「自分だけ得したい」では良好な人間関係はつくられない
異業種交流会に顔を出す若者がいる。
そんな交流会に名刺をたくさん持っていき、積極的にいろいろな人たちと交換する。
「毎月100枚交換する」などと目標を掲げている人もいるほどだ。
「バカか、お前は」といいたい。
名刺のコレクションをしているなら話は別だが、会場で何十人の人たちと名刺交換をしても、あとで、いちいち顔を思い出すなど難しいはずだ。
もちろん、異業種の人とつきあうこと自体は賛成だ。
いま、熱心に異業種交流会に参加している人の多くは、「人脈をつくりたい」という目的を持っている。
しかし、本当にいい人脈とは名刺交換くらいでつくれるものではない。
「財産は来るもので、つくるものではない」とヘンリー・フォードはいった。
人脈という財産についても、まさに同じことがいえる。
人と人が、何かのきっかけで知り合う。
それは、すでに人脈の始まりだが、そんなことを考えないでいるほうが、お互いに役立てる存在になれる。
「楽しい人と知り合った」「素敵な人と知り合った」と嬉しく思っていれば、また会いたくなるし、相手が困っていれば手を差し伸べたくなる。
だからといって、そこに恩を着せたり、お返しを求めたりする発想はない。
それこそが、真の意味でのいい人脈だ。
ところが、交流会では「知り合った人から何か得るものがあるのではないか」と考える。
こちらが「何か役立たせてもらおう」と近づいた相手も「この人から・・・」と同じように考えている。
「目的が同じなら、お互い利益を与え合えるのではないか」と思うかもしれないが、それは甘い。
どちらも「自分が先に得をしよう」と考えているのだから、その距離が縮まることはない。
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ビジネス書をつくっている編集者が嘆いていた。
その編集者が手掛けた本の著者がセミナーを開催する。
本を宣伝するために、編集者も出向く。
熱心な受講者の中には、「自分も本を出したい」と考えている人もいる。
だから、編集者の周りには名刺交換したい人が集まる。
名刺交換をすると、翌日には長いメールが届く。
そこには添付資料つきで、自分がいかに頑張っているか、「いずれ本を書くのでよろしく」などと長々と書かれている。
「こちらも仕事ですからざっと目を通しますが、ときどきウンザリしてしまうことがあるんです」という。
わかる気がする。
「この編集者と知り合って得をしよう」という魂胆が見え見えでは、かえって先方は引いてしまうだろう。
人は「知っている」だけでは動いてくれない。
ましてや、挨拶したこと、名刺交換したことなどに大した意味はない。
それをわかっていない人は、すぐに「知っている」自慢を始める。
「いま売り出し中の〇〇さんって、案外しられていないけど、すごい真面目な人で、お酒もたばこも一切やらないんですよね」
「この前、〇〇さんにお会いしたのですが、とても気さくなのでびっくりしました。これからのビジネスについてもいろいろ話をしてくれまして・・・」
あたかも、「自分はよく知っている」という話し方をするが、実は単に顔を合わせたことがあるだけだったりする。
こちらが「へえ、じゃあ、近いうちにぜひ」紹介してくれないか」と具体的に話を進めると、「・・・ええ、ちょっとまた」などとごまかし始める。
こういう人にとっては、人も作為の対象である。
私が「人脈づくり」という言葉が好きでないのは、そこに作為を感じるからなのだ。
作為的に人との距離を変えようとしても、相手はそう簡単に動いてはくれない。
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いつも正直は、職場ではOKではない
金融関係に勤める三十代の男性は、いい同僚に恵まれていた。
とくに、隣の課の同期入社の男性とは親しく付き合っていた。
明るく前向きな性格で、話していてもグチっぽくならない。
月に一回くらいの割合で、二人で飲むのが楽しみだった。
その日も、いつもの居酒屋で待ち合わせることになっていた。
一週間前から決めていたことだ。
ところが、夕方になって上司から呼び出された。
「ちょっと話があるんだ。今晩一杯つきあってくれ」
上司の様子から大事な話らしいと思い、同僚に断りを入れた。
「すまないが、さっき上司から誘われてしまったんだ。次は一杯おごるから、今日は勘弁してくれ」
このケースはサラリーマンとして当然の対応だろう。
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約束していたのが同僚であるならば、上司の誘いを優先していい。
同僚には「用事ができた」などと曖昧にせず、正直に「上司に呼ばれた」といえば、お互いそういう事情は理解し合える。
ただ、ここで上司に対してもいっておくべきことがある。
「実は、今日は〇〇と飲みに行く約束をしていたんです。でも、大事なお話のようですからキャンセルします」
この一言がないと、「あいつは、俺が誘えばいつでもついてくる」と思われる。
それは、上司の部下に対する距離感をおかしくさせる。
会社においては、同僚よりも上司を優先させなくてはならない。
組織とはそういうものだ。
しかし、組織の決まり事と人の心は別だ。
「人生の中に仕事をいれてもいいが、仕事の中に人生を入れてはいけない」のである。
つまり「人生の中の仕事であって、仕事の中の人生ではない」のだ。
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仕事ができる人ほど、仕事というもの、組織というものを冷徹に割り切っている。
先ほどの話には続きがある。
彼が飲み屋で上司から聞かされたのは、近々発令される人事についてだった。
彼自身は現在の部署のまま一階級昇進するが、同僚は左遷されるという話だった。
「ふだんから〇〇君と仲良くしているようだが、〇〇君は直属の上司とずいぶんぶつかっているようだ。
今度の人事の件もあるし、ほどほどにしておけよ」
上司に釘を刺されてしまったわけだ。
「昨日の話って、何だった?」
翌日、当の同僚に聞かれた彼は、ごまかすしかなかった。
「うん、ちょっとさ、出社時間についていろいろ注意を受けちゃったんだよね」
いくら仲のいい信頼し合った同僚であっても、本当のことをいうべきときと、そうでないときがある。
ここは、無難に逃げるしかない。
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組織における人間関係は、その距離のとり方が本当に難しい。
一筋縄ではいかないのだ。
長く会社にいれば、あなたにもこういうことが起こりうる。
仲良くしたい同僚とでも、ほどほどに距離を置かねばならない状況も生まれる。
組織人である限り、そうしたことも受け入れなければならない。
しかし、だからといって自分の心まで左右されるものでもない。
いくら距離を置くといっても、社内で顔を合わせれば気持ちよく挨拶するべきだし、飲み会でいっしょになればふつうに会話を交わすべきだろう。
逆に、自分が周囲から距離を置かれてしまうこともあるだろうが、そのときも必要以上に深く考えることはない。
こうしたケースでは、別に誰が悪いのでもない。
人事を決めた上層部が悪いのでもないし、左遷された人間が特別に無能だとも限らない。
すべて、そのときの流れにすぎない。
流れに身を任せながらも、心はまた別の次元に置いておく。
それでいいのではないだろうか。
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プライベートな話は慎重に
知人が遊びに来たので、「軽く一杯やろう」と二人で仕事場近くの居酒屋に寄った。
隣のテーブルには、サラリーマン四人組が座っていた。
一人が「チーフ」と呼ばれている。
そのほかは部下らしい。
一人の部下が、焼酎のボトルからせっせと水割りをつくってチーフに渡している。
チーフはそれを受け取って飲むばかり。
ご機嫌でいろいろと講釈を垂れている。
部下たちは、おとなしく話を聞いている。
ここまでなら、ざらにある光景だ。
驚いたのは、彼らが会計をキレイに割り勘にしたことである。
部下たちはもちろん気の毒だが、このチーフもかわいそうな人だと思った。
ある人が新聞社に勤めていた時、ある部署に部下から大変に慕われている上司がいた。
その上司は、部下と飲みに行っても最後までいることはなかった。
「勘定は払っておいたから、ゆっくり飲んでいけよ」
こういって、自分は先に帰っていく。
いくら好きな上司でも、ずっと一緒にいたら煙たいし、部下はリラックスして飲めない。
彼はそれをしっていたのである。
こういうことができる上司が、いまは減ってしまった。
先のチーフも、全額出せとはいわないが、割り勘はないのではないか。
おそらく、距離感の切り替えができていないのだ。
会社を出たときから、プライベートな場に移行していることに気づいていない。
私は、自分より下の人間に対しては、プライベートなことは抽象的に、仕事においては具体的につきあうべきだと思っている。
たとえば、忘年会でお酒が入り、プライベートな話題になった。
そのときに、何も話さないのでは距離は縮まらないから、差し障りのない話題は提供する。
「いつも、かみさんには絞られてるよ」
「うちの娘は派手好きでね」
このくらいは話してもいい。
しかし、どうしぼられているかとか、どんなふうに派手なのかなど、そこまで具体的に話してはいけない。
これが大人の心得というものだ。
その理由は二つある。
一つは「口から出たことは独り歩きする」からだ。
あれこれ尾ひれがつくようなことは、いうべきではない。
もう一つは、上司が具体的に話せば、部下もそうせざるを得なくなるからだ。
自分のプライベートについて、上司に細かく知られることを望む部下などいない。
とくにいまの若者たちはそうだ。
「休日は何かスポーツでもしているのかい?」くらいは聞いてもいいが、その答えに対して具体的な質問を重ねるのは避けたい。
面倒見がいい上司は、ときとしてここを間違って、プライベートでも部下に近づきすぎる。
距離感をはき違えているのだ。
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あまり面倒見がいいというのも考えものなのである。
それより逆に、仕事については具体的に話してあげるのがいい。
「いま、〇〇君のやっている仕事は、方向として間違っていないよ」
「〇〇社は、ちょっと問題があるから、あまり出入りしないほうがいいぞ」
「あの部長とは、仕事を離れてもつきあうことをすすめるね」
「この本、役に立つと思うから読んでみたらどうだ」
こうしたことを具体的に伝えてあげられる上司は、部下から好かれ信頼される。
ただし、具体的とは「細かい」ことではない。
大事なポイントだけを押さえてあげればいい。
「塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない。だが、なめてみればすぐわかる」
とは松下幸之助の言葉だ。
細かいことを言わなくても、具体的に味をみさせてあげる。
そういうことを、若い人たちに対してさりげなくできたら理想的である。