”うつ病者は心のなかで助けを求めている”
何かをしているときに、その何かの後ろにはその人がいる。
しかし、何もしていないときも、心の世界を見れば同じではない。「何もしていない」ことのうしろには、やはりその人がいる。
働いていない人も、心の世界を考慮に入れればそれぞれ違う。
働く場所がないと言いつつ、ほんとうは働きたくない失業者もいれば、働く意欲はあるけれど働く場所がない失業者もいる。
うつ病者と怠け者とで考えてみれば、もっとハッキリとわかる。
うつ病者は、外から見ると積極的に仕事も勉強もしていない。
しかし、何もしていないからといって、うつ病者は怠け者とは違う。
「何もしていない」というのと「何もしようとしていない」というのは同じではない。
うつ病者は「何もしていない」が「何もしようとしていない」わけではない。
何かをしようとしてできないで、あるいは何をしてよいかわからないで焦っているだけである。
うつ病者は心の傷に苦しんでいる。
彼らは心の傷の痛みに耐えかねて「辛い、助けてくれ」と叫んでいる。
しかし、現実の世界の中では、だれかに向かって、「辛い、助けてくれ」と言えない。
それは、現実の世界の人に憎しみがあるからである。
人は、憎んでる者に助けを求められない。
彼らが時にお金を望むのも、名誉を望むのも、それが自分の心の傷を癒してくれることを期待するからである。
何もしないからといって、うつ病者は怠けているのではなく、生きることも死ぬこともできなくて、じっとして悲鳴を上げているのである。
前に進むことも、後ろに引くこともできなくて、「どうにかしてくれ、助けてくれ!」と無方向に叫んでいる。
彼らはもう、自分で心の傷を癒す力は残っていない。
うつ病者は何もしていなくても、焦っている。いつも焦っている。何かを取り戻そうとしている。
毎日泣いているのがうつ病のひとである。
それに対して、怠け者は何もしていないことを楽しんでいる。生きることに疲れているわけではない。
困れば誰にでも「助けてくれ!」と言える。
それは憎しみがないからである。
同じように何もしていなくても、生きるのが辛くてどうしていいかわからないで「助けてくれ」と叫んでいる者と、何もしないことを楽しんでいる者との違いが、うつ病者と怠け者の違いである。
ただ、現実の世界では、同じように何もしていない。