他者貢献

まず、交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること。それが自己受容です。
そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。

自分を受け容れることができて、なおかつ他者を信頼することができる。
この場合、あなたにとっての他者とは、どんな存在になりますか?

それは、「仲間」です。

他者に信頼を寄せることは、すなわち他者を仲間だと見なすことにつながります。
仲間だからこそ、信頼することができる。
仲間でなければ信頼にまでは踏み出せません。

そして、もしも他者が仲間であれば、自分の属する共同体に居場所を見出すことにつながっていきます。
「ここにいてもいいんだ」と言う所属感を得ることができるわけです。

つまり、「ここにいてもいいんだ」と思えるためには、他者を仲間だと見なす必要がある。
そして他者のことを仲間だと見なすためには、自己受容と他者信頼の両方が必要になる、と。

さらに付け加えて言うと、他者のことを敵だと思っている人は、自己受容もできてないし、他者信頼も不十分なのです。

しかし、どうでしょう。他者のことを仲間だと見なし、他者のことを信頼するだけで、所属感を得られるものでしょうか。

もちろん、共同体感覚とは自己受容と他者信頼だけでえられるものではありません。
そこには3つ目のキーワードである「他者貢献」が必要になってきます。

仲間である他者に対して、何らかの働きかけをしていくこと。
貢献しようとすること。

それが「他者貢献」です。
他者貢献が意味するところは、自己犠牲ではありません。
むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘をならしているくらいです。

そして思い出してください。
われわれは、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えた時にだけ、つまりは「わたしは誰かの役に立っている」と思えた時にだけ、自らの価値を実感することができる。

つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感する為にこそ、なされるものなのです。

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自己を犠牲にする必要はありません。

もっともわかりやすい他者貢献は仕事でしょう。
社会に出て働くこと。
あるいは家事をこなすこと。
労働とは、金銭を稼ぐ手段ではありません。
われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、「私は誰かの役に立っている」ことを実感して、ひいては自らの存在価値を受け容れているのです。

もちろん、お金を稼ぐことも大きな要素です。
「鋳造された自由」というドストエフスキーの言葉が語るように。
しかし、一生かかっても使いきれないほどの資産を抱えた富豪がいます。
そして彼らの多くは、今もなお忙しく働き続けています。
なぜ働くのでしょうか?底抜けに強欲なのでしょうか?
違います。
それは他者貢献のためであり、ひいては「ここにいてもいいんだ」という所属感を確認するためなのです。
巨万の富を得たのちに慈善活動に尽力する富豪たちもまた、自らの価値を実感して、「ここにいてもいいんだ」と確認する為に、様々な活動を行っているのです。

対人恐怖症、社交不安障害の人は、他者貢献を行い所属感を確認することです。