頭の中はなぜか、その人のことでいっぱい

大嫌い。だけれど、いつも気にしてる

たとえば、無視して気にしないつもりでいても、実は頭の中は、相手のことでいっぱいになっている。

相手の言動が頭から離れずに、自分が傷ついた言葉を拾っては相手に腹を立てたり、傷ついた場面を繰り返し再現させては、マイナス感情をエスカレートさせている。

絶えず相手の言動を目で追ったり、いちいち言動に反応して、心の中で勝手に責めたり、苛立ったり、憤慨したりしている。

私の悪口を触れ回っているのではないかと、絶えず神経を張り巡らせて相手を警戒してしまう。

こんなふうに、ほんとうのところ相手のことが気になって、いつも頭から離れなくなっているのではないでしょうか。

もしあなたがこんな状態になっているとしたら、そんなつもりはなくても、あなたは相手と心理的に近づきすぎています。

場合によっては、あなた自身が、相手が近づいてくるように仕向けているかもしれません。

「でも、私は離れたいのに、相手が近づいてくるんです。避けようがないじゃないですか」

「私は、争いたくないんです。けれども、相手が仕掛けてくるんですから、どうしようもないじゃないですか」

「私は普通にしているだけです。相手が、私に嫌がらせをしてくるんです」

心の「くっつきすぎ」が悪循環のモト

では、そんなあなたの目には、「嫌いな相手」はどんなふうに映っているのでしょうか。

みんなが一生懸命まじめに働いているときに、また怠けている。

自分では動こうとしないくせに、人には文句ばかりを言っている。

口でうまいことばっかり言って、「言っていること」と「やっていること」とがぜんぜん違う。

みんなは、どうしてそれに気づかないのだろうか。

「常識だろう、そんなこと」なんて言っていたけれど、常識を知らないのは自分のくせに。

あなたは、「相手が私に対して、何らかの悪意を抱いている。相手が、私に争いを仕掛けてくるのだ」と思っていました。

けれども、あなた自身も「悔しい、やり返したい、仕返ししたい」、そんな気持ちで、相手を非難したり否定したり責めたりしているとしたら、どうでしょうか。

少なくとも、あなたは相手に対して、決して好意的に、温かい愛を感じながら接してはいないでしょう。

あなたが相手に対してそんな思いを抱いているとしたら、相手の目にも、同様に、「相手が私に対して、何らかの悪意を抱いている。相手が私に争いを仕掛けてくるのだ」

というふうに映っているでしょう。

その一方、もしかしたらあなたは、心の中で、「でも、あの人は、決して悪い人ではない。私は、あの人のこんなところは評価している」

相手を”認めなければいけない”という意識で、本心としては”認めたくない”のに、なんとか認めようと努力しているかもしれません。

あるいは、相手を責めている罪悪感から、「私のわがままなのかもしれない。私にも悪い点があるかもしれない」と反省しようとしているかもしれません。

そんな気持ちがあなたの誠意から出ているとしても、あなた自身が「本当に納得しているわけではない」としたら、相手との心理的距離は依然として近いままでしょう。

いずれにしても、あなたの頭の中は、いつも相手のことでいっぱいで、しかも満足した答えを見つけられないまま、悩み苦しんでいるからです。

心理的距離が近すぎると、どんな人ともうまくいかない

好きでも嫌いであっても傷つけ合ってしまう!?

相手との「距離間隔」を経験的に学んでいない人ほど、相手と心理的距離を自ら縮めて、まさに、”抱き合って傷つけ合う”状態をエスカレートさせていくでしょう。

これが家族や夫婦、親子の場合”血縁”という離れられない関係から、骨肉の争いという言葉があるように、いっそう熾烈に”抱き合って殴り合う”までに発展することもあるのです。

また、職場の上司や同僚など、社会生活を営む上で離れられない関係で、悩み苦しみ、心身共に疲れ果ててしまう人もいます。

そして、恋人や友人など、いざ離れようと思えれば離れられるのに、複雑に感情が絡み合って身動きが取れなくなっている人もいます。

誰もがみな「満たされたい」「独りは怖い」から

では、どうして、こんなふうに「傷つけ合って」まで、相手と絡み合っていくのでしょうか。

冷静に考えれば、もっと心理的距離を離せば、そんな問題は起こらないのに、と理屈ではわかるでしょう。

けれども、「感情がそれを許さない。スッキリしない。こだわらずにはいられない」

こんな気持ちになるのは、自分で自分を満たす方法を知らないからです。

自分で満たせないから、相手に満たしてもらおうとしてしまうのです。

依存心が強い人ほど、満足や充実感を相手に要求していきます。

それほど私たちの根底には、どんな形であれ「人と触れ合っていたい」という強い欲求があるのです。

さらにまた、見捨てられるのが怖い。

孤独になるのが怖い。

こんな孤立することへの恐怖も、私たちの意識の原形に、遺伝子としてしっかりと刻みこまれています。

普段は意識にのぼらなくても、孤独であることへの恐怖は、私たちが自覚している以上に強烈です。

孤立は、肉体的な”死”とも直結しているからです。

「離婚して、別れてしまったら、どうやって生活をしていけばいいんだろうか」

「恋人と別れてしまったら、もう、2度と、好きな人が現れずに、ずっと独りで生きていなくてはならないんじゃないだろうか」

「一緒にいるのは苦しいけれども、この人を手放してしまったら、もう、誰も振り向いてくれる人はいないんじゃないだろうか」

「この職場を辞めてしまったら、こんな時代に、新しい仕事が見つかるだろうか。もし、見つかったとしても、前より条件が悪かったら、どうしよう」

「人に使われるのはもう、嫌だ。独立してやっていきたい。でも、独立して失敗したらどうしよう」

物理的孤立は、肉体的な死を招きます。

愛情の不在は、精神的な死です。

孤立を恐れるのは、そんな潜在意識にある恐怖を刺激するからなのです。

しがみついてお互いに離れられない

小さな日常場面です。

娘が母親にこう頼みました。

「明日、それ会社で使うから、揃えておいてよ」

「ああ、そうなの。じゃあ、これは?」

そばでそれを聞いていた父親が、口を挟んで、

「もう、子供じゃないんだから、それぐらい、自分でしたらどうなんだ」

今度は母親が父親に言い返します。

「いいじゃないの。この娘いま、残業、残業で疲れてるんだから。あなたに頼んでるわけじゃないでしょう」

父親の矛先が、母親に向かいます。

「何言ってんだ。お前が、そうやって、甘やかすからいけないんだ」

「甘やかしてなんかいませんよ。あなただって、私に頼むこと、あるじゃないの」

「おい、俺はなあ・・・」

娘が、また始まったとばかりに、それに割って入りました。

「わかった、わかったぁ!もう、自分でやるからぁ」

適切な「心理的距離間隔」を知らないと、こんな”揚げ足取り合戦”になるとわかっていても、お互いに近づいていきます。

無意識の世界に視点を置くと、これは、小動物が群れて一緒に固まっているような「しがみつき」の状態です。

お互いに依存して、しがみついている状態なので、離れることができません。

このしがみつきの状態から一歩でも離れると、相手との接点がなくなる恐れから、急に孤独感に襲われるでしょう。

争い合っている不快さよりも、もっと怖いのは誰も反応してくれない孤独です。

だから、家の中を否定的な言葉が飛び交いながらも、相手が自分に反応してくれることに、「まだ、見捨てられていないんだ」と内心、安心するのです。

しかし、それぞれがそうやって反応し合っていけばいくほど、「人のことには口を出すけれども、自力では立てない」自分になっていくでしょう。

その結果、適切な心理的距離間隔をどんどん侵しながら、抱き合いながら傷つけ合って、なお離れられないというふうに、争いが激化する悪循環となっていくのです。

心理的距離を自分が楽でいられるまで離れてみる

「どうしたらいいですか」と聞く人たち

あるセミナーでのことです。

言葉は「どうしたらいいですか?」と質問形ですが、実際には、どうしたらいいのか「教えなさい!」と強く”要求されている”ように感じることがあります。

事実、その要求に応じてアドバイスするとしたら、こう言うでしょう。

「どうして、そんなことしなくちゃならないんですか」

「でも、それをしたって、うまくいくとは思えませんけど」

「でも、私は間違っていないのに、どうして私が下手にでなくちゃならないんですか」

などと「どうして」と「でも」の連発です。

「相手をどうにかしなければ」では解決しない

もちろん、そんな「どうして」と「でも」では解決しません。

なぜなら、「どうして」と「でも」を連発するということは、その人自身が感情のレベルで納得していないからでしょう。

そして、いまのこんなつらい気持ちを解消するには、「相手が私の願いを叶えてくれさえすれば、私のこんなつらい気持ちは消えて、満足できるはずなんです。

だから、どうすれば相手が、私を満たしてくれる人になるのか。

相手が私の言いなりになって、私が満足するように相手を動かすことができるようになるには、どうすればいいかを、教えなさい」

などと、筆者に迫り、そうして、いま問題になっている相手とも、”抱き合って傷つけ合う”を目指そうとするのです。

こんなふうに「相手をどうにかしなければ、私は幸せにならない」と思い込んでいる人ほど、相手に自分の満足を要求しては、相手との心理的距離を縮めていきます。

もちろんこれでは、満足を得るどころか、相手に振り回されるばかりで、

自分の自由さえもなくしていくでしょう。

かといって、いくら頭で考えても、そんな状況から抜け出すことはできないでしょう。

なぜならそれは、頭で解決できる問題ではないからです。

私の小さな行動によって関係は大きく変わる

もしあなたが、いま誰かと「離れたいのに、離れられない」という硬直状態に陥っているとしたら、あなたが「行動する」しかありません。

あなたから、あなたが楽でいられる心理的距離まで、動くのが正解です。

実は、あなたがいまの状況を、解決しようとして足掻くのは、「自分を守るための決断とその行動方法がわからない」からなのです。

こんな思いの裏には、「私がそれをするのが怖い」という気持ちが潜んでいます。

「戦わなければ、自分の望むものは手に入らない」と思っていれば、自分が行動するのはいっそう怖くなるでしょう。

なぜなら、行動するというのは、その人にとっては、戦地に赴くも同然の心境になるからです。

だから、動こうとしないのです。

でも、本来は、相手と争わなくても、そして、そのために自分の感情や願いを押し殺さなくても、お互いに心地よくいられる関係を作ることはできます。

そして、その方法は、ほんの少しの行動レッスンで、誰でも簡単に身につけることができるのです。

「心理的距離感覚」を磨いてもっと心地よい関係になる

職場での一コマです。

同僚に対し、「これやっていい?」と聞きました。

同僚は、たじろぎながら自分で考えて。と答えました。

またの同僚は、「これやるね。」と話しました。

同僚は、「あ、ありがとう。お願いね」と答えました。

その後、両者の心の中には、ヘンなわだかまりも残っていません。

前者は「他者中心」のネガティブなコミュニケーションです。

後者は「自分中心」のポジティブなコミュニケーションです。

あなたは、前者と後者では、たまたま、相手が違った反応をしただけだと思っているかもしれません。

けれども、そうではありません。

ここでの発信者はあなたです。

あくまで相手は「感情レベル」で反応してる

前者の場合、「他者中心」のあなたは、相手の顔色を窺いながら、尻込みしながら言っています。

同僚は、そんなあなたの”煮え切らない態度”に苛立って、感情的に、そう”答えたくなった”のです。

受信者の立場としては、ついネガティブな言葉を返したくなってしまいます。

それは、あなたのその”煮え切らない態度”が、まるですべての責任を自分に丸投げされたような感覚を、相手に抱かせているからです。

後者の場合、「これ、やりますね」というあなたの明瞭な言い方が、すっきりとして自信にあふれています。

同僚があなたに感じるのは、その自信と信頼感です。

受信者としては、責任を丸投げされるような恐れもないので、安心していられます。

むしろ、「これ、やりますね」という歯切れのよい自己完結した言い方が、頼もしくも感じられます。

あなたがこんな「自分中心」の態度で臨めば、同僚から、「どうして、いつも聞いてくるの」も「どうして聞いてこないのよ」の言葉が返ってくることもなかったでしょう。

いずれにしても、このように、私たちは互いに相手の「感情」に反応し合っています。

ですから、もしあなたがこの場面でネガティブな言動をとっているとしたら、他の場面でも、同様のことが起こっているはずです。

もしあなたがポジティブな言動をとっていれば、他の場面でも同様のことが起こっているはずです。

なぜならこれが、あなたの言動パターンの雛形の一つとなっているからです。

とりわけ、相手を気にしたり、相手の顔色を窺う「他者中心」の人ほど、相手が発する感情に反応しては、互いに「ネガティブに関わり合っていく」でしょう。

孤独になりたくないあなたが、もしポジティブな関わり方を知らなければ、こうしてネガティブに関わり合っていくしかありません。

だから傷つけ合うとわかっていても、相手に近づかないではいられないのです。

「考える」より「感じる」で心理的距離を取ろう

では、このネガティブな関わり方とポジティブな関わり方との、根本的な違いはどこにあるのでしょうか。

それが「心理的距離間隔」なのです。

前者は、責任を丸投げしていく意識で、相手にもたれかかり、接近しています。

後者は、自分のしていることに自信を持ち、自主独立した意識で相手とコミュニケーションができます。

遠からず近からず、程よい心理的距離を保っているのです。

適切な心理的距離間隔が保たれていれば、前述のように、私も相手も、心地よい満足感や愛情を覚えます。

実は、この「心地よい心理的距離感覚」こそが、適切な心理的距離間隔なのです。

つまり、心理的距離間隔とは、感覚として感じるものです。

この心理的距離感覚は、自分の感情が基準になります。

日常の中では、自分の感情のほうが、頭で思考するより、はるかに的確な情報をつかむことができるからです。

だから、「自分中心」になって、感情を基準にした心理的距離感覚を磨く必要があるのです。

好きな人であっても、嫌いな人であっても、お互いを傷つけ合わない心理的距離感覚を身につけて初めて、ポジティブな働きかけや関わり方ができます。

またそんな心地よい心理的距離間隔が保たれていてこそ、互いに満足も愛も感じられる関係となっていくのです。