人付き合いの苦手を克服する論理療法

見方を変えれば世界が変わる~認知療法と論理療法~

ここでは、認知療法と論理療法という二つの体系づけられた治療法を紹介します。

いずれも、私たちを不安にするのは、状況そのものではなく、状況をどのように認知するかに依存するのだという基本的な考え方に立っています。

ですから、物事の見方や考え方を変えることが治療の内容になります。

認知療法

認知療法についての具体的な詳細はこちらを参照ください

論理療法

論理療法は、アメリカの臨床心理学者であるアルバート・エリスという人が提唱したものです。

出来事そのものがストレスや不快な感情を引き起こすのではなく、出来事に関する非合理的な思い込み(信念体系)がストレスを生み出すという考えに基づいています。

したがって、その治療法は、非合理的な思い込みを合理的な思考に変えることが中心になります。

論理療法では、ABCDEという五つの要素を取り上げます。

A出来事や逆境(Adversity)
まず、感情を害することになった出来事、事実をあげます。

B信念体系(Beliefs)
それに関して暗黙のうちに持っている信念(思い込み)を明らかにします。

C結果(Consequences)
それによって引き起こされた気持ちや行動を明らかにします。

D反論(Disputing)
思い込みの誤りを明らかにして、建設的な思考に置き換えます。

E効果(Effects)
その結果、感情や行動が変わります。

むろん、出来事によっては、必然的に不快な感情を引き起こすものがあります。

親族や親しい人の病気や死など、心配や悲しみの感情が湧くのは当たり前のことですし、失恋したり、試験に落ちれば、悲しみ、落胆するのは当たり前のことです。

こうした感情は健全なものであり、そのままに受け入れることです。

問題は、こうした事態でも感情や行動を自滅的なものにしないようにすることです。

自滅的な感情や行動を導くのは不適切な思い込みなのです。

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論理療法の実行例

「同僚に仕事を頼んでおいたのに、期日までにやってくれなくて、結局自分が徹夜で仕上げることになってしまった。

私を困らせるために意地悪したのだと、その人の顔を見るたびに不愉快になってしまう。

そんな状態が続いて、その同僚と気まずい関係になっている」

この事例をもとに、実際の適用法を説明します。

A:出来事、事実をあげる

「木曜日までにと頼んでおいたのに、やってくれなかった」

B:暗黙の思い込みを明らかにする

「あんなにしっかりと頼んだのだから、忘れるなんてあり得ない。だから、私を困らせるためにわざとしなかったのだ」

C:結果を明らかにする

「意地悪されてくやしい」

D:暗黙の思い込みに反論する

「忘れることはあり得ない」というのは独断です。

どんな人間でも忘れることはありえます。

百歩ゆずって「忘れることはあり得ない」としても、だから「困らせるために」というのは単なる憶測に過ぎません。

別な可能性がいくらでもあります。

気になりながらも忙しさに紛れてできなかったのかもしれません。

相手の人が人生上の大きな問題を抱えて仕事が手につかなかったのかもしれません。

頼まれた仕事が気が重くて、つい延び延びになってしまっただけかもしれません。

こうした可能性を無視して「困らせるためにわざとした」というのは思い込みに過ぎないのです。

その誤った思い込みが「くやしい」という感情を生んでいるのです。

さらにいえば、「わざとやられたから、くやしい」と自分の心を負の感情で満たすことも必然的な結びつきではありません。

なぜなら、「わざとやられた」から「心の狭い人」と一笑に付す選択肢もあります。

「かわいそうな人。あれでは他の人から信頼されないだろうな」と、その人のことを心配してやる選択肢もあります。

ですから、「くやしい」と心乱されることは、その出来事を不当に解釈し、そのうえ不当に感情を乱されてしまっている状態なのです。

E:反論によって、心理的・行動的効果が表れる

上記のような反論によって、「意地悪されてくやしい」という感情が和らぎます。

今後も一緒に仕事する仲間なので、「今度また、お願いするね」とでも一言声をかけておこうか、という気持ちにもなります。

このように、出来事そのものが必然的にストレスという結果を引き起こしているのではないのです。

無意識の信念(思い込み)が、ストレスを引き起こすのであり、その思い込みを修正することで安心がえられるのです。

「べき思考」の三つのタイプ

エリスによれば、とりわけストレスを引き起こしやすい信念体系は、「べきだ」という思い込みです。

代表的な「べき思考」は三つのタイプに分けることができます。

タイプ1「私はきちんとやるべきだ。そうでないと嫌われてしまう」

このタイプの「べき思考」は完璧主義的傾向を生み出し、その結果、苦手意識や自己嫌悪など不快な感情を生じさせます。

きちんとやることは望ましいことですが、それをやらないからといって、人はあなたを嫌うわけではありません。

その証拠に、いい加減でも好かれる人がいますし、きちんとやる人でも煙たがられている人がいます。

自分なりにやればいいのです。

それで、人が嫌うことはないのです。

タイプ2「他の人は私に親切にすべきだ。そうでなければ、ひどい人たちだ」

このタイプの「べき思考」は、いらいらや、怒り、妬みなどのストレスにつながります。

例として、「相手が自分勝手な人なので」ストレスを感じている事例を考えてみましょう。

この場合、あなたが、「相手も自分と同じ価値観を持ち、(私に親切に感じられるように)行動すべきだ」と思い込んでいるからストレスなのです。

別な人なのだから、別な価値観で別な行動をして当たり前。

そう発想を転換すれば、その人のやり方でやっているだけであり、「自分勝手」という受け取り方が思い込みであることがわかります。

このように、他の人も「自分と同じように感じるべきだ」「同じように考えるべきだ」「同じように行動するべきだ」、さらには、「私に好ましいように行動すべきだ」などと、思い込んでいるからストレスになるのです。

自分が被害者のように感じているのですが、実際には「べき」思考によって、あなたこそ他の人の心をコントロールしようとしてしまっている結果なのです。

自分と正反対の感じ方をし、正反対の欲求を持ち、正反対の考え方をする人がいるという事実を忘れずに、それはそのまま受け入れることです。

タイプ3「この世界は公平で生活は快適であるべきだ。そうでないならこの世界はひどい所で私は不幸だ」

この「べき思考」を持っていると、いたずらに世の中を恨んだり、妬んだり、劣等感に落ち込んだり、自分を哀れに感じたり、絶望したりすることになります。

この世界が公平で、生活が快適であることが望ましいのは、いうまでもありません。

しかし、公平であるべきといっても、それぞれ生まれた家庭環境が違い、スタイルや容貌が違い、能力が違うのは紛れもない事実です。

公平であって欲しいという願望を「公平であるべき」という思い込みに変えてしまっていることがストレスを生むのです。

また、いつでも自分だけが快適であることなどあり得るはずがありません。

誰にでも楽しいことがあり、つらいことがあります。

誰もが喜んだり悲しんだりしながら日々を送っているのです。

自分の生活がいつでも快適で、幸福でなければならないというのは自己中心的で尊大な思い込みでしかないのです。

このように、「べき」思考によって心を乱されるのは、あなたの勝手な一人芝居に過ぎません。

他人も世界も自分の思い通りにコントロールすることなどできません。

コントロールできるのは自分の心と行動だけです。

自分の「べき思考」に気づいて、徹底的にそれに反論をすることで、多くのストレスから解放され、明るい気持ちで生活を送れるようになります。