あるとき、同じ出来事が縁もゆかりもない二人に同時に起こったとします。
一人は落ち込み、立ち直れなくなってしまいました。
しかし、もう一人は、そこに光をみつけ笑顔で新たな道を進んでいきました。
この違いはどこにあるのでしょう。
こんなとき、心理学では「リフレーミング」という方法を使って解き明かしていきます。
これは否定的なもののとらえ方を、視点を変えて肯定的にとらえ直す方法で、カウンセリングや治療でもよく用いられているものです。
リフレーミングができることで、物事を柔軟に考えられるようになります。
そして視野がグンと広がります。
でもそれだけでは物足りない-そう思っている方もいることでしょう。
そこで、ここではさらにプラスして「幸せな見方」について、ある物語を使いながらご紹介していくことにしましょう。
リフレーミングとは
リフレーミングで見方を変えるだけで楽になれる
ここで一つ質問があります。
火事が起きて、火の手が迫ってきて外に出ようと扉を開けようとしたのに、どうしても開かないとき、あなたならどうしますか?
煙がもうそこまできているので焦る。
するとよけいに開かない。
扉に鍵がかかっているのか?
もう少し力を入れて押してみる。
開かない、これはいかん。
もっと力を込めて・・・ダメ。
煙が迫る、さらに力を込めて押す、押す、押す。
それでも開かない。
もう体当たりしかない。
ガツン。
痛い。
肩を脱臼したのか。
それでも開かない。
慌てる、頭が働かない。
でも、こんなときこそ落ち着くのが大事です。
そもそもこんなに力を込めて押しているのに開かないことのほうがおかしいですよね。
だったら・・・そう、そのとおり、押してもダメなら引いてみればいい。
それでもダメなら、これはガラガラと横に開く引き戸なのかもしれない。
つまり見方を変えれば、ピンチだと思っていてことも、実はなんてことはないものになります。
火事が迫っているとき、冷静になんかしていられないという声も聞こえてきそうですが、一つの事柄に対していろんな見方をしてみるトレーニングを普段から積んでいれば、とっさのときにも対応できるようになってきます。
楽しんでできます。
肯定的なとらえ方に修正する
見方を変えることを心理学では「リフレーミング」というのですが、このように、「物事のフレーム(枠)をつけ直すこと」「再枠組みづけ療法」と呼ばれる方法があります。
ひと言でいうと「否定的なもののとらえ方を、視点を変えて肯定的にとらえ直す」方法で、この技法を利用すると物事の見方が格段に広がります。
たとえば、「私は消極的でいけません」という人には、「いえいえ、あなたは物事をあるがままに受け入れる能力をお持ちなのです」と返します。
「私は取り柄がない人間なんです」に対しては、「あなたはあらゆる可能性を追求しておられるのです」。
「過敏すぎて」に対しては、「他者に波長を合わせ、非常に活発で、かつよく気が付く人なんですよ」。
「衝動的でいけません」に対しては、「思ったとおりに行動でき、のびのびしている」とリフレーミングします。
興味のある人は「神経言語プログラミング」というちょっと厳しめの治療法を勉強してもいいですが、あまり型にはまりすぎると自由さが失われます。
そのうえで、落ち込んでしまったときなどは、自分の問題に対してリフレーミングする癖をつける-そうすることで、こころが楽になり自分の視野が広がっていくことが実感していただけることでしょう。
リフレーミングで幻想から抜け出す
幸せになれた人が続出
同じ出来事が視点を変えるだけで大きく変わります。
さまざまな色めがねをとおしてみることで、人生さえ変わっていきます。
視点を変えることで幸せになった人は、大勢います。
Aさん(30歳女性)は理不尽な会社の都合によって退職させられましたが、「あまり好きではなかったのよね、この会社。前からステップアップしようと思ってたけど、なかなか思い切ることができなかったので、ちょうどいい機会だわね」とサバサバしていました。
その後外資系企業に挑戦、見事難関の会社に入社しバリバリやっています。
Bさん(50歳女性)はたいへんなグルメでしたが、糖尿病になって食事制限しなければならなくなりました。
「たいへんですね、お気の毒に」というとBさんはニッコリして「いえいえそうでもありませんのよ、食事制限するようになってやせて自分の気に入った服が着られるようになったし、健康になって粗食がとてもおいしくかんじられるようになったんですよ」と。
よく考えるとそれ以外にも一病息災というのもあります。
つまり糖尿病という病気をもっていることで、健康に注意するから他の病気になりにくいのです。
そのほかにも病気を理由にすれば、嫌な会食に出席しなくていいなどいいことがあるんですね。
色めがねをとおしてしか人はものをみられない
真実の見方なんてあるはずはなくて、色めがねをとおしてしか、人間はものをみることができません。
つまり偏りのない真実の見方などというものは幻想なんです。
幻想にかかわり続けても得られるものは少ないので、できるだけ幸せな見方を身に付けることがいいのではないでしょうか。
時間が経つことでさらに新たな発見がある
辛い状況にはペンティング
リフレーミングもいいのですが、リフレーミング以外にも方法があります。
それは「時間」です。
そうはいってもそれができないから、苦しいといわれる方もいらっしゃることでしょう。
でも、たとえば大失敗をして周囲から笑いものにされるような事態が起こっても、時間が経過すると、いつか忘れ去られます。
世の中ではそして人生では、次々にいろんなことが起こりますから、興味はすぐにそちらに移っていきます。
だからたいていのことは忘れ去られます。
「人の噂も七十五日」という諺もあるように、ほとんどのことは時間が解決してくれるものです。
また、「リフレーミングしようにも、なにも思いつかない、どうしよう?」とか、「どうにも解決の糸口がつかめない」という状態に陥ったときには、「いまはペンディングにしておこう」と問題をいったん横に置いておくのも賢いやり方です。
いいアイディアというのは凝り固まったときには沸いてきません。
時には問題を先延ばしにするのも、有効な方法だと考えています。
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そのつど軌道修正すればいい
嫁と姑の問題だってそう。
二人とも究極のライバルだから、容易なことでは解決は得られません。
どちらにも言い分はあることでしょう。
解決を急ぐと決裂、それですめばまだしも、旦那と離婚になってしまったり・・・。
ときには実家まで巻き込んでの大騒ぎになります。
でもだからこそ、時間が経てば自然と落ち着くところに落ち着くものだと思っています。
我慢とはいいませんが。
決してあなたを誤魔化そうなんて思っているわけではありませんが、問題は問題として置いておけばいいだけの話なんです。
解決できるものはしていいけれど、どうしようもないときにはいったん横に置いておくのも、楽に生きるための一つの方法として覚えておいてください。
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ただ棚上げしているだけではいけない
嫌なことは避ける、逃げるというのは、水が高い所から低い所に流れるのと同じくらい自然な方向性です。
動物でも嫌悪刺激を与えると逃げるのが自然です。
でも、人間の場合は逃げてもラチのあかない問題をしばしば抱えてしまいます。
自然の方向だからと逃げてばかりいてもダメなものはダメなんです。
棚上げにするのは智恵ですが、ずっと棚上げにしてしまうのは問題解決にはなりません。
A子さんは、いわゆる帰国子女で高校生の時代をアメリカで過ごしています。
小さい頃から利発で成績もよかったようです。
それで両親の期待が膨らんだのも無理ありません。
アメリカでもリーダーシップをとる活発な子だったようです。
彼女は日本に帰ってから受験勉強をはじめました。
彼女の志望は国公立の医学部。
もちろんアメリカ帰りなので英語は卓越した成績でしたが、数字をはじめ理系の科目では全然点がとれませんでした。
日本へ帰って一年目でしたし自分でもむりないかと納得しました。
それで翌年彼女は予備校に入学しました。
予備校では英語はよく勉強するのですが他の科目にはなかなか手がつきません。
そのうち授業中にふらつくようになりました。
そのため休みがちになります。
仕方ないので家で勉強しようと今度は宅浪を決め込みます。
ところがしばらくすると家でもふらつきが起こるようになりました。
A子さんは困り果てて耳鼻科にかかりましたが平衡機能は異常なしでした。
原因がわからないので次々脳外科、神経内科などをまわりました。
いずれもネガティブでした。
それで最後に診療内科を訪れました。
A子さんは自分でも半ば精神的なものが関係していると最初から考えてはいたのですが、心療内科を最後にまわしたのは自分でそのことを認めたくなかったからでしょう。
よく聞いてみると、特に数学の勉強をしようとするとふらつきがひどくなるのだそうです。
彼女は一年間を細かく分けて一日にこなさねばならない数学の問題数を割り出しました。
意外と少ないもので、一日わずか六問マスターしていけば、計画では翌年までに高校の数学はマスターできるはずでした。
それではと思うのですが、どうもやる気が起こりません。
それで、まずは化学も苦手科目の一つだから化学からはじめることにしました。
これは比較的スイスイ頭に入りました。
二ヵ月ほどでなんとか化学の基本問題が解けるようになったのです。
この調子で数学をと問題集のページを開いたのですが、やはりやる気が起きません。
やる気どころかめまいが起こりました。
めまいというのは二種類あります。
一つはベルティーゴ(Vertigo)という回転性のめまいで耳鼻科的なもの。
もう一つはディズィネス(Dizziness)といってフラフラ感というか不安定感、どちらかというと主観的なものです。
Aさんの場合は後者でした。
「わたし数学恐怖症みたいです」。
Aさんは悲痛な顔でいいました。
Aさんは病名を自分で診断してきました。
そんな恐ろしいことになるくらいなら勉強してないから悪い点数という結果に甘んじたほうがまだましなのです。
皆さん、これって変だと思いますか?
実はこれ、セルフ・ハンディキャッピングというものです。
これは自分にハンディキャップを負わせて、先に結果の弁解の用意をしておくこと。
A子さんは克服の試みの過程で「数学音痴」という言葉と出会い、ずいぶん気に入ったとみえて「数学恐怖症」から「数学音痴」に病名を自ら変更しました。
セルフ・ハンディキャップをはずすには結局自ら恐怖の方向に飛び込むしかないようです。
その後、Aさんは自身もセルフハンディキャップをはずすことができて、めまいは治りました。
七年かかりましたが、ついに国立の医学部に合格したんです。
遅めの出発ではありましたが、いまでは立派なベテラン医師として活躍しています。
ものの見方を変えること、またときには嫌なことにもチャレンジしていくことでさまざまな難局を乗り越えることができます。
悪い事柄も、反対側からみれば案外いいことであったりします。
たとえば、「気が弱い」というのは否定的ですが、「慎重、優しい」と考えれば視点が変わります。
ぜひこのような考え方をとりいれて、いままでの自分の風景を心地いい風景に変えていきましょう。