「もっともっと」は怒りの状態

”「もっともっと」は怒りの状態”

自分に対する怒りは、焦りと表現した方がよいかもしれない。

「もっと美しくなりたい」「もっと強くなりたい」「もっと速く走りたい」「もっと偉くなりたい」等などである。

しかし思うように美しくも、強くもなれない。そういう時に自分に対する怒りが出る。この怒りは焦りを含む。

もっとつよくなりたいけれど強くなれないので焦る。イライラする。

「焦り」には敵意が隠されている。

単純に「急いでいる」というときには敵意が隠されていない。

人は「憎しみと怒り」を持つとダメ。

ダメというのは幸せになれないという意味である。

人は憎しみと怒りを持つと焦る。

自分はもっと社会的に活躍したい。

そこで活躍していない自分が面白くない。

もっと皆に騒がれたい。

もっと異性にモテたい。

もっと皆にチヤホヤされたい。

そこでモテないことが面白くない。

「なんやかんや」で欲求不満である。

鬱憤が溜まっている。

とにかく今の自分の状態が面白くない。

自分で自分の感情をコントロールできなくなっている。

そんな状態が「自分に対する怒り」の状態である。

ようするに基本的欲求が満たされなくて心の中がイライラしている。

自己実現もしていない。

そんな現実の自分に対する怒りを外化するとどうなるか。

自分が自分に対して不満である。それを、家族を通して、社会を通して、同僚を通して、学校を通して感じる。

自分に対して怒っているのに、社会に対して怒りをぶつける。

部下に対して怒りをぶつける。

妻に対して怒りをぶつける。

自分に対して怒っているというのが分かりにくければ、単純に基本的に欲求不満というのでよい。

外側の世界がどうであるかとは関係なく、とにかく今自分は基本的な愛情欲求が満たされていない。

今自分がどのような人間環境の中にいるかとは関係なく、基本的に欲求不満である。
そういう時に、周りで起きることを「けしからん」と感じることは自然な心理ではないだろうか。

現実の「あいつ」とは関係なく、自分はもともと不満である。

しかし、そうしたときに「あいつが面白くない」と感じることは不自然なことであろうか。

決して不自然なことではない。

対人恐怖症、社交不安障害の人は「もっともっと」と欲求不満な時は怒りが溜まっているのだと自覚することである。