他人の目が気になる心を手放す3つのつながり

1.相手、2.自分、そして、3.現在に「つながる」

「相手」のことを考えることによって「他人の目が気になる心」を手放すことができ、

また、自分が主体的に「感じる」ことで「他人の目が気になる心」を手放すことができます。

いずれも、他人の目を気にすることが分離を作り出し、そして、そこをつなげていくことで「他人の目」が気にならなくなる、ということを示していると言えます。

他人の目」を気にしているとき、私たちは生の「相手」ではなく、「少しのトラウマ」によって作られた「想像上の相手」にどう思われるかばかり気にしています。

ここではまさに生の「相手」との分離が起こっていると言えます。

相手は目の前にいて、本人なりの思いがあるのに、こちらは、

「相手はこう思っているのではないか」
「こう思われたらどうしよう」

と、自分の頭の中ばかりにいるからです。

このとき、相手は分離され、疎外されているとすら言えるでしょう。

また、「他人の目」を気にしているときの私たちは、自分がどう感じるかではなく「どう見られるか」ばかり考えているわけですが、これは自分自身の感じ方との分離が起こっていると言えます。

自分自身の中心とのつながりが断たれてしまうので、グラグラするし、周りが言うことに振り回されてしまうのです。

そのように、自分自身とのつながりが断たれてしまうので、自信など持てるわけもなければ、自分を大切に思う気持ちも生まれないのです。

自信とは、自分の中心からわいてくるものだからです。

ですから「『他人の目』が気になる心」に対応するためのキーワードは「つながり」。

つながる先は、1.相手、2.自分、そして3.現在です。

現在につながるというのはどういうことかというと、「今」の感じ方を大切にするということ。

「他人の目」にとらわれているときの私たちは、「やせさえすれば」などと、未来にとらわれて現在が留守になってしまっていることも多いですし、「〇〇だと思われたらどうしよう」と未来を思い煩っていることも多いです。

また、「ああ、やはり前にいじめられたときと同じだ」と過去に心が行っているかもしれません。

そもそも、「他人の目」が気になる心のもとにある「少しのトラウマ」は過去のもの。

過去の「少しのトラウマ」によって作られた「他人とは、自分に評価を下して傷つける存在」というフィルターを通して現在のあらゆるものを見ている、というのが「『他人の目』が気になる心」なのだ、と考えれば、過去のために現在との分離が起こっているということがわかるでしょう。

ポイント:「『他人の目』が気になる心」によって起こる分離は、3つの「つながり」で修復できる

だから「ありのまま」を認めよう

あるカウンセリングでは、評価を手放しながら人の話を聴く、ということを実践しています。

私たちは人の話を聴くときに、ほとんどの時間、過去の体験から作られてきた頭の中のデータベースを通して聴いています。

「評価を下す」などというのは、このデータベースがなければできないことです。

そうやってデータベースを通しながら話を聴いているので、現在目の前にいる相手の話「だけ」を聴いていることなどほとんどありません。

自分の思考も同時に聴いているのです。

あるカウンセリングでは、相手の現在を聴く、ということを実践しますので、頭の中に何らかの考えが浮かんだ時には、それを脇に置いて、もう一度相手の現在に集中し直す、ということを繰り返します。

つまり、目の前の相手の「ありのまま」を認めることで、1.相手の3.現在とつながり、そのつながりを感じることで2.自分の3.現在ともつながることができるようになるのです。

すると、よほどひどい「評価体質」の人でない限りは、ちょっとの練習で、相手への評価を手放すということが比較的すぐにできるようになります。

それができるようになる頃には、「他人の目」も気にならなくなっており、ただ温かい気持ちを感じていることが多いものです。

ポイント:「ありのまま」を認めることが、3つの「つながり」を生み出す

3つの「つながり」は自分だけでなく相手も変える

相手の「ありのまま」を認めるといっても、相手から批判的なことや攻撃的なことを言われたときはやはり傷つきますし、そんな相手の「ありのまま」を受け入れることはなかなか難しいものです。

そんなときには、他人に評価を下す人には、それぞれの事情があることを思い出してください。

他人の「ありのまま」を認めにくい人は、自分も「ありのまま」を認められずに生きてきたのでしょう。

自分自身がたくさんの「少しのトラウマ」を持ち、評価にがんじがらめになって苦しんでいるので、ちょっとしたことで悲鳴を上げがちなのです。

そんな相手が自分に下してくる不適切な評価を、「攻撃された」ととらえるのではなく、「苦しい悲鳴」ととらえてみるとわかりやすくなります。

こちらに批判的な目を向けてくる相手、つまり、現状を受け入れられずに悲鳴を上げている相手に対して、
「まあ、いろいろあったのだろうな」
「毎日あんなふうに考えていたら、自分が一番苦しいだろうな」

と思って、そのまま受け入れる、ということは、相手の「ありのまま」を認めるということです。

実は、これこそが、こちらに批判的な目を向けてくる相手に最も欠けている体験なのです。

そうやって「ありのまま」を受け入れてもらうことは、その人にも変化をもたらしていきます。

「評価体質」からだんだんと抜けだし、「まあ、人それぞれ事情がある」ということを理解できるようになっていくでしょう。

これは相手を大目に見てあげている状態にも見えますが、実際のところ、そういう見方をして一番楽になるのは自分自身です。

相手から「攻撃された」と思うと苦しいですし「少しのトラウマ」が増えてしまいますが、単に事情を抱えた相手が苦しくて悲鳴をあげているだけであれば、自分自身は傷つかず余裕を持って接することができるのです。

場合によっては、そんな相手がかわいそうになって、つながりすら感じることでしょう。

そして、そういう態度を身につけていくと、「他人とは、自分に評価を下して傷つける存在」という長年の見方からも解放されていきます。

「他人とは、しばしば困って悲鳴を上げる、不完全な存在」という程度の位置づけになるのです。

人の話を聴くときは、データベースをできるだけ手放して現在に集中すること、それが難しいような「評価体質」の人と接するときには相手の評価を「悲鳴」と見てあげることで、相手の「ありのまま」を受け入れやすくなりますし、「大変な人生なんだなあ」と相手とつながれば、それが「『他人の目』が気になる心」の手放しへとつながっていきます。

ポイント:批判的で攻撃的な人の「ありのまま」を認めて「つながる」と、相手も変わり、自分も楽になる

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自分の「ありのまま」をさらけ出してみよう

「『他人の目』が気になる心」は、自分をオープンにさらけ出す心とは正反対のものです。

しかし、こちらが自分をオープンにさらけ出さないと、相手も気持ちをさらけ出してくれないことが多く、相手が本当のところ何を思っているのかがわからなくなります。

相手の気持ちがわからないと「つながり」も感じられませんし、結果として、「他人とは、自分に評価を下して傷つける存在」という感覚が修正されません。

これは悪循環を作っていきます。

ですから、「他人とは、自分に評価を下して傷つける存在」という感覚を修正していくためには、少しずつ、自分をさらけ出す努力が必要なのです。

うつ病や摂食障害などの病気を持っているということを家族や恋人など身近な人に打ち明けるということは、間違いなく自分をオープンにするということです。

自分が病気であること、自分が助けを求めていることを伝えるのです。

もちろんこれは勇気を要することですし、多くの人が最初は躊躇します。

しかし、治療の中でだんだんと安心を感じ自分を大切にする気持ちが育ってくると、やはり「打ち明けよう」と思うようになっていきます。

そして、きちんと打ち明けると、打ち明けた相手がよほど難しい問題を抱えているのでない限り、受け入れてもらえるものです。

病気を打ち明けたりしたら異常人物だと思われて嫌われてしまうのではないか、という心配とは正反対で、実際には、
「よく打ち明けてくれたね」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」

などと言われて関係性が深まることが多いのです。

こうやって自分の「ありのまま」を受け入れてもらうことは、計り知れない治療効果を持つものです。

ここまで大きなことでなくても、少しずつ、自分の「ありのまま」をオープンにしてみましょう。

ただし相手は選ぶ必要があります。

「評価体質」の人はくれぐれも選ばないようにしましょう。

こちらの「ありのまま」を受け入れてくれる、安全な人を選びましょう。

「アドバイスはしないでただ聴いてくれればいいから」と一言言っておくのも安全な環境作りに効果的です。

そうすることで、相手もただ聴くことに集中してくれるでしょう。

ポイント:自分の「ありのまま」をさらけ出す勇気が、相手との「つながり」をもたらす

どんな人間もそれほど自信があるわけではない

ある吃音の方の例があります。

その方は吃音のある自分が恥ずかしくてたまらず、人と会ったときも、挨拶をすると吃音が出てしまうから、と、無言で通り過ぎていました。

無言で通り過ぎられた相手は、そんな態度に寂しさや不満を感じていたことでしょう。

私はその方に「気持ちが伝わることが大切なのだから、笑顔で会釈してみたらどうでしょう」と提案してみました。

その方はとても驚いた様子でしたが、納得してやってくださいました。

そうしたら相手もとても喜んでくれて、ぐっと親しくなったそうです。

ここから何がわかるかというと、どんな人間もそれほど自信があるわけではない、ということです。

つまり、相手は自分のことをどう思っているのだろう、ということを気にしているのは自分だけではないのです。

こちらが無言で通り過ぎてしまうと、相手は「自分は嫌われているのだろうか」と心配になるのです。

しかし、笑顔で会釈すれば明確に好意が伝わりますから、相手もほっとして喜ぶ、ということなのです。

「他人の目」が気になっているときには、どうしてもそんなリアルな「相手」が視野に入らなくなってしまいますので、「うまく話せないのなら話さないほうがまし」

「こんな話し下手な自分の話なんて聴きたい人がいるわけもない」

と思ってしまいがちですが、そういう姿勢そのものが、相手との間に分離を作り出しているということを思い出すようにしましょう。

ポイント:「相手は自分のことをどう思っているのか」と気にしているのは自分だけではない