イライラしている人は困っている人

まず大前提として、「行動」と「心の姿勢」を区別しておきたいと思います。

他人のイライラに対してどう「行動」するか、ということと、他人のイライラにどのような「心の姿勢」で向き合うか、ということは基本的には別の次元にあることです。

攻撃ではなく、あくまでも悲鳴

他人のイライラに対して私たちは「怖い」と感じるものですが、それは生物として当然の感じ方です。

他人のイライラに対しては必要な距離をとらなければ、暴力などの危険に巻き込まれる可能性があります。

ですから、他人のイライラに対しての「行動」は、自分の安全を最優先して考えるべきです。

一方、相手のイライラをどう見るか、という「心の姿勢」は別です。

もしもイライラしている相手を見たら「困っている人だ」ととらえてみましょう。

特に相手のイライラが激しい場合は、「相手は困ってパニックになって悲鳴を上げている」ととらえることができます。

相手から怒られたとき、それを「自分が攻撃された」ととらえると、傷ついたり、怒って反撃したりすることになります。

いずれもひどいストレスになりますし、反撃することが相手からのさらなる反撃を招くことにもなりかねません。

例を見てみましょう。

例:ちょっとしたミスなのに、「これでは社会人失格だ!」とみんなの前で叱責された。

こんな状況も「自分が叱責された」と思えば、とてつもなく恥ずかしく傷つく話です。

メンツを傷つけられてイライラを強く感じるかもしれませんし、もう仕事に行かれない、というくらいに落ち込んでしまうかもしれません。

しかし、ちょっとしたミスで、なぜそこまで感情的に人格攻撃をされなければならないのでしょうか。

簡単なミスくらいで、みんなの前で「社会人失格」と叱責する、というバランスの悪い行動を上司はなぜとったのでしょうか。

おそらく、そのミスによって、上司が何らかの困った立場に立たされたからだと思います。

何に相手は困っているのだろうと考える

いや、あまり困らないはずだ、というのはこちら側の見方に過ぎず、上司側からすれば、自分のメンツや個人的な「苦手」なども含めて、何かしら困ったことになったのでしょう。

何やらいっぱいいっぱいの上司が悲鳴を上げている、というふうにこの状況を見ることができれば、「自分が叱責された」というだけの話でもない、ということがわかるでしょう。

気持ちがだいぶ楽になると思います。

そもそも、余裕があれば人間は感情的にイライラしないのです。

上司がどれほど理にかなったことを言っているとしても、その形態が「感情的なイライラ」であれば、やはり悲鳴には違いないのです。

「悲鳴を上げている」というふうに見た上で、それでも聴くに値する点があると思えば、自分の役に立てればよいでしょう。

「理にかなったことを言っているから、激しくイライラされる自分がいけないのだ」と思う必要はありません。

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常にイライラしている人には?

ガツンと怒ってくることはなくても、常にイライラしている感じの人は案外多くいるものです。

イライラがこちらにまで伝染してきそうになりますが、そんな人とはどう関わったらよいのでしょうか。

原則として、やはりその人は何らかの理由で困っているのだということをわかっておくとよいでしょう。

人間の基本形はリラックスした状態であり、基本形から逸脱していることには何らかの「事情」があるのです。

また、常にイライラしている人は健康に問題がある場合もあります。

一般に、ワーカホリックの人はイライラしていることが多いですが、自分の不安や空虚さを埋めようとして仕事に依存しているのであれば、それ自体が病的です。

イライラもそれに伴うものだと言えるでしょう。

「イライラされるとみてるだけで不愉快」という気持ちになると、怒りがわいてきますが、でも、それが相手の症状のようなものだと考えれば、気の毒にすら思えるでしょう。

そういう目で見ると、イライラが伝染してくる感じは減ります。

人をバカにする人はやり手じゃない

また、イライラした人は、「やり手」みたいなタイプも多く、周りの人をバカにしたりしがちです。

これは考えてみれば当たり前のことで、評価を下す生き方をするから、周りの人をバカにしたリイライラしたりするのです。

それは単なる「苦しく、不健康な生き方」であり、「やり手」どころではありません。

そもそも、本当の「やり手」はもっとしたたかです。

ですから、イライラした相手には「まあそんなに不健康な生き方をしなくても」というくらいのゆったりした気持ちで向き合っていればよいでしょうし、気の毒だと思えば「はい、わかりました」とやさしく言ってあげることもできるでしょう。

くれぐれも、相手との間で「正しいの綱引き」に入らないことです。

綱を引くと、相手の力も強まってしまい、ますますイライラさせることになります。

どうしても何か言いたいのであれば、慎重に「私は」のコミュニケーションをするとよいでしょう。

イライラに巻き込まれないためのポイント

いくらイライラが「相手の心の悲鳴」であっても、天使のようにそれにつき合ってあげる必要はありません。

今のところ相手が「イライラする自分」をどうにもできないのであれば、こちらもそれに合わせて、相手に対する「役割期待」を変えればいいのです。

例えば、すぐにカッとしてしまうけれど、落ち着けば話せるという相手だとしたらどうでしょう?

相手への「役割期待」を「今、イライラしないで話してほしい」ではなく、「落ち着いたら話してほしい」として、怒っている間は距離を置いてもよいのです。

メールなどを活用して自分のペースでコミュニケーションする

あるいは、相手と直接やりとりすると、どうしてもその怒りにふりまわされてしまう、という場合には、メールや手紙を利用して文字でやりとりすることも役に立ちます。

特に自分が過去にその相手から怒られたことが「心の傷」になっているような場合には、相手と直面するだけで怖くなってしまうかもしれませんから、相手のペースに巻き込まれない方法でやりとりした方がよいでしょう。

対処するのは自分ではなくてもよい

よい代弁者を見つけるのも一つの手です。

特に力関係にかなり差があって話し合いが成立しない相手や、直接コミュニケーションをするには相性があまりにも悪い相手であれば、誰か代弁者を立てた方が上手くいく場合もあります。

代弁者としてふさわしいのは、その人の言うことであれば相手も耳を傾けやすいという人です。

相手の怒りを喚起しにくい人、といってもよいでしょう。

ただし、怒りっぽい人は不安が強く小心者という場合もあり、やたらと代弁者を立てて「腫れ物扱い」すると余計に怒り出すこともありますので、あくまでもケースバイケースです。

あいまいな批判は受けつけない

先ほど「社会人失格だ!」という例を見ましたが、これは批判の中でも最もきついタイプのものです。

人格批判は、批判の中でも最もこたえます。

先ほどの例では、ちょっとしたミスということが明らかになっていますので、それは単に上司の「心の悲鳴」として聴けばよいでしょう。

しかし、何が悪いのかがはっきりしない状況で、「君は社会人失格だ!」と言われてしまうと、本当にこたえてしまいます。

そういうときのポイントとして、「批判はなるべく焦点を絞ってもらう」ようにお願いするという方法があります。

相手からの「役割期待」を明確にしてもらおう

人格批判はきついだけでなく、改善の余地がないという点でも問題です。

批判をきちんと受け取るためには「どう改善すればよいのか」という「自分への役割期待」を明確にしてもらう必要があります。

ですから、「社会人失格だ」という批判をそのままにせず、「申し訳ありません。できるだけ改善したいので、私のどういうところが社会人失格と感じられるか、教えていただけませんか?」と聞いてみましょう。

「君は時間にルーズなんだよ」と言われたら、まだまだ漠然としていますから、「申し訳ありません。例えばこんなところにルーズさを感じる、というのを教えていただけませんか?」と聞きます。

最終的に「会議には絶対に遅刻しないように」というような具体的な「役割期待」が導き出されるまで、焦点を絞っていくのです。

会議に遅刻しない、というところまでくれば実現可能ですし、今までの遅刻に気づいて素直に謝罪すれば、相手との間のしこりも残らなくなるでしょう。

あるいは、業務の関係上どうしても会議に間に合うことができない、というのであれば現実的に相談していくことができます。

「自分で考えなさい」と言われたとしても引き受ける必要はない

人によっては、批判の焦点を絞ってもらおうとすると、答えてくれずに「そんなことくらい自分で考えなさい」と言う人もいます。

これまた人格批判的な色彩の強いもので、「そんなこともわからないなんて」とさらに批判されているような気になり、ますます傷つくことにもなるでしょう。

でも、よく考えてみれば、「この状態はよくない」と感じたのは当の本人です。

「社会人失格というのは、上司自信が下した評価であり、上司の領域の中の話です。

それなのに「自分で考えなさい」と言うのは、本当は自分の領域に責任を持っていない、無責任な話なのです。

「この映画はいいね。感動した」と言っている人に「どこがよかったですか?」と聞いたら「そんなことくらい自分で考えなさい」と言われたのと同じくらい、変な話です。

たまたまテーマが自分であるだけで、すべては相手の領域で起こっている話だからです。

ですから、「すみません、私には本当にわからないんです。どうぞ教えてください」ということを、堂々と言ってかまわないのです。

悲鳴を発している相手を追い込まない

それにしても、そういうときの相手は、なぜ自分の領域に責任を持てないのでしょうか。

きちんと答えられない人は、往々にして、自分の不快な気分を反映した単なる「言いがかり」をつけているに過ぎないものです。

「相手が自分を怒らせた」と思い込んでいるのですから、その理由も自分で考えろ、ということになるのです。

そんな人に対して、「冷静に改善策を述べる」という役割を期待してしまうと、相手をさらに追い込んで、さらに不適切な言動を招くことになるでしょう。

頑なに「自分で考えなさい!」という人を見たら、「私は困っているのだ!分かってくれ!」という悲鳴を上げているのだなと思ってあげればよいでしょう。

そして、「冷静に改善策を述べる」という役割期待を手放して、「そうですね、自分でも考えてみます」と言ってその場を終わりにしてあげてもよいと思います。

あとで頭を冷やしたら、相手の態度も改善するかもしれません。

このようなやり方は、一見、相手への親切へのようにみえますが、実は誰よりも自分のためになります。

「理不尽に責められている」という「被害者」の立場から脱して、「不適切な言動をとっている相手に余裕を持って接してあげている自分」に変わることができるからです。

すると自分が状況をコントロールしている感覚が生まれてくると思います。

まとめ

イライラしている人から被害を受けない方法とは

  1. 怒っている人は、困っている人と受け止めよう。
  2. 他人から怒られたら、「自分への攻撃」ではなく「相手の悲鳴」ととらえよう。
  3. 相手のイライラに巻き込まれないように、メールや手紙を活用したり、代弁者を立てたりして、やりとりの工夫をしよう。
  4. 何を批判しているのかを具体的に話してもらおう。
  5. それができない相手は、「よほど困ってパニックになっているのだ」という目で見て、それ以上追い込まないようにしよう。