あらゆる感情には意味がある

イライラも感情の一つですが、「あらゆる感情には意味がある」ということをご存知でしょうか。

私たちの身体には、自分を守るために備わった力がいろいろとあります。

例えば、熱いものに触れると熱いと感じます。

熱いと感じるので、手を引っ込めて危険を避けることができます。

熱いと感じなかったら、しょっちゅう火傷ばかりして大変なことになってしまうでしょう。

また、痛みを感じなかったらそれこそ危険ですね。

危ないものを踏んだときに痛みを感じて気づくこともありますし、痛みから身体の病気が見つかることもあります。

痛みを感じなかったら病状が手遅れになってしまうこともあるでしょう。

こんなふうに、感覚は、私たちを危険から守ってくれます。

身体の感覚は、一般に、「その状況が自分の身体にとってどういう意味を持つか」を教えてくれるものですが、感情にも同じように自分を守る機能があります。

感情は「その状況が自分の心にとってどういう意味を持つか」を教えてくれるのです。

もしも不安を感じなくなったら

例えば不安は「安全が確保されていない」ということを教えてくれます。

不安を感じると、「そのまま突き進んでは危険かもしれない」と思いますので、安全を確認したり、慎重にすすんだりしますね。

夜中に真暗な山道を歩いている状況を想像してみてください。

こんなときは強い不安を感じるものですが、だからこそ、明るくなるまで待つことを考えたり、一歩一歩足下を確認しながら慎重に歩いたりするでしょう。

不安を感じずにスタスタ歩いてしまったら、とても危険です。

不安という感情は愉快なものではありませんから、できれば感じたくないと思っている人もいるでしょうが、不安を全く感じなくなったらそれはそれで困ったことになるのです。

悲しい気持ちが湧いてくるから癒される

悲しみという感情も、あまり嬉しくないものです。

悲しみのない人生だったらよいのに、と思うかもしれません。

しかし、悲しみは、「自分が何か大切なものを失った」ということを教えてくれます。

大切な人を亡くしたときなどが典型的ですが、大切にしていた物や価値観、ライフスタイルという場合もあります。

自分にとって大切なものを失ったときに生まれるのが悲しみという感情です。

「失ってしまった後になってから悲しみを感じても、自分を守ることにはつながらない」と思うでしょうか。

そんなことはありません。

大切なものを失った後、私たちの心には傷がついています。

再び普通に暮らしていくためには、傷を癒し、態勢を整えるというプロセスが必要なのです。

悲しみを感じると、私たちは「内向き」になります。

大切な人を亡くしたときなどは、日常生活を続けるのも難しいくらい、悲しみを中心に生きることになります。

この時期こそが、自分の傷に向き合い、癒していくプロセスなのです。

失ったものをいろいろな角度から考え、いろいろな気持ちを味わうことで癒しが進んでいき、ある程度傷が癒えてくると、ようやく外側のことに心を開けるようになり、新たな人生へと歩み出していくことができます。

この悲しみの時期を持たないと、傷が癒えないまま生きていくことになりますので、どこかの時点でうつ病になったりしてしまいます。

こうして、悲しみもまた、私たちの心を守ってくれているのです。

イライラするからわかること

イライラの感情もまた、私たちを守るためのものだと言うことができます。

例えばイライラしたときの最もシンプルな行動は、相手への反撃でしょう。

「ムカっときて言い返す」というようなことです。

こんなとき、イライラは「自分に加えられた攻撃に気づき、反撃のエネルギーを生む働きをしている」と言えます。

つまりイライラするので、「何かひどいことをされた」と言うことに気づき、イライラするので、その勢いで「ひどいこと」を取り除こうとするのです。

これは身体の痛覚にも似ており、足を踏まれた時には「痛い」と感じるから踏まれたことに気づき、「痛い」と感じるから足を引っ込めるのです。

痛みを感じなければ、足は踏まれたままになるでしょう。

イライラは心の痛覚

足を踏まれたときには、痛みだけではなく怒りも感じることが多いと思います。

足を踏まれるということは、単に物理的な災難というだけでなく、自分という人格が「被害に遭った」ということでもあるからです。

つまり足の痛みは身体の痛覚が感じ、「被害に遭った」という心の痛みは「怒り」として自覚される、ということになります。

イライラは心の痛覚のようなものだと考えるとわかりやすいでしょう。

足を踏まれても、相手が大変恐縮して「本当に申し訳ありませんでした」と心から謝っている様子であれば、痛みは続くとしても怒りは収まるものです。

自分という人格が被害に遭ったわけではないことがわかるからです。

一方、相手が「それがどうした」という態度だと、たいした痛みでなくてもイライラは激しくなるでしょう。

自分が侮辱されたというサイン

侮辱的なことを言われる、というのも典型的な「被害」です。

ただ、侮辱的なことを言われたという場合には、足を踏まれた時とは異なり、身体的な痛みは感じませんので、怒りを感じることが唯一のサインとなります。

イライラを感じると、「そういう言い方は傷つくからやめてほしい」などと言って状況を変えることができます。
ところが、怒りを感じなかったら、状況が変わらないまま侮辱され続けることになるでしょう。

「対処が必要なこと」に気づくチャンス!

「被害を知らせてくれる」という怒りの機能は、何かをされたときに反射的に起こるイライラの場合だけでなく、「くすぶり続ける不満」の場合も同じです。

慢性的な痛みは、身体のどこかに問題があるということを知らせてくれますが、慢性的なイライラがある場合も、自分にとっての「被害」、つまり不満足な状況が続いているということになります。

なんらかの対処が必要な問題がある、と教えてくれるのです。

「イライラを感じる=悪いこと」ではなく、イライラを感じることは、単に「何らかの対処が必要な問題がある」ことを教えてくれているのだ、という単純な構造を理解しておいていただきたいと思います。

これは痛覚と全く同じです。

痛みを感じることは悪いことではなく(不快なことではありますが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるものです。

イライラも全く同じで、イライラを感じることが悪いことなのではなく(不快なことですが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるもの、と考えると、イライラの感情と前向きに取り組んでいくことができると思います。

イライラのこうした役割をしることがイライラをコントロールする第一歩となります。

イライラを手放せない理由

痛みもイライラも心身の危険を知らせてくれる「危険信号」ですが、どちらもそれ自体は心身にとってのストレスになりますので、できるだけ短時間でその役割を終えてもらう必要があります。

足を踏まれているなら足をどけてもらう、何らかの病気であれば治療するなど痛みについては、誰もができるだけ早く原因を取り除こうとします。

しかし、怒りの場合には必ずしもそうではありません。

逆に、長い間心に抱き続けることで、かえって怒りを強めてしまうこともあります。

イライラを長い間抱き続けてしまうのは、もちろん、「自分の気持ちをきちんと伝えて状況を変えてもらう」など「適切な対処」が行われずに蓄積されるからです。

「適切な処理」ができない理由、それは「波風を立てたくない」など周りを気遣っている場合も多いのですが、自分自身が「イライラを手放したくない」ときもあります。

例えば、自分の「怒りの強さ」こそが相手の「罪深さ」を証明するように思われる場合があります。

怒るのをやめると相手の罪がうやむやにされるように感じてしまうのです。

あるいは、何を言われてもイライラした態度をとることによって、「自らの非に気づいて詫びてほしい」と思うこともあるでしょう。

これも「イライラを手放したくない」ときです。

イライラし続けることで「被害」が続く

「被害」の感覚があまりにも強いと、「なぜ被害に遭った上に自分が「適切な対処までしなければならないのだ。

そんなのは相手の仕事だ」と思うものです。

これは人間として当然の気持ちなのですが、気づいておきたいのは、イライラによって損なわれるのは相手の人生ではなく、自分の人生だということです。

なぜなら、「怒りにしばられてしまう」という形で自分への「被害」が続いてしまうからです。

それなのに相手が「適切な対処」をするのを待つということは、自分への「被害」がいつまで続くかを、相手にゆだねていることになってしまいます。

イライラの原因を探ろう

イライラの最大の欠点は、コントロールするのが難しいことです。

もっと原始的な環境、例えば、ジャングルで出くわした動物をやっつけて危険を回避するためには、怒りにまかせて威嚇したり殴ったりすることで十分かもしれませんが、人間関係や社会生活はそれほど単純なものではありません。

怒鳴ったり殴ったりすることでうまくいくことは、まずないと言ってよいでしょう。

むしろ取り返しがつかなくなってしまう場合が多いのです。

ですから、イライラによって「対処が必要な問題がある」ということに気づいたら、そこから先はイライラのエネルギーを手放して「適切な対処」の仕方を考えていった方がずっとうまくいくのです。

そのためには、怒りの原因をよく考えてみることが必要です。

本当に「被害」は起こるのか

痛みの場合と違って、イライラを手放すには、それをもたらしたものを取り除くという方法だけでなく、「そもそも怒りの対象となるものか」を再び考え直してみる、という方法も有効です。

これは、いわゆる「受け止め方を変える」ということです。

自分は本当に被害に遭っているのかをよく考えてみるのです。

例えば、すぐに何かを決めつけるタイプの人から「あなたってそういうところが優柔不断よね」と言われた場合。

一方的に決めつけられた、と思えば強いイライラを感じるものです。

一方的な決めつけは、明らかな「被害」だからです。

しかし、よくよく考えてみれば、その人は万事に決めつけたがる人で、「決めつけ」はその人の習性のようなものかもしれません。

「自分が」被害に遭った、というよりも、「その人が」抱えている問題なのだ、と思えば、イライラするほどのことでもないということがわかります。

そうやって何でも決めつけていくような生き方は案外つらいものです。

それを知っておけば、「決めつけがちな人はおそらくストレスフルな人生を送っているのだろう」という気の毒な側面に気づけるかもしれません。

本当に被害に遭っているのであれば状況を変える必要がありますが、よくよく検討してみると、そうでもないということがわかり、イライラする必要がなくなるということも少なくありません。

ですから、「イライラ」の場合には、確実に被害のある「痛み」に比べると、自分が被害を受けたか受けないかは自分で決めることができ、それだけコントロールの余地がある、ということになります。

イライラは病気の症状であることも

もう一つ、イライラの「原因」として考えられることに、「心の病気」があります。

どうにもイライラして仕方がない、というときには、それが病気の症状である場合もあるのです。

例えばうつ病になると、イライラしがちです。

うつ病というと元気がなく落ち込んでいるというイメージがあるかもしれませんが、実際には、イライラが目立つ場合もあります。

うつ病になるとエネルギーがなくなってしまうため、「イライラ」などの感情がコントロールできなくなってしまう、と考えるとわかりやすいと思います。

あるいは、双極性障害(いわゆる躁うつ病)で躁状態や軽躁状態になっているときにもとてもイライラしやすくなります。

「躁」と言うとご機嫌なイメージがあるかもしれませんが、頭の回転がとても速くなり、「自分はすごい」という気持ちになってしまうので、自分のペースについてこられない周りにイライラしてしまうのです。

このように、イライラが病気の症状として表れることもありますから、すべてのイライラが自力でコントロールできるものだと思い詰めずに、「今までとは違う」という感じがするときや、「あまりにもイライラし過ぎる」と思うときには、専門家に相談してみていただきたいと思います。

生理前などのバイオリズムが関係していることも

女性の場合、生理前になるとイライラしやすいという人もいるはずです。

それも程度が強い場合には治療対象になりますから、相談してみる価値はあると思います。

こう言う場合も、イライラは「何らかの対処が必要な問題がある」ということを教えてくれていると言えます。

ですから、イライラをきちんと見つめてみることにはやはり大きな意味があるのです。

イライラしている自分にまずはやさしくしよう

イライラに振り回されず、イライラを本来の役割通り「対処すべき問題のサイン」として活用するためには、まず「イライラの感情」をそのまま受け入れる必要があります。

イライラをそのまま受け入れる、というのは誰もが案外やっていないことです。

普段私たちはイライラにいろいろな意味づけをしてしまっています。

例えば、自分の「イライラの強さ」が相手の「罪深さ」を証明しているように思う場合、イライラに「自分が正しいということを示すもの」「人間として手放してはいけないもの」という意味付けがされています。

また、イライラすること自体に「未熟」「人間が小さい」という意味付けをしてしまうと、誰かにイライラする自分を「このくらいのことで腹を立てる自分が許せない」「このくらいのことを手放せない自分は人間として未熟だ」などと責めてしまい、よりイライラを増幅させてしまうことにもなります。

この傾向が強くなると、「未熟な自分」を認めることすらできなくなり、「私はイライラなんてしていない」とイライラそのものを認められなくなってしまいます。

すると、イライラの原因となった事態は解決されないまま、見えないところで怒りがくすぶり続けることになるのです。

イライラに過剰な意味づけをしてしまったり、イライラしている自分を認めようとしなかったりすることが、「原因究明から解決へ」というシンプルで合理的な道を邪魔してしまいます。

同じ目に遭った他人に語るように

まずは、イライラしている自分にやさしくしてみましょう。

親しい他人が同じ目に遭ったとしたらかけてあげるであろう、最もやさしい言葉を自分にかけてあげるのです。

「まあ、あんなことを言われたのだから、イライラするのも当然。それにしても大変な目に遭ったね」と言ってあげましょう。

それが本当にイライラすべき問題かどうかは今後の検証次第ですが、現在とにかく自分自身が感情的になっていて大変だということは事実なのです。

その現実を受け入れるところから、イライラのコントロールが始まります。

体を動かす、その場所から離れてみる

イライラしている自分をやさしく受け入れて、イライラの「原因」を究明をしようにも、イライラがあまりにも強いときにはそれどころではなくなってしまいます。

そんなときには、とりあえず気分を入れ替えましょう。

最も効果的なのは身体を動かすことです。

歩いたり走ったりするのはとてもよいですし、ストレッチなどでも大丈夫です。

それ以外にも、目を閉じてゆっくりと長い呼吸をする、などということもプラスです。

トイレに行くなど環境を変えたり、食器を洗う、洗濯物を干すなど、ちょっとした家事をしたりするのもよいでしょう。

誰かに対してイライラしているのであれば、その相手からとりあえず離れることもよいと思います。

そうやって、怒りの嵐をとりあえずやり過ごしてから、「適切な対処」を考えていくプロセスに入りましょう。

まとめ

イライラってそもそも何のためにあるの?

  1. 「イライラすること=悪いこと」ではなく、イライラには役割があることを知ろう。
  2. イライラは「何か問題がある」ことを教えてくれるサイン。
  3. 自分がイライラしていることに気づいたら、「原因究明」に目を向けていこう。
  4. 「自分が本当に被害に遭った」のか「相手が問題を抱えているだけ」なのかを見抜こう。
  5. まずは「イライラしている自分」をやさしくねぎらってあげよう。