辛い人間関係

辛い人間関係とは

相手を詮索すればするほど怖くなる

ある女性はこんなことで悩んでいました。

「上司が、仕事を振ってくるのですが、どう考えても、私が一人で処理できる量ではないんですね」

「一人でこなせる量ではないということを、その上司に伝えているんですか」

「いいえ、問答無用という高圧的な態度でくるので、怖くて、とても言える雰囲気ではありません」

そんなふうに話をする辛い人間関係で悩む彼女の態度も表情も、どこか怯えています。

「言えなかったら、あなたはその仕事を、どう処理してるんですか」

「しかたがないので、必死にやっています。でも、もう限界なんです・・・」

しばらくそんな心情を漏らすと、辛い人間関係で悩む彼女は上司の心を推測し始めました。

「冷静に考えれば、仕事量が多いってことは、わかると思うんですね」

「と言うと・・・」

「どうして、上司は、それがわかっているのに、私に振ってくるんでしょうか」

と、ここから「どうして」の推測や分析が始まります。

辛い人間関係で悩む他人の目が気になる典型的な思考パターンです。

「上司はどうして、別の同僚ではなくて、自分にさせようとするのだろうか。

どういう意図があるのだろうか。

何か魂胆があるんじゃないだろうか。

もしかしたら、私に会社を辞めてほしいのだろうか」

もちろん、そうやってどんなに上司のことを詮索しても分析しても、上司が変わるわけではありません。

むしろ、辛い人間関係はそうやって、相手を詮索すればするほど、”怖さや辛さ”は増大していくに違いありません。

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「勝手な推測」が作っている恐怖

どうして怖さが増大するのでしょうか。

例えば、その辛い人間関係で悩む状況で、実際に上司に何らかの悪意があるとしたらどうでしょうか。

本当に、何らかの魂胆があるとしたら、どうすればいいでしょうか。

本気で辛い人間関係で会社をやめさせたがっているとしたら、どう解決すればいいでしょうか。

こんなふうに相手のことを詮索したり分析しようとすればするほど、上司が巨大な壁となって、自分の前に立ちはだかっているような怖さを覚えたり、あまりにも巨大すぎて、到底立ち向かえないような辛い無力感や絶望感を感じたりするのではないでしょうか。

もちろんこれは、「勝手な推測」が作っている恐怖です。

辛い人間関係では相手の心を詮索したり分析しようとしても、ほとんど”役に立ちません”。

なぜなら、「どうして」の答えを求めても、それは、自分自身のこともわからないし、ましてや相手のことは尚更わからないからです。

さらに無意識の世界にまで踏み込むと、顕在意識で認識していることなど、まるっきり当てにならないと確信を持って言えるからです。

それぐらい自分の「顕在意識」と「無意識」の間には、大きなギャップがあります。

他人の目を気にするのであればあるほど自分の気持ちに気付かないために、その差はさらに拡がっていくでしょう。

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大切なのは相手ではなく自分自身

ここでわかるのは、「自分のこと」だけです。

さまざまな場面で、

  • 自分が、どんな気持ちになっているのか
  • 自分が、どんな態度や表情をしているのか
  • 自分が、どんな行動をとったのか

というように、自分に焦点を当てられたとき、「解決の糸口」がつかめます。

一見、こんなふうに自分の方に焦点を向けると、「恐ろしく客観性に欠けている」ように思えるでしょう。

けれども、自分にとって重要なのは、相手でしょうか、それとも自分自身でしょうか?

相手がやさしくなれば、あなたは満足できますか。

辛い人間関係は相手が変わりさえすれば、「自分自身」は変わらないでいいと、あなたは思っていますか。

「怖い上司」に対して黙って従ってしまう辛い人間関係で悩む自分はどうでしょう。

怖い上司に対して「怖い」と感じて怯えてしまう辛い人間関係で悩む自分はどうでしょうか。

上司に、辛い自分の状況を伝えることができない辛い人間関係で悩む自分はどうでしょうか。

もしかしたら、その状況の大元は、はるか昔、幼い頃の親子関係にあって、あなたがずっと引きずってきている問題かもしれません。

そんなことを自分に問うと、納得できない自分がいるはずです。

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辛い人間関係になってしまう心理

やりたくない、できるかどうか自信がない

一つの場面を切り取って点検すると、自分自身のことが見えてきます。

もしあなたが、自分の人生に「従わなければならない」を入力設定しているとしたら、相手の言うことがすべて、自分に命令していたり指示しているように”聞こえる”でしょう。

例えばあなたの上司が、「これ、やる時間あるかい?」

と尋ねたとします。

するとあなたは、自動的に「はい」と応じてしまうでしょう。

もしかしたら、上司はこのとき、「できるかどうか」を尋ねただけかもしれません。

けれどもあなたの耳には、「しなければならない」と聞こえてしまうのです。

このとき「やりたくない。できるかどうか自信がない」といった自分の感情のほうはスッポリと抜け落ちています。

そのために、引き受けた後で「するのが怖い」となるように、辛い”恐れ”は遅れてやってくるのです。

別の場面で、上司があなたに、「あれ?どうしてこれが、ここにあるんだっ」とあなたに向かって大声を発したとします。

するとあなたは、自分が咎められたような気がしたリ、責められているような気分になるでしょう。

あなたがそれを仕舞い忘れていたとしたら、”悪事を働いてばれた犯人”のような気分になって自分を責めるかもしれません。

もしかしたら上司は、そんな気持ちは一切なくて、とっさに大声を発しただけなのかもしれないのですが、辛い人間関係で悩むあなたには、「どうして、こんなこともできないんだ。なんて情けないダメな奴だ」というふうに聞こえているかもしれません。

こんな耳で聞いていたら、どんどん上司との人間関係は怖くなっていくでしょう。

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したくない。でも、やらされる

もしあなたが「したくない。でも、やらされる」という思いでいるとしたら、相手への恐れから黙って従いながらも、心の中で反発したり、抵抗したり、腹を立てているかもしれません。

例えば上司が、「やり方がわからないんだったら、これで勉強するといいよ」と言って専門書を渡したとします。

あなたにはそれが、「専門書を読んで、もっと勉強しなければダメじゃないか」と非難されているように聞こえたり、「まだ、わからないのか。飲み込みの悪い奴め」とバカにされたり、嫌味を言われているように聞こえて、腹を立てたり悔し涙を流しているかもしれません。

そんな辛い恐れから抜け出すには、「従わなければならない」を捨てていって、「心の自由」を取り戻すことです。

どうすれば、その人間関係の「自由」が手に入るでしょうか。

では、試しに次の文章を、声に出して読んでみましょう。

「相手が言っていることは”意見”や”感想”にすぎない。
相手が高圧的な言い方や怒った言い方で私を動かそうとしても、私は、相手の言うことに従うことはない。
私がそれを選択するかどうかは、心から私の自由だ。
相手よりも、私は自分の気持ちや感情や意志を、もっと大事にしていいんだ」

声に出して言うと感情に響くために、より”実感できるでしょう。

こんなふうに言うと、相手とマイナスに絡まっていた心の距離が遠くなって、少し、解放された気分になりませんか。

相手を「怖い」と感じる恐怖心も、少し減ったように感じるのではないでしょうか。

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自分がそれを選択するかどうかの自由がある

相手の言っていることは、常に意見であり感想です。

それが社長の言葉であっても親の言葉であっても、です。

あなたがそれに従うことはありません。

あなたには、自分がそれを選択するかどうかの”自由”があります。

もしあなたが、「従わなければならない」という意識から解放されたら、あなたが相手の言葉に敏感に反応することは少なくなっていくでしょう。

人間関係の辛い恐れも小さくなっていくはずです。

もしかしたら辛い人間関係で悩むあなたが推測しているように、上司は、事実、あなたを快く思っていないかもしれません。

心の中で、辛い人間関係で悩むあなたに会社を辞めてほしいと思っているかもしれません。

それでも、「私が上司をどう思っていようが自由」であると同様に、上司があなたを心の中でどう思っていようが、仮に悪意を抱いていようが、それも「相手の自由」なのです。

もっとも、「相手の自由」を認めるのは、まだずっと先の未来でいいのです。

それよりも、あなた自身の”自由度”を高めていくことが先決です。

あなたが「自分の自由」を心から認められるようになってきたとき、それに伴って、相手の自由も認めることができるようになるからです。

もちろん職場では、職務としての「すべき」ことがあります。

自分の役割としての業務や仕事として引き受けたものは、それを果たす義務があります。

しかしそれは「従わなければならない」ものではなくて、職務に対する「責任」です。

それを放棄してまで、「自分の感情のままに動け」と言っているわけではありません。

ましてや「従うな!」と命令しているわけでもなければ、禁止しているわけでもありません。

それをはき違えてしまうと、「自分の責任を果たすこと」すら、”強引にやらされている”ような気分になって、不平不満を募らせたり、相手を責めたり攻撃したくなるでしょう。

「自分の責任を果たすこと」は決して「自分の感情を基準にする」こととは矛盾しません。

むしろ、自分の感情を無視したり抑えながら相手に従おうと”自動的にしてしまう”から、怒りや恐れが生まれるのだと、理解できるのではないでしょうか。

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辛い人間関係を自分の行動で解消する

我慢しつつも、絶えず心の中で相手と戦っている

ここまで読んだ時、「そんなの無理ですよ!心の中で、どんなに自分の自由だと思っても、実際には、何の役にも立ちませんからね」

などと、辛い人間関係につい感情的に反応してしまった人はいませんか。

まさにそれが、日頃、自分の感情を優先できなかったり、自分の意志や自由を認められない人の反応だと言えるでしょう。

そんな辛い人間関係で悩むあなたは、我慢しつつも、絶えず心の中で相手と戦っているに違いありません。

そのため、上司が、「こうしてくれないか」と言ったとしても、あなたにはそれが、「こうしろと言ってるだろう!」と、自分に強制したり強要しているように聞こえます。

時には、「手が回らないんだったら、いいよ」といった言葉さえ、相手が自分を否定したり拒否したり、攻撃を仕掛けてくるというふうにも感じるでしょう。

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いつ戦いになるかという恐怖を抱いている

常に辛い人間関係で悩むあなたの心の中の人間関係は、戦闘モードです。

腹が立っても我慢してしまうのは、辛い人間関係で悩むあなたが、いつ戦いになるかという恐怖を抱いているからです。

戦闘モードで身構えていたり、辛い人間関係で悩むあなたの中に競争意識や敵意があればあるほど、恐怖心は増大していくでしょう。

なぜなら、すでに辛い人間関係で悩むあなたが口火を切れば、激しい戦いが待っていると信じ、予感しているからです。

何らかのきっかけで、「そんなの時間がないから、無理ですよ!」などと、激しい口調で口走ってしまうのは、あなたが、そんな敵意と恐怖を抱いている証拠だとも言えるのです。

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戦うか・逃げるかは相手にも伝わる

辛い人間関係で悩むあなたのそんな激しい恐怖やその口調は、相手からすると、逆に、あなたから攻撃されているように映るでしょう。

恐れていようが怒っていようが、どんな感情も瞬時に相手に伝わります。

「でも、相手が悪いんですよ」

そう言いたくなるとき、人間関係ですでに、脳幹の「戦うか・逃げるか」の反応にスイッチが入っています。

相手は辛い人間関係で悩むあなたのそんな戦闘モードをキャッチします。

相手が悪い。

確かにそうかもしれません。

あなたの主張のほうが正しいとしましょう。

それでも、あなたのそんな正しさとは離れたところで、お互いに「自分の臨戦モードが相手を臨戦モードにさせていく」という”関係性”の負のキャッチボール現象が起こっています。

そのときはもう無意識に、「私が正しい。あなたが悪い」といった”論”とはまったく異なる”感情の世界”で反応し合っているだけとなっているのです。

動物社会のように、脳幹の「戦うか・逃げるか」の反応が発動し、互いに威嚇し合ったり、怖くて怯えているようなとき、どうやって”理性的な判断”ができるでしょうか。

ところが実は、ほとんどの人が、気づかずにやっていることなのです。