損してもいいと思えると楽になる心理

損してもいいと思える心理

いい人の人生には「不思議な真実」があります。

いい人の「損したくない」と思って行動するほど、どこかで損をします。

いい人の「得したい」と思って行動すればするほど、どこかで損をします。

いい人は「”あえて”損する」という方向に一所懸命、ものごとを考えるようにすると生きるのが楽になります。

「どうしたら得できるか」ではなく、「どうしたら損できるか」を考えながら、生きていくことです。

お得な方を選びたくなる心理

たとえば、旅行や出張のときにはホテルを予約します。

「どこに泊まれば一番得か」と毎回いろいろ考えてしまう。

部屋の広さと値段。

それから立地。

口コミや評判。

夜ご飯・朝ご飯をつけたほうがいいのかどうか。

温泉はあるか。

こんなふうに「一番いいホテルに泊まりたい。損したくない」と考えて「ホテル選びの条件」を増やしすぎると、非常にしんどいことになります。

損したくない願望に固執しない

悩んで悩んで、結局行きませんでしたということにもなりかねません。

途中から選ぶのが苦しくなってきて、決められなかったということにも。

これは、「損したくない。一番得する部屋に泊まりたい」と思っていたのが間違いではなかった結果です。

それよりは、「よし、ものごとを選ぶときは、損するほうを選ぼう」という方を選択することも賢いやり方です。

どちらにすればいいか迷ったときは、損するほうを選ぶ。

「損してもいい」と考えて、選ぶ。

これを選択の基準にすることにしたのです。

どうしてかというと、そのほうが悩みが減り、人生が楽しくなるから。

なぜなら、「損したくない」から迷うのです。

そして「損したくない」=何かに対する”恐れ”に動かされている状態だからです。

「損したくない」と思っているときの我々は、

  • お金
  • 時間
  • 手間
  • 愛情
  • 自尊心・・・

など、自分にとって貴重なものを、ほんの少しでも失うのは怖い、減るのを避けたいという「思い」に支配されて行動しています。

表現を変えれば、これは「逃げ」です。

逃げれば当然、その場では一時的に”損”は回避されますが、あとで”より大きな損”になって返ってくるのです。

たとえば、婚活でお見合いをするときに、「この人と結婚したら損するな」と少しでも思う人を片っ端から除外していったら、百回お見合いしても結婚できません。

すると、いつまでも独り身で過ごす、結婚しそびれるという、その人にとっての大損をすることになります。

「損したくない、損したくない」と一所懸命に頑張りすぎると、最終的に損をしてしまいます。

「損するほう」を選んだほうが、結局は、絶対に得をします。

たとえば婚活で「ジジババつき」「介護つき」の人を選んだら、莫大な隠し財産がついてきたりして、最終的に「ああ、この人と結婚してよかったな」と思える日が必ず来ます。

つまり、ある意味、「損が先に来るか、後に来るか」ということだけなのかもしれません。

損したくない人のがっかり感

そもそも我々は、いったいどういうときに、「損した」と感じるのでしょうか。

たとえば、ラッシュ時の電車の改札。

「あの改札から出よう」と思ってならんでいたときに、目の前の人が改札に引っかかってモタモタしたり、割り込まれたりしたら、少しイラッツとしませんか。

その横で、他の列に並んだ人たちはスムーズに流れていきます。

こんなときに、僕たちは「損したな」と思うわけです。

あるいはスーパーでレジに並ぶときにも、前の人のカゴに入っている買い物の量を見て、早くすみそうなところに行きたいと考えますよね。

「あのおばちゃんはたまねぎ二つだけだから、あの後ろがいいや」と思って並んで待っていたのに、そのおばちゃんが10分くらいかけて小銭を出す。

しかも店員さんが研修中で、予想以上にレジ打ちに時間がかかりました。

すると、横で他のレジに並んでいた人たちがどんどん流れて行くのを見て、やっぱり「失敗した。損した」と思います。

ご飯を食べに行って、自分より後に来た人のほうに、先に料理が来ました。

これも損した気分になるかもしれません。

色々なことで、我々は損をします。

勝手な期待で一喜一憂しない

最近、あなたが「損したこと」を、少し思い浮かべてみてください。

目に見える損、目に見えない損、精神的な損・・・どんな損をしたでしょうか。

「シフト制の仕事をしていて、なぜか自分のシフトの日ばかり忙しい」

「休みなのに会社に出なければいけない。でも、休日手当てはまったく出ない」

「昔からの知り合いと飲みに行ったけれど、ちっとも楽しくなくて、その時間を損してしまった」

「『〇〇プレゼント』のチラシを見て走って行ったのに、プレゼントが品切れだった」

「スーパーで安売りの野菜を買ったら、腐っているのがあった」

「得しよう」と思えば思うほど、我々は結果的に損します。

たとえば「お買い得だ!」と思って買った野菜が腐っていたときの”がっかり感”は大きいものです。

なぜなら、スーパーで買い物中に「この野菜を買って、今日の食費は得しよう」と思った段階で、すでに自分は得をした、といううれしい夢がふくらんでいるのです。

その夢が、家に帰ってきて野菜を袋から出して、「あ!腐ってる」と気づいた瞬間に、一気にペシャンコに潰されるわけです。

つまり、損の裏側にくっついているのが、「期待」です。

さらにその上に「勝手な」とつけてみてください。

人は、勝手に期待します。

特に、人との付き合いの中で、僕らが一番勝手に抱きがちなのは、「これをしてあげたら、相手に自分のことをよく思ってもらえるのではないか、好かれるのではないか。『ありがとう』と言ってくれるのではないか」という期待です。

いい人は「せっかく~してあげたのに」で損をする

自分が提供したものを受け取ってくれないのは、すごく悲しい気分になります。

なぜかというと、回り回って、「あなたの提供しているものは、大したことがない」と言われている気になるのです。

もちろん、向こうは少しもそんなことは言っていません。

でも、こちらはすっかりそんな気になって、傷ついています。

「せっかく教えてあげたのに、自分の労力を受け取ってくれない」「自分の優しさを受け取ってくれない」これは腹が立ちます。

でも、実はその腹が立った理由をもう少し考えていくと、損したから腹が立っているわけです。

「せっかく教えてあげたのに、自分の労力が無駄になった、損した」と。

本音を伝えると、嫌な気分は洗われる

我々が「損したくない」と思って我慢するとき、心の底には「喧嘩したくない」という思いがあります。

そして、「損したくない、喧嘩したくない」というときは、いい人でいたいと思っています。

でも、いい人でいると、苦しくありませんか。

では、どうすればいいか。

腹が立ったときは、「損してもいい。嫌われてもいい」と思いながら、「自分は腹が立った」と本音を言うのです。

攻撃の喧嘩ではなく、「私は腹が立った、嫌だった」ということを少し表現してみる。

「あなたに対して、私は腹が立っています」と責めるのではなく、「私は腹が立っています」。

「どうして、そういうことをするのですか」と責めるのではなく、「そんなことをされると、私は嫌です」。

こう言うのです。

責めるから反撃が返ってくる

相手を「責めてやろう」という気持ちで攻撃してしまったら、向こうも反撃してきます。

そうではなく、「私は、嫌だった」と本音(感想)を言えば、「ああ、嫌だったんだ」で終わりです。

ある人は「自分の言ったことをやってくれなかったのが、悲しかった」と、自分が引っかかっていたことを全部言いました。

ところが、「そんなの勝手でしょ」と返ってきました。

なんと!本音を言ったのに!

でも実は、これは本音ではなかったということです。

本音に見せかけた、相手をコントロールするための言葉だったのです。

本当は、「自分の言ったことをやってくれなくて、バカにされたような気がして悲しかった」

これが本音、つまり、自分が勝手にそうとらえてしまっていたということ。

とってもカッコ悪いですよね。

でもそう伝えると、向こうも、「ああ、そうなんだ。そんなつもりじゃなかったよ、ごめんね、実はね・・・」
とわかってくれました。

自分も口に出して言ってみたら、自分で納得しました。

自分の「怒りの理由」に納得できたら、それで終わりなのです。

そう、問題は気がしたことだった、つまり問題って気のせいだってことです。

そんなカッコ悪い本音に気付いて、ちゃんと言えば、相手にも伝わります。

言わないと相手にはわからないから、次々と同じことをされるのです。

何か嫌なことをされたときにも、ちゃんと本音を伝えれば、嫌なことをされる「確率」は下がります。

それでも、

「損してもいい」
「怒られてもいい」
「評価を下げられてもいい」
「信頼を失ってもいい」
「給料を下げられてもいい」
「『出て行け』と言われてもいい」
「『もういらない』と言われてもいい」

そう思いながら、勇気を出して本音を探して言ってみてください。

そうしたほうが愛されるし、うまくいきます。

いい人をやめるには好き嫌いで選ぶ

マラソンは、みんなで同じ競技場からスタートして、ぐるりとコースを回ったら、また同じ競技場に戻ってきてゴールになります。

これと同じように、「損したくない」からスタートすると、損に帰ってきます。

「恐れ」からスタートすると、「恐れ」に帰ってきます。

ということは、「好き」から出発すれば、同じようにぐるりとコースを回って「好き」に戻ってきます。

そして面白いことに、競技場に戻ってきたときは、「恐れ」も「好き」もドーンと大きくなっているのです。

だから、あなたも一刻も早く「好き」からスタートするマラソン選手になることです。

結局、好きか嫌いかで選ぶと後悔しない

結論としては、「損してもいい」と言いながら、「本当はやりたいのに、やっていないこと」を早くやってください。

「本当はやめたいのに、やっていること」を早くやめてください。

「損してもいい」と思いながら、「やめたいのに、やっていること」をやめているところを想像してみてください。

会社勤めをやめているところ。

お酒をやめているところ。

不倫をやめているところ。

自分が今まで「やめたいのに、やめられなかったところ」を、グッと歯を食いしばって「損してもいい」と言いながら、やめることを選ぶ。

すると、もしかしたら人生が音を立てて変わりはじめるかもしれません。

結婚相手を選ぶときもそうです。

「損してもいい」と言いながら、嫌なところもあるけど、条件もよくないけど、”好きな人”とすればいいんです。

「この人と結婚したら、一生において損だろうか得だろうか」と考えているうちは、なかなか結婚できません。

「好きか嫌いか」で選ぶほうが、前に進みやすい。

もしかしたら、結婚して15年も経てば、格好よかった人の頭の毛が全部抜けてしまうかもしれません。

「でも、好きで結婚したのだから、仕方ないな」

好き嫌いで選んでいたら、そのようにあきらめがつくかもしれません。

「裏切られた!」と言わなくてすみます。

そのように考えてみてほしいと思います。

お金を使うのを止めてみると別のところからお金がこぼれていく

お金についても、同じです。

たとえば、ある勉強会やセミナーに、お金を払って行くべきかどうか、という問題で悩んでいるとします。

けれど、そこで「本当は行きたいけど、行ってみて期待外れの内容だったら損するかもしれないから、やめておこう」と我慢してお金を使わなかったら、その分、別のどこかから同じような金額の請求が来るのです。

財布を落としたり、事故にあったりと、”思いがけない嫌な出費”という形で請求が来ます。

つまり、自分がやりたいことにお金を使わなかったら、どこかから、「やりたいことに使わないのなら、やりたくないことに使いなさい」とバサッと請求が来るのです。

「やりたいこと」をやり過ごしていると悩みが増える

「やりたい」と思っているのにやらなかったら、その分、違うところから、払いたくもない請求が来ます。

「損したくない」と思って、「やりたいこと」を見送るのは、やめたほうがいい。

結果的に、より大きな損をします。

お金については、どうしても一円、十円の”金額の差”で損得を考えて、悩んでしまいがちです。

けれど「損してもいい。損するほうを選ぼう」を判断の基準にしてから、結論を出すのがすごく早くなります。

「損してもいい」と思えないせいで、判断できずにいると、「どうしようかな」という苦しい悩みを抱え込みます。

その「悩む時間」がなくなるだけでも、自分の心がすごくスッキリするはずです。

損してもいいと思える人は得する

多くの人にとって、「損するのが一番嫌」なのは「お金」だと思います。

「お金を損するのは、私は平気」という人はあまりいません。

たとえば税金。

公務員に対して、よく”税金の無駄遣い”がやり玉にあげられます。

「税金で〇〇省がマッサージチェアを買った」-そういったことに対して文句を言うのは、どういう人たちでしょうか。

たとえば、億万長者が「公務員は税金を使い過ぎだ」と文句を言うでしょうか。

多分言わないでしょう。

公務員の人たちは給料がよくて、退職金が多くて、社会的に安定しているといわれています。

そして、「でも、自分はそうではない。あいつらばっかりいい思いをして、得をしてずるい」と思う人たちが、怒っているのかもしれません。

ですから、もしかすると人は「誰かが得している」と思ったときに、「その裏で自分が損している」気がして、歯ぎしりするのかもしれません。

そのことを「許せない」のかもしれません。

頑張るほど、損している気持ちになる心理

損している気持ちになるある人は「仕事を早く片付けると、その分、別の仕事が山ほど回ってきます。それなのに給料は少しも上がりません。かと思えば、自分より仕事ができない人が、年功序列の給与体系で自分より給料が多いのです。こんな職場では、モチベーションが上がりません。仕事を頑張れば頑張るほど、損している気分になります」

この人はなぜ、仕事を頑張って早く片付けるのでしょうか。次の仕事が回ってくるのが嫌であれば、わざとゆっくりやったほうが得でしょう。

それでも頑張って早く片付けるのは、「いい評価をされたい」からです。

「いい評価をされたい」と思って仕事を片付けたら、次の仕事がやってきて、それをまたアリさんのように、せっせとスピーディーに片づけます。

それでも給料は上がらない。

それなのに、仕事のできない大して働いてもいないまわりの人たちが、自分より給料が高いのは納得できません。

これはつまり、私が損しているだけでなく、その裏で誰かが得しているから、”損している感”が倍増しているのです。

年功序列で、頑張っても頑張らなくても給料は同じ-それなら、「頑張らない」ようにすれば一発解決です。

損したくないのであれば、頑張らずにダラダラ仕事をしたほうが得です。

でも、そう考えても、やっぱり納得がいかないでしょう。

腐りながらやってもいいこと無し

自分には本当は能力があるのに、「頑張っても損するだけだから、頑張るのはやめよう」と、わざと力を発揮しない-それは居心地が悪い。

つまり結局は、「頑張っている自分が好き」というほうを選んでいるのかもしれません。

だから、こういう状況にいて不満を抱えているのなら、「私は、自分を好きでいるほうを選んでいるんだ」と思ってみてください。

「もしかしたら、私は今まで『損している』と思っていたけれど、本当は損していなかったのかもしれない」ということです。

「損している、損している」と腐りながらやっていると、損に向かってまっしぐらです。

けれど、実は長い目で見ると、「得している真っ最中」かもしれません。

それを「損している」と思いながらやるか、「私、好きでやっているんだな」と思いながらやるのか―それによって人生の流れは変わってきます。

それこそ「損してもいい」と思いながら、自分の頑張りたいように頑張ってみてください。

すると、必ず誰かが見てくれています。

損している間は、誰かに得をあげている。

そう、徳を積んでいるのかもしれません。

損してもいいと思えるにはひんしゅくを買おう

「おばが亡くなり、来月四十九日の法要があります。

その法要の日には、大好きなアーティストのコンサートもあって、私はそれをとても楽しみにしていました。

でも、四十九日の法要に出席しないと、親戚中のひんしゅくを買いそうなので、法要のほうに行くことにしました。

母にも相談したのですが、やはり「法要に行け」と言われました。

でも、気持ちの整理が今一つできません」

このように悩んでいる人がいました。

答えは、ひんしゅくを買ってください。

この人は「ひんしゅくを買うのが嫌」だから、コンサートをキャンセルして法事に出席しようとしています。

それは、「私は、いい子にしないと嫌われる人」と心の根っこで思っているからです。

「嫌われるはずだ」と思っています。

思い切って、嫌われてください。

また、なぜこの人はお母さんに相談するのでしょうか。

それは、お母さんが「行かなくていいよ」と言ってくれたら、「お母さんが行かなくていいと言ったから」と言えるからです。

お母さんは、二億円くらいの大きな保険なのです。

最高の免罪符です。

自分の無意識のノーを大事にする

この人は法事に行くことを「損したくない」という基準で選んでいます。

すると、いざ法事に行っても、必ず嫌な思いをします。

「別に来なくてもよかったのに」「わざわざ無理して来なくていいのに」と言われます。

そう言われたら、ムカッとしませんか。

絶対にそうなります。

「あれ?来たの?」と言われたりする。

おばの四十九日の法要に姪っ子が来なかったからといって、怒る人はいません。

ぜひ損してください。

嫌われてください。

法事をキャンセルして、「好き」を選んでください。

少しも行きたくない法事に行くということは、自分に嘘をつくということです。

自分に嘘をつくとは、恐れを抱くことになります。

「嫌われてもいい」と言いながら、コンサートに行きましょう。

これをやりきる勇気、それだけです。

「本当は法事に行きたくない、ノー」と言っているのに、それを抑え込まないでください。

自分の心が「ノー」と言ったときは、その「ノー」を大事にしてください。

そちらの勇気を持つことです。

良くない想像の解消法

ある人は先日、あるセミナーに誘われました。

いろいろな義理もあったから「行く」と言っていました。

三泊四日の合宿でしたが、日が迫ってくるにつれて、だんだん嫌になってきました。

その世界で影響力のある人が主催のセミナーだったので、

「でも、一度行くと言ってしまったしな。どうしようかな」

「その人に嫌われたら、これから色々と不都合があるし、どうしようかな」と悩みました。

一所懸命に損得を考えました。

「嫌」と言ったらどうなるか、「嫌われるかも」「ダメな奴と思われるかも」と、怖いイメージが湧いてきます。

そんなイメージが頭の中にモヤモヤと湧いてきたら、手で払って消すのです。

それでも、しつこく湧いてきます。

そんなこんなを繰り返して「もう、いいや」と思ってメールを送りました。

「ごめんなさい。キャンセルします」

すると、「そうですか。わかりました」とだけ返事が来ました。

もしかしたら、相手は裏で腹を立てているかもしれないし、「こいつ、もういいや」と思われているのかもしれません。

でも、それで「もう、いいや」と思う人であれば、こちらからも「もう、いいや」です。

「ノー」と言ってください。

それによって悪いイメージが湧いてきたら、手で振り払ってください。

損しようとしたときに浮かんだ良くない想像は、全部手で振り払ってみてください。

これだけで前に進んで、得することがたくさんやってくると思うので、ぜひチャレンジしてください。

まとめ

損してもいいを受け入れるとうまくいく。

損したくない感情を持ち歩いているとがっかり感を感じやすい。

せっかく~してあげたのにという損したくない感情を解消すると生きるのが楽になる。

損する、しないではなく、好き嫌いで選択するとうまくいく。

損してもいいと思えるには嫌われる勇気を持って好きなことを選ぶこと。