自分を責めない寛容力

自分を責めないとは

自分を責めないことは寛容力を培うこと

もっと寛容力を身につけたい―。

そう思っている人にぜひお伝えしたいのは、「人に寛容になる前に、自分に寛容になりましょう」ということです。

そしてそのために、「自分にダメ出しするのを、できるだけ減らしていきましょう」ということです。

なぜなら、人間には、自分にダメ出ししやすい、という持って生まれた性分のようなものがあるからです。

「怒りをコントロールする」というテーマでのセミナーで「

自分を責めないとは

自分を責めないことは寛容力を培うこと

もっと寛容力を身につけたい―。

そう思っている人にぜひお伝えしたいのは、「人に寛容になる前に、自分に寛容になりましょう」ということです。

そしてそのために、「自分にダメ出しするのを、できるだけ減らしていきましょう」ということです。

なぜなら、人間には、自分にダメ出ししやすい、という持って生まれた性分のようなものがあるからです。

「怒りをコントロールする」というテーマでのセミナーで「自分を長年苦しめていた、恨みに近いくらいの強い怒りをコントロールしようとしましたが、うまくできませんでした。

でも、みなさんの感想をうかがっていると、すごく上手にできていたようなので・・・ああ、自分だけうまくできないんだ、自分は駄目なんだと、正直、すごく落ち込んだし、イライラしてしまいました」という意見が出ました。

じつは、このように「自分は駄目だ」と思うと、駄目な自分を守るため、「外界」に対してよけいに警戒しなければならなくなります。

すると、不安や怒りが生じやすくなるのです。

怒りをコントロールしたくてセミナーに参加して、そしてその手法を身につけたものの、その過程で自信をなくして逆にイライラしてしまった・・・というこの男性のエピソードは、まさにこのことを言い表してくれていました。

自分に「ダメ出し」をするクセ。

日本人は特にこの傾向が強いようです。

普段は意識していなくても、誰の心の中にも、常に自分を責める「厳しい人格」がいます。

「厳しい人格」は、自分に向かって、「おまえはダメなやつだな」と批判し続けています。

とはいえ、そんな「厳しい人格」がいるからこそ、人は自省しながら他人や社会と折り合いをうまくつけつつ、なんとか生きていくことができるのだという見方もできます。

ただこの記事を読んでいるあなたの場合、「厳しい人格」が強すぎるはずです。

自分にダメ出しする回数を意識的に減らしていくとよいでしょう。

他人は自分が思っているほど不寛容ではない

寛容でありたい、と思う人は、寛容であることのメリットは十分に理解していると思います。

ただひとつ、読者のみなさんに問いかけたいのは、「ところで、そんなにあなたは、いつも不寛容ですか?」ということです。

「とにかく私はいつも怒っているんです」などという人がいますが、実際に周囲に聞いてみると、「え?そうですかね。べつにそんなふうには思いませんが」という反応が返ってくることのほうが多いものです。

つまり、多くの人は自分の「怒り」に勝手に振り回され、悩んだり、苦しんだりしているものなのです。

誰かに対してイライラした態度を取ってしまった、ついカッとなって相手を怒鳴りつけてしまった、といった記憶は、「罪悪感」として深く記憶に刻まれます。

人は、折りに触れてそれを思い出し、さらに罪の意識を強めていってしまうのです。

特に、「人はこうあるべきだ」という道徳観の強い人、自分を完璧にコントロールしたいという思いが強い人は、「イライラした自分」「不寛容であった自分」の弱さ、非合理さを許せず、そんな自分を卑下します。

人間には誰にだって弱い部分がある。時と場合によってそれが出てくるのは仕方ない。大事なのは、その後にどう対処するかだ

自らを聖人君子であるべきだと思っている人は、「汚い自分」が出てきた時点で「自分は駄目だ!」と否定してしまうのです。

このような人には完璧主義者が多く、「人間には誰にだって弱い部分がある。

時と場合によってそれが出てくるのはしかたない。

大事なのは、そのあとにどう対処するかだ」ということをたとえ理解したとしても、「そのような切り替えが上手にできるときもあるけれど、できないときもある。

やっぱり自分は未熟だな・・・」と、やはり自分を卑下します。

また、そんな人は、自分の「性格」に問題があるのだと考え、それを変えようとする傾向があります。

しかし、怒ったり、イライラしたりしてしまうのは、「性格」に問題があるのではありません。

感情というのは、人間の本能から出てくる自然現象だからです。

しかも疲労などによって大きな影響を受けます。

大切なのは、感情が出ないようにするのではなく、出てきた感情といかにうまく折り合いをつけるかです。

自信は寛容力を育む

自信を失ってしまった人の例

美しく、気さくな性格が人気のダンス教室の先生がいました。

ところが、40代後半になって、体重が増え、自分でも動きにキレがなくなってきたように感じていました。

あるとき、生徒から、「先生、腰まわりがずいぶん丸くなりましたねぇ」といわれたことがショックで、それをきっかけに、とても落ち込むようになりました。

すると、鏡を見るのが苦痛になりました。

何を着ても似合わない気がして、服を選ぶことも嫌になりました。

生徒との会話もぎこちなくなり、それまでは気さくに話ができていたのに、生徒のちょっとした一言にイライラしたり、相性の合わない生徒を遠ざけたりするようになりました。

そして、「こんなダメな私が、今後も教室をやっていけるのだろうか・・・」と、すっかり自信を失ってしまったのです。

人は年齢とともに体力が落ちたり、これまでできていたことができなくなったりして、自信をなくしていきます。

このことは、だいたい40代半ばぐらいから痛感する人が多いようです。

ここで、では「自信」とは何か、ということについて整理しておきましょう。

自信を三つに分けてとらえてみます。

「第一の自信」とは、ある事柄に対して「自分はできる」という認識。

この「第一の自信」を大きくするには、「自分はできる」「自分はうまくやった」という体験を積むことです。

一般的に「自信」といえば、この「第一の自信」をイメージする人が多いでしょう。

「第二の自信」とは、「自分は、自分の体や心、生き方を自分でコントロールできる」という認識。

自分の本質的機能に対する自信です。

この自信は、心身ともに健康である前提があってこそ発揮されるもので、この前提がなくなると、「自分が壊れてしまった」と感じます。

たとえば、病気になったり、原因不明の不調が続いたり、疲労困憊したり。

また、自分の感情や行動をうまくコントロールできないことも「第二の自信」を失う要因となります。

さらに、自分の信念がくつがえされるようなショックな出来事が起こったり、仕事を失ったり、災害に遭ったり、破産したりすることでも「第二の自信」は崩れます。

特に自立心が強く、がんばり屋で、これまで挫折したことがないような人ほど、「第二の自信」が崩れると、とても苦しみます。

自分の不寛容さに悩んだりするのも、自分で自分をうまくコントロールできないという「第二の自信」が崩れることが大きく関係しています。

そして、「第三の自信」とは、「自分は、人に愛されている、集団の中で自分の居場所を確保できている」という認識。

たとえば、赤ちゃんのことを考えると、赤ちゃんは自分一人では何もできないから「第一の自信」はありません。

自分の体や心、生き方をコントロールできないから「第二の自信」もありません。

ですが、赤ちゃんは絶望したりはしません。

なぜなら、親に愛されているという絶対的な「第三の自信」があるからです。

ダンスの先生は、体型が変化してきたことや、体のキレがなくなってきたことにより「第二の自信」を失い、そして、前はできていたことができなくなったことにより「第一の自信」も失いました。

その結果、生徒とうまくコミュニケーションができなくなったことで、「第三の自信」も失ってしまった―つまり、総体的に自信が崩れてしまったのです。

気合いだけではどうしようもないことがある

前述のように、「第一の自信」とは、ある事柄に対して「自分はできる」という認識、「第二の自信」とは、「自分は、自分の体や心、生き方を自分でコントロールできる」という認識、「第三の自信」とは、「自分は、人に愛されている、集団の中で自分の居場所を確保できている」という認識、です。

人は、万事が順調であるときには、「人生というものは努力や経験しだいでなんとかなる」というふうに思いがちです。

しかし、そのような自信が一気に崩される出来事が起こったりします。

たとえば、大きな災害が起こり、その被害に遭ったときなどです。

東日本大震災のような自然の脅威を前にすると、人は無力です。

懸命に生きていた人の家を無残に壊した地震と、多くの人の命を無慈悲に飲み込んだ津波―。

「努力」なんて意味がないのではないか・・・、これからどう生きたらいいのかわからない・・・と、多くの被災者は「第一の自信」と「第二の自信」を失いました。

ところで、震災後の現場では、警察官や消防士、自衛隊員が救助に当たります。

精神的にも肉体的にも鍛えられている人たちですが、じつは、惨事後のショックは、被災した人たちと同等か、あるいはそれより大きい場合があることも知られています。

なぜなら、悲惨な現場を目の当たりにし、そのショックで食欲がない、眠れない、体調がすぐれないといったストレス反応が出ても、それが「当たり前」とは思えず、「自分が弱いからだ」「自分が情けないからだ」と感じてしまうからです。

また、遺体を見て気分が悪くなってしまったことなどを「恥ずべきこと」として自分を強く責めてしまうのです。

そして「第二の自信」を失います。

さらに、そのように「第二の自信」を失うのは、救助に当たる多くの仲間も同じなのですが、現場では誰も弱音を吐いたりはしませんから、「みんなは平気なんだ。自分だけダメなんだ。こんな弱い自分はみんなから見捨てられる」と、組織の中での自分の立場、居場所を失ったように感じ、「第三の自信」も失ってしまうのです。

このようなとき、人は「第一の自信」―つまり、この試練を乗り越えて「自分はできる!」という自信を感じようとしてしまいがちです。

そして、自分に対して「気合いを入れろ!」「負けるな!」「前に進んでいけ!」と鼓舞して、対処しようとします。

しかし、このようなアプローチは、じつはあまり助けにならないだけでなく、さらに自責の念を強めてしまう危険さえあるのです。

自信を取り戻す

災害救助に当たる自衛隊員にセラピストが行なったのは、次のようなことでした。

まず、「いまの自分の不調は、自分にだけ起こっているのではない」ということを理解させるために、同じ任務にかかわった人たちを集めて、グループで話し合いをさせました。

それから、その不調について、「生理学的な観点」から説明をします。

  • 自分が見た光景を忘れられずにフラッシュバックしてしまうのは、「危険な場所を忘れるな」という、人間に本来備わっているアラーム機能によるもの。
  • 自分がいまよく眠れないのは、本来、夜間というのは人間にとって危険な時間帯であり、その時間帯に対して本能の警戒レベルが高まっているから。
  • 自分がいま食べられないのは、食料を求める行動よりも身の安全を守る行動のほうを本能が優先しているから。
  • 自分がいま、においや物音などに過敏になっているのは、危険なものを察知しようと五感がフル活動しているから。

このような説明をすることによって、いま自分が不調に苦しんでいるのは、「自分が弱いから」でも「自分が情けないから」でもなく、「危険に対して心や体が正しく働いているからだ」ということを理解してもらいます。

すると、当人たちは、「自分は壊れたわけではないんだ。大丈夫なんだ」と「第二の自信」を取り戻していき、「みんな同じようにつらい思いをしている。

自分だけ切り捨てられることはないんだ」という「第三の自信」も復活させていくのです。

「第一の自信」は、表面的なものでしかありません。

弱ったときには、「第二の自信」を取り戻すことを優先させましょう。

そのプロセスで、「いまは頑張りが利かなくなっているけれど、自分はなんとかやれる」と気づくことができます。

そうすれば、自然と「第三の自信」も「第一の自信」も取り戻すことができ、根本的な状況改善、症状改善へと向かいはじめることになります。

二つの心の強度

子どもの頃、親や教師から、「人というものは、こうあるべきだ」と教えられた記憶があると思います。

その中で、「人に頼らず、自分でなんでもできる人になれるよう努力しなさい」と、繰り返しいわれた人もいるかもしれません。

それこそが、心の強い人になって、成功するために必要なことですよ、と。

心の強さには、「子どもの心の強さ」と「大人の心の強さ」の二種類が考えられます。

子どもの心の強さ

  • 人より劣っていてはダメ
  • 一人でやり遂げなければダメ
  • 苦しくても逃げたらダメ
  • 人に迷惑をかけてはダメ
  • 自分の問題点を見つけなきゃ
  • これをやれば自分は成長できる
  • いつも一貫した態度を取らなきゃ

大人の心の強さ

  • 一つがダメでも何か長所があればいい
  • 時には人を頼ってもいい
  • 最終的には逃げることも手段の一つだ
  • 困ったときはお互い様だ
  • 自分のいいところは自分にしかわからない
  • 変われない私も認めていい
  • 時と場合によって態度を変えていい

「子どもの心の強さ」とは、頑張れば頑張ったぶんだけ成長していくという精神力。

多少の困難に突き当たっても一人で頑張り抜くというのが、「子どもの心の強さ」だと考えます。

一方、社会に出ると、このような頑張り一辺倒ではうまくいきません。

仕事で失敗をする、人間関係をこじらせる、親の介護や子どもの教育に頭を悩ませる、病気にかかる・・・このようなとき、追い詰められないように自分の心をケアし、人からの協力も上手に得ながら物事に対処する工夫ができるのが「大人の心の強さ」だと考えます。

疲労やストレスが蓄積されていくと、本能は、「これ以上、頑張ってはいけない」「自分を休ませて心身を立て直しなさい」と訴えかけてきます。

このとき「本能からのSOS信号」を無視し、「いや、休んではいけない」「最後まで一人で頑張らなくては」と、無理を重ねると、心身ともに疲れ切ってしまい、倒れてしまうことになるのです。

また、たとえば仕事において、「子どもの心の強さ」だけで邁進しようとする人は、目標を非常に高く設定しがちです。

そして、目標を達成できなかったときに大きなダメージを受ける傾向があります。

「自分には寛容力がない」と悩んでいる人も、それはもしかしたら「子どもの心の強さ」ゆえかもしれません。

つまり、「こんな器の大きな人になりたい」「こんな立派な人間になりたい」という理想が高すぎるのかもしれません。

そんな人は、自分に対する自信を不必要に失わないためにも、「子どもの心の強さ」を少し緩める必要があります。

■参考記事
不寛容な人が寛容力を培うには
怒りの感情コントロールで寛容力を培う
他人を許せば心は楽になる
寛容力が無い人が寛容力を育む方法

寛容力を培う技術

弱者に当たってしまう理由

最近、地下鉄のホームで、「ほら、なにをグズグズしているの!」と、子どもに大声で怒鳴っているお母さんを見かけました。

とてもイライラしている様子でした。

一見すると、「ダメな母親だ」と批判したくなる光景ですが、私には、お母さんのその様子が「誰か、イライラしている私を助けて!」というSOSを発しているように感じられました。

かつての日本社会では、子どもは親だけでなく、祖父母やご近所の人たちなど、みんなで育てるという文化がありました。

お母さんが子育てに疲れたときは、手を差し伸べて助けてくれる人たちが周囲にいました。

子育てというのは肉体的にも精神的にも大変にストレスがかかることだから、母親がたった一人でできるものではない、という共通認識があったといえます。

ところが、現在は核家族化が進み、子育てを誰かに助けてもらうことができにくい環境になってしまいました。

すると、母親に肉体的、精神的な負担が集中します。

特に共働きをしている場合、母親は仕事と子育ての両立で疲労困憊してしまい、そのストレスは「怒り」として表れやすくなります。

人は疲れてエネルギーが低下すると、「もうこれ以上、エネルギーを低下させるな」という本能からの指令により、「怒り」を抱きます。

その怒りを向ける相手は、職場であれば、出来のよくない部下であったり、ミスを連発する同僚であったり、無茶な仕事を振ってくる上司であったり、思うように動いてくれない取引先であったり。

さらに家に帰ってくると、パートナーや子ども、両親、ときにはペットであったりします。

とはいえ、「怒り」を発すると、反撃される可能性もあるので、人は無意識のうちに「反撃してくる確率の低い、自分より弱い相手」に怒りを向けがちです。

もし、「自分より弱い相手」として子どもに対してイライラしてしまう、八つ当たりだとわかりながらつい子どもに当たってしまう、そして「自分はダメな親だ・・・」というふうに自分を追い詰めているお母さんがいるなら、「自分はとても疲れているんだ」と考えてください。

疲れていたら、イライラするのは当たり前です。

そのイライラしてしまう自分を認め、疲れている自分を癒すこともふくめての子育てです。

大人の心の強さですね。

子育てというのは、そもそも思うようにならないものであり、右往左往することこそ子育てだ、と思うことが心の持ち方として有効なのかもしれません。

いつでも子どものことが最優先という価値観がベースにあると、子どもに対するちょっとしたイライラさえ大袈裟に受け止めてしまい、ひいては「わが子にこんな怒りを抱くなんて、私は母親失格・・・」と、その感情を抱いた自分を責めてしまうようになります。

だから、子どものためにも、もっと自分を大事にする―そう考えて、自分の疲れやストレスをしっかりケアしてください。

良い、悪いから少し遠ざかってみる

自分には寛容力がない、と悩む人は、心のどこかで、「自分はいつでもどこでも、誰に対しても、常に一定して寛容でなければならない」という理想(子どもの心の強さ)を持っているのかもしれません。

しかし、空がいつも晴れているわけではないように、人の心も移り変わるのが当たり前です。

いつも機嫌がよくおだやかで、誰に対しても優しくて寛容である、という人は存在しません。

たとえ外面的にはそう見えても、その人の心の中はさまざまに揺れ動いているものなのです。

もちろん、自分の信念として、たとえば「人を裏切らない」など、「これだけは守る」というものはあってもいいでしょう。

しかし、その信念でさえも、時と場合によって、その度合いをゆるめることが大切です。

「人の価値観はさまざまだし、しかも変化する。

だから、自分の価値観も、時と場合によって調整していこう」

と思えることもまた、人の寛容力を大きくしていくのです。

自分で大丈夫を受け入れる技術

人は「自分にダメ出し」をしやすいようにできています。

「自分はどうしてこんなに寛容力がないのだろう・・・」と自分にダメ出しして、卑下して、ますます寛容力を失っている人にぜひ覚えていただきたいのが、自分にダメ出ししそうになったときに「自分にOKを出す」技術です。

自分にOKを出す、といっても、日本人は、ポジティブすぎても逆に不安になったりするところがありますので、バランスが必要です。

そこでおすすめしたいのが、「サイコ―の評価法」です。

具体的な方法としては、

  • よかったところ、三つ
  • 悪かったところ、一つ
  • 今後の改善点、一つ

を挙げて、自分を前向きに評価し、自分にOKを出すのです。

「三」「一」「今後」を取って「サ・イ・コー」の評価法と覚えて下さい。

たとえば、せっかくの休日なのに、何もしないでダラダラ過ごしてしまったとします。

そんな自分にダメ出ししそうになったら―、

●よかったところ
1.睡眠不足が解消できた
2.頭痛が治った
3.夕飯をいつもよりていねいに作った

●悪かったところ
・持ち帰った仕事をやろうと思っていたが手をつけなかった

●今後の改善策
・土日に持ち帰らなくてもいいように、その週の仕事は金曜日までになるべく終わらせる。
終わらない場合は、翌週に持ち越すのも良しとする。

こんなふうに「よかったところ」を三つ挙げると、「ああ、最悪だ。休み中、ダラダラしていただけだった・・・自分はだらしない」という思いから、「いや、ぐっすり眠れたし、体も休められたし、調子がよくなった。

久しぶりにいい食事ができたし、有意義に過ごせた」という思いが湧き、自分にOKを出すことができます。

「悪かったところ」についてですが、自分にダメ出しするクセがある人は、ここにばかり目を向けがちです。

「悪かったところ」をいくつも挙げはじめると、きりがなくなるので、「サイコ―の評価法」では、一つだけに限定します。

そして、その「悪かったところ」に対して「今後の改善策」を最後に挙げることによって、前向きに評価を終えるのです。

「サイコ―の評価法」による、自分にOKを出す技術―。

いかがでしょう?
なんとなく、明日もいい日になりそうな気がしませんか?

「このやり方はいいかも」と思えたら、ぜひはじめてみてください。

そして、続けてみてください。

一度やってみて終わり、というのは、ありがちなパターンですが、それでは根本的な「ダメ出し体質改善」はできません。

スポーツでも、フォームに悪い癖があるときは、コーチから指導を受けつつ、正しいフォームをトレーニングによって繰り返し体に覚え込ませていくことで矯正していきます。

心の悪いクセを強制するときにも同じアプローチを取るのが有効です。

この「サイコ―の評価法」による自分にOKを出す技術は、少なくとも40回、行なってみてください。

「一日の振り返り」として、夜、寝る前などに行なってもいいでしょう。

「一日の振り返り」だけでなく、たとえば仕事でミスをしたときなど、自分にダメ出ししそうな出来事があったときにその場ですぐに実践するのも有効です。

自分を追い詰めてしまわないよう、気持ちの整理をするのにとても役立ちます。

良いところみつけのプロになる

寛容力があり、人間関係がうまくいっている人には、「いいところ探し」がうまいという共通点があります。

たとえば、「あなたの今日一日の中で、よかったところはどこでしょうか?」と聞かれても、今日はあまりうまくいかなかったな、今日はずっと体調が悪かったな・・・そんな一日だったりすると、よかったところがまったく浮かばない、あるいは、むりやり思い浮かべてもむなしく感じてしまうかもしれませんね。

また、子どもの頃に、「今日は〇〇がよかったです」というと、親や先生から「いいところばかりじゃなくて、悪かったところ(反省点)も見つけなさい」などといった教育をされ続けてきた人は、何かいいことがあっても、「ちょっとよかったからって、調子に乗るな」とすぐに自分で自分にブレーキをかけてしまう傾向があります。

しかし、繰り返しますが、寛容力があり、人間関係が上手くいっている人は、みんな「いいところ探し」―自分のいいところ、他人のいいところ、物事のいいところを探すのが上手です。

「いいところ探し」がうまくできない、という人におすすめしているのは、遊び感覚で「いいところ探し」に挑戦するワークです。

たとえば、目の前にあるマグカップを見つめながら、「いいところ探し」に挑戦してみるのです。

たとえば、「大きさがちょうどいい」「軽くて丈夫だ」「取っての形が持ちやすい」「色がきれいだ」「イラストが可愛い」「口のつく部分がなめらかにつくられている」・・・というふうに、一分間で20個挙げるのを目標に、スピーディーに「いいところ」を見つけていきます。

一分間で20個もの「いいところ」をみつけようとすれば、「悪いところ」に目を向ける余地などなくなります。

それがこのワークの優れたところです。

自然と「いいところ」に目を向ける習慣が身についていきます。

その他にも、たとえば自分が勤めている会社の「いいところ探し」に挑戦してみましょう。

「業界で名が通っている」「歴史が古い」「給料が高い」「オフィスがきれい」「トイレが清潔」・・・など、一分間で20個挙げていきます。

さらに、自分の出身地のいいところ、自分の出身校のいいところ、自分の友人や恋人、家族のいいところ、そして自分のいいところ・・・と、ワークを繰り返すうちに、「いいところ探し」は確実に上達していきます。

ただし、体調が悪いときや、エネルギーが低下しているときなどは、どんなに日頃はポジティブな人でも、びっくりするくらいこの「いいところ探し」ができなくなります。

そんなときは「頑張って練習しよう」ではなく、「三日間、集中して休む」対処を取ってください。

四十回、四百回の原則

前項の「いいところ探し」のワークは、一日に二回ずつ行なうと、二週間くらいでかなりの効果があり、三カ月後には、それほど意識しなくても、日常の中で、自然と人や物事の「いいところ」に目を向けられるようになっていきます。

真面目で、頑張り屋な人ほど「早く結果を出したい」とあせる傾向にあり、たった一回行なってうまくできなかっただけで、「自分には向いていない」と練習をやめてしまいがちです。

そういう方には「四十回、四百回の原則」というものをお伝えしています。

前述した「サイコ―の評価法」のワークも、少なくとも四十回は続けるようにといいましたが、「四十回、四百回の原則」とは、「心の習慣を変えるワーク」を四十回続ければ必ずなんらかの効果を得ることができる、四百回続ければ「体が覚えている」レベルにまで達することができる、というものです。

たとえば、ある方が、「このワークの効果が感じられません」といってきたときには、「何回やりましたか?」と尋ねます。

そして、「5回です」というならば、「そうですか。前進ですよ。あとたった35回です」と伝え、「四十回、四百回の原則」の説明をします。

心の習慣を変えたいなら、ただ「こうしたい」「こうなりたい」と願うだけでは不可能です。

練習を重ね、うまくいった経験を重ねることで、少しずつ、でも確実に変えていくことが出来るのです。

自分を第一優先にすると寛容力が育まれる

寛容力低下の原因のほとんどは小さいうつ

疲労はその度合いによって三段階に分けられ、その人がどのレベルの疲労を感じているかによって、起きた出来事から感じるショックの度合いや、回復までに必要とする時間も変わってきます。

じつは、疲労度が第二段階になると、「いいところ探し」が急にできなくなるだけでなく、「自分を許す」ことや「他人を許す」ことも、難しくなってきます。

第二段階の疲労を抱えている人は、本格的なうつ症状に進行する手前の、いわば小さいうつ状態です。

寛容力が低下している人のうち八割ぐらいは、疲労がたまり、許容範囲が狭くなり、そのことによって他人や自分を責めている、少しのうつ状態ではないかと考えられます。

たとえば、普段はなんの問題もなく人とコミュニケーションができている人も、環境変化をきっかけに寛容力が急に低下することがあります。

一例を挙げると、異動があり、いままでとは違う部署で仕事をすることになった。

それだけで大きくエネルギーを消耗します。

それによって疲労がたまっていくと第一段階となり、身体症状が出てきます。

頭が痛い、肩が凝る、眼が痛い、耳が詰まったような感じがする、眠りが浅くなる・・・というふうに。

そして、その段階で疲労を回復できず、第二段階に進んでしまうと、ネガティブなことばかりに意識が向きイライラしはじめるのです。

これは、本能が、「これ以上の負担を与えるな」と、自分を守ろうとしている結果なのですが、そのイライラをぶつけられ、「威嚇」された側の人たちは、「嫌なやつだな」とは思うものの「ああ、この人は疲れて弱っているのだな。しかたないな」とはなかなか思ってくれないでしょう。

パワハラ上司の中には、へとへとに疲れ切っていて、心は悲鳴を上げているのに虚勢を張っているという人がかなり多いのではないでしょうか。

そんな人も、第三段階まで疲労が進むと、もうイライラするエネルギーも尽きてしまいます。

ただのテレビコマーシャルを見て涙が止まらなくなるなど、出てきた感情を抑制できなくなります。

あるいは、感情そのものがでてこなくなったりします。

こうなると「うつ病」という診断名がつきます。

うつ状態の人で、最悪の状況を脱し、少し元気が出てきて、社会に復帰する前のリハビリ期、つまり第三段階から第二段階になったあたりでイライラが出ることもよくあります。

第三段階にいたときには、何か怒りを感じたとしてもそれを出すエネルギーがなかった。

しかし、第二段階になると怒りを出すエネルギーが出てくるのです。

すると、たとえばコンビニのレジなどで店員の対応に腹を立てて怒鳴りつけたり、お酒を飲んで人にからんだり、といったトラブルを起こします。

職場に復帰したけれど、誰かと摩擦を起こして、周囲から浮いてしまうこともよくあることです。

これらは、「怒るアクセル」は踏めるけれど、それを「抑制するブレーキ」は踏めない状態ともいえます。

先ほど、第二段階の疲労を抱えている人は「小さいうつ」状態だといいました。

「小さいうつ」というかわいらしい名前をつけましたが、本人は、かなりの苦しさにあえいでいます。

ただし、一見したところでは元気そうに見えるので、周囲からはなかなか共感や理解を得られません。

だから、「誰も自分のことをわかってくれない」「周囲はもっと自分を気遣ってくれるべきなのに」などという思いが渦巻きます。

しかし、このようなときは、周囲がどうこうではなく、自分をケアするために「休む」のが一番の対処法となります。

数日間、集中して休む疲労回復法

第二段階の疲労を抱えている「小さいうつ」状態のときは、何より「休む」のが大切な対処法だと述べましたが、実際に休んで、横になっていると、「こんなふうにダラダラしていていいのか。もっと積極的に行動しなければいけないのではないか・・・」と自分を責めたりしてしまいます。

あるいは、「楽しいことをしてリフレッシュすれば元気になれるはず」と、自分を駆り立てたりしてしまいがちですが、しかし、たとえばカラオケに行く、旅行に行く、飲みに行く、遊園地に行く、といった対処法が有効なのは若い人にだけです。

それなりの年を重ねた人がそのような”はしゃぎ系”のストレス解消法などを行なうと、その場は楽しくても、結局疲れを深めてしまい逆効果になる可能性が高いのです。

第二段階の疲労―「小さいうつ」状態を脱するために、じつは、とてもシンプルかつ効果的な方法があります。

それが、「数日間、集中して休む」という方法です。

数日間、集中して休むときのルール

  • ひたすら眠る。目が覚めてもベッドに横になっている
  • テレビやDVDは見ない。本や雑誌も読まない。ゲームもしない
  • パソコンは使用しない。スマホも極力見ない
  • 家事は一切しない(食事は出前を取ったり、事前に買い込んだりしておく)

三日間もただ寝ているだけなんてつらい、と思うかもしれません。

しかし、心身をリセットするための「集中合宿」と思えば、腹をくくって実践できるはずです。

会社勤めをしている人の場合、金曜日に有給休暇を取ったり、三連休などを利用したりすれば、職場にもさほど気兼ねすることなく時間を確保できるでしょう。

家族がいる場合は、集中的に休みを取ることで気力も体力も回復させたいと伝え、理解してもらいましょう。

「家の中に家族がいると、ゆっくり休んでもいられない」という人は、ビジネスホテルなどに泊まりましょう。

お金がかかったとしても、それは自分のために必要不可欠な経費だと思って、実践することをおすすめします。

他人に優しく、自分にはより優しく

この「数日間、集中して休む」のは、実際に効果を上げている方法です。

もっと手軽な方法として、子育てに疲れてしまった女性が、「一人だけの時間を過ごして自分を取り戻したい」と、ネットカフェで丸一日、好きな漫画を読みまくることを実行して復活のきっかけをつかんだ例もあります。

一週間のうちのどこかの曜日の半日だけは完全に自分が好きなように使う時間、と決めるのもいいでしょう。

忙しい人は、つい自分の時間を犠牲にしてしまうものですが、その半日だけは「絶対に外せないアポイントメント」だと思って、何があっても動かさないようにするのです。

やり方は人それぞれですが、繰り返し注意しておきたいことは、カラオケに行く、旅行に行く、飲みに行く、遊園地に行く、といった「はしゃぎ系」や、勉強や運動で自分を成長させようという対処法はしないこと。

自分を駆り立てようとするのは、逆効果となります。

もっと自分に優しくなりましょう。

自分に優しくなれない人は、他人にも優しくなれないのです。

嫌な記憶を忘れようとしない

誰かに嫌なことをいわれて、「嫌だな」と思った記憶が、ずっと引っかかっていることがありませんか。

取るに足らないことだ、相手も悪気があったわけではないんだから・・・などと理性でなんとかねじふせ、「もう切り替えよう」と忘れたつもりでも、特に相手が身近な人、たとえば職場の同僚であった場合、たびたび「また嫌なことをいってくるかもしれない」「また同じような気持ちにさせられるかもしれない」という警戒センサーが反応します。

すると、無意識のうちにエネルギーが奪われていきます。

そうやってエネルギーを奪われ続けていくうちに、その同僚に対して笑顔で挨拶したり、ただの日常会話をしたりするだけでも疲れてきます。

他にも、たとえば、何か腹が立つ出来事があって、誰かに対してイライラした態度を取ってしまった、怒鳴ってしまった、そのことがすごく気になっている・・・。

そんなとき、「いつまでもクヨクヨしてもしかたがない!」と、なんとか別のことを考え、その怒りの感情を「忘れよう」とする人もいます。

一見、正しいストレスケアにも思えますが、このやり方ではなかなかうまくいかないことが多いのです。

なぜなら、いったん「なかったこと」にされた怒りの感情というのは、そのままくすぶり続け、折りに触れて勢いを盛り返そうとするからです。

つまり、忘れようとすればするほど、その怒りが蘇ってくるようになります。

ですから、「忘れる」のではなく、その怒りの感情をきちんと「受け止める」必要がありますが、真正面から受け止めるのは難しいものです。

なぜなら、忘れてしまいたいぐらいの嫌な感情なのですから、それをガチンコで受け止めようとすれば、当然、苦しい気持ちが湧いてきます。

自分を許すための感謝の瞑想

そこで、提案しているのが、「感謝の瞑想」です。

「感謝の瞑想」とは、呼吸法を取り入れながら、怒りの感情とうまく距離を取りつつ、そっと触れるように柔らかく怒りの感情を受け止めるワークです。

少し背筋を伸ばして楽な気持ちでイスに座り、目を閉じて、自分の呼吸を意識します。

「こんなふうに吐き・吸わなければならない」という難しいテクニックは必要ありません。

ただ、自分の息を「いーち」「にー」と数えながら呼吸するようにしてください。

呼吸に集中しようとしても、心の中に引っかかっている怒りの感情が頭に浮かんでくるかもしれません。

そうしたら、その「気持ち」に「ありがとう」と感謝します。

というのも、怒りは原始人的感覚で、あなたを守ろうとしてくれているのです。

その「気持ち」に「私を守ろうとしてくれたんだね。ありがとう」と伝えます。

そして、感情の存在を認め、感謝を告げたら、「だけど、いまは呼吸に戻るよ」と、呼吸を数えることに意識を戻します。

いったん呼吸に意識を戻しても、またその怒りの感情が持ち上がってくるかもしれません。

そうしたらまた同じように、「ありがとう」と感謝を告げて、また呼吸に意識を戻す、ということを繰り返していきます。

すると、やがて怒りの感情の波が小さくなっていきます。

しばらくすると(通常通常40呼吸以上)少し心が落ち着き、ゆったりとした気持ちになってきます。

そうしたら、そのゆったりした感覚を保ったままで、「自分はどうしてイライラしてしまったのだろう?」と自らに問いかけてみてください。

その原因が見えてきたら、「では、イライラしないためにはどうすればいいのか」と、対処法まで考えてみましょう。

この「感謝の瞑想」を実践した方々は皆「いままで、自分の感情とこんなに上手に、じっくり向き合えたことはなかった」といいます。

そして、「自分を許す」というのはどういうことか、そのヒントをつかんでいきます。

「相手を許す」ことを実践するときにも、まずは「自分を許す」ことが大前提となります。

たとえば、職場で何かミスやトラブルを起こしてしまい、その責任が自分にあれば、「自分を許す」というのはなかなか難しいことです。

そんなときは、それでも自分の味方になってくれる人や、頼れる人がいてくれるのが、もっともありがたいことです。

でも、人に頼ることができないこともあるし、頼ったとしても「こうすればよかったんじゃない?」といった正論のアドバイスしか得られず、かえって「自分はダメだ」と落ち込む危険性もあります。

だから、私たちは、「自分で自分を許す」ためのテクニックを磨いておくことが必要です。

この「感謝の瞑想」は、「自分で自分を許す」ための優れたテクニックです。

ぜひ実践してみてください。