コミュニケーション能力に欠けると人が怖い

コミュニケーション能力とは

そもそもコミュニケーション能力とは一体何を意味するのでしょうか。

コミュニケーション能力といっても、その定義は100個あると言われています。

なぜなら切り口を変えてしまえばいくらでもその定義は変化してしまうからです。

しかし定義をはっきりとさせずに、漠然とその能力を向上させようとしても、目的が定まらず、何を目指していけばいいのかが曖昧になってしまいます。

ここでコミュニケーション能力を「直接的な人間関係をスムーズに築くことができ、また仕事の上では自分の考えを持ち、これを正しく伝える能力」と定義づけることとします。

コミュニケーション能力とはIT,電話、FAXなどを自在に操ることができる能力も含む概念ですが、ここでは人が顔と顔を合わせて行うコミュニケーションのみに限定させていただきます。

最終的には、コミュニケーション能力があることで、友人や異性関係で充実した人間関係を築き、仕事の上でも成功できる人間を目指します。

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人が怖い人が増加した真の理由

どうして世の中にはコミュニケーションが苦手な人がいるのでしょうか。

その原因は複雑です。

元来持っている遺伝的な要因もあれば、家庭環境や、学校での人間関係のトラウマが影響している場合もあります。

さらに大きな視点に立てば社会構造全体の犠牲になっていることもあります。

コミュニケーション能力を高める上で、今、自分が社会のどんな趨勢に巻き込まれているのかを理解することはとても重要です。

社会的な趨勢を理解せずに、コミュニケーション能力を向上させようとすることは、羅針盤なしで航海にでるようなもので効率が良くありません。

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ここで回り道ですが、現代社会におけるコミュニケーション能力を取り巻く環境について考えましょう。

コミュニケーション能力を社会的な構造から捉える上で大事なことは、農業従事者や自営業者が中心となっていた時代と、会社員が労働力の主体となる時代を比較することです。

直感に訴えるネーミングとして前者を「農村型社会」、後者を「都市型社会」としましょう。

まず、農村型社会の特徴を一言で表すと「同質」であるということです。

例えば農村型社会では地域住民はほとんど同じ仕事をしています。

それは農業であったり、漁業であったりしました。

周りの人は大概が同じような仕事をしています。

さらに農村・漁村では周りの人間が古くからその土地に住んでいるので、同じ方言を話し倫理観や価値観も似ています。

この点、コミュニケーションも伝統的に受け継がれてきたものがほとんどで、それを自然に学んでいれば十分でした。

なにしろ似たような人たちばかりですので、コミュニケーションのやり方自体も単純なものなのです。

地域ごとにコミュニケーションに法則性があり、これを幼いうちから自然と身に付けておけば地域には適応できたのです。

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農村型社会の人間関係はどうでしょう?

そこには密接な家族関係、地域の人間関係があります。

それぞれが助け合うことでその地域は成り立っていました(農業であれば集団作業が効率的でした)。

家庭においては祖母、祖父、両親、兄弟が周りにたくさんいます。

夕飯の時間などは毎日が宴会のようなものです。

また家庭から一歩外へ出れば、親戚、従兄弟、近所のおばちゃん、おじちゃん、お兄さん、お姉さん、カミナリ親父までたくさんいます。

田舎社会では、こういった人間関係を幼い頃から体験しますので、年長者に対する振る舞い方、同年代に対する振る舞い方を自然と覚えていくのです。

コミュニケーションの教師はそこら中にたくさんいたのです。

当然コミュニケーション講座など必要ありませんし、現代のようにコミュニケーションに関する本など全く必要なかったのです。

次に「都市型社会」について考えてみましょう。

都市型社会を一言で表すと「異質な個の集まり」であるということです。

都市生活者の仕事はばらばらです。

公務員、会社員、自営業などさまざまでいろいろな職種があります。

同じ職業、職種についている人などなかなかいません。

さらに価値観や倫理観も農村型社会に比べればその違いは遥かに大きくなります。

こういった複雑な都市型社会でコミュニケーションを行うには、それぞれの人の違いに対応できる能力が求められるのです。

そして本来であれば、都市型社会に適応するには農村型社会以上に、小さな頃からたくさんの人と接する必要があるのです。

しかし現在、都市型社会では核家族化が進み、親、兄弟だけの家庭がほとんどです。

現代社会では母親すらいなくなっている家庭もいます。

兄弟も少子化により減ってしまい、多くても二人か三人という状態です。

また、都市型社会では近所付き合いを濃密にする必要性も薄まり、地域のコミュニケーションは希薄化しています。

加えてテレビや、ゲーム90年代から始まったIT機器の普及によって、直接的なコミュニケーションに費やす時間はますます少なくなっていきました。

前に「セカンドライフ」という仮想現実空間が話題になりましたが、こういったサービスはますます直接的なコミュニケーション能力を低下させていくでしょう。

都市型社会では農村型社会以上にコミュニケーション能力が必要なのに、それが成しえない社会となっているのです。

そのため都市に住む人、これから都市に適応しなくてはならない人はコミュニケーションのとり方に悩み、その解決の手段を求めるようになりました。

そして、その悩みに応えるかのように書店にはコミュニケーションに関する本がたくさん並ぶようになったのです。

さらに、知識だけではなく、実践的なコミュニケーションを学ぶ場として、「話し方教室」程度しかなかった状況から、コーチング、NLP,アサーティブコミュニケーション、スマイルセラピーなど多様な講座が開かれるようになりました。

しかし、残念ながらそういった講座や書籍が社会的に機能しているかといえばまだまだだと言えます。

現時点で実践的コミュニケーションは歴史の浅い分野で、その方法論が体系化されているとはとても言えるような状態ではありません。

社会全体の効率を追求すれば、都市への人口の集中やIT化を防ぐことはできませんし、その必要性もないでしょう。

問題はコミュニケーション能力を育てる機関が正常に社会に根付き、そして正常に機能することです。

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皆さんに伝えたいことは、今まさに皆さんが悩んでいることは社会的な流れの中にあって、必ずしも自分に責任があるわけではないということです。

コミュニケーション能力で悩める人は、自責の念が強く、全てを自分の性格や努力不足として認識してしまう傾向にありますが、社会的な環境の問題も確かにあるのです。

大事なことはそのような社会の流れがある上で、自分自身がその流れの中でどのような改善策を練っていくのかです。

現在、核家族化が進み、家族を含め人間同士のコミュニケーションは希薄化しています。

他人とコミュニケーションをとることに煩わしさを覚える人はとても多くなっています。

逆に言えば、だからこそコミュニケーション能力が高い人が求められる時代になっているとも言えます。

複雑な都市型社会において、存分に人間関係を築ける人は会社にとって重要な意味を持ちます。

都市型社会のキーワードは「異質性」です。

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それぞれが異なった知識や経験、価値観、倫理観、仕事を持っています。

これは前向きに考えればとても楽しい環境だと思います。