つい「よい子」を演じてしまう

無理に自分を枠に押し込めると苦しくなる

子ども時代に身につけた「よい子」の役割から自由になれないことが悩みの種という人がいます。

たとえば、素直なよい子、優しくて思いやりのある子、まじめながんばり屋。
どれも文句のつけようのない好ましい性質です。

しかし、あまりに周囲の期待するよい子像を取り入れすぎると、そこからはみださないように自分を過度に抑える癖がつきます。
まじめな模範的高校生を経て、会社ではよく気が付く模範的OL、恋人の前ではひかえめでかわいい女の子としての自分になりきります。
ほかにもいろいろなパターンがありますが、いずれにしても、自分がどう感じているのか、どうしたいのかよりも、相手が自分に何を望んでいるのかに過敏に反応するのです。

こういう生き方をしていると、そのうちに「自分がほんとうはどうしたいのか」がわからなくなってきます。

子どもを経たずに大人になる人などいません。
だから、誰もが心の深層に子どもを抱えて生きているのです。

子どもは、親や教師など身近で影響力ある大人の言いつけを守るという形で自分をつくっていきます。

もちろん反抗しながら自分をつくっていくという側面もあり、それはとても重要なことなのですが、反抗する力の弱い人は、大人の期待に応える形でよい子への道を歩むことになります。

そこには、嫌われるのが怖い、見捨てられるのが怖いという心理が働いているのです。
親の愛情のなかで安らぐことのできなかった人は、自分の過失によって万が一愛情を失うようなことになったらたいへんだという不安を無意識のうちに抱えています。
それが、周囲の目をうかがうような姿勢を身につけさせるのです。

自分を抑え、相手の期待に応えることで、守られる存在、愛される存在としての自分を維持するわけです。

相手に合わせてこちらの対応を決めるというのは、人間関係の基本ですし、協調性にもつながります。
でも、それもいきすぎると、何の意志も主体性も感じられない、影の薄い存在と堕してしまいます。
周囲の人たちには、人のよい人物ではあっても生彩に欠け、面白味のない人物、自分というものをもたず周囲に流される頼りない人物といった印象を与えやすいでしょう。
本人としても、無理に自分を枠の中に押し込めて周囲の期待や反応にたえず注意を向けるのは疲れます。

登校拒否や対人恐怖症などに追い込まれる、自立する力に乏しい子の特徴として、小さい頃から手のかからないよい子だった、激しく口答えすることもなく悪ふざけすることもないおとなしい子だった、という点があげられます。

そこまで極端な問題に発展しなくとも、日頃から自分を抑えすぎ、周囲の期待に合わせすぎる人には、いきいきした魅力が感じられません。

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気がねなしに何でも言い合える友達をもつ

実際にあった多重人格の例として有名なものにイヴの症例があります。

イヴ・ホワイトは、まじめでおとなしく、はりつめた行儀のよさを身につけ、信仰心が厚く、いつも自分より相手を優先させ、たえず自分を責めているタイプの女性です。

夫にも自己犠牲的に尽くしてきました。
ところが、やがて、イヴ・ホワイトのなかに、もうひとつの人格が宿ることになります。

それがイヴ・ブラックです。
イヴ・ブラックは、イヴ・ホワイトとは対照的な人格で、他人や社会規範をものともせず、自己自身への極端な適応を示します。

つまり、自己中心的で、自己批判力に乏しく、浅薄なほど陽気で、饒舌で、みだらなところがあり、衝動的で、子どもっぽいといった特徴を示します。
しかし、情熱的で生気にあふれており、それが男好きのする魅力を醸し出しています。

イヴ・ホワイトが、おとなしくてまじめなよい妻としてふるまうのに、ときどきイヴ・ブラックが出てきて、派手な服を買って深夜外出して遊び歩き、イヴ・ホワイトを悩ませるのです。

カウンセリングの過程で、第三の人格、ジェーンが現れます。
ジェーンは、イヴ・ブラックと違い良識を備えた人格ですが、イヴ・ホワイトとも違って、機転がきき、ユーモアがあり、ゆったりしており、感情が豊かで、はつらつとしています。

結局、ジェーンのおかげで、バランスのとれた人格へと変貌を遂げ、一件落着となるのですが、イヴ・ホワイトの問題点のありかはもう明らかでしょう。

まじめで自分に厳しく他人を尊重するのはよいのですが、堅苦しいほどに感情を抑え、自分を殺してしまったところに無理があったのです。
その無理が本人の意識下に積もり積もって、イヴ・ブラックというもうひとつの正反対の人格を生んだのです。

治療過程で明らかになったのは、彼女が幼い頃母親にかまってもらえず、それをとても寂しく思っていたことです。
そのために、周囲の人々を喜ばせ、その見返りとしての好意を期待するという姿勢を、無意識のうちに身につけてきたのです。

人に受け入れてほしいという気持ちがあまりに強いため、感情をあらわにできませんし、反抗もできません。
どんなに誤解されても、気持ちを傷つけられても、怒りを外に向けることができません。

スムーズに生きていくためには、世の中に、つまり周囲からの要求に適応するだけでは不十分です。
自分の内的要求にも適応していかなければなりません。
周囲の意向に敏感なだけでなく、自分の内部にアンテナを張り、自分はどうしたいのか、何を感じているのかを探ることも大切なことです。

ふだんおとなしいのに、ときおり小爆発を起こすというタイプなども、どこかに無理がないか点検してみるのがよいでしょう。
自分を抑圧しすぎると、たまりにたまった個人的要求の思わぬ反乱に会うことがあります。

自分を見失わないためにも、
「こんなことを言ったらバカにされるかもしれない」
「こんな自分をみられたらみっともない」
などの気兼ねなしに、思ったまま何でも言い合える友人関係をもちたいものです。
さらに、何でもよいから趣味を持ち、自分独自の世界をつくるようにすれば、自信もついてくるでしょう。

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最近では、独自性とか個性ということばが濫用され、「自分が、自分が」としゃしゃり出る人間の見苦しさが目につきます。
そうなると、また別の問題が生じてきますが、自分を抑えすぎているのではと感じる人は、よい子の殻から一歩踏み出し、自分の足で歩いてみましょう。