民主主義と自己価値感

自信がない人ほど独裁者を支持する

自己価値感は民主主義の心理的基盤であり、民主主義の心理的目標でもあります。

逆に、自己無価値感はファシズムの温床となります。

独裁者になるのは自己無価値感人間である場合が多く、自己無価値感人間が独裁者を支持しやすいからです。

独裁者は、強力な権力欲、支配欲、顕示欲を持ちますが、いずれの欲求も、自己無価値感人間が自己価値感を得るために希求するものです。

独裁者の心の底には、深い自己無価値感が存在すると言えます。

独裁者の多くは、虐待されたり、それに近い形の養育を体験しています。

たとえば、ヒットラーは、父親から鞭でたたかれ、犬のように口笛で呼ばれたりするなかで育ったとの話もあり、スターリンも、酒に酔った父親にしばしば厳しく鞭打たれ、サダム・フセインは、異母兄弟とともに、母親の再婚相手である継父に虐待されて育ったといわれています。

いずれも、基底的自己無価値感を生み出す教育環境でした。

一般大衆としての自己無価値感人間は、自由な場面に立たされると戸惑ってしまいます。

自分の感覚、感情、欲求、判断、意見を信頼することができないために、内的判断基準がないからです。

むしろ権力者が決定してくれて、強制的に行動させられるほうが安心なのです。

また、自己無価値感人間は、独裁者と一体化することで、自分が力を得たかのような高揚が得られます。

このために、容易に独裁者を支持してしまうのです。

支配者が国民を支配する手法は、基本的にはむかしから変わりません。

「分断し、孤立させよ」です。

これにより、国民は無力感に貶められ、無価値感人間にしたてられ、この無価値感から逃れるために、理性的な指導者よりも、情緒的で強い支配者を歓迎してしまうのです。

しかし、このことは、自由で闊達な欲求を抑えつけることでもありますので、国民に不満・敵意が蓄積することになります。

この不満・敵意が独裁者に向かわないように、独裁者は敵を作り出し、この敵と戦うことこそ聖戦なのだ、という幻想を演出します。

この敵と戦うことは、共に闘うという連帯意識をもたらし、民衆の自己価値感の高揚をもたらすという作用があります。

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自己価値感が政治の腐敗を見破る

残念ながら、この手法が現代の日本においても通じることが、近年の国会や選挙で明らかになりました。

国民は、長びく不況のなかで、徹底的に無価値感を味わわされました。

国民が団結してその意思を実現する組織である組合は、支配者側の意図的なたくらみによって、弱体化されてしまい、いまやストライキをおこなえる組合など、ほとんどみあたりません。

それどころかストライキ自体が悪であるかのような価値観さえもたらされてしまっています。

国際競争力をつけるというお題目のもとに、これまでのわが国では考えられなかった強引で大規模なリストラが実行されました。

残った社員も、「物言えば唇寒し」というべき状態で、過重労働を強いられています。

若者からは職場さえ奪ってしまい、その職に就けない若者を責めるという状況です。

まさに、この間の政治のやりかたは、国民を分断し、孤立させ、仮想敵を作り、この仮想敵に国民の不満をむけさせることで政策を遂行していく、典型的なファシズム的支配の手法であるといえます。

非民主主義的な動きに対抗し、民主主義を守り、発展させるためには、国民一人ひとりが確固とした自己価値感を持つことが要求されます。

自己価値感とは、自分の感覚、自分の感情、自分の意見、自分の人生、自分の理想に価値があると実感していることです。

自分に敬意をはらうことです。

それは当然、他の人も同じ人間として価値があると実感し、尊重することへと通じます。

このために、自己価値感人間は、自分のみでなく、人びとに無価値感をもたらす支配者のたくらみや、自由を奪う強権的支配に憤り、対抗する行動をとります。

確固とした自己価値感を持つ人は、自分の内部に羅針盤が存在しますから、支配者の非合理なスローガンに不和電同することはありません。

支配側のプロパガンダの正体を見破ることができ、理想を背景とした正論で、反撃することができるのです。

最後に、自己無価値感を深く宿した人のなかには、自分の無価値感ゆえに、人に対する優しい感受性が磨かれ、虐げられた人々への深い共感能力を持つ人がいることを強調しておきます。

こうした人は、自己の尊厳の取り戻しと、人間の尊厳を脅かす政治や社会に対する戦いとを重ねあわせてとらえることができます。

そのために、人一倍民主主義を守り、発展させる活動に邁進することができるのです。