後片付けを進んでする人は成功の元

この人は信用できると思わせるのはマイペースな人

マイペースで、「争わない生き方をする人」の最大の長所は、公平だということです。

何にせよ偏りがあるということは人と衝突しやすいということです。

それに自分を強く主張しない人は、平凡な仕事、地味な役割でもそれが当たり前と苦にせず取り組むことができますから、「なぜこんな仕事をわたしがやらなければいけないんだ」といった偉ぶった気持ちは持ち合わせていません。

たとえば部署の飲み会で、率先してみんなの注文をまとめたり、各人の前に取り皿を配るような人がいますね。

そういう人はかならずしも新人や平社員や女子社員である必要はないわけで、要はだれかがやらなければいけないことを自分から進んでやっているというだけのことです。

少なくとも本人はそう思っています。

ときには上司やベテラン社員であっても、そういった下働きのような作業に気さくに取り組んでくれます。

すると、その人の公平さが伝わってきます。

キャリアやポストがどうであれ、みんなで手分けしてできる作業は公平に分担しようという気持ちが伝わってくるからです。

こういった公平さが、上下関係を超えた信頼感を生むのでしょう。

どんなに能力やキャリアがあっても、一つの作業を公平に分け合えず、ふんぞり返っているような人間は、チーム全体の信頼を得ることはできないからです。

これは自分の仕事ではないというのは大きな勘違い

それにしても、プライドなのか単なるわがままなのか、「これはわたしの仕事じゃない」という発想はどこから出てくるのでしょうか。

かつて、女性社員が「わたしたちはお茶くみに雇われたのではない」「自分のコピーは自分で取りましょう」と声を上げたことがありました。

そのために男性社員が接客を中断させて自分でお茶を入れたり、コピーの順番を待って仕事が滞るといった笑うに笑えない光景が見られたといいます。

いまはもう、そういった声はほとんど聞かれなくなりました。

女性上司は珍しくなく、男性社員より実績を挙げている女性社員も珍しくないのですから、お茶は本人が入れられなかったら手の空いている人が入れればいいということに気がついたのです。

つまり、かつての女性社員には職場のしきたりに対して不公平感が強くありましたが、仕事に男も女もないとわかってくると、お茶くみやコピー取りぐらいで目くじらを立てる気持ちはなくなったのです(もっともいまでも古い体質を残している会社があるかもしれませんが)。

ポストやポジションは異なっても、職場にはみんなで公平に受けもたなければいけない仕事があります。

たとえば席を離れている人のデスクの電話が鳴ったら、近くにいて手の空いている人が出なければいけません。

応接用のソファーに新聞が広げたままなら、気がついた人が片付けなければいけません。

不意の来客にはこれも手の空いている人が応対しなければいけないし、出前の食器が目につくところに放置してあったら片付けなければいけません。

こういった例は無数にあるはずです。

そのときに、「これはわたしの仕事じゃない」と考えるような人は、仕事の公平さを理解していないということになるはずです。

旧時代そのままの、何か大きな勘違いをしていると思われても仕方がないのです。

指図して動かない人も勘違い

もう一つ、勘違いのタイプがあります。

上司に比較的多いのですが、つねに「自分は指図する人間」と思い込んでいる人です。

いまも昔も女性社員にいちばん攻撃されるのがこのタイプでしょう。

「お茶を入れてくれ」「クズかごのゴミを捨ててくれ」「西日が入るからカーテンを閉めてくれ」「ドアをきちんと閉めてくれ」「電話に出てくれ」といった調子で、暇さえあれば部下に指図します。

たいていは「だれか」という前置きが入ります。

「だれか△△してくれ!」です。

ではそのとき、この上司は何をしているのかというと、とくに何もしていません。

むずかしい顔で書類を読んだり、手帳を広げているだけです。

本人はそれで「手が離せない」といっているつもりかもしれませんが、実際に仕事に追われている部下にしてみれば冗談ではありません。

「だれか!」と上司が声を荒げるたびに、「自分でやれば」と胸のなかでツッコミを入れているのです。

ここでも、指図だけして自分は動かない人間の勘違いがあります。

職場のすべての動きに上下関係があるという勘違いです。

かわいそうなくらいトンチンカンです。

立場が上の人間は指示を出せばいい、下の人間は指示に従えばいいというのは思い込みです。

こういった勘違いがどこから来るかといえば、やはり上下関係に縛られているからでしょう。

公平さを理解していません。

だから、「上司のわたしがこんなことで動く必要はない」という了見の狭さが出てくるのです。

後片付けは一人が動けばみんなついてくる

「マイペースな人」に話を戻しましょう。

マイペースで争いの嫌いな人は、みんなで作業をするときにあれこれ指図はしません。

何もいわずに自分の役割を決めて実行します。

何が自分の役割かは周囲を見渡せばすぐにわかることで、人が手をつけていない作業や遅れている作業を気軽に受けもちます。

迷わずそういう動きができるのは、公平だからです。

「これは自分がやることじゃない」という考え方はしないのです。

そういう作業のなかでいちばんわかりやすいのが「後片付け」ではないでしょうか。

たとえば会議室でミーティングがあります。

スタッフ全員が集まって、椅子やテーブルを動かしたり、スクリーンやプロジェクターを準備したり、資料やサンプルを広げたりお茶を運んだりします。

ミーティングが終われば会議室は元通りに片付けなければいけません。

自分が持ち込んだものは自分で持ち帰るとしても、そのほかにやることがたくさんあります。

といっても、スタッフ全員で手分けして取り組めば、ほんの短い時間で終わるはずです。

ミーティングが終わってもそのまま座り込んで、グズグズとおしゃべりを続けないで、「じゃあ、これで」という一言と同時に片付けを始めれば、気持ちよく区切りをつけることができます。

そのとき、率先して動く人がかならずいますね。

「ああ、これを片づけなきゃいけないんだ」と億劫に感じているときでも、一人がスッと立って椅子やテーブルを元の位置に戻したり、コーヒーカップや茶碗を運び始めると、みんなが「よし、片付けてしまおう」という気になるのです。

役割分担も一人が動けば決まってくる

率先して片付けを始める人は、だれにも指図はしません。

まず自分が動いていちばん面倒なことや手間のかかることを片づけようとします。

いまの例でしたら、散乱した資料を集めて整理したり、各人の前にあるコーヒーカップを運ぶようなことです。

すると、それ以外の人も自然に体が動きます。

椅子を運ぶ、テーブルを直す、スクリーンやプロジェクターを片づけるといった作業を、自然な流れのなかで割りふって実行します。

ものの数分で会議室はきれいに整理されて、ここで初めて「お疲れ様」の声が出るのです。

一連の流れが気持ちよく締めくくられたことになります。

でももし、率先して動く人がいなければどうなるでしょうか。

「面倒だなあ」という気持ちのままにダラダラとおしゃべりが続けば、片付けのきっかけがつかめません。

自分が持ち込んだものは自分で片づけるとしても、面倒なことはやりたくないなという気持ちになってしまいます。

けれども散らかしっぱなしにはできないのですから、結局はのろのろと作業を始めることになります。

すると、仕方なく茶碗の片づけを受けもってしまった人は、「なんでわたしが」と思いますね。

「いつもこうだ」「みんな調子がいいんだから」と不満が残ってしまうのです。

自分の仕事を優先したいのは皆同じ

なかには「つぎの予定があるから」と先に席を立ってしまう人がいます。

それが上司や、スタッフのなかでもリーダー役の人の場合は、だれも文句はいえません。

けれども内心で、「忙しいのはみんな同じだ」と反撥するでしょう。

残された人にはどうしても不公平感が生まれてしまいます。

まして通常のスタッフミーティングは平等な立場で意見のやり取りが行われますから、それが終わったとたんに「自分の都合」をもち出す人がいればどうしても信頼感はもてなくなります。

「いうことはいいけど、自分勝手なだけじゃないか」と受け取られてしまうのです。

率先して片付けに動く人は違います。

忙しいのはみんな同じだ」ということがわかっています。

「だからさっさと片付けよう」と考えるのです。

そのためにはまず、いちばん時間のかかることから手をつければいいと考えますから、少しも迷いがありません。

そして、真っ先に手間のかかることに手をつける人がいれば、他の人も動きやすくなります。

「じゃあわたしは椅子を片づけよう」「じゃあ、自分はテーブルを拭こう」といった具合に、たちまち自分のできることにきがつくのです。

そのときみんなどういう気持ちになっていると思いますか?

「忙しいのは自分だけじゃないんだから」

そう考えたときに、後片付けは少しもイヤな作業ではなくなります。

率先して片付けに動く人が、みんなにそのことを教えてくれるのです。

後片付けは競い合っても気持ちのいいもの

後片付けは少しもでしゃばりではありません。

会議でもパーティーでも、もう本番は終わっているのです。

残された作業が後片付けですから、地味な締めくくりになってきます。

けれどもこの締めくくりは、だれかが率先して動くか動かないかでずいぶん作業スピードが違ってきます。

しかも、きれいに片づけば全員がホッとします。

終わりよければすべてよしで、みんなが満足できるのです。

マイペースで、「争わない生き方をする人」にこそ率先して後片付けに動くことを勧めたい理由は、それが気持ちのいい作業だからです。

一人が立ち上がれば自然に作業分担ができて、それこそ競い合うように片付け始めたとしても、この競い合いは気持ちいいのです。

「争わない生き方をする人」は、自分からでしゃばりませんが、後片付けなら大丈夫です。

会議やパーティーでは主役にならなくても、後片付けなら「この人がいたから」と思ってもらうことができます。

しかも、自分から率先して動くだけで、他人に指図したり、あるいは指図されたりすることもありません。

そういう点でも気が楽なのです。

自分を強く主張できない人は、リーダーシップを取れないとよくいいます。

そんなことはありません。

黙って動くだけで、背中でリーダーシップを発揮できる人は恰好いいのです。

その典型が、率先して後片付けに動く人ではないでしょうか。

「争わない生き方をする人」、「マイペースな人」の、一つの勝ち方のヒントが後片付けには隠されていると思ってください。