一生懸命他人のために尽くしながらも、なぜかうまくいかない人は、例えば、人生というものを悲観的なものと感じていないだろうか。
人間は完全に幸福になどなれないとか、極端になると悲劇以外に人間の生きる道はないのだとか、そんな人生観を持っていないだろうか。
そうなってしまうのは、何かを抑圧しているからである。
敵意を抑圧しながら他人に親切にする。
親切にされる方も居心地が悪いが、親切にする方もどこか居心地が悪いはずである。
居心地悪く生きることが人間には似あっているなどと感じているとすれば、それは何かを抑圧しているからである。
低い自己評価を抑圧して傲慢になれば、居心地の悪さは避けられないのである。
自分は今まで、会社のためによく働いてきた、いわゆる「会社人間」であった。
それなのになぜか、同期生はおろか、後輩にまで追い抜かれてしまう、努力しているわりにはどうもうまくいかないという人は、会社での生活に、どこか居心地の悪さがあったのではないか。
神経ばかり張りつめて、本当に心から話せる友人がいなかったのではないだろうか。
確かに「会社人間」であった。仕事もまじめにやった。周囲の人にも尽くした。
しかし、会社にいることを楽しんだであろうか。仕事がたのしくて仕方なかったであろうか。
周囲の人といると楽しくて、つい時のたつのを忘れることがあっただろうか。
会社の仕事や同僚が本当に好きなら、もっとリラックスしていたはずではないか。
楽しいどころか、心のどこかに、苦しみに耐えることが立派だというような考えがあったのではないだろうか。
つまりこうある「べき」だと考えて、絶えず自分に負けないようにしていただけの話ではなかったのか。
対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、まず自分が何を抑圧しているかをはっきりさせ、1日もはやくその抑圧をやめることである。