人間関係の感情の取り扱い

すべての感情は、自分を守るために存在する

不安、怒り、ねたみ、喜び、恐怖。

私たちは日々、さまざまな感情を感じながら生きている。

もし感情がなければ、もう少し人間関係は楽になれるかもしれない。

対人関係の悩みは、感情があるからこそ深くなる面がある。

では、なぜ私たちには感情があるのだろうか。

感情とは、「原始時代の環境の中で、人間が生き延びるために備わった重要な機能」であると考えられる。

原始時代のことをイメージしてほしい。

たいした武器もなく、体一つで猛獣と戦わなくてはいけなかった時代だ。

恐ろしい猛獣と出くわした時、「恐怖」の感情があるから、ただちに人は逃げる行動に移ることができた。

逃げおおせた後でも「不安」を感じるから、「あの猛獣がこの村にもやってくるかもしれない」と将来を予測し、それに備えることができた。

不幸にも家族が襲われそうになったら、「怒り」がわき、我をも忘れて猛獣に立ち向かうことができたのである。

原始人の観点から、それぞれの感情が持つ目的を考えてみよう。

  • 驚き→状況の変化に対応するため情報収集しつつ体を準備する
  • 怒り→敵に反撃、威嚇する
  • 恐怖→危険から逃げる
  • 不安→将来の危険を予測する
  • 悲しみ→引きこもらせ、態勢を整える
  • 愛→仲間を作り助け合う、子どもを育てる
  • 恋愛→性行為に向かわせ、子孫を残す
  • 無力感→歯が立たないほどの相手から、距離を取らせる
  • あきらめ→無駄なエネルギー消費を中止し、次の課題に向かわせる
  • 喜び→安全・生存のために必要な物資等の情報を分かち合う
  • ねたみ→自分の取り分を確保する

どの感情にも、原始時代に生命を維持したり、危険から命を守るための意味があったことがわかる。

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感情が過剰に出てしまう理由

確かに原始時代には、感情が重要な役割を果たしたかもしれない。

しかし、今は原始時代とは違う。

食事をするのに、一日中走り回って獲物を追わなくても、コンビニに行けばいい。

安全についても、猛獣や敵の部族に怯えながら生活する必要はない。

ところが、私たちは相変わらず感情に振り回されながら生きている。

何が現代人の感情を刺激しているかというと、それは「人間関係」だ。

というのも、原始人の命と生存を脅かしていた要素は、「水と食料」「自然現象(地震、寒波、干ばつ、大雨など)」「猛獣や毒蛇などの外敵」「病気・けが」、そして「人間」の5つだが、このうち上の三つの危険は、現代日本ではかなり少なくなったし、医療の発達で病気やけがへの恐れも少なくなった。

だから、相対的に人間に対して、つまり人間関係によって感情が発動することが多くなってきているのだ。

人間関係は、恋愛、対立、競争、地位、役割、金銭、権力、正義、平等などと絡みながら、さまざまな感情を引き起こす。

ただ、いったん発動した感情は、あくまでも原始時代の「命がけモード」であなたの思考と体を準備させる。

そうすると、総じて過剰発動になってしまうのだ。

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例えば、あなたが手掛けた企画に、1人の人が批判的な意見をアンケートに書いてきた。

「この人はどういうつもりなのだ」とショックを受け、気になってくる。

そして、軽い「怒り」も感じてしまう。

怒りは、原始人的には、相手の攻撃に対する備えだ。

殺し合いの事態を想定している。

あなたの企画を批判する相手と「争う」という方向性は間違ってはいないが、感情が想定するシミュレーション(=殺し合い)は行き過ぎている。

どのような流れで、感情が肥大化していくのか、もう少し具体的に見てみよう。

もともと感情には、今の情報から予測される危険事態をいち早く察知して、それを拡大して感じさせ、できるだけ早めに心身の準備をさせるという性質がある。

論理的な思考でものごとをすすめるのではなく、イメージに直接作用するのだ。

今回のケースで言えば、「批判的な意見を出した人が、なんとなくあなたの権利や将来の安全を脅かそうとしている」というイメージが広がる。

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怒りに乗っ取られた頭の中で繰り返される想像は、リアルで切迫感がある。

コトの重要性が必要以上に上がってしまう。

危機管理論における「リスク評価」とは、そのことの「重要度」と、それが起こる「可能性」の掛け算で測られる。

感情によって、「重要度」が上がるだけでなく、そのことを考えている「時間と回数」の影響で、あなたの頭の中では、これから起こるかもしれないことがとても大きなリスクとして感じられていく。

すると次は、さらに警戒的な視点で情報収集するようになる。

疑惑の目で見ると、何でもそう見えてしまいがちだ。

過去も含めてその人の言動のすべてが、自分を非難、攻撃しているように感じられてくる。

元はただのアンケートだったのに、いつのまにか、相手のことを嫌に感じ、知らず知らずのうちにけなしたり、避けたり、足を引っ張ったりしてしまう。

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最初の小さな問題から大きくズレて、トラブル化してくるのだ。

これが、感情が過剰に発動してしまう流れだが、激しい対立も、発端はささいなことだった、ということがよくあるのは、こうした理由である。

ただ、そういうことは何となく頭ではわかっており、だからこそ「感情を何とかしたい」と思う。

しかし理性ではそう思っても、結局は感情に支配されてしまうことが多い。

その矛盾に自信を失う。

このことが人間関係の苦しさの大きな部分を占めるのだ。

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理性とは違うところで、感情は起こる

感情に翻弄された例を紹介しよう。

ある社内カウンセラーが3人のチームで活動していたが、デスクは大部屋にあった。

かねてから、カウンセラー専用の個室をもらいたいと希望していたが、ある日、突然その要望が認められ、3人専用の小部屋をもらえることになった。

ただその調整があった時、カウンセラーのうち2人は一カ月の出張中で、残った女性カウンセラーが1人で引っ越しすることになった。

残されたそのカウンセラーは大部屋を出て、少し離れた小部屋に移った。

もちろん力仕事は他の人の支援を受けたのだが・・・。

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電話で報告を受けていた2人は「念願がかなった」とウキウキしながら出張から帰ってみると、残されていたメンバーがひどく落ち込んでいる。

聞けば「なんだか追い出された感じで、悲しかった」とのこと。

希望していた専用の部屋をもらえたのだから喜ぶことなのだが、彼女は逆に落ち込んでしまったのである。

また、こんな事例もあった。

ある企業に、契約社員として入社したDさん。

三カ月経ったところで、正社員になるかどうかを双方で話し合うシステムだった。

実際に働いてみると思ったよりも残業が多く、病み上がりのDさんには厳しい会社だった。

二ヵ月目には「私は健康を取り戻すまでは残業はしたくない。契約社員のままでいこう」と心の中で決めていた。

ところが、そのあと会社サイドから「残業できないならば正社員にはなれません」と言われる。

たちまちショックを受けるDさん。

自分では決めていたことなのに、「あなたは必要ありません」と言われたような気がして、寂しいやら、くやしいやら。

それぞれのケースで、感情がどう機能したのかを、原始人メカニズムで考えてみよう。

1人残されていたカウンセラーが感じたのは、大部屋から外されたことによる疎外感だ。

想定シュミュレーションは「仲間はずれ」。

原始時代は、身を守るにも食料を得るにも仲間と協力することが必要だった。

仲間から外されるということは、原始人的には、死に近づくことを意味する。

だから強烈な感情が発動したのだ。

当時1人で部屋移動せざるをえなかった状況が、原始人的な感情を大いに刺激してしまった。

Dさんのケースでは、まず毎日頑張っている自分への「期待」があった。

うっすらと自分は「正社員になってくれ」と懇願される立場というイメージを持っていた。

しかし現実には、正社員になれないと言われたことで、ショックを受けた。

原始人的には、自分の努力が正当に認められないという事態、そのままでは集団の中でないがしろにされ、生きていけなくなる。

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だから感情が起こった。

いずれのケースでも、理性で選択した、あるいは予測していた通りに現実が進んだだけだ。

何ら悲観することでも、ショックを受けることでもない。

しかし、私たちには対人関係におけるさまざまな感情が勝手に起こり、それで苦しむ。

原始人を守った感情のパワーが、現代においては行き過ぎてしまい、その分矛盾が大きくなってくるのだ。