ありのままの自分をもっと楽しむ発想転換法

失敗を恐れている人の勘違いがある。

ありのままの自分を出せない人は間違った思い込みがある。

それはありのままの自分を出したら「失敗すると人から自分は軽蔑されるのではないか、人から自分は拒絶されるのではないか」と思っていることである。

そういうありのままの自分を出せない人は現実の他人とコミットしていない。

ありのままの自分を出せない人は「他人はこうだ」と勝手に一人で思い込んでいる。

ありのままの自分を出して失敗したからといって、そのことで人から拒絶されるようなことはない。

ありのままの自分を出せない人は失敗したら人から拒絶されると思うから、いつも”不安な緊張”に苛まれるのである。

試験に失敗しても、事業に失敗しても、演説に失敗しても、英語を話すことに失敗しても、挨拶に失敗しても、セックスに失敗しても、人はそれで見捨てられることはない。

ありのままの自分を出せない人は「自分が失敗したら、自分は人から見捨てられる」という恐怖は間違っている。

失敗を恐れるありのままの自分を出せない人の中には、そのことを理解できていない人が多い。

ありのままの自分を出せない人は「失敗したら他人の好意を失う」と錯覚している人もいる。

ありのままの自分を出せない人の中には、失敗すると「人からの好意を失った」と勝手に思い込んで、相手から離れていく人もいる。

その点で、「失敗すると好意を失う」と思い込んでいるありのままの自分を出せない人は、自己中心的な人なのである。

ありのままの自分を出せない人は現実とコミットしていない人である。

ありのままの自分を出せない人はただ独りよがりの想像の中だけで生きている。

現実は、相手はその失敗した人を嫌いになるわけではないのに、その人のほうから勝手に離れていくのだから。

その人が失敗しても相手はその人とまだ付き合いたいと願っている。

それなのにありのままの自分を出せない人は離れていく。

カメは遅い。

それは甲羅が重いから。

でも、その思い甲羅が、カメを守っている。

自分を守るほうをとるか、はやいほうをとるか。

他人に優越することで不安から逃れようとするありのままの自分を出せない人は、はやいほうをとったのである。

だから、ありのままの自分を出せない人は消耗して、はやく死ぬしかない。

あなたは”ここ”を誤解している

基本的不安感を持つ者の最大の誤解は、ありのままの自分のほうが好かれるのに、好かれないと思いこんだことである。

ありのままの自分のほうが好かれるのに、スーパーマンになるほうが好かれると思った。

ありのままの自分を出せない人はその間違った思い込みで、虚しい人生になる。

無理をしなくても手に入る楽しい毎日があるのに、ありのままの自分を出せない人は無理をして消耗する。

基本的不安感を持ったありのままの自分を出せない人は、元アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンのような偉い人になれば、皆がチヤホヤしてくれると思った。

ありのままの自分を出せない人はそして毎日、無理をした。

そしてありのままの自分を出せない人が実際に手にしたものは「好かれること」ではなく、消耗した心身と虚無感

ありのままの自分を出せない人が手にしたものは「愛されること」ではなく、困難と戦う意欲の喪失である。

ありのままの自分を出せない人が無理をして頑張って、失ったものは人生に対する関心と興味。

ありのままの自分を出せない人は基本的不安感から偉大な人になろうと努力したのに、手にしたものは自己蔑視。

人を好きにならなければ、好かれない

ありのままの自分を出せない人が人とうまくコミュニケーションできるためには、まず自分を知ること。

ありのままの自分を出すには相手を見ること。

そしてありのままの自分を出すには相手と自分との間の距離感がわかっていることである。

それなのにまず「嫌われないか」を気にするありのままの自分を出せない人がいる。

人と会ったときに、まったく相手を見ないありのままの自分を出せない人がいる。

相手を見ないで相手と付き合いはじめるありのままの自分を出せない人がいる。

つまり、ありのままの自分を出せない人は現実の相手とコミットしていない。

ありのままの自分を出せない人は相手を見て、「この人はどういう人だろう」と考えない。

ありのままの自分を出せない人は相手がやさしい人か、ずるい人かも考えない。

要するにありのままの自分を出せない人は相手に対する関心がない。

相手が調子のいいことばかり言う。

そういうときに、ありのままの自分を出せない人は「この人は口ばかりで、実際には何もしない不誠実な人かもしれない」と思わない。

ありのままの自分を出せない人は「相手は自分のことをどう思っているか」しか考えない。

深刻に物事を考える人もいるし、気楽に生きている人もいる。

恨みがましい人もいれば、満足している人もいる。

それなのにありのままの自分を出せない人は相手を見ないでただ、相手に自分をよく印象づけることしか考えていない。

ありのままの自分を出せない人は自己執着が強すぎて、現実とまったくコミットしていない。

ランガ―は、このように人の違いを識別できることを「マインドフルネス」といっている。

「マインドフルネス」とは、現実とコミットすることである。

現実とコミットすれば、違いがわかる。

相手はそれぞれ違う人なのだから。

ランガ―は、”マインドフルネスな態度は、人生における葛藤を目に見えて減少させる”と述べている。

それなのに相手をまったく見ないで、相手に気に入られようとして無理するありのままの自分を出せない人がいる。

ありのままの自分を出せない人はこれで相手とコミュニケーションできるはずがない。

ありのままの自分を出せない人の「みんなから好かれたい」病に効くクスリ

ありのままの自分を出せない人は相手が自分の敵か味方かも考えないで、ただ気にいられようと無理をする。

ありのままの自分を出せない人は相手が自分のことを大切に思ってくれているか、利用しようとしているかも考えないで、とにかく気に入られようとする。

世の中にはひねくれている人もいるし、素直な人もいる。

こちらが同じようなことを言っても、相手によって受け取り方が違う。

相手によっては、こちらの言うことが誤解される。

それは当たり前である。

こちらのことをなめている人と尊敬している人とがいる。

それなのにありのままの自分を出せない人は相手に対して同じような態度をとる。

世の中にはしっかりと自分を持っている人がいる。

逆にまったく自分を持っていない人がいる。

自己喪失していて、周囲の人に振り回されて生きている人もいる。

すぐに相手に同調する人もいる。

頑なな人もいる。

自分のない人は周囲の人に影響されやすいから、一度味方になっても状況が変われば、すぐに敵になる。

それなのにありのままの自分を出せない人はすべての人を同じに見て、同じ態度で接する。

誰にもいい顔をする八歩美人のようなありのままの自分を出せない人がいる。

世の中には社会的に成功していても搾取タイプの人もいれば、社会的に成功していなくても”与える喜び”を知って生きている人もいる。

ありのままの自分を出せない人のコミュニケーションの第一歩は、相手を見ることである。

つまり現実にコミットすることである。

世の中には悪意のある攻撃タイプの人もいれば、誠意のない迎合タイプの人もいる。

ありのままの自分を出せない人は同じ態度で接してコミュニケーションできるわけもないし、いい結果が出るわけもない。

情緒的に成熟した人もいれば、わがままで自己中心で幼児的願望そのままの人もいる。

理念的に大別すれば、質のいい人と質の悪い人がいる。

もちろん実際の世の中では二種類の人がいるのではなく、連続している。

人の違いに気がつくことがなければ、あなたは心の通路が狭い。