心がすりへりやすい人は、優しい人でもあります。
だから、職場で空気を読んだり、人間関係がうまくいくように気をつかったり。
「他人」を大事にします。
「まわりにいる人」を大事にします。
でも、一番大事な「自分」を忘れてしまいがちです。
「自分の気持ちを話すこと」をおろそかにしがちなのです。
そのうちに、勘違いやすれ違いで人間関係をこじらせてしまう。
そして、心をすりへらしてしまう。
もっと自分の気持ちを伝えていいのです。
ここでは、まず人間関係に少し疲れたとき大切にしたいことについて、お話ししていきたいと思います。
勘違いや思い込みで人間関係を悪くする
「上司にかわいがられていない」「部下に、うっとうしがられている」「職場のみんなに嫌われてる」
このように悩んでいる人はよくいます。
そういう人にこうたずねてみます。
「それは、事実ですか?本当に事実ですか?」と。
すると、「事実です!だって・・・」のあとに続くのは、だいたい次のようなセリフです。
「メールを送っても返って来ないか、冷たいメール。だからかわいがられてない」
「めんどくさそうに返事をした。だから、うっとうしがられている」
ですが、これは勘違いかもしれないんです。本当は、これらの言葉のあとに、全部「はず」や「気がする」という言葉がつくんです。
「メールを送っても返って来ないか、冷たいメール。だからかわいがられてないはず」
「めんどくさそうに返事をした。だから、うっとうしがられている気がする」
というように。
メール、届いてないかもしれないんです。
死ぬほど胃が痛かったのかもしれないんです。
悩みでいっぱいになってたのかもしれないんです。
もしかしたら、あなたがいつも怖い顔をしてるからかもしれないんです。
だから、職場の人間関係がなんだかうまくいっていないとき、「はず」や「気がする」という思い込みをはずしてみませんか。
それだけで、だいぶ変わるはずです。
だってそれ、勘違いですから。
すねてる自分の本音に気づく
「はず」という言葉で決めつけて、「あの人、私のこと避けるのよ、いつも」などと、だんだん表現が大きくなることがあります。
たまたま、2度か3度、ちょっとそっけない態度になってしまっただけかもしれないのに。
けれど、「はず」と「気がする」が、積み重なって、どんどん勘違いと思い込みが広がって、「絶対」になって距離が開いていく。
人間関係がこじれるのは、こういうのが原因だったりします。
そんなときは、たいてい、心の中に「すねている自分」がいます。
だから、自分の心にこう聞いてみてください。
「ねえ?本当はどうしてほしかったの?」って。
「避けられた」「無視された」「嫌われた」と思っているあの人に、本当はどうしてほしかったのか、ということです。
声をかけてほしかったのか。
心配してほしかったのか。
優しくしてほしかったのか。
イエスと言ってほしかったのか。
そして、「本当は」どうしてほしかったのかがわかったら、それを素直に相手に伝えてみてはいかがでしょうか。
「もう少し優しく話してくれるとうれしいです」
「メールを送ったら、返してもらえるとうれしいです」
というように、相手にしてほしいことを相手に伝えるのです。
え?やっぱり、ムリ?そうですよね、しかたないですよね。
そんなに簡単には言えないですよね。わかります。
では、とっておきの方法をお教えしましょう。
努力もいらない、簡単で効果の高い方法です。
それは、「イメージの中で声をかける」という方法です。
- 声をかけたい相手をイメージする
- イメージの中で相手に、にっこりと笑いかける
- イメージの中で相手をにっこりと笑わせる
- イメージの中で相手にしてほしかったことを伝える(例「優しく話してくれるとうれしい」「メールを返してほしい」など)
- 終わり
いかがですか。
簡単ですよね。
努力も根性も勇気もいらないですよね。
簡単すぎて効果がなさそうですか・・・。
それでも、だまされたと思ってやってみてください。
「はず」や「気がする」に縛られて人間関係をこじらせてしまったら、「すねる自分」を認める。
そして、素直に「本当はどうしてほしかったのか」を伝える。
それだけで、こじれてしまった人間関係が、するするほどけていくと思います。
過去の記憶から今の感情を決めつけない
我々は、自分の感情を自分でつくっています。
自分でつくっているというのは、どういうことでしょうか。
我々は、目の前の出来事を見たら、まず何をするかというと、自分の中にある「記憶のデータベース」に照らし合わせます。
そして、照らし合わせた中に「つらい」「苦しい」「悲しい」「恥ずかしい」というワードが引っかかれば、目の前の出来事を同じように受け止めて感情をつくります。
たとえば、Aさんが「会議でBさんに反対意見を言われて、腹が立った」とします。
こういう場合、Aさんは「Bさんに反対意見を言われた」瞬間、記憶のデータベースの中をさかのぼります。
やがて子どものころにお母さんにやりたいことを反対され、ものすごく腹が立ったという経験が引っかかります。
すると、「Bさんに反対意見を言われた」ことも、勝手に「腹が立つ」という感情に結びつけるのです。
そして、「腹が立つ」という感情をつくる。
「Bさんに反対意見を言われた」ときに、Aさんは、お母さんに対して腹が立ったときの記憶がよみがえってきて「また反対意見を言われた!僕は認められていない!いつも反対される!」と腹が立つのです。
Bさんにとっては、単なる反対意見でも、悪意が無くても、です。
むしろ「よかれと思って」のBさんの善意からだったとしても、です。
「自分はしたいことを反対される」というAさんの古傷がさわぐのです。
だから、目の前の出来事に反応しているというよりも、過去の感情を、再び味わっているようなものなのです。
相手には相手の事情があったかもしれません。
あなたのことを思ってした行動かもしれません。
それなのに、過去の出来事に照らし合わせて、勝手に相手の考えを決めつけて、「否定された」と思っていませんか。
保身や不安から、空気を読むことをやめる
「空気をついつい読んでしまう自分が嫌」
「人の顔色をうかがってしまって、言いたいことも言えない」
空気を読む。こういって悩んでいる人は多くいます。
実はこれ、空気を読んでるわけではなく、空気だと思っているものを読んでいるのです。
勝手に空気らしきものをつくって、それを読んでいる、ということなのです。
つまり「読まなくていい空気」を読んでいるのです。
どういうことか。
読まなくていい空気とは、もっと詳しくいうと、「嫌われるかも」「怒られるかも」「怒ってそう」という、「あなたの不安」の空気です。
「空気を読む」のは何のためかというと、実は、その多くが「思いやり」や「優しさ」からではなく、「保身」のためだったりします。
「嫌われたくない」「怒られたくない」という、自分を守りたい保身。
つまり、この場合の「空気」とは、「嫌われたくない」「怒られたくない」という「自分の不安」のことなのです。
「不安」は、そこにあるものではなく、自分の中だけにあるもの。
自分が勝手につくりだしたもの。
だから、「その場にはない」のです。
だから、「空気らしきもの」なのです。
よって「読まないと!」とあなたが不安に思った空気は、実は、間違い。
自分の妄想と思っていいのです。
要するに「読む必要のない空気」なのかもしれないのです。
自分が「空気を読んでる」という自覚のある人は、そして、それで疲れてしまっている人は、その「空気」は、まったくの勘違いだと思ってみてください。
不安だから、自分を守りたいから空気を読む。あなたが読んでるつもりの空気は、勝手につくりあげてしまった空気にすぎないのです。
損してもいい覚悟で行動してみる
「嫌われたくないと思って、気を遣い、空気を読み、尽くしてきたのに、結局、嫌われる。おかしいなぁ・・・」
「損したくないと思って生きてきたのに、結果、損ばかり。自分ばかり損している気がする。おかしいなぁ・・・」
こういう状況になっている人は多いのではないでしょうか。
その場合、「損してもいい」「嫌われてもいい」と思って行動してみてください。
「損したくない」と思っている人ほど損するように世の中できています。
下手なギャンブラーがそのいい例です。
ギャンブルは、お金持ちが勝つ、と相場が決まっています。
それは、お金持ちには、「損してもいい」「楽しもう」という姿勢があるから。
「損してもいい」と思っていると、結果、得する。
お金のない人は、全力で「損したくない」と叫ぶ。
すると、結果、損する。
「損してもいい」
そう思えたとき、たくさんのものが与えられるのかもしれません。
「与えられる」というより「まわってくる」「めぐってくる」という感じかもしれません。
これは、「お金」だけの話ではありません。
人間関係も、結婚も、同じです。
「損したくない」と思っていると、損するかもしれません。
「好かれたい」とばかり思っていると、「好かれない」かもしれません。
要は、自分には愛がたくさんあるから、「愛されなくてもいい」と思っていると、結果として愛がまわってくる、めぐってくる。
そういうお話です。
だから、「嫌われてもいい」「怒られてもいい」「損してもいい」そう思って、試しに行動してみてください。
「損してもいい」「嫌われてもいい」そう思って行動しているときって、腹を割って本音を言い、自分の意見や、やりたいことをやろうとしているときです。
つまり「自分らしく」生きる決意をしたときです。
そんなときに、悪いことが起こるはずはないですよね。
「損してもいい」と思うとき、自分が損しているということは、誰かを得させています。
つまり、「自分が損しているとき」って、逆にいえば「いいことしているとき」なのです。
せっかく「いいことしている」、つまり「与えている」のに、「損した・・・」と嫌がっているのはもったいない。
いいことしているのに、ぼやいてたら幸せは感じられないですよね。
「損してもいい」と思っている時は、実は、誰かを喜ばせている。
ためしにそう考えてるといいかもしれません。
失敗しても、恥をかいても大丈夫を積み重ねる
昔、ある人が会社員時代、心を閉じていたことの話です。
心が閉じているときは、あまり自分の話をしません。
たぶん、どこかで「話さない」と決めてたからかもしれませんが、話題自体が浮かばなかったのです。
で、たまに浮かんできた話題があって、誰かに話してみたとしても、話してる最中に、自分で「面白くないな」なんて思ったり。
すると、また「やっぱり、話すのやめた」と、閉じる。
そのほうが、楽。で、よく黙ってたのです。
とはいえ、仕事のときなどは、普通に、ちゃんとしゃべれるのです。
逆に、どんどん話していました。
興味もあるし、自信もあったからかもしれない。
でも、プライベートになると、急に声が小さくなってしまう。
そんな悩みもあって、「ボイストレーニング」を受けたことがありました。
そうしたら、その悩みを聞いたボイストレーナーが、こう言ったのです。
「心の問題かもしれません」と。
そして、実際にボイストレーニングを受けてみたところ、要するに「声を出す機能」には何の問題もない、ということです。
やはり、「心の問題」でした。
つまり、自分の意見を言って、それを笑われたり、批判されたり、面白くないと言われたりするのが、すごく怖かったのです。
だから雑談になると、「声が出せない」。
要するに、私生活に自信が無い、「素の自分」や「仕事モードじゃない自分」に自信がないから「声が小さくなる」という現象が現れていたんです。
「出さない」のではなく、自信が無いから「出ない」。
ボイストレーニングでは、そのことに気付きました。
でも、それがわかっても、なかなか、出せませんでした。
ところが、あることをきっかけに、その「縛り」がはずれ、出せるようになったのです。
その「あること」とは「人前で恥ずかしいことをする」という経験でした。
それは、人前で自分の悩みや失敗を話したり、時には涙する、という行動でした。
それを「知られてもいい」、知られた結果、「嫌われてもいい」という覚悟をする。
それだけでした。
「恥ずかしがらずに、飛び込む」
「いっぱい失敗する」
「笑われてもいいや」
という勇気をもち、行動する。
それによって「笑われても、失敗しても、恥ずかしいところを見せても大丈夫!」という経験を重ねることが大事なのかなと思います。
すると、仕事でも雑談でも自分らしく自分の声で話すことができます。
そしたら、気分的には「なんでもかかってこい!」という気になりますよ。
聞き上手より、弱さを表に出す
コミュニケーションや会話がうまくなるためには「聞き上手」になろうとよく言われます。
でも、コミュニケーションで悩んでいる人は、もともと「聞いてばかり」の人も多いものです。
だから、それ以上聞き上手になっても、自分のことがますます話せなくなって、ますます苦しくなります。
だから、まずは、自分の恥ずかしい部分(と、思い込んでいるもの)をさらけだしてみましょう。
自分が、恥ずかしいと思っているものをさらけだす。
自分の、「弱点」「恥部」「汚点」をさらけだす。
つまり、自分の「弱さ」を出してほしいのです。
営業のセールストークでも同じではありませんか。
自社の商品の「長所ばかり」並べ立てる営業マンは、売れません。
きちんと「短所」や「弱点」を述べたほうが信用度は上がりますよね。
本当は弱いところもあるのに、強がっているから疲れます。
弱さを隠して、人と付き合おうとするから、疲れるのです。
逆に言えば、あなたは、強いだけの人と付き合いたいですか。
立派なところばかりの人と付き合いたいですか。
情けない所、恥ずかしい過去をもった人とは付き合いたくないですか。
むしろ、そういう人だからこそ付き合いたいと思いませんか。
短所や弱点もちゃんと話せる営業マンのほうが優秀なように、「弱さ」を表に出せる人が、本当は強いのかもしれません。
コミュニケーションの「技術」を学ぶ前に、弱さを出して「心を開く」ことが先なんです。
逆に、心を開くことができたら、コミュニケーションに悩む必要なんてありません。
会話術やコミュニケーション術は、全然必要ないことがわかります。
ビジネスで使おうという目的があるなら、効果はあるかもしれませんが、コミュニケーションに悩んでいるなら、「聞き上手」になるよち弱さを出してみませんか。
ネガティブな言葉を使ってみる
「汚い言葉」「愚痴」「悪口」「泣き言」「文句」などの「ネガティブな言葉」を使わないように気を付けている人が多いと思います。
たしかに、「楽しい」「うれしい」「ありがとう」「ついてる」と言おう、ポジティブな言葉を言おう、といろんな本に書いてあります。
もちろん、言葉自体はエネルギーですからよくない言葉を使うより、いい言葉を使うほうがいいです。
でも、それが「勘違い」になっている人がたくさんいます。
汚い言葉をちゃんと使ってみましょう。
なぜなら、「心がすりへってしまう」原因は「我慢」だからです。
「我慢」の意識がない人もいると思いますので「言葉を飲み込む」「言わないようにしている」「弱みを見せない」という感じかもしれません。
たとえ悪い言葉や感情であっても、「言葉」「感情」は、その人だけに湧き上がるものです。
つまり「その人だけのエネルギー」です。
それを「悪いから」といって、出さない、飲み込む。
・・・ということはあなたの中に、そのマイナスのエネルギーが溜まっています。
エネルギーは使わないと消えません。
ずっと残っています。
そして、「汚い言葉」たちを、「言わないほうがいい」「言うと気分が落ち込む」「良い言葉で心と体を満たしてあげるといい・・・って書いてある」と、思って我慢する。
あるいは、「楽しい」「うれしい」「ありがとう」「ついてる」と無理に言い換える。
我慢して、我慢して、溜め込んで、溜め込むと・・・どうなるか。
「周囲の人がネガティブになる」のです。
あるいは、心の容量を超えて自分のブレーカーが落ちて、心も体も動かなくなります。
これが「うつ」のような状態なのです。
感じた「言葉」「感情」は、たとえ「ネガティブなもの」であっても「ちゃんと吐き出す」「隠さない」「飲み込まない」ということを心がけてほしいのです。
さて、あなたは、汚い言葉、ちゃんと使っていますか。
悪い感情を我慢するクセをやめる
前項でネガティブな言葉や感情を隠したり、飲み込んでいると、まわりの人に出たり、自分の心のブレーカーが落ちてしまうと述べました。
しかし、もっと怖いのが、「飲み込みすぎると、自分の思っていること、感じていることがわからなくなる」ということです。
「いい、悪い」の判断なく、飲み込むクセがついているのです。
「かっこ悪い」「空気を壊す」「失敗しそう」「人目が気になる」「笑われる」「相手を傷つける」「怒らせるかも」という、さまざまな理由を用意して、それらの言葉や行動を「飲み込み」ます。
すると飲み込まれたエネルギーは、どんどん体(心)の中に溜まっていきます。
また、そのような行動を繰り返していると、いい思いも、悪い思いもすべて飲み込むようになってきます。
自動化していくのです。
便利です。
そして、これが完全に習慣化すると、自分がどんな思いをもっているのか、何が好きか、何が悲しくて、何に腹が立ち、何が楽しいのかさえも気づかなくなります。
「自分の思い」や「自分の感情」を殺してしまっていきます。
自分を押し殺し、自分を抑えていると、心はどんどんすりへっていきます。
では、どうすればいいのかというと、「その都度、吐き出す」「その都度、行動する」それだけなんです。
「腹が立つ」「ムカつく」「うらやましい」「あいつのせいで」「悲しい」などの「怒り」「憎しみ」「嫉妬」「恨み」「悲しみ」の感情は、その都度、飲み込まずに、出す、言う。
ある会社の上役でこの感情を出すのがとても上手な人がいました。
とにかく、よく怒る、そして暴れる。
でも、出すだけ出したら、そのあとはもうきれいに気持ちを切り替えて、前を向いて歩きはじめる。
そして、優しい。
スカッとしている。
感じたら、すぐ、言う。
思いついたら、すぐ、動く。
一見、短気に見えるんですが、その裏にある「真剣」な思いがちゃんと伝わってくる。
だから、決して「嫌な人」なんて感じない。
嫌われない。
逆に、黙って何も言わず、最後に溜めてぶつけられたら、それはもう、たまらないです。
「その都度言ってくれよ」と思います。
さて、どちらが人間らしく、どちらが、魅力的でしょう。
そして、その都度感情を出したら、本当に嫌われたり、うるさがられたりするんでしょうか。
一度あなたも「その都度言う」を試してみてください。
悪い感情は、ぶつけるじゃなくて、ただ出す
悪い言葉も悪い感情もちゃんと出す。
これが大事です。
ただ、気を付けてほしいことが2つあります。
一つ目は、「今の感情」を出すこと。
二つ目は、出すときは、相手に「ぶつける」のではなく、「ただ、出す」こと。
「私は、今、こう感じている」と言って、ただ見せる、ぶつけない。
そして、相手の反応を求めない。
勝手に相手の反応を期待して、求めない。
「私が決心して正直に言ったのに!」なんて求めて、怒らない。
そして、オプションとして、布団をかぶったりして大声で叫んでみてください。
「ばかやろー!」「さびしー!」「くやしー!」
そうやって、愚痴、悪口、泣き言、文句、のエネルギーを、ちゃんと吐き出してください。
汚い思いが残って、熱をもっているところに、いくらいい言葉を降り注いでも、熱した鉄板の上に雪が積もらないように、いい言葉も全部溶けていきます。
そして、大事なことが汚い言葉、思いを全部吐き出した後、「でも」と付け加えて「前向きな言葉」で訂正するのです。
「でも、おかげで、今があるよね」「でも、いいところもあるよ、あの人」
そうやって、前を向いていけばいいんです。
ちゃんと、口直しすればいいんです。
お願いだから腹に溜めたまま、作り笑いしないでくださいね。そのほうが怖いもんです。
ただ、ここまで述べても、こう言う人がいます。
「そんな悪い言葉ばかり使っていると、悪いことが起きそう」。
それは、違います。
「悪い言葉ばかり」じゃないんです。
悪い言葉、汚い言葉をちゃんと使い、いい言葉もちゃんと使うってことが大切なのです。
「怒り」「憎しみ」「嫉妬」「恨み」「悲しみ」と同じように、「ふとした思いつき」「アイデア」「優しくしよう」「謝りたい」「手伝おう」「感謝したい」などのいい言葉、ポジティブな言葉もたくさん使えばいいんです。
要は、「いい言葉」も「悪い言葉」も使う。「いい感情」も「悪い感情」も出す。
それが「本当の自分」です。
「本当の自分」を生きている人には「汚い言葉を使いたくなる出来事が減ってくる」というプレゼントがもらえるんです。
ものわかりがいい人になり逃げていないか
何か腹が立つことがあっても、そこに「ポジティブな意味」を見つけ出して、自分を納得させたり。
何かに失敗したり、うまくいかないことがあったとしても「あぁ今は時期じゃないんだ」なんて、すぐにあきらめていませんか。
新しい「考え方」「視点」自体は、とても素晴らしいものです。しかし自分自身納得していればいいのですが、「無理に思おうとした」ところが問題なのです。
でも、実はちゃんといろんな感情「怒り」「悔しさ」「哀しさ」なんてのをもっていたんです。
ふにゃふにゃで、へたれな自分もいた。
何もできない、能力のない、勇気のない自分も、たしかにいた。
勇気を出せない、ぬるま湯から出られない自分がいた。
でも、それを表に出すと「摩擦する」「傷つく」「エネルギーがいる」「バカにされる」。
自分の感情や考えを表にださないほうが「楽」。
だから自分が言いたいことも言わなくなり、ものわかりのいい、あきらめのいい人になっていたのでしょう。
自分のことを「ものわかりがいい」「あきらめがいい」「自分の意見を言わない」って、感じてる人は「もしかしたら、何かから逃げてるだけじゃないのかな」ってちょっと自分を見つめてみてください。
摩擦することから、傷つくことから、努力することから、バカにされることから「逃げてないか」って。
逃げるために、ものわかりよくなっていないか。
逃げるために、言いたいこと、やりたいことをあきらめてしまっていないか。
逃げずに、ちゃんとそんな自分も認めてあげてください。
他人の好意を受け取らない自由もある
職場でも、家庭でも「よかれと思って」の思いやりがからまわりして、人間関係がぎくしゃくしてしまうことってよくあります。
あなたも、「よかれと思って」と言葉をかけることはありませんか。
でも、人によって、「優しさ」や「気遣い」「思いやり」の基準が違います。
これはごく当然のことなのですが、頭ではわかっていても心が納得しないことがあります。
せっかく、「よかれと思って」したのに、相手がそれを受け取らなかったり、自分が期待していたのと違う行動をすると、「なんで、こんなことするの?」「なんで、そうしないの?」なんて不満に思ったり、傷ついたり、怒ったり。
あなたが勝手に「よかれと思って」しただけなんです。
相手が、絶対それを受け取る必要はないんです。
人には、人それぞれの思いやりがあります。
自分自身、「よかれ」と思って人にやったことが受け取ってもらえないときは、自分も誰かの「よかれ」を受け取ってないときなのかもしれないと思うチャンスです。
だから、あなたにとって誰かの気に入らない言葉や嫌な態度でも、「あんなのでも『よかれ』と思ってやっているんだ」と思ってみてもいいかもしれません。
その一つだけでも胸にとめておくと、心が少し変わります。
まとめ
〇「かわいがられてない」「うっとうしがられている」という悩みは、たいてい思い込みか勘違いからきていることが多い。
〇「嫌われたくない」「損したくない」という保身から空気を読むのをやめて、「嫌われてもいい」「損してもいい」と開き直る。
〇コミュニケーションがうまくなるには、「聞き上手」を目指すより、まずは、自分の弱さをさらけだしてみる。
〇悪い言葉や感情を飲み込む癖をやめる。そして、いい言葉も悪い言葉もちゃんと出していく。
〇「ものわかりがいいフリ」をしない。「あきらめのいい人」にならない。