高い自己信頼感は自己実現から作られる

自己愛は自分を信じることにつながります。

自分の力を信じるということは、他者に依存しない、自立した人生のはじまりを意味します。

生きていくためには、自信は欠かせません。

それは「自信」を「自己信頼感」という言葉に置き換えてみるとわかりやすいでしょう。

自分を信じられない人間が、充実した毎日や人生を送ることができるでしょうか。

それは難しいことです。

「自信」の反対が「自己不信」であることを考えれば一層はっきりするでしょう。

人は自己信頼感があるからこそ自立した豊かな人生を送れます。

「自分を信じられる人間=自己信頼感の高い人間」は、自分の言動に責任をもち、言い訳をせず、自分の役割を強い責任感で果たそうとします。

だからこそ、周りの人からも自立して見えるし、実際に1人の人間として自分の力で生きていけるのです。

自己信頼感を高めるには、「すべては自分が源」と考えて、ありのままの自分で行動することです。

自信のない人は、依存や甘えの心が強いものです。

依存や甘えは「無責任さ」と親戚関係にあります。

その根底にはすべてのものに対する不信や不満があります。

さまざまな物事を他人のせいにし、自己を正当化するのです。

しかし、自分の足で立ち、自分の責任を自分の力でまっとうしていく、その姿勢なくして、成長は望めません。

もちろんその先には成功もないでしょう。

自信のない人が自立した世界へ入るためには、自己訓練を積むことです。

自己訓練とは、自分の選択に責任をもたざるを得ない状況を経験すること。

登山がよい例です。

登山では、その一歩一歩が自分の選択・責任になります。

どのようなコースを通って頂上をめざすのか。

装備はどうするのかという事前準備からはじまり、雨が降ってきたら休むのか、日が沈む前に寝床を確保するのかなど、絶えず変化する環境のなかで最善の選択をして実行する必要があります。

登山では、基本的に他人の力を借りることはできません。

自分の足で頂上をめざしていきます。

しかもひとつ選択を間違えれば命を失う危険すらあります。

依存や甘えの強い人は、これと同じことを日常生活で実践していかなければなりません。

これは簡単なようで実際は難しいものです。

頭ではわかっていても、実行に移し、習慣化できないのが人間です。

自分の長所を考え、それを伸ばすために自分ができることに集中すること。

すると自信が土台となって自立した人生を送ることができるのです。

長期的に物事を捉える視点をもつ

依存や甘えを断ち切り、真の自立した人生を実現するためには、長期的に物事を捉える視点が大切になります。

ところが、自信をもてない多くの人は、目先のことしか考えていません。

私たちが抱く感情には「恥ずかしい感情」と「快適感情」があり、基本的に人は恥ずかしい感情を避ける方向、避ける方向へと向かいます。

その結果、今、やりたいこと、ほしいもの、できること、会いたい人など、目先の願望ばかりを優先しがちです。

これではいつまで経っても自信は形成されません。

自己訓練なくして自己イメージのアップや自信は形成されないからです。

先ほども述べたように、自己訓練なくして自己イメージのアップや自信は形成されないからです。

一生ものの折れない自信をつくるのなら、長期的視点で積極的に恥ずかしい感情を受け入れ、ありのままの自分に向かって努力していく覚悟と行動力が必要でしょう。

多くの人は、易きに流れ、「快適感情」におぼれるあまり、なかなか自信を育てられないでいます。

しかし、人は苦痛を味わうと学習し、学習によって自信は育まれます。

恥ずかしい感情を乗り越えた先に真の快適感情があるのです。

「自信がない」という言葉は、一種のコミュニケーションになっているのではないでしょうか。

ほとんどの場合が失敗したときに言い訳をするための伏線として使われています。

「自分は自信がないのだから、うまくいかなくても大目に見てほしい」

「わたしはやれと言われたからやったんです。だから、あなたにも半分責任があります」

こうして誰かに責任を転嫁しているだけではないかと思うわけです。

これはまさに、自信がない人に共通して見られる「依存」と「甘え」でしょう。

左手に「ありのままの自分」があり、右手に「現実」があるとします。

この両者が手のひらをパチンと合わせたようにピッタリと合致する。

すると人は、理想が現実になった快適感情を味わいます。

このとき、その人の自己信頼感は高まり、自信が形成されます。

ところが、なんの努力をすることもなく、怠惰な生き方を続けていると理想と現実の開きは縮まるどころかどんどん広がり、しだいに自己信頼感も低下しはじめます。

目先の快適感情ばかりを追い求めている場合も同様です。

恥ずかしい感情に打ち勝ち、大きな自信を手に入れるためには、人生に目的や理想をもち、めざすこと、つまり長期的な視点をもって生きることが重要です。

「今」だけを見ていたら、快適感情に飲み込まれ、ほんとうに手にしたいものを手に入れることができずに、終わってしまうでしょう。

ありのままの自分に正直に生きる

自信のない人が、長期的な理想や目標を掲げて、今いる場所から一歩踏み出すには勇気が必要です。

はじめて赤ん坊を産んだ母親がいい例です。

母親は赤ん坊が願望に入っているので、どんなに朝早くても、夜遅くても、わが子が泣けば起きて子守りをします。

自信があるから、子どもを産んだわけではありません。

自信があるから、子どもを育てているわけでもありません。

「我が子を心から愛して育て上げたい」というありのままの自分に正直に、経験のないところから精一杯できることにとり組んでいるだけです。

価値のない人生は存在しません。

しかし、そのことに気づいていない人が大勢います。

だから、自分にとって価値ある自己実現が見つけられないのでしょう。

企業に雇用され、大事に扱われていてもそう思えない。

それどころか、「自分は会社に邪険にされている」と思い込んでしまっている。

学校では一人ひとりのことを大切に目をかけてくれていないと思い込んでしまっている。

いまの世の中は、こうしたネガティブな考え方が大多数になっています。

しかし、あなたの人生には必ず価値があります。

そして、あなたにとって価値ある自己実現は必ず存在します。

今いる場所から一歩踏み出して、「ほんとうにしたいこと」に正直に生きましょう。

好きなことに自信の有無は関係ありません。

むしろできないからやってやろうという気になるはずです。

好きなことに没頭することが自信を育むコツです。

他人より自分の評価を大切にする

「ほんとうにしたいことが見つからない」「趣味では好きなことに打ち込めるが、仕事ではそうはいかない」

このように考える人も多いと思います。

自分のしていることがやりたいことでなければ、自信をもって取り組むことは難しいものです。

自己実現をしている人たちは、他者評価ではなく、自己評価でいきています。

彼らは、周りの人にいくら認められても、自分で自分のことを認められなければ自信をもちません。

逆に他人が認めなくても、自分が正しいと思えることに自信をもっています。

他者評価に一喜一憂している状態では、ほんとうの意味で自信を獲得したとは言えないでしょう。

真の自信は、人から何かを言われて簡単に崩れるようなものではありません。

自分がつくった作品に対して、ほかの人から「たいしたことないね」と言われても自分が「すばらしい作品だ」と信じていれば自信はなくならないし、周りからどんなに「すばらしい」と絶賛されても、つくった本人が納得できなければ、自信は培われません。

もちろん、自分が「よくない」と思っていても、周りの人から「すばらしい」と認められて、「そうなんだ」と思える。

そして、それが自信につながる。

そうした段階もあると思います。

しかし、最終的に大事なのは自分がどう感じるか、どう解釈するか。

人が決めた現実ではなく、自分が現実をつくり出すことです。

自分の中に大きな自信をもつことができれば、誰がなんと言おうと、あなたの自信は揺るぎません。

そして、自分の望んだ結果を出すために、自分で決めた目標の達成をめざす人生が実現できるでしょう。

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自己実現を追求する

他者評価ではなく、自己評価で生きること。

自分で自分のことを認めてあげること。

それでも、「どうしても他人の評価が気になる」と悩んでしまうのであれば、自己実現を追求することです。

相手に認められたいと思っていても認めるかどうかを決めるのは相手。

自分のコントロール下にはありません。

また、「これほど愛情をもって接しているのに、相手はわかってくれない」というのも同じです。

相手を幸せにしようとしても幸せかどうかを決めるのは相手であることに気づきましょう。

相手に認められようとすればするほど、認められなかったとき目的を見失います。

そして、なかなか新たな目的を見出すことができず落ち込みます。

人から認められるための自分ではなく、理想の自分像に沿って生き、周りに対して思いやりをもって接していれば他人に囚われることはなくなるでしょう。

たとえば医師が一生懸命に薬を処方し、手術をしても治癒能力は患者の問題です。

この線引きをどうするかが難しい。

うまくいかないことを環境や周りのせいにしていませんか?

不平や不満ばかりを口にしていませんか?

すべての源は自分自身にあります。

思い当たるところがあれば、さっそく改める努力をしてみましょう。

そして、人から認められることを望む人生よりも自分から人を認める人生を生きて下さい。

「信じているのに、信じられていない」のではなく、愛しているのに愛されない」のでもなく、自分が自分を信じるのです。

すると人から信頼され、愛されるような人間になります。

「相手にどう思われるかではなく、自己実現できる自分になる」

「相手が信じてくれるからではなく、自分を信じてあげる」

こうした生き方は報われないように思えるかもしれませんし、実践するのは難しいものです。

しかし、努力を重ねた結果、成長といういちばん大きな果実を手にするのはあなた自身。

相手ではなく自分が自己実現する人間をめざすことがあなたの自己イメージを高め、自信を形成します。