曲がった正義感

曲がった正義感とは、規範意識が強すぎるというやっかいなよろいをまとって他人と接することである。

そうすると、自分も疲れてしまうし、相手も疲れてしまう。

例えば、スイミングスクールに通っているが、ダルさを感じるけれど月謝がもったいないから行かなきゃだめだよ。といった場面など。

ここで、キーワードとなるのが強すぎる規範意識だ。

規範意識は幼児期に親によって身につけさせられる。

ここでは曲がった正義感を紐解くために規範意識が強すぎる人の心理にフォーカスし、その解消法についても触れてみたいと思う。

規範意識が強すぎるとは

規範意識が強すぎる人は、まず、「~すべき」「常識」というものを持ちだす。

そして、常識に沿って生きているのである。

では、なぜ規範意識が強すぎる生き方になってしまったのかというと、小さい頃からの養育環境が大きく影響している。

規範意識が強すぎる教育を受けてきたのである。

例えば、ご飯は残さず食べなければいけないなどである。

調子が悪く、あまり食べたいと思わない時も、せっかく作ったのだからもったいないから食べなさいというような曲がった正義感を持ち出された教育を受けて育つと、そういった規範意識に忠実にならざるを得ないのである。

つまり、マインドコントロールである。

小さい頃から受けたマインドコントロールは大人になっても影響する。

もう一つ例をあげると、学生時代、彼氏、彼女を作ると、親に、はしたないことしてないで、勉強しなさい。と言われ、社会人になった途端、早く孫の顔が見たいわ。というようなことを言われたとする。

その人は、学生時代、恋愛を禁じられてきたから、恋愛の仕方を知らない。

それどころか、恋愛は、はしたないものという規範意識が根強く無意識に残ってしまっている。

当人は混乱してしまう。

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規範意識が強すぎる心理

彼は、確かに正直で、律儀で、几帳面で、正義感が強く、義務感も強い。

しかし、それは本当にそうなのだろうか。

普通の人以上に義務感、正義感が強いのは、一種の”やましさ”があるからではないか。
”やましさ”の抑圧の結果として、義務感、責任感、正義感が強いのではないか。

自分に正直になってみると、実は普通の人以上に、義務感が強いわけではない。

本当のところ、彼は無意識下では普通の人以上に、利己主義、無責任、自己中心性があるのではないだろうか。

彼は普通の人以上に利害に敏感である、普通の人以上に卑怯である。

要するに、普通の人以上に”ずるい”のである。

しかし、彼の規範意識は普通の人以上に強い。

こうあるべきだという規範意識は肥大している。

そして、自分は利己主義であるという感じ方を、意志の力で無意識へと追いやってしまっている。

彼はすべてにわたって模範的である。

しかし実のところ、本当のものは何ひとつないのではないか。

すべては抑圧の結果として、そう見えるだけなのである。

彼の正義感、義務感は、自分は利己主義者であるという感じ方を抑圧し、やましさを裏側にはりつけている正義感、義務感でしかないのではないか。

模範的である彼が、家庭や学校や職場で、他人と紛争を起こしやすいのは、表面的には、正義感、義務感が強すぎるからのように見える。

しかし実際は、本当の正義感、義務感が欠如しているからにすぎないのである。

悩み相談で次のようなことがよくある。

「うちの子は、正義感が強くて、担任の先生と折り合いが悪いのですが、どうしたらいいでしょう。」

いろいろ聞くうちに、やがて母親は、担任の先生を非難し始める。

「うちの子は、どうしても曲がったことが嫌いですから、担任の先生ととことんやってしまうんです。」

この正義の士が行くところ、どこでも人間関係のトラブルが起きる。

彼がトラブルメーカーになってしまうのは、普通の人が持っている程度の義務感や責任感が、彼にないからなのである。

その欠如を抑圧することから出てくる誇大な義務感に、周囲の人はついていけないのである。

自分の内部にもりあがる正義への意欲があれば、そんなに周囲といざこざを起こさないのではないか。

むしろ、正義への意欲の欠如を自分自身隠そうとするところから生じる正義感だから、ついつい他人への批判と結びついてしまう。

内発的に社会への愛情があって、そこから生じてくる社会的正義感であれば、それほど周囲といざこざは出てこないはずである。

むしろ、世の中の低俗さや不正を論難すること、そのことが目的の社会的正義だから、周囲はたまらないのである。

社会への愛情、周囲へのいたわりなどもっていない自分を抑圧して出てくる社会正義だから、その正義はづおしても誇大な言葉となって表現される。

その誇大な言葉で表現される社会正義に人はついていけないのである。

自らの虚偽性を抑圧して出てくる大義名分をふりかざされたのでは周囲はたまらない。

自らの内面は虚偽に満ちている。

彼は無意識下では、自分が私利私欲の人であることを知っている。

がりがり亡者であることを知っている。

だからこそ、世を慨嘆するのである。

社会批判は口実に過ぎない。

社会に対して内発的な愛情を持っている人間は、その正義感ゆえにいたるところで日常的にいざこざを起こすなどということはない。

規範意識が強すぎることへの対処法

規範意識が強すぎる他人との付き合い方

心理的距離を離す

たとえば、過保護、過干渉の親や厳しすぎる会社の上司などと付き合う時は、心理的距離を離してみる。

右の耳から入って左の耳へ出ていく感じである。

これでだいぶ生きるのが楽になる。

修羅場をつくり勇気を持って自己主張する

しかし、暴力を伴う親の躾け、虐待などは逃げ場が無く、とても苦しい思いをしている人は多いのではないか。

マインドコントロールはされる人の生きるエネルギーが吸い取られる。

そういう場合は、自分の規範意識を押し付けてくる人に勇気を持って、自分の思っていることを言ってみることである。

私は、~こう思う。と。

すると相手側に変化が訪れることもある。

規範意識が強すぎる自分を変えるありのままの自分をみつける

規範意識が強すぎる親に曲がった正義感を押し付けられて育てられると、その育てられた人は規範意識が強すぎるようになる。

しかし、学校や会社といった社会に出れば、自分は何の規範意識にこだわっているかを見つけることはできる。

自分が本当に嫌っているものは何か、したくないものはなにか、好きなことはなにか。

そして、自分の中の「すべき」を見つけ出す。

  • ご飯は残さず食べるべき
  • プレゼンの時はハキハキはっきりと話すべき
  • 人前で字を書く時はきれいに書くべき

など、~すべきは規範意識が強すぎる原因になり得る。

そして、その「べき」を全てはがすと、ありのままの自分が現れる。

社会に出て、大勢の前で赤面したら変な人だと思われるのではないか。

また、小学校の時間の時のように茶化されるのではないか、と思う。

しかし、大人になった時にはそんなことはない。

むしろ一生懸命さが伝わり、好かれる。

規範意識が強すぎる人は真面目一徹で可愛げがない。

それどころか曲がった正義感を振りかざすと、人は去っていく。

人は弱点があって、それを見せられれば好感を持たれる。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するにはいざこざの原因は自分に正直になって、自分なのではないか、そもそもいざこざなのか考えてみることである。