それでも、いい人でいられる。

まとめ

言いにくい真実の取り扱いとして、真実から話をそらす、ありのままを率直に伝える、厳しい現実はどけておくという手段がある。

しかし、真実を言おうと、嘘をつこうと失敗に終わる。

本当のことを上手く伝えるコツとして、相手を尊敬した上で、控えめに、細かい心遣いをして伝えることだ。

しかし、その前に嘘はつかないということを誓うことだ。