対人恐怖症、社交不安障害を克服する5つのことNO,2

辛いときは「お母さんの木」を訪れ、祈る

自分は心理的に健康な人とは全く違った動物だと心の底から決心したら、第二に、「これが自分のお母さん」という木を見つけることである。

大きな木でもいいし小さな木でもいい。

もちろん、親に代わるものを自分の心の中でつくるには、「この風景が自分のお母さん」と決めるのでもいい。
とにかく、「これが自分のお母さん」というものをつくる。
何かを「自分の母親にする」のである。

満たされていない幼児的願望が、彼の幸せへの道を閉ざしているのである。
これを満たすことでしか彼は幸せになれない。

そして、その木に祈るのである。その木に手を合わせて、「自分が人を愛することのできる人間になれるように」と祈ることである。

辛い時にはその木を訪ねることである。
苦しい時にはその木に訴えることである。
その木はあなたが独占できる。

幼児的願望がでてきて重苦しい気持ちになった時には、その木のところに行って、「どうか私の幼児的願望を解消してください」
と願うのである。

たとえば、愛着人物を占有できないことでおもしろくなくなったとき、愛着人物が自分以外の人に関心を向けていることで不愉快になった時、自分の努力をみとめてもらえないとき、そうしたときには、その木を訪れて、手を合わせて、「お願いです、どうか私の幼児的願望を解消してください」と頭を下げるのである。

そうしているうちに、また別の安らぎの木を見つけたら、「これも自分のお母さん」と思えばいい

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は「お母さんの木」をつくって祈ることである。

”自分の文化を変え、住む場所を変える”

自分の心の空洞を人に埋めてもらおうとしても、すぐにスカスカになる。
だから、自分で埋めるしかない。

あなたは今、幼児的願望が満たされていなくても仕方がない。

冷蔵庫のない家もある、掃除のない家もある。
全部そろっていなくても仕方ない。

あなたは今をだましだましして、これまで生きてきたのではないか。
そして、「もう我慢できなくなった。」
今をだましだまし生きてきた結果が、対人恐怖症、社交不安障害やうつ病ではないか。

あなたは流されて生きてきた。「楽な方がいいという生き方」をしてきたのではないか。

そうわかったら人間関係を変える、自分の文化を変える、住む場所を変えることである。

あなたは今まで「生きるため」に頑張ってこなかった。
チヤホヤされたいから、人を喜ばすためにがんばった。

これからは「生きるため」に頑張ることである。

自分で官僚になった人が、うつ病になったり自殺したりすることは考えられない。
「生きるため」に頑張るとは、たとえば安らぎの木を探すことである。
有名企業のエリートになるために頑張ることは、「生きるために」頑張ることではない。

”「自分には母なるものを持った母親はいない」と決心する”

そして、ある木を本当に「これが自分の母親」と決心できたかどうかの基準は二つある。

一つは、その木をはじめて目の前にしたときに、とめどなく涙が流れるかどうかということである。

その木を前にして涙が流れなくては、本当の決心とはいえない。
涙が自然とこぼれないなら、ただ自分の人生の不幸に酔っているだけである。

二つ目は、涙と同時に、憎んでいた愛着人物に対して「感謝」のきもちがでてくるかどうかである。
自分の幼児的願望によって憎み、絡むことで苦しめてしまった相手に対して「あー、悪かった」という気持ちになっているかどうかである。

その気持ちが、幼児的願望が少し解消に向かった証拠なのである。
つまり、「自分には母なるものを持った母親はいない」という決心が本物になったという証拠である。

「自分には母なるものを持った母親はいない」といつまでも恨みを言っていても、生きることは楽にはならない。

幼児期は雨のように流す。
「もう幼児期はいい」と、流れる川に流す。

そしたら、楽しい気持ちでラーメン屋さんに入れる時が来る。

もう先はそれほど長くない。

いつまでも「愛されなかった、愛されなかった」と連呼している時期ではない。

過去を引きずっている人は、今を生きていない。この時間、この時を楽しめない。

今、目の前に見える美しいイチョウを見ていない。

いつも失ったものや、落ちたものを拾おうとする。

そして、今、この目の前にある現実を受け容れられない。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人はお母さんの木にむかって自分には母なるものを持った母親はいないと決心することである。

”弱点を受け容れて生きるということ”

親が与えた歪みを自分の力で直していくということが、生きていくということである。

今、親について凄いことを書いているようであるが、この世に理想の親などいない。
理想の環境で理想の資質を持って生まれる人もいない。

もし、理想の資質を持って理想の親の元に生まれ、理想の環境で成長した人がいたら、そんな人生には生きる価値はない。

自分の背負った運命と闘うことが生きるということである。

ロマン・ローランの「ジャンクリストフ」の中の台詞で大切なものがある。

「人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就する為に生まれてきたのだ」

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人はまず、自分の運命を受け容れることが一歩である。