自分がダメだと思う心理と対処法

人間関係がしんどいと感じるときは、3つの段階があります。

1.I’m not OK, You’er OK.(私は間違っている。あなたは正しい)

「自分を信じられない」「自分が嫌い」「自分には価値がない」と劣等感に包まれた状態です。

他人がうらやましく、大きく見えます。

2.I’m not OK, You’er not OK.(私は正しい。あなたは間違っている)

「私は正しい」「あなたが悪い、間違っている」という状態です。

自分だけが正しいと思っているので、それに反する行動を他人がとると、激しく怒りを覚えたり、攻撃したりします。

3.I’m not OK, You’re not OK.(私は間違っている。あなたも間違っている)

他人のすることも許せないけれど、自分も許せない。

他人にも自分にもOKを出せない、苦しいどん底の状態です。

これは「性格」の問題ではなく、その人のその時の「心の状態」です。

「状態」ですから、もちろん、その人の置かれた状況によって変わっていきます。

自分の役割や価値、能力を見失っている状態のあなたに、そっと「自分を認める」ことができるようになる心理を述べたいと思います。

「自分はダメなんだ」「自分は価値のない人間なんだ」そんな思いを抱いているは要チェックです。

素のままの方が、楽に生きることができる

自己の張りぼてが成長を止める「カツラの法則」

たとえば、本当は怒りっぽいのに、そうでないふりをしていたり、本当は優しいのに、厳しい上司のふりをしてみたり。

多くの方が「本当の自分」を隠して生きています。

なぜ隠すのかというと「恥ずかしい」「カッコ悪い」「嫌な奴だと思われる」という、世間の評価を気にされているからです。

そんなふうに、本当の自分を隠して「いい人」「あるべき姿」「役割」の仮面をかぶって生きているから、苦しくなってくる。

息ができない。

そんな人には「残念ながら・・・・ばれてますよ」

本当にカツラをかぶっている方には申し訳ないのですが、これはカツラに例えることができます。

カツラを使っている方は、かなりの確率で周囲の人にはわかりますよね。

けれども本人が「ばれていない」と思っているのだとしたら、周囲はそのように振る舞います。

本人を目の前にして、わざわざ「カツラですよね」とはいいません。

近くで話をすると、どうしても目線が頭部に引き寄せられたり、新入社員が入ってくると、呼びつけて「注意事項」としてそのことを引き継いだり・・・。

「あの人はカツラだから、あの人の前では頭の話は絶対するなよ」なんて。

残念ながら、このように周囲には知れわたっています。

でも、カツラの人本人が言わない限り、「大人」はそこには触れません。

怖くて触れられません。

たとえその人が勇気を出して「おれ、実はカツラだったんだ」といっても、周囲の人は、「ええ、そうだったんですか!?」と、びっくりするふりをしますが、心の中ではとてもホッとします。

「あぁ、これでやっと頭の話ができる」と。

だから、もう一度、言います。

「あなたが隠していても、それは、ばれています。」

「カツラ」もあなたの「本当の自分」も同じです。

早めに「本当の自分」を出しておきましょう。

すると「楽」になります。

楽、楽しい。

逆に、素のままに、わがままに、カッコ悪く、失敗しながら生きている人のほうが魅力があると思いませんか?

今までと今を一緒にしてはいけない

将来が心配になる「ネガティブ慣性の法則」

「今まで、うまくいかなかったから、きっと次も失敗する」はず。

「今まで、このことを話してバカにされたから、きっと次もそうなる」はず。

「今まで、上司に話しを聞いてもらえなかったから、きっと今度も聞いてもらえない」はず。

そう思って、不安になることはありませんか。

我々の「思考パターン」は、基本的に過去の経験でできています。

それは、誰かにいわれたこと、されたこと、頻繁に起こったこと、教えられたこと、経験したことです。

そのような経験を通じて、「こういうときには、こうなる」という自分の中のルールを、自分の思考パターンとして自然につくり上げます。

そして、今現在、目の前で起きる出来事を見て、そのパターンに照らし合わせて、物事を判断します。

それが、「思考の慣性の法則」です。

つまり、こういうことです。

「今までこうだったから、きっと今回もこうなるだろう」
「今までこうだったから、きっと未来もこうなるだろう」

今まで経験してきたことが、”そのまま続く”一直線志向です。

つまり、思考は「過去から未来にまっすぐ進もうとする」ということです。

逆のパターンもあります。

「今までうまくいったから、きっと次もうまくいく」

この慣性を持っている人は、楽ですね。

「今まで成功してきたのだから、きっと次も成功する」はず。

と思えるからです。

根拠のない自信って、けっこう大切です。

一方、ネガティブ慣性を持っている人は、当然、過去のままの未来が待っていると思うから不安です。

そこで、そのネガティブな方向を変えるためには、いったん立ち止まって、

「自分が慣性にのっとって、これから起こることを判断しようとしていないか」と考えてみてください。

つまり、「うまくいかないはずだと、思い込んでないか」と疑ってみる、ということです。

もしかしたら、ネガティブの勢いに乗ってるだけなのかもしれないですから。

「人に言えないこと」は、言ってしまえば楽になること

コンプレックスが心を閉ざしてしまう。

A子さんの営んでいる雑貨店に、若い女性の常連客B子さんがマスクをつけてやってきました。

すると、A子さんがいいました。

「どうしたの、今日はなんか、そわそわしてるね」

B子さんは、いつもは元気で活発な女性です。

けれど、その日は、いつもより無口で、自分の体をまるで守るようにして両手で体を抱いています。

そしてB子さんは、恥ずかしそうにいいました。

「あたし、今日、ノーメイクなんです」

「はぁ!?」と、A子さんは驚きました。

実は、コミュニケーションができない人は、B子さんと同じなのではないかと思っています。

B子さんは、「ノーメイク」という恥ずかしいことを知られたくなくて、その日は円滑なコミュニケーションができませんでした。

いや、「していなかった」といっていいかもしれません。

コミュニケーション「できない」のではなく「しない」。

自分の中に「恥ずかしいもの」「知られたくないもの」を必死にかくしているから、「しない」んです。

他人との距離が縮められない。

他の例で、Cさんは中学生の頃に「仲間外れ」にあいました。

そして、それはとてもつらく、苦しい出来事でした。

でも、その事実は、親にも兄弟にも、その後に知り合った人たちにもまったく話していませんでした。

そう「話さなかった」のです。

それは「恥ずかしかった」から。

「仲間外れにされるような奴」だと思われるのが恥ずかしかった。

でも自分ではそのことに気付いていませんでした。

そのことを知られたくないCさんは、そのことに関わること全体を隠そうとします。

中学校以前のことを記憶から消し去ろうと努力しました。

ところが、「心」はちゃんと反応していました。

「仲間」とか「親友」なんていう言葉が嫌いでした。

それは、自分の隠している過去を知らないうちに刺激する言葉だったからです。

そんなことに気づいたCさんは、意識的にあることを始めました。

そのあること-とても恥ずかしく、とてもつらいことでしたが、勇気を持ってそうすることで、自分の心が開いていくのが分かりました。

そのあることとは、「恥ずかしいと思っていた体験を人に話す」ということでした。

死ぬほどの勇気を出して、自分が仲間はずれにされていたことを誰かに話したのです。

が、聞いていた人の反応は、「ふーん」でした。2秒です。

予想していたような「さげすむような反応」は、ゼロでした。

それどころか「ふーん」「あぁ、あるよね」という反応でした。

話してみてわかったことは、人は、他人の恥ずかしい話には、たいして反応しない、ということ。

今まで自分がトップシークレットとして守り続けてきたことは、単なる思い込みだったと気づいた瞬間でした。

  • 体、容姿のコンプレックス
  • 能力や学歴のコンプレックス
  • 仕事や職歴、お金のコンプレックス
  • 家庭、家族のコンプレックス
  • 恥ずかしい、つらい体験のコンプレックス
  • 性的なコンプレックス

あなたは、どんなことを隠してますか。

思いきって誰かに話してみると、きっと楽になれますよ。

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びくびくする心理

良いも悪いも、他人は自由に見る

悪い人ほど人気がある”悪役の法則”

世間体を気にして、ついつい「いい子」のフリをしてしまって苦しい。

友達同士の評判がきになってしまって、自分らしくふるまえない。

職場の評価が気になったり、部下や同僚に嫌われたくないあまりに、うまく思ったことをいうことができない。

このように、世間の評判が気になって、自分らしくいられない人がいますよね。

それは次の例と結びつきます。

ある街に、不良少年がいました。

万引きや喧嘩を繰り返したり、時には誰かを傷つけたり、手のつけられない悪ガキでした。

ある日、あやうく車に轢かれそうになったおばあさんを、たまたま通りかかった不良少年が身を挺して助け、適切な処置を取ったあと、名前も告げずに去っていきました。

街の人たちは、こぞって「本当はあの子は、あんなふうにふるまっているが、心優しい子なんじゃ。

ちょっと心がやさぐれておるだけじゃ」と話し、不良少年の評判が一気に上がりました。

同じ街に、とても素行のいい少年がいました。

普段から、礼儀正しく、勉強もよくできる、とてもいい子でした。

ある日、素行のいい少年が、ふとした出来心から下着泥棒をしてしまいました。

すると、「あいつが今までいい子にしてたのは、安心させて下着を盗むためだったんじゃ」と、それまでのよい行ないをすべて否定され、その子の評判は地に落ちてしまいました。

極端な例かもしれませんが、ふだん、あまり良くない人が、たった一つ良いことをしただけで、評価が逆転します。

逆に、ふだん評判がよかった人が、一つ悪いことをすると、評判や信用はガタ落ちになります。

もちろん、最終的には、その人の本質は見抜かれてしまうのでしょうが、これらの話でお伝えしたいことは、自分が「こう見られたい」と思っていくら努力をしても、「他人は好きなように見る」ということ。

だから、「ちゃんと生きないとダメ」「間違ったことをする私は、私ではない」と、正しくあろうとして苦しくなっている人には、「誤解もなにも、他人は好きなようにあなたのことを理解するんですよ」というようにしています。

だったら、好きなように動けばいいのです。

世間の評価を気にして「いい子」をやっていると、どんどん自分らしい行動ができなくなります。

ただし、決して、「悪いことをしよう」という話ではないのでご注意を。

多少しんどい方が、楽しさも大きくなる

人生の試練の意味が理解できる”マラソンの法則”

「なんで自分はこんなにしんどい目に合わないといけないんだろう」

人間関係がうまくいかないと、そう感じることはありませんか。

以前、ある街を歩いていたら、たくさんの走る人の集団に追い抜かれました。

びっくりしました。

マラソン大会が近くて、練習していたようです。

その人たちを見ると、真っ赤な顔をして、汗をいっぱいかいてとても苦しそうです。

それを見ていた人は、ゆっくりと歩いているときでした。

その苦しそうな表情を見て、「そんな無理して走ったらだめだよ」なんて、シャツの袖をつかまえてその人を止めたら、どうなるでしょう。

きっと「好きで走ってるんだ」「これが楽しいんだ」「終わったあとの達成感が最高なんだ」という返事が返ってくることでしょう。

「なぜ山に登るのか」それは、頂上に着いたときの達成感、眺め、爽快感。

ヘリコプターで頂上に着いてもきっと味わえないでしょう。

マラソンも、ゴール地点まで車で行けば・・・楽しくないですね。

苦しい思いをして、がんばって、がんばることが楽しい。

走れたことが楽しい。

自分が嫌いに思って苦しいとき、こう考えてください。

僕たちの人生はつらいことや悲しいこと、逃げ出したくなるようなこと、乗り越えられないこと、うまくいかないことがいっぱいです。

けれども、実はそんなことを体験して、乗り越えることで楽しみ、成長し、その幸せを味わうために生まれてきたのかもしれません。

他人が立派に見えるのは隣の芝は青く見える

隣りの芝は青く見える”中学生の法則”

小学生の頃、制服を着て学校に向かう中学生を見て、「大人だなぁ」と思っていました。

中学生の頃、高校野球に出ている選手たちを観ながら「すごいなぁ」と思っていました。

高校生の頃、大学生を見て「大人っぽいなぁ」と感じていました。

会社員をやってて、独立して自分で仕事をしてる人を見て「よくあんな勇気あるよなぁ」と思っていました。

「自分には無理だ」って。

で、気がつけば全部やってきていました。

でも、どれもビビりながらやっていました。

その時々の悩みを抱えていました。

家庭のことで悩んでいました。
勉強のことで悩んでいました。
友達のことで悩んでいました。
評価のことで悩んでいました。
性のことで悩んでいました。
自分の能力や器のことで悩んでいました。

立派に見えても、すごく見えても、やっぱりみんなきっと何かで悩んでいる。

けれども、それを乗り越えたか、チャレンジしたか、怖がって避けてきたか。

成長できたのは「怖くても挑戦したとき」でした。

「怖くて逃げたこと」は今でも後悔が残っています。

「他人はすごく見える」

たしかに、それはその通りです。

けれども、その人はその立場でいろんなことに悩んでいる・・・。

だから他人のことを”すごい”なんて思わなくていいのです。

それがこの「中学生の法則」です。

不安や悩みを頭の中だけにしまうことはしない

思考がすっきりまとまる「金魚の法則」

不安なことや考え事があるとき、頭の中をいろんな考えが、ぐるぐるぐる回り続けます。

考えても考えても、なかなかまとまらず、またぐるぐると回り始めて、どうすればいいのかわからなくなったりします。

実はこういうとき、本当に考えなければいけないポイントは、そんなに多くありません。

金魚鉢の中に、たくさんの金魚が泳いでいるところをイメージしてみてください。

赤や黄色、黒いのや大きいのや小さいの、いろんな金魚が泳いでいます。

そして、その金魚の数を数えようとしています。

見えるようで見えない、でもたくさんいる。

今度は、その金魚が頭の中にいるところを想像してみてください。

そして次に、頭の中の金魚を数えてみてください。

数えようとしても、まとめようとしても、金魚は、泳ぎ回ります。

考え事をしようにも、ぐるぐるして考えがまとまらないときは、頭の中がこのような状態になっているんです。

金魚たちを整理するためにはどうすればいいのか。

金魚を一匹ずつ水槽から出して、並べてしまえばいいのです。

これを頭の中でやるということは、「頭の中で考えたことを、紙に書き出す」ということです。

頭の中で、まるで金魚のように泳ぎまわっている「考え」「思い」「不安」を、一匹ずつ捕まえて、紙の上に並べていく。

すると、案外少なかったりするのです。

同じ金魚を何度も数えていたから、いつまでたってもまとまらなかっただけかもしれません。

きちんと整理する必要はありません。

紙に「書き出す」だけでいいです。

そして、書き出したものを、自分の目で見ることで、頭の中とは違うものの見方、考え方ができて、整理もできます。

まとめ

無理を演じて人と接するより素で接する方が心が楽である。

今までの推測で今を判断するからうまくいかない。

恥ずかしくて言えないことをさらけ出してしまえば心が楽になる。

良いも悪いも他人は他人の基準で勝手に判断して見る。